柳新左衛門 正通、定春と手を組む 4
日の出からしばらく経った五つ半の頃(午前九時前後)、少しばかり気温が上がったことを確認してから新左衛門たちはお堂から出る。
「くっ。やはり外に出ると寒いですね」
「ああ。だが今日は風がない分いくらかマシだ。あとは歩けば勝手に体も温まるだろう」
「まったく、もっとちゃちゃっと見つかるもんだと思ってたんだがな。ほら、行くならさっさと行こうぜ」
本日の探索場所は村から南西一里ほどのところにある宿場・尾張宮宿である。三人は近くにいた村人にそこまでの道のりを訊き出し村を出た。
村人の話によると南井戸村から宮宿までの直通の道はないらしく、西に進んで宮宿と名古屋をつなぐ街道に出るのが一番近いそうだ。しばらく歩くと新左衛門らはそれらしい、よく整備された広い道へと出た。
「広い道に出たが……これは東海道か?宮宿はどっちだ?」
「ここなら見覚えがあります。宮宿の少し北のところですね。南に行けば宮宿でしょう」
新左衛門らが出たのは、のちに佐屋街道と呼ばれる宮宿から北に延びた街道の道中であった。
「ほう、詳しいな、坊主」
「坊主ではありません。何度か通ったことがあっただけです。東海道ともだいぶ道の具合が違いますからね。逆に定春殿はあまりこちらにいらしたことはないのですか?」
「ないこともないがだいぶ前だからなぁ。あれは確か大坂の役の頃だから十年くらい昔だな」
遠くを見つめ昔を思い出す定春。一晩立って警戒も少し薄れたのか、その横顔は上手く乗せればもっと喋ってくれそうであった。
(これはこの男の過去を聞き出す好機だな。だがどうやって切り出そうか……)
そう考えていると折よく正通がこの話に興味を持った。
「ほう、その頃の話を詳しく訊いてもいいか?」
「なんだ、何か気になるところでもあったのか?」
「いや、実は俺も大坂の時に村を出ようと思ってた口なんだ。生憎とその頃の俺はまだ幼かったからそれは叶わなかったが、もし出ていたらどのような感じだったのかと思ってな」
「そうだったのか。……だがもしかしたら出なくて正解だったかもしれないぞ」
「何かあったのか?」
「何かというか……ん、そうだな。あそこの茶屋で一杯奢ってくれたら話してやるよ。たいして面白い話でもないがな」
定春が指差した先には小さな辻茶屋があった。まもなく宮宿という場所であったがその手前で一息入れたい人向けなのだろう、近くの土手では先客が数人腰かけており存外盛況のようだった。
「まぁ宮宿では天狗薬探しでゆっくりできないだろうからな。新左衛門殿もここで少し休んでいっても構わないか?」
渡りに舟の新左衛門は異論なく頷いた。
こうして一行は茶を貰い他の客と同様に近くの土手に腰かける。それを一口すすると定春は休憩がてら先の話の続きを語り始めた。
「大坂で東西を二分するような戦が起こる――俺がその噂を聞いたのは確か十六か十七の頃だった。話を持ってきたのは俺が世話になっていた組……いわゆる破落戸仲間の一人でな、『きっとこれが最後の
「直接大坂に向かったのか?破落戸だったとはいえ武蔵国ならどこぞの陣への伝手の一つや二つくらいあるんじゃないのか?」
「組の上の連中なら持ってただろうな。だがおやっさんらは戦への参加には反対してた。『どうせ長くは続かねえ。今は地元で地盤を確実にするのが優先だ』とか何とか言ってな。今思えばおやっさんらの方が正しかったわけだが……あの頃の俺らは若かった。俺らなら何でもできると思って勝手に組を抜けた。だが『世間はそんなに甘くなかった』ってやつだ」
定春は少し残っている湯飲みを手元で弄びながら遠い日を思い出す。
