柳十兵衛 出石へと向かう 5
現在で言う兵庫県の南北をつなぐ街道・但馬街道。その南の起点である姫路の北門前に冬山装備に身を包んだ十兵衛と時直は立っていた。時刻は昼過ぎと半端な頃だったが二人はこれから旅立つつもりであった。時直によるとこれでちょうどよく一泊できる村にたどり着けるらしい。
「ええと、今日泊まるのは何という村だったかな?」
「福田村ですね。我々の足ならば二刻とかからないはずです。まぁ草鞋や皮足袋を履き慣らすと思えばちょどいい距離だと思いますよ」
「そうかもな。それでは行こうか」
こうして二人は姫路の町を後にして但馬街道を歩み始めたのであった。
姫路の町を出て道なりに進む二人は間もなくして大きな川に直面した。渡しの舟などは見えず、街道はこの川の上流へと続いている。
「大きな川だな。この川は?」
十兵衛の問いかけに時直が答えた。
「
「ほう。ではこの川をさかのぼれば但馬まで行けるのか?」
「いえ、さすがにそこまでは通じておりません。この川が続いているのは生野のあたりまでで、そこより先は主に
時直の話によると但馬街道は南側は市川、北側は円山川という二本の谷川沿いの道をつないでできた街道だそうだ。これら二つの道はもともと共に生野銀山へと向かうための道だったという。十兵衛はつくづくこの地域は銀山の影響が大きいのだなと感じ入る。
「まぁともかくこの川の上流を目指して進むのだな」
「はい。そこは違いありません」
十兵衛は川の上流を目で追った。市川は時折蛇行しつつもおおよそ北北西に真っすぐ伸びており、そしてそれはやがて円錐形の山々の影に消えていった。その山の稜線にはずっしりと白い雪が積もっており、これからの旅路の厳しさを暗示しているかのようだった。
「……長い道のりになりそうだな」
まだ見ぬ山越えの道に若干の不安を募らせる十兵衛。
しかしその不安とは裏腹にその後の彼らの歩みは順調に進み、事前の予想通り一刻半と経たないうちに本日の目的地・福田村が見えるところまでやってきた。
「まもなく今日の宿泊地である福田村が見えてきますよ」
「おや、もう着くのか。もっと険しい道を想像していたのだが普通の道だったな」
「このあたりはまだ平野部ですからね。本格的に山に入るのは明日以降です。あぁほら、あの村ですよ」
だいぶ日が傾いてきた中、時直の指さす方に目をやればそこには結構な規模の村が見えた。
「思ったよりも大きな村だな」
十兵衛の言う通り福田村は市街地から外れた村にしては大きな村であった。実際入ってみると村は家の件数が多いだけでなく道路や水路といった村の共通財産もよく整備されており、なかなかに裕福な村であることが見て取れた。
そのことについて時直に尋ねると彼はここもまた地味に交通の要所であるためだと答えた。
「北に生野があることは当然として、このあたりには京都や大坂まで続く道もありますからね。いうなれば南北に走る街道と東西のそれとが交差する地域なんですよ。出発地点によっては姫路に立ち寄ると遠回りになるという者や少しでも旅費を押さえたいという者がよく利用していると聞きます」
その話を裏付けるようにその後の宿泊場所の交渉は驚くくらいに簡単に進んだ。時直が交渉に立つと村は慣れた様子で十兵衛たちに一部屋提供し、必要になるであろう炭や火鉢、明日の草鞋などについてもすぐに金額を提示してきた。(なおどれも相場より若干高かった。)
十兵衛たちはその中から小さな火鉢一つだけを借りて但馬街道での初日を終えた。
翌日、但馬街道に入ってから二日目。天気は折よく快晴で今日からいよいよ本格的な山道に入る。気合を入れて寝起きの頬を張る十兵衛。しかし時直によるとなおもしばらくは楽な道が続くそうだ。
「先程顔を洗いに行ったときに村の者から聞いたのですが、どうやらここ数日この近辺で雪は降ってないそうです。おそらく今日までは楽に進めるはずですよ」
「そうなのか。まぁ安全に進めるのならばそれに越したことはないが……。それで今日はどこまで行くつもりだ?」
「順調に行けば
時直の回答に十兵衛はおやと反応した。
「おや、生野銀山の手前までとは結構進むのだな」
今十兵衛たちがいるのは沿岸部にあった姫路の町から少し内陸に進んだところである。対し生野銀山は現在で言う兵庫県のほぼ中央に位置していた。実質行程の半分、しかもそれは平坦な道ではなく中国山地を越えるような道である。時直は楽な道だと言ったがとてもそのようには思えない。
(気を遣われたのか?まぁ恐れながら登るよりはいいのだろうが……)
