柳十兵衛 清厳を連れて柳生庄へと向かう 3
翌日伊勢二日目。場所は四日市宿。この日も朝から好天に恵まれ絶好の旅日和となる。しかしその出立前に、朝食代わりの芋田楽をかじりながら十兵衛が平左衛門に尋ねた。
「さて、ここからですが平左衛門様はいかがなされますか?」
「いかがと申されますと?」
「いえ、今日の旅路が順調に進むと我々は関宿で東海道から外れます。ですが平左衛門様は京に用事があると申されておりましたのでいかがなさるのかと思いまして。旅程も遅れに遅れましたし平左衛門様はこのまま東海道を進んだ方がよろしいのではないかと」
十兵衛がこう提案したのは十兵衛始め柳生庄へと向かう面々はこの先の宿場――
さらに言えば現在地の四日市宿は東海道の終点となる京・三条大橋から二十五里ほどのところにあった。これは平左衛門一人の足ならば早ければ二日もあれば走破できる距離だ。故に別れるならここが切りがいいだろうということなのだが、これに平左衛門はハハハと笑った。
「おやおや、水臭いことを。せっかくここまで来たのですから私も一度柳生の里を見ておきますよ。京には大和経由で向かいます。なに、大した用事ではありませんのでこちらのことは気にしないでください」
本人がこう言うならばと十兵衛はこれに納得したが、代わりに友重が一応の忠告を加える。
「しかし道中はだいぶ時間がかかりますよ。なにせここから色々と挨拶をしなければならない家も多くなりますからな」
「と言いますと?」
「大和街道から伊賀に入れば――
加太越とは鈴鹿山脈を越える峠の一つで、ここを越えればそこはもう大和国の隣国である伊賀国だ。特に柳生庄は伊賀国との国境に近い位置にあったため、必然柳生家との付き合いの古い家も多かった。
一応公的な解釈としては今ここにいるのは『柳十兵衛』ではあるが、今後のことも考えれば素直に『柳生三厳』として挨拶の一つでもしておいた方が無難だろう。面倒ではあったがこれも嫡男としての務めだと十兵衛は頷いた。
「そうだな。父上も先日(秀忠家光上洛時)は近くまで来たのに顔も見せられなかったと申し訳なさそうにしていたからな」
「なるほどそういことでしたか。しかしそれでしたらやはり気にしなくともよいですよ。私も尾張では挨拶回りで皆さんを待たせてしまいましたし、伊賀なら私も挨拶する家が何件かありますからね」
平左衛門はもとより伊賀の血筋の者であったため縁故の家もあるのだろう。それならばと友重も頷いた。
「左様ですか。そこまでおっしゃられるならもうこちらから言うことはございません。それではそろそろ参りましょうか」
こうして改めて旅程を確認し合った十兵衛一行は四日市宿を後にした。
海沿いの四日市宿を後にした十兵衛一行は東海道に沿って内地へと進む。
そんな折ふと十兵衛は、新左衛門が感慨深い目で西の山稜を眺めているのに気付いて声をかける。
「新左衛門はここら辺は初めてか?」
「十兵衛様。はい、お恥ずかしながら尾張より西には桑名までしか行ったことがなく、この辺りに関しては噂に聞くことはあれど自らの足で来たのは初めてです。儀信も来たことはないと言っておりました」
「ほぉ、そうか」
十兵衛はここから「俺も江戸に向かった時はここを通ったものだ」と思い出話でもしようと思ったが、とっさに口をつぐみ話を飲み込んだ。新左衛門がこのへんに来たことがなかったのはもしかしたら江戸柳生と尾張柳生の確執も関係していたのではないかと勘繰ったからだ。
「……加太越は大した峠ではないが一応油断はしないようにな」
十兵衛が当たり障りなく忠告すると新左衛門も「はい」と返事をした。