「本当あの頃の俺らはガキ以外の何者でもなかった。一番歳食ってたやつでも二十に届いていたかどうか……。そんな所帯だからな、どうにかここ尾張近くまで来たものの当然どこの陣でも相手になんぞしてくれるはずもなく、その日その日を当てもなく這いずり回ってたよ。やれあっちの殿様が牢人を雇ってくれると聞けばそっちに向かい、やれどこぞの殿様が牢人狩りをしていると聞けば慌てて山の中に逃げ込んだり……。途中であきらめて地元に帰った奴もいたし、新たに加わった奴もいた。そんなこんなを繰り返していたらいつの間にか仕える主を見つける前に戦もほとんど終わってしまって、食うに困った俺らは仕方なく元の牢人稼業に戻ったってわけだ」
「そこからは尾張中心に暴れまくった、ってところか?」
「いや、さすがに尾張は人が多すぎるからすぐに離れた。名古屋城に誰かお偉いさんが入るってのもわかってたしな。俺たちは遠江の浜松辺りまで下がってそこを中心にいろいろとやっていた」
遠江は現在で言う静岡県西部に相当する。
「盗みに脅しに、たまにだが殺しもやった。そうこうしてたら似たような境遇の奴らが集まってきて自然と牢人同士の組合みたいなもんが出来上がっていた。一番規模が大きかったときは四十人近くいたはずだ。まぁ今思えば金はなかったがなかなか楽しい生活だったさ。だがあのあたりも御公儀の奴らがよく通るようになってな……。そして半年前の将軍様の御上洛とやらの余波で牢人狩りに会っちまった。正直油断していた。まさかあれほど本気で狩りに来るとはな……」
定春が言ったのは今年行われた徳川秀忠・家光の御上洛のことだ。この上洛は徳川の治世を盤石にするための一大イベントだっただけに御公儀の力の入れようは半端ではなく、浜松の方でもかつてないほどの取り締まりが行われたようだった。
正通も当時を思い出しうんうんと頷く。
「確かにあれはすごかったな。俺は一人で目立たぬ風貌だったから特に難はなかったが、知り合いでも結構な数が捕まったり追放処分にされたりしたよ」
「うちは盗みや殺しもやってたからな。晒された首も少なくなかった。……まぁそういうわけで組の大半の奴らは捕まるか、これで肝を冷やして牢人稼業から足を洗った。逆に息巻いたやつもいたが俺とはあまり縁のなかった奴だったんで合流はしなかった。唐突に一人になった俺がどうしたものかと思っていた時に丁度耳にしたのが例の噂だった」
「『天狗薬』だな」
「ああ。正直今更堅気のお勤めなんて興味ないが、うまくやればまとまった金が手に入ると思い、そして今に至るってわけだ。……まぁこんなところか?言った通りたいして面白くなかっただろ。よくある牢人話さ」
「いや、なかなか参考になったさ。なぁ新左衛門殿」
「ええ。非常に興味深かったです」
二人の反応を見て定春は楽しげに、それでいてどこか寂しげに高笑いをする。
「ははは。こんな話が興味深いとは物好きな奴らだ。……さて昔話も済んだことだしそろそろ行くか」
わずかに残った茶を一気に飲み干し定春が腰を上げた。
新左衛門としてはもう少し情報を手に入れたかったが、しかしさすがにこれ以上休憩を続ける理由は思いつかない。同じように茶を飲み干し新左衛門ら二人も立ち上がり一行は再度街道を歩き始める。そして彼らは間もなくして宮宿の北門手前のところにまでたどり着いた。
東海道でも一二を争う規模の宿場・尾張宮宿。その北門付近にてまず感嘆の声を上げたのは定春だった。
「ほう、ここが宮宿か。随分と盛況のようだな」
ここに来たのは十年ぶりくらいだそうだから思うところもあるのだろう。正通も初めてだったらしく「ええ、本当に」と少し興奮で声が上ずっていた。
対し新左衛門は慣れた宿場であったため、驚く代わりに目でこっそりと門之助たちの姿を探す。
(昨晩宮宿に行くことは伝えていたから先んじて向かっていてくれると思ったのだが……)
しかし人や物が多いためかそれらしい影は見つけられない。
(まぁパッと見つかるところにいたらそれはそれで困るか。それよりも今は……)
「正通殿、定春殿。門の近くで三人で固まっていては目立ってしまいます」
新左衛門の指摘に正通らがハッとする。
「お、おう、そうだな。それじゃあ今朝決めた通り別れて探そうか」
新左衛門ら三人は今朝のうちに今日の調査の方針を決めていた。