時直の言葉に半信半疑となる十兵衛。しかし実際に村を発つと二人の足取りはそれはもう軽やかなものだった。もちろん標高も高くなってきたし時折強い風も吹く。それでも二人が難なく進むことができたのはひとえに但馬街道が思っていた以上に整備されていたためであろう。
この時代、都市間を移動する旅人の数はまだそう多くはなかった。そのため比較的使用頻度の低い街道の整備は後回しにされており、現代人の感覚では道と呼べないような獣道同然の道を街道として利用しなければならないことも多々あった。そんな道では当然慎重に進まざるを得ないし、道に迷うことも少なくない。
しかしここは生野銀山まで数百年単位で踏み固められてきた道である。さすがに五街道とは比べるべくもないが、歩きやすさや道の広さはなかなかのものだ。単純に足が滑らない、道が途切れていない、他の獣道と見分けがつく――それだけで十兵衛が経験してきた街道の中でもかなり上位に入る。そんなわけでこの日も拍子抜けするほどに歩みは進み、薄暗くなる前に予定通り弓垣村にまでやって来ることができた。
「ここが弓垣村か。ここも大きな村だな……」
この弓垣村もまた昨日の福田村のように山奥にある村にしてはそれなりの規模の村であった。その理由はもちろんすぐ北東にある生野銀山であろう。
「村を少し進んだところに追分(道が分かれるところ)がありまして、そこを東に向かえば生野の銀山に、真っすぐ向かえば但馬までの道につながります。どちらを目的としていても都合のいい村ということです」
「なるほどな。しかしもうそんなところにまで来たのか。噂に名高い生野の銀山。少し興味はあるが……」
記録によれば平安時代から採掘がおこなわれていたとされる生野銀山。歴史に疎い十兵衛ですら一目見てみたいと思うほどであったが、残念ながら今回は観光で来たわけではない。
「どうしてもというのならば案内いたしますが、正直あまり行ってほしくはありませんな。遠回りでしかありませんし、あそこは代官所などもございます。怪しいと捕らえられたら目も当てられない」
「わかっているさ。ちょっと言ってみただけだ。それより明日以降の道はどんな感じなのだ?確か生野を越えたあたりから気候が変わるとか何とか言っていたが……」
「ええ。ここよりもう少し北に進むと明確に雪の降る具合が変わってまいります」
時直が言わんとしているのはいわゆる『日本海側気候』のことであった。この気候帯に属している地域は高い積雪量を記録する。それの境界がここ生野から少し北のところにあった。
「ここからが本当の『天運次第』ということか。……ふむ。とりあえず悩んでも仕方がない。今日の宿を借りてしまおうか」
「そうですな。念のために囲炉裏用の薪なども買っておきましょう」
十兵衛と時直はとりあえず今日の宿を確保しに向かう。この村もよく旅人を泊めている村なだけあって話はすぐにまとまり、十兵衛らは一晩泊まる用の小さな小屋と(少々割高ではあったが)囲炉裏用の薪も手に入れることができた。
「やはり山奥だから冷えるのか」
「それなりには。それにそろそろ雪に降られてもおかしくはないですからな」
「不吉な、と言いたいが山の天気だからな」
空を見上げる十兵衛。今のところ分厚い雲などはないが風は早いため明日の朝がどうなっているかなどはわからない。
「まぁ明日のことは明日にならないとわからないということか」
その後十兵衛たちは起きていたところで特にすることもないため日の入りとほぼ同時に就寝した。
そしその数刻後、日付が変わる頃から村に静かに雪が降り始めた。
但馬街道三日目。ここまで順調だった十兵衛らの旅路であったが、ここでとうとう最初のつまづきがやってきた。
それに最初に気付いたのは十兵衛の方であった。
「ん……何か静かだな……」
時刻は日の出前、十兵衛は外の妙な静けさに目を覚ます。時間的に静かなことは不思議ではないのだがそれにしても怖いくらいに外の音が聞こえない。十兵衛は寝起きの頭を無理矢理起こして警戒しながら戸を開く。するとその先にあったのは一面銀世界となった弓垣村であった。
「これは……一晩でよくもまぁ積もったものだ……」
淡い月光で照らされた村はどこもかしこも一面雪で覆われていた。しかも雪は軽く積もったものではない。十兵衛が軽く身を乗り出して指ですくってみたところ雪の深さは15センチほどはあった。そろそろ春の兆しも見え始めてくるこの時期に一晩でこれほど積もるのは珍しい方である。だがこれに気付いて起きてきた時直に言わせればこれでもまだまだ普通だと言う。
「あぁとうとう降ってきましたか。しかしこれだけならまぁ並といったところですかね」
