柳十兵衛 清厳を連れて柳生庄へと向かう 2

 尾張・宮宿到着から五日目。ようやく七里の渡しの舟が出るこということで宿を出た十兵衛たちを待っていたのは、旅装束に身を包んだ尾張柳生家嫡男・柳生清厳であった。一人お供を連れて待っていた清厳は十兵衛たちを見つけるや深く深く一礼をした。

「おはようございます、十兵衛様。此度はこちらの無理な申し出をお受け下さり誠にありがとうございます」

 礼儀正しく落ち着いた口調であったが気持ち鼻息が荒いことから内心では期待と興奮でうずうずとしているのが見て取れた。存外に子供らしい態度に十兵衛はやはり許可を出してよかったと満足する。

「うむ、そう堅くなるな。柳生庄を一度見てみたいという気持ちは俺もよくわかる。江戸と尾張は確かにいろいろとあるが今回は素直に俺に任せてくれればいいぞ」

「はっ。某、皆様のご迷惑にならぬことを誓います故、何かございましたら何なりとお申し付けください」

 その後清厳は平左衛門らにも挨拶し、そしてお供の者を紹介する。

「この者は武藤儀信よしのぶ。うちの下男で、今回短いながらも皆様方の道中の世話をさせていただきます。何かありましたらこやつにもまた何なりとお申し付けください」

 清厳からの紹介を受けた儀信は丁寧にお辞儀をした。この儀信、世話係とは言っていたが硬く緊張した表情を見るに清厳の護衛の方が本命だろう。年は清厳よりもすこし上の十六。旅の護衛にしてはかなり若いが、これは変に年長者を寄越すと無駄に警戒されると判断してのことだろうか。十兵衛らは(別に襲ったりなどしないのに)とも思ったが向こうの立場を鑑みればそれも仕方がないことだった。

「それでは顔合わせも終えたことですし早速行きましょうか。船着き場までの案内は儀信殿にお任せしてよろしいのですかな?」

「はい。それではご案内いたします。どうぞ、ついてきてください」

 こうして十兵衛、友重、平左衛門の三人に清厳、儀信を加えた五人は七里の渡しの船着き場へを向かうことにした。


 七里の渡し。尾張・宮宿と伊勢・桑名宿とを結ぶ東海道唯一の海路である。その航路は満潮時に最短経路を進むと二刻で七里を渡り切るとされていた。一刻は現在で言う約二時間であり一里は4kmに相当するため、最短で四時間で28kmの船旅ということだ。

 ちなみに陸路との比較であるが、当時は半刻歩くと一里進むと言われていたので二刻だと四里歩けることになる。そこに道の蛇行や川越えなどが絡むため速度では単純に二倍以上の差があったとみていいだろう。加えて船旅なら座ったままで目的地にたどり着けるのだ。当時の旅人が多少の身銭を切ってでもこの船旅を選んだのも頷ける。

 そんな渡しの数日ぶりの舟出しだ。宿場の西にある船着き場は足止めをくらっていた旅人たちでひどく混みあっていた。

「これはまた……もはや壮観ですね。以前堺の港を見たことがあるのですがそれに匹敵するほどの慌ただしさですよ」

「ええ。私も何度か利用したことがあるのですが、数日足止めされるとここまで混むものなのですね」

 船着き場は桑名へと向かう人だけでなく、向こうからこちらにやってくる人や貨物でもごった返していた。飛び交う言葉も西と東の訛りがあちらこちらから聞こえてくる。この頃の江戸はまだまだ発展途上だったため馴染みのない迫力に十兵衛たちがひるんでいると、そこは地元の者――儀信がもみくちゃにされながらも順番待ちの札を取ってきてくれたことで十兵衛らは正午前には舟に乗ることができた。

 今日の伊勢湾は昨日までの時化が嘘のように穏やかに澄み渡っていた。十兵衛たちは左手に雄大な伊勢湾を、右手にのどかな漁村を眺めながらしばしの船旅を楽しんだ。


「足元をお気を付けになってください」

「うむ。ご苦労」

 二刻後、舟は問題なく対岸の伊勢国・桑名宿へとたどり着いた。揺れる舟から大地へと降り立った十兵衛らはとりあえず伸びをしてから、これからどうするかを話し合う。

「いかがなさいましょう。すぐに出立いたしますか?それとも何か召し上がられてからで?」

 時刻は昼頃で晩秋とはいえまだ日も高い。少しのんびりしても日没までには次の宿場までたどり着けることだろう。

「そうですな……もう急ぐ旅路でもないですし、何か腹に入れてからでもいいかもしれませぬな」

「では何にいたしましょう。そういえば桑名と言えばハマグリだと聞いたことがあるのですが、そこのところはどうでしょうか、儀信殿」

「ハマグリですか……確かに桑名の名物ですが、もう少し寒くなってからが旬ですね。……あぁっ!ですが今のものでも十分美味ですので、お望みとあらば店を探してきましょうか!?」