宮宿は広いだけでなく交通の要所でもあり、また名古屋城も近いためか警備する与力・同心も大勢いた。いわゆる岡っ引きと呼ばれるような非公式の協力者まで含めればその数は東海地方でも随一であろう。牢人が自由気ままに動くには少々難しい町である。
故に新左衛門らは目立たぬように手分けして天狗薬についての情報を集めることにした。同心らは多いものの不審者も多いため特別目立たなければしょっ引かれることもないだろうという判断だ。聞き込み場所の分担も決めてある。粗暴な者が多い船荷の積み下ろし場付近には最も絡まれそうにない定春が、比較的安全な裏長屋には年若いために警戒されにくいであろう新左衛門が、店が立ち並ぶ本通りには残った正通が向かうこととなっていた。
「八つの鐘が鳴ったら一度北の門付近に集合する。忘れるなよ」
「おう、お前ら。抜け駆けなんかするんじゃねぇぞ!?」
「それではまた後程……」
こうして三人は互いに頷き合い、早速それぞれ宮の町に散っていったのであった。
新左衛門の担当は宮宿の町人街・裏長屋であった。裏長屋といっても人口の多い宮宿のそれである。必然その広さも相当で、手早く聞き込みをしなければあっという間に日が暮れてしまうことだろう。
だが新左衛門は長屋通りに入るやそんな事情などお構いなしという風に右に左にと通りを進んでいき、やがてとある辻で立ち止まり振り返った。
(二人は……つけてきてはいないようだな)
新左衛門は尾行の有無の確認をしていた。どうやら定春や正通は素直にそれぞれの担当場所に向かったようだ。それを確かめると今度は路地の物陰に立ち止まりじっと待つ。すると間もなくして一つの影が近付き声をかけてきた。
「清厳様!ご無事で何よりです!」
「儀信か。ご苦労。それと今の私は新左衛門だ」
声をかけてきたのは下男の儀信であった。もちろん偶然ではない。昨日の連絡を受けて先んじて宮宿内で待ち、接触できる機会をうかがっていたのだ。
「状況はどうなっている?」
「はっ。ただいま正通なる牢人には八助殿が、定春なる牢人には猿之助殿がついておられます」
どうやら他の二人もきちんと捕捉しているようだ。監視体制が整っていることを知り新左衛門はとりあえずほっと安心する。
「順調のようだな。門之助殿から二人をいつ捕らえるかとかは聞いているか?」
「いえ。今のところはつかず離れずで監視をしろとだけ言われております。一度お会いして話されますか?門之助様は本通りの『鶴屋』なる宿の一室で指揮を執っておいでです」
新左衛門は少し考えてから首を振った。
「いや、よそう。本通りなら正通殿の担当だ。万が一宿に入るところを見られると面倒になる。情報の受け渡しはお前に任せるから密に連絡をしておけよ」
「はっ。では清……新左衛門様はこれからいかがなされるおつもりで?」
「そうだな……。まだ監視を続けるというのなら私は自然に振舞っていた方がいいだろうな。だが待ち合わせの時間まで一刻(二時間)以上ある。無為に過ごすにはもったいない時間だ。……うむ、ここはひとつ素直に天狗薬の噂でも聞いて回ることにするよ」
儀信が少し意外だと言いたげな顔をする。
「聞き込みをなさるのですか?」
「ああ。ここ数日のうちに新しい噂が入ってきたいるかもしれないからな。その間にお前は昨晩から今日にかけての情報を門之助殿らに伝えてくるといい」
「承知いたしました。ではお気を付けください」
新左衛門から新たな情報を受け取った儀信は報告のために素早く本通りへと続く筋に入っていった。
去り行く儀信を見送った新左衛門は改めて天狗薬の噂について訊いて回る。
「すまないが少し構わないか?」
相手は裏長屋の町人や職人たち。新左衛門の格好は武士・牢人といったものだったが幼い顔立ちのためか向こうもさほど警戒せずに話を聞いてくれた。
「『天狗薬』という薬を探しているのだが、何か知らないか?噂程度でも構わないのだが」
しかしその結果は芳しいものではなかった。
「てんぐやく?すまないですがそんな薬は効いたことがないですねぇ」