「そうなのか?」
「ええ。おそらく深夜に一時だけ降ったのでしょうな。朝まで降っていれば膝丈ほどまで積もっていたかもしれませんね」
「それはまた……暖かい宿にいる時でよかったよ。しかしこうなると今日進むかどうかで悩んでしまうな。どうするべきだと思う?」
天を見上げれば星空と雲とは4:6くらいである。
「……あくまで現状での判断ですが、今日は待機になるかもしれませんね」
その後日が昇ってから二人は改めて空を見上げた。先程より少し時間が経った空は雪こそ降っていなかったものの一面分厚い灰色の雲で覆われていた。二人は諦めたように苦笑して顔を見合わせた。
「これはもう無理ですね。いつ雪が降るかわからなくて危険すぎる。ここでいい日和を待つのが賢明でしょう」
「俺もそれでいいと思う」
結局最初の判断は変わらず、二人は今日はこの村で待機することに決めた。そしてその判断はおそらく正しかったのだろう。その日の昼過ぎぐらいから雪はちらほらと降り始め再度弓垣の村を覆っていく。
「これはまた積もるかもしれませんね。囲炉裏用の薪を買い足した方がいいかもしれないですね」
そんな会話をしていた折だった。十兵衛たちが泊まる小屋の戸が強く叩かれたのは。
ドンドンドン。十兵衛たちが泊まる小屋の戸が強く叩かれた。十兵衛と時直はこれに驚き顔を見合わせる。当然だがこんな場所に尋ねてくる知り合いに心当たりなどない。
「……村の者だろうか?」
「どうでしょう。……ちょっと待て、今開ける」
戸を開ける時直。するとそこにいたのは村人ではなく、十兵衛らと同じように冬山装備に身を包んだ中年の男が立っていた。
「えぇと、貴殿は?」
「あぁ急にすまない。私も旅の者でね。村の者に聞いたところここで休めると聞いたんだが、入っても構わないか?」
見れば男の笠や肩には雪が積もっており、対し頬は今まで歩いてきたためか軽く上気している。どうやら本当に今この村に来たところのようだ。
「えぇと、それは……」
時直は十兵衛に目で確認を求めた。十兵衛としてはあまり他人とはかかわりあいたくはなかったがここで拒むのも変に目立ちかねないため仕方なく頷いて許可を出した。
「……どうぞどうぞ。雪に降られて冷えたことでしょう。ちょうど囲炉裏も温まっていますよ」
「おぉありがたい!」
男は体に積もった雪をざっと落としてから中に入り、そのまま雪で湿った蓑やら足袋やらも脱ぎ捨てて冷えて青白くなった手足を囲炉裏へと向けた。
「はぇ~……生き返る~……」
十兵衛は始め幕府の手の者かと警戒していたが、だらしなく足を囲炉裏に向けるしぐさを見て杞憂だったと理解した。
「随分と降られたようですな。但馬側と播磨側、どちらからいらしたのですか?」
「私は但馬の方から、竹田から来ました。いやぁ生野を越えたら楽になると聞いて無茶をしたのですが、思った以上に無茶でした」
「ほう、私たちはこれから但馬に向かうんですよ。どうでしたか?やはり雪はひどかったですか?」
「そうですな、確かに残雪は結構ありましたな。ただ道は広いので迷うようなことはなかったですな」
宿に着いた安堵からか男は気前よく但馬側の街道の様子を教えてくれた。彼によるとやはり雪の影響は酷いそうだがなんだかんだで通れるらしい。
「まぁあとは目的地次第ですかね。街道から外れた村まで行けるかはちょっと何とも言えないですな。時にお二方の目的地はいずこで?」
「……私たちは豊岡に向かいます」
十兵衛の返答は嘘ではない。豊岡は但馬街道上の宿場の一つで、実際一度そこまで行ってから出石へと向かうつもりであった。「出石まで」と答えなかったのは単にそこまで教える義理がなかったからだ。
しかしここで旅人の男は思ってもみなかった返しをしてきた。
「豊岡ですか……。もしやそのあと出石方面に向かわれたりいたしますか?」
「!?」
男の方から出てきた出石という地名。十兵衛と時直は内心ひどく驚いた。もしかしたら少しくらいは顔に出てしまったかもしれない。ただそれでも平静を装って会話を続ける。
「出石……。出石の方で何かあったのですか?」
「ええ、実は今あのあたりにはちょっとした噂がありましてね。出るらしいんですよ……」
「出る、とは?」
男はもったいぶるようににやりと笑ってからこう言った。
「幽霊ですよ。落ち武者の幽霊が出石周辺の山中に出るという噂です」
唐突に湧いて出た出石の幽霊話。これに十兵衛は男の目も気にせずに目を丸くさせた。
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