一息入れたのち改めて鈴鹿越えに挑む十兵衛たちであったが、関宿から鈴鹿山脈を越えるには二通りのルートがあった。一つは近江国、延いては京へと続く北の鈴鹿峠。もう一つが十兵衛たちがこれから向かう、伊賀国および大和国へと続く加太越である。
この加太越は鈴鹿山脈南部に位置する峠であり、その歴史は古く鈴鹿峠が開通する以前はこちらの方が西国へと続く東海道の一部とされていた。また本能寺の変で窮地に陥った徳川家康が東国へと逃げた、いわゆる『神君伊賀越え』で通った道としても知られている。標高は約300mと決して低くはないが、かといって特別に難所というほどでもない。事実普段から鍛えている十兵衛たちにとっては「ちょっとした峠」に過ぎず、一行は穏やかな秋晴れに任せて進み、やがて難なく伊賀国へと入った。
地図上では峠を一つ越えただけであったが、不思議なもので伊賀国に入るや十兵衛にとって懐かしいと思える風景が増えてきた。
「変わらないな……いやまぁ数年しか経っていないのだから当然と言えば当然なのだがな」
のどかな風景に心安らぐ十兵衛であったが、ここで平左衛門が妙な気配を感じて十兵衛に耳打ちをする。
「十兵衛殿。少しよろしいでしょうか?」
「はい、何でしょうか」
「それが……伊賀に入るなり何者かにつけられているのですが、お心当たりはございますでしょうか?」
十兵衛は軽く振り返るが道には誰も見えない。十兵衛が気付けず、かつ平左衛門が気付くということは相手は忍びの心得がある者なのだろう。
「つけられている?忍びにでしょうか?」
「おそらくは。ですが敵意のようなものは感じられないため十兵衛殿にかかわりがある者かと思いまして」
「ふむ。与六郎!」
すぐさま与六郎に確認を取らせると、そこは平左衛門の予想通り、十兵衛(三厳)帰郷の確認をしに来た地元の郷士の手の者であった。
「ご心配をおかけしました、平左衛門様。やはり私と縁のある者だったようです」
「左様で。それにしてもわざわざ忍びを寄越すあたり熱烈な歓迎っぷりですな」
「まぁ向こうもそもそも忍びの家ですからね」
伊賀国には柳生家と付き合いの深い家がいくつかあったが、そのほとんどが古くからの忍びの家であった。ここで言う忍びとは、漫画やアニメであるような派手な術をぶつけ合うような戦士ではなく、敵勢力の情報を集めたり夜間に襲撃を掛けたりといった地味な
現代でもその名が残っている通りここ伊賀国には忍び家業を生業としている家が多くあり、彼らは諜報戦やゲリラ戦、そして相互協力により激動の戦国時代を生き延びた。柳生家もまた柳生庄という土地を守る郷士であったため近隣の彼らの諜報網は昔から頼りにしており、そしてその関係は今なお続いている。
「なるほど、土地の者でしたか。道理で隠れるのがうまいわけだ。もしかしてですがこの後十兵衛殿たちが挨拶に向かうというのは……」
「はい。彼らの上役――ここ柘植周辺の長老のような立ち位置のお方に挨拶に向かいます。屋敷はまもなく見えてくる柘植宿、その町はずれにございます」
十兵衛言葉通り、ほどなくして一行は大和街道の宿場の一つ・柘植宿へとたどり着いた。
「こちらの勝手で恐縮ですが今日はここで宿を取らせてもらいます。私と友重は顔を出さねばならぬ家があります故少し出ますが平左衛門様たちは気にせずゆっくりとしていてください。何かございましたら与六郎を置いていきますので遠慮なく申し付けてくださいませ」
平左衛門らは特に異論なく十兵衛らを見送った。
「お気をつけて。今晩は宿には戻ってこられますか?」
「戻ってくるつもりではありますが先方次第ですね。向こうに泊るときは使いを寄越します」
こうして十兵衛と友重は、宿に平左衛門・新左衛門・儀信そして与六郎を残して出て行った。
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