「悪いが俺は体の丈夫さだけが取り柄だからよ、薬なんぞに関わったことなんぞねぇよ」
「知らないねぇ。あ、薬なら向こうの長屋に薬師の爺さんがいるから聞いてみるといいよ」
「『天狗薬』ですか?はて……近しい名前の薬なら幾つか覚えがありますが、その噂のような効能のものではないですね」
噂の内容が内容だけに普通の町人らは揃って聞いたことがないという反応だった。唯一線香作りの内職をしていた下級武士が知っていたが、それも新左衛門たちがすでに知っている噂と同等のものである。
「あぁ聞いたよ。何でも特別な力が手に入り、それで城で雇ってもらえるようになるってやつだろ。ありゃあどう考えても与太話だろうよ。若いんだからそんな都合のいい話信じるんじゃないよ」
(与太話か。それは私もそう思うのだがな……)
もちろんそんな薬があるなどと今の今まで信じちゃいない。だが今や薬が本当に実在するしないはさほど問題ではないのだ。
(問題はこの噂が原因で牢人が集まる可能性があるということだ)
今のところは正通のようなもとより尾張近くに住んでいた者や、定春のように丁度居場所を失くしていた牢人くらいしか来ていないが、年が明けて暖かくなればもっと多くの牢人が噂につられてやってくることだろう。
思えば天狗薬の噂を最初に訊いたのは名古屋城内での小姓仕事の最中だった。そしてそれと同等の噂を遠江・浜松あたりにいた定春も耳にしたという。この調子なら西は関宿のあたりまで広がっているかもしれない。もしそれだけ広範囲の牢人が噂を聞きつけてここ尾張周辺に集まってきたとしたら?治安上の問題は当然のこと、最悪の場合江戸の方から兵を集めて謀反を企んでいると勘繰られてもおかしくはない。
(それを防ぐために噂の根幹にあるものを知りたかったのだが、さすがにそう簡単につかめるものではないか……)
新左衛門の聞き込みは手応えを得られぬまま時間ばかりが過ぎていき、気付けば遠くで八つの鐘が鳴っていた。待ち合わせの時刻である。
(仕方がない。あとは門之助殿らに任せるか)
聞き込みを切り上げた新左衛門は足早に待ち合わせ場所である宮宿北門へと向かっていった。
待ち合わせ場所の北門近くではすでに正通が新左衛門らを待っていた。
「待たせてしまったでしょうか?」
「いや、気にするな。地理的に私が早く来れただけのことだ。そちらは問題とかはなかったか?」
「息災ありません。……定春殿はまだのようですね」
「まぁ海岸沿いはここだと真逆だからな。……しまったな。待ち合わせ場所はもっとよく考えればよかった」
定春の聞き込み担当場所は海岸沿いの船荷の積み下ろし場付近である。そこは町の南西の方にあり、正通の言う通り北門からは町を挟んで真逆のところにあった。
「今更言っても仕方がありません。とりあえずもう少し待ってみましょう」
「そうだな。鐘もまだ鳴ったばかりだしな」
目立たぬように門の脇で定春を待つ二人。しかしいつまでたっても定春が来る気配はない。こうなると新左衛門らも不安になってくる。
「……そろそろ半刻といったところでしょうか。さすがにこれは遅すぎですよね」
「ああ。何かあったのか……。いや、何かあったから遅れているんだろう。あぁ面倒なことにならなければいいのだが」
正通の心配は単に定春の身を案じてのことではない。一応協定を結んでいる以上定春がおかしなことをすればその火の粉を被りかねないためである。
特に定春はこれまでの会話から素行が悪いことは知っていたため否が応でも悪い予感ばかりが膨らんでいく。
「行ってみますか?定春殿が担当していた区域へと」
「そうだな。逃げるにしろ何にしろ何が起こったかは確認しておきたいからな」
こうして新左衛門と正通は行き違いにならないように気を付けながら、定春が担当することとなっていた宮宿の荷下ろし場付近へと向かうのであった。
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