柳十兵衛 清厳を連れて柳生庄へと向かう 5

 翌朝、すっかり酔いも覚めた十兵衛は丁寧な見送りを背に柘植に取っていた宿へと戻る。するとそこでは新左衛門、儀信よしのぶ、そして与六郎の三人が待っていた。

「おや、平左衛門様は?」

「平左衛門様でしたら『自分も顔を見せに行く家がある』と言って早朝に出られました。『上野にて待っている』とも言っておられましたので合流は向こうでできることでしょう」

「なるほど、上野か」

 上野とはこの先にある伊賀上野城の城下町のことである。距離は柘植から四里ほどなので昼前には到着できるだろう。

 なお上野から柳生庄まではおおよそ六里であり、つまりは時間的には今日のうちに柳生庄へと到着することもできた。しかし十兵衛はそれはあまり期待するなよと新左衛門に釘をさす。

「上野周辺にも挨拶に出向かねばならない家はある故、おそらくまた昨日みたいに宿で待っていてもらうことになるだろう。目と鼻の先で待たせてしまうのは心苦しいが……」

「お気になさらずに。我々が勝手に十兵衛殿の旅についてきただけですから」

「そう言ってくれると助かる」

 こうして十兵衛一行は大和街道を西へと進み予定通り正午ごろの上野へとたどり着いた。そして先に言っていた通り十兵衛と友重は今日もまた挨拶回りへと出る。

「すまないが今日も宿で待っていてくれ。与六郎、平左衛門様が来られたら今日も我々は挨拶に出向いていると伝えておいてくれ」

「承知いたしました」

 昨日と同じように宿にて留守番を任される新左衛門に儀信に与六郎。しかしそんな与六郎もしばらくすると自分も用があると言ってきた。

「一刻ほどで戻ってきますのでそれまでおとなしくしていてくださいね」

 そう言ってどこかへと出て行った与六郎。監視をおろそかにしたのは新左衛門らを舐めているのか、それとも下手な真似はしないだろうと信用しているのか――どちらにせよ数日ぶりに自分たちだけになった新左衛門と儀信は緊張を解いてふぅと息を吐いた。

「ふぅ……」

「ふふっ。疲れたか、儀信?」

「清厳様……いえ、新左衛門様。はぁ、お恥ずかしながら少々過剰に気を張っていたようです」

「気にするな。私だってそうだが、あの方々の前では仕方もあるまい。実際お前はよくやってるよ。お前がいなければ私ももっと余裕がなかっただろうからな」

 新左衛門の労いに儀信は「もったいなきお言葉」と頭を下げた。

 武藤儀信。尾張柳生家の下男で年は新左衛門よりも少し上の十六。今回は新左衛門の護衛として旅に同行している。なお護衛対象はあくまで新左衛門一人であり、彼に危害を加えるのであれば牢人や無頼者だけでなく江戸柳生の十兵衛や友重とですら敵対する覚悟でいた。もちろん力不足は百も承知だが、それでも儀信はここまで臆することなくついてきてくれた。

「まもなく柳生庄だ。だからもう少しだけ我儘に付き合ってくれ」

「何を水臭いことを。どこまでもお供いたしまする」

「ふふっ。すまないな」

 その後二人は久しぶりに二人きりになったということで適当に語らい合う。話題は道中に気付いたことや感じたこと、あるいは剣術の具合や最近の尾張での流行といった他愛のない話だ。そんな取り留めのない会話の最中、急に儀信が不満そうに口を尖らせた。

「しかしまったく。仕方がないとはわかっておりますが、それにしても悔しいことですよ」

「おいおい、どうしたのだ急に」

「どうしたもこうしたもありません。私は悔しいですよ、新左衛門様。皆十兵衛様ばかりを柳生家長男とちやほやして!ここにも柳生家長男はおられるというのに!」

「あぁそのことか……」

 口泡飛ばす儀信に新左衛門は困ったように苦笑した。確かに新左衛門もその正体は尾張柳生家長男の柳生清厳だ。十兵衛と同等とまではいかなくとも、ある程度の敬意を持った接せられ方をされてもいいはずだし挨拶回りに同行してもいいはずだ。しかし実際はこうして狭い宿屋でじっと待たされている。もちろんそうせざるを得ない理由は新左衛門も儀信もわかってはいるが、それでも湧き上がる不満はどうしようもできないようだ。

「まったく残念ですよ。特にこの地は左近さこん様とも関連ある土地だというのに!」

 今儀信が名前を挙げた左近とは石田三成の側近・島左近こと島清興きよおきのことである。彼は三成の配下となる前にここ上野の国に仕えていたのだが、なぜ今彼の名が出たのかと言えばこの左近は新左衛門の義理の祖父であったからだ。

 もう少し詳しく言えば新左衛門の父・柳生利厳の側室・珠がこの左近の娘であった。珠は清厳の実母ではないが、昨年生まれた弟の新六(のちの厳包よしかね連也斎れんやさい)の母であり仲も悪くはない。また新左衛門らは戦国の世を翔けた左近の逸話をよく聞かされていたためそこからの憧れも持っていた。

「とはいえ左近様がここ上野にいたのはかなり昔だ。外に出たところでもう縁故の人も名所も残ってはいないだろうよ」

「わかっております。ですがそういうことではなく……!」

「皆まで言うな。お前の気持ちはよくわかる。だがそれも明日までの辛抱だ。明日はさすがに柳生庄へとたどり着いていることだろう。それまであともうひと踏ん張りしてくれるか?」

「……承知いたしました」

 ある程度吐きだしたことで少しは気が晴れたのか、儀信は渋々ながらも頭を下げてくれた。そしてそれからしばらくして与六郎が夕食代わりの田楽や煮豆を買って戻ってきた。

「いやぁ留守番を任せて申し訳なかった。詫びというわけではないが出来立てを買ってきたぞ。温かいうちに食べるといい」

「与六郎様。御用とやらはもうよろしかったのですか?」

「ん?ああ、そうだ。こっちの用事はもう終わった。それよりもさぁさぁせっかく買ってきたんだ。遠慮せず食べてくれ」

「はぁ。ではお言葉に甘えまして」

 新左衛門が勧められるまま煮豆を一つ頬張ると、晩秋の夜の冷えた体に温かさがじんわりと染み入った。これには儀信も満足したようだ。

「いやぁ美味しいですね、新左衛門様」

 どうやら機嫌も治ったらしい。とここで新左衛門は(あぁ、気を遣われたのか)と察した。

(与六郎殿が出て行ったのはそういうことだったのか。それを今になってようやく気付くとは、私もまだまだ半人前ということだな)

 思わぬところで自らの未熟さを自覚した新左衛門。

(ここ最近、自分の未熟さを思い知らされることが多い。だがそれは言い換えればまだまだ成長できるということ。明日の柳生庄もきっと私を導いてくれることだろう)

 新左衛門は静かに成長の期待を抱きながら、今日のところは煮豆をもう一つ頬張った。


 翌日、伊賀三日目。新左衛門は宿にて十兵衛や平左衛門らと改めて合流し、今日こそ柳生庄へと向かう。

 進むのは上野より西へと伸びる笠置かさぎ街道。この街道は現在でいう奈良と京都の県境付近を通る道で伊賀・上野から大和国・平城京付近にまで続いている。そしてその道中、笠置山の麓あたりに柳生庄へと続く横道があった。

「おぉ!ここも変わらんなぁ!」

 笠置山の山肌を巻くように伸びる山道。街道本筋からは一段見劣るその道を十兵衛は愛おしそうに見上げ、そして「さぁ行こうか」と踏み出した。

 笠置山地の谷間を進むその道は上下左右にうねり視界も悪かったが十兵衛は特に迷うこともなく、何ならこの旅一番の軽い足取りで進んでいく。そして一里ほど進んだ頃に十兵衛らは人家の見える開けた場所にまでやってきた。

「おぉ……」

 感極まる十兵衛。その背中を見て新左衛門も悟った。

「ここが……」

 十兵衛一行は柳生家父祖伝来の地――大和・柳生庄へとたどり着いたのであった。

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