「まぁまぁ落ち着け、儀信殿。桑名も大きな宿場だ。適当に冷やかしながら店を探せばよかろう」

 そんな他愛のない話をしていると、ふと十兵衛の――もとい三厳の名を呼ぶ声が聞こえた。

「三厳様!」

 思わず振り返ればそこには体格のいい好青年が立っていた。そしてその顔を見るや十兵衛の顔が明るくなる。

「ん?……おぉ!与六郎よろくろうか!どうしたんだ、こんなところで!」

 駆け寄る十兵衛。どうやら十兵衛、そして友重はこの人物に覚えがあるようだった。

「十兵衛殿。こちらは?」

「あぁ失礼。こちらは植田与六郎。柳生庄にいた頃の、元服前からの私の友人です」

 紹介に合わせて十兵衛と同年代ほどの青年・与六郎はぺこりと頭を下げた。

「しかしこんなところでどうしたというんだ、与六郎。尾張に渡る用事でもあるのか?」

 十兵衛が尋ねると与六郎はおやおやという顔をした。

「何をおっしゃっているのですか、三厳様。便りで間もなく戻るとのことだったのでお迎えに上がったのですよ」

「おぉそうかそうか。それはご苦労だったな。しかし待ったことだろう。ここ数日は舟が出なかったからな」

「ええ、まったくもって。ですが逆にそのおかげで今日帰ってくるのだろうなと当たりを付けられました。それにしても……思ったより大所帯ですね」

 十兵衛の背後の四人を眺める与六郎。と、ここで十兵衛はその同行者の中に清厳がいることを思い出して思わず言葉に詰まった。清厳の扱いをどうするかをまだ決めていなかったからだ。

(しまったな。さっさと話を合わせておけばよかった。よもやこれほど早くに柳生庄の者に出会うとは思ってなかったからな)

 しかし焦る面々をよそに清厳は素知らぬ顔で自己紹介を返した。

「お初にお目にかかります。某はやなぎ新左衛門しんざえもん。此度は新陰流の門弟の縁で同行させていただきました。どうぞよろしくお願いいたします」

 どうやら清厳はきちんと立場を理解しあらかじめ偽名を用意していたようだ。名前は以前使った『柳新左衛門』。これを与六郎は特に気にすることもなく「新左衛門殿ですね。こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。それでそちらは……」と言い、視線を平左衛門や儀信の方へと移した。


 その後彼らは互いの紹介を終え、続けてどこか食事処でも探していたと伝えると与六郎は自分に任せろとどんと胸を叩いた。

「お任せください。顔見知りの飯屋がいますのでご案内いたします。いい目利きをする男ですよ」

 こうして案内された店は与六郎のお墨付き通りいい料理を出す店だった。ハマグリは旬ではないので出されなかったが代わりに別の旬の貝や焼き魚が並べられる。そんな桑名の海の幸に舌鼓を打ちながら十兵衛らは今後の予定を確認し合った。今日は早い時間に舟に乗れたためまだ日は高い。次の宿場・四日市よっかいち宿までは余裕で到達できるだろう。

「三厳様。今日の宿は四日市でよかったでしょうか?」

「うむ。そのつもりだが何かあったか?」

「あぁよかった。実は私、四日市で宿を取って三厳様たちを待っていたのですよ。桑名は舟が止まると宿賃が高くなりますからな。それで連日泊まっておりましたので宿主に話せばすぐに部屋を用意してくれると思うのですが、今宵の宿の方はそちらでよろしかったでしょうか?安宿故に少々狭っ苦しいのですが……」

「おぉ、構わん構わん。むしろ宿探しに走らなくてよかったくらいだ。舟が出たことで近くの宿場は皆混雑しているだろうからな」

 宿の目途が立ったことで余計に時間に余裕ができた十兵衛らは桑名の宿場を後にして、のんびりとした足取りで四日市へと向かう。道中の日は暖かく、等間隔に並んだ松の並木と穏やかな伊勢湾が質素ながらも美しい風景を作り出している。これほど余裕ある旅路もいつぶりだろうか。

 そんな道中にて与六郎は十兵衛にこっそりと耳打ちをした。

「三厳様……あの子供、尾張の利厳様の御子息・清厳様ですよね?」

「……やはり知っていたか」

 新左衛門の正体を見破った与六郎であったが十兵衛は特に驚きもしなかった。というのも実はこの与六郎、生まれは伊賀の忍びの家系――特に諜報に特化した忍びの家の者であった。この家の諜報網には祖父・石舟斎の代から世話になっていたほどで、そのため与六郎が清厳の顔を知っていたとしてもそれは特に驚くようなことでもなかった。

「まぁいろいろあってな。後で詳しく話すから今はとりあえず飲み込んでいてくれるか?」

 与六郎は「承知いたしました」と言ってそれ以上尋ねることはなかった。

 やがて日が沈みかけた頃、一行は四日市宿に到着する。十兵衛らは与六郎の口利きでまごつくことなく宿に入り伊勢での一日目を終えた。

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