柳生三厳 船を降りる 1
海賊たちとの一戦は熊之助の切腹という形で幕を閉じた。首を落とした三厳はふぅと息を吐いてから懐紙で刀に着いた血をぬぐう。
(これにて一件落着か……)
そう安堵するとどっと疲れが湧いてきた。少々特殊な大捕り物だっただけに思ったよりも気を張っていたようだ。だがこれでようやく腰を下ろせる――そう思いながら刀を納めた三厳であったが、ここで息つく暇もなく声を上げたのが船頭である犬彦であった。
「さぁてお前ら、まだ航海の途中だ!気ぃ抜いてんじゃねぇぞ!さっさと持ち場に戻れ!」
犬彦の掛け声に合わせて船員たちが「おうっ!」とそれぞれの持ち場に散っていく。そのあまりの切り替えの早さに面食らっていると、犬彦は三厳たちにも声をかけてきた。
「三厳様、でしたか?申し訳ございませんが捕まえた賊を見ていてもらえますか?」
「それは構わないが、もう出るのか?傷を負った者もおるだろう」
「お心遣い感謝します。ですがここはちょっと面倒な海域でしてね。下手に留まるよりもさっさと通り抜けた方が安全なんですよ」
犬彦によるとこのあたりは風も海流も複雑に絡み合っている難破しやすい海域だそうだ。本職がそう言うのならば従っておいた方が賢明であろうと三厳は疲れた体に鞭を打つ。
「わかりました、こちらは我々にお任せください。与六郎!聞いた通りだ。こいつらを奥に運ぶぞ。刃物を隠し持っていないか用心しろ」
「はっ」
こうして一行は一丸となって南紀を越え、日が暮れる前には予定通り次の寄港地である
太地とは熊野灘