柳十兵衛 出石へと向かう 3

 それは明石海峡を抜けてしばらくしてからのことだった。相も変わらず船倉に篭っていた十兵衛はふと甲板の異様な雰囲気に気が付く。

「……落ち着きがないな。何かあったのか?」

 十兵衛が感じ取ったのはそれまで落ち着いていた水夫たちがにわかに浮き足立ち始めたことだ。具体的に何かが起こった様子はない。しかし彼らは急にそわそわしだし、互いに現在地や持ち場の確認にいそしんでいた。

「海が荒れてきたのか?」

 先の明石のこともあって身構える十兵衛。しかし時直はおそらく違うだろうと首を振る。

「いえ、おそらくですがそろそろいい頃合い。間もなく到着するのだと思われます」

「到着?というと……」

 十兵衛が訊き返そうとしたところで甲板の方から船頭・吉春の声が聞こえてきた。

「お前ら!そろそろ港に入るぞー!全員それぞれの持ち場に着けー!」

 船全体に聞こえるように叫ぶ吉春。その声は甲板の水夫たちだけでなく船倉の十兵衛・時直の二人にも届いた。

「入港……ということは……」

「ええ、どうやら到着したようですね。私たちの最初の目的地、姫路へと」


 廻船の寄港地一つにして十兵衛たちの当面の目的地――但馬街道の南の起点、播磨国・姫路。大坂から出港して約九時間、ようやく見えてきた一里塚に十兵衛はふぅと安堵のため息を吐く。

「ふぅ、ようやくか。いろいろとあったがやはり一日でここまで来れたのは大きいな」

「ええ、まったくです。やはり海路を選んだのは正しかったようですな」

 大坂から姫路までは陸路を使えば急いでも二日はかかる距離である。それを一日で、しかも足に疲れを残すことなく来ることができた。これから本格的な冬山越えが控えていることを考えれば理想的な出だしだと言えるだろう。

「途中少し肝を冷やしたがな」

「無事だったから良しとしましょう。まぁ某も帰りは御免こうむりたいですがな」

 顔を見合わせ笑い合う十兵衛と時直。どうやら入港と聞いて少し気が緩んだようだ。

 だが正確に言えば船はまだ港に着いてはいない。それを思い出させるかのように船倉に艪を持った水夫たちがどかどかと入ってきて、十兵衛たちに壁から離れるようにと言ってきた。

「ほら、どいたどいた!仕事の邪魔だよ!」

 彼らは手にした艪を壁に開けられた穴から外に出し、甲板に立つ船頭・吉春の声に合わせて前後に動かす。

 彼らが行っているのは人力による船の微調整だ。当時の造船・操舵技術では船は大雑把な動きしかできなかったため、入港時のような繊細な動きが求められるような場面ではこうして人力で船を所定の位置まで動かす必要があった。

 水夫たちは吉春の声に合わせて緩急をつけて艪を掻く。面白いもので一人一人の艪の力は微々たるものであったが、それが集まると積載量数十トンを越える船ですら彼らの思い通りに操られていた。それは眺めていた十兵衛らが思わず「見事なものだ」と感嘆するほどであった。

 やがて船は定位置に着いたのか、甲板から「よし、いいぞ!」という声がかかりイカリが投げ込まれる音がした。どうやら今度こそ本当に入港したようだ。一仕事終えた水夫たちの雰囲気につられ十兵衛はもう一度安堵のため息をついた。


「どれ、どのあたりに泊められたのかな?」

 十兵衛が壁の穴から外を見ると、水面と少し離れたところに波止場が見えた。船は波止場にぴったりと横付けするのではなく、やや離れた沖のところに停泊されていた。これは大坂湾の時と同様に座礁や第三者の潜入を防ぐためである。

 では上陸や荷物の積み下ろしはどうやって行うのかというと、それは上荷舟と呼ばれる小型の舟を何往復もさせることで対応していた。今回もそれに乗って陸に上がるのだろうと十兵衛らが案内を待っていると、一人の水夫が吉春が呼んでいると声をかけてきた。

「お侍さん方、頭が呼んでるんですぐに来てくだせえ」

「わかった、すぐに行く」

 十兵衛と時直はこのまま上荷舟に乗って上陸するものだと思っていた。しかし案内されたのは甲板ではなく船室だった。そこで待っていた吉春は二人に吹田屋の紋が入った襟巻きを手渡した。

「これは……記念品とかではなさそうだな」

「はい。これから陸に上がりますが、お二方にはしばらくの間わたくし共の用心棒というていでふるまっていただきたいのです」

「用心棒?そのような話は聞いていないが?」

 怪訝な顔をする十兵衛。それに吉春は誤解させてしまったと手を振った。

「もちろんで構いません。お上の目を誤魔化すためです。問屋の廻船からお侍様が降りてきてはそれはもう目立ってしまいますからね」

 吉春曰く、大きな港では牢人の流入を防ぐために乗員の検査を行うことが間々あるらしい。姫路のそれは特別厳しくはないものの、万が一問題になればそれは吹田屋本家の責任問題にも発展しかねない。そのため吉春としてはこの擬態は譲れない所だそうだ。事情を知った十兵衛らはそれならばと渡された襟巻きを首に巻いた。

「ご協力ありがとうございます。もちろんお上の目がないとわかったらもう自由になされて結構ですので」

「承知した。しかしお上の目か。くくく……」

(普段はお上の目として牢人らに目を光らせている自分が、逆にそこから逃れようとする側になるとはな)

「何か問題でもありましたか?」

「いや、何でもない。こっちの話だ。気にしないでくれ」

 にやける口元を襟巻きで隠す十兵衛。それを不審に思いつつも本人が何でもないというならばそれ以上訊いても無駄だろうと吉春は話を変えた。

「……まぁ問題ないのでしたらいいのですが。ではそろそろ上陸いたしましょうか」

 そう言うと吉春は船の脇に付けた小舟に十兵衛らを案内した。舟は難なく十兵衛たちを姫路の波止場へと運ぶ。波止場には役人らしき者も数人見えたが十兵衛たちの上陸を不信がる様子は見受けられなかった。

「ふぅ……長い船旅だった……」

 波止場へと降り立った十兵衛は数時間ぶりの大地を噛み締めるかのように足を何度も振り下ろした。あぁ、揺れない大地のなんと頼もしいことか。そして改めて自分が姫路の地に降り立ったということを自覚した。

 市井を見上げれば近年改修されたばかりの姫路城が十兵衛たちを出迎えていた。


 播磨国・姫路。現在で言う兵庫県姫路市を中心とした地域で、播磨平野の西部に位置している古来からの山陽道の要所である。

 この山陽道とは中国地方南部を走る幹線道路のことで当時の行政の中心である近畿と九州地方、延いては海外・大陸とをつなぐ重要な道である。さらに姫路はすぐ北に生野銀山があるためその統治は時の政権より信頼されている者が任されることが多かった。

 例えば織田政権の頃には黒田孝高よしたか(黒田官兵衛かんべえ)や羽柴秀吉(豊臣秀吉)などが、豊臣政権下では秀吉の弟である羽柴秀長ひでながなどが姫路城に入城している。

 徳川政権になってからはまずは池田輝政てるまさがこの地を治め、輝政死後は本多忠勝ただかつの長男・本多忠政ただまさが城主を引継ぎ今に至る。なおこの忠政は宗矩と年も近いためもしかしたら交流があったのかもしれないが、今三厳は柳十兵衛としてここに来ているため挨拶などは当然見送った。

(それよりも俺がここに来ていると知られることの方が厄介だな)

 今回の任務はきな臭い所が多いため同じ御公儀相手でも極力人目は避けたかった。

 十兵衛は襟巻きで顔を隠しながら周囲に目を走らせる。役人らしき者は数名。ただ彼らは積み荷の確認には気を配っていたものの、乗員についてはさほど関心を払っていないようだった。

(これなら変な動きさえしなければ目を付けられることもないだろうな)

 実際波止場の役人は必要な書類の確認だけ行うと寒そうに背中を丸めてさっさと詰め所へと返ってしまった。戻ってきた吉春ももう大丈夫だろうと太鼓判を押す。

「夕暮れ時のせいかお上も少し気が抜けているようですな。今なら怪しまれることなく町に潜り込めることでしょう」

「今が抜け時ということだな。では行くとするか。世話になったな」

 十兵衛が襟巻きを返して礼を述べると、吉春も丁寧に頭を下げて返した。

「私は貰った分の仕事をしただけですよ。それでは道中お気をつけて。ご縁があればまたいつかお会いいたしましょう」

「うむ。向こうに戻ったら与六郎にもよろしく言っておいてくれ」

 こうして十兵衛と時直は吉春と別れ、波止場の建物の影を進んで市中の通りへと出た。

 最後に一度だけ波止場を振り返ると、まるで何もなかったかのように荷物の積み下ろし作業に戻っている吉春の後ろ姿が遠くに見えた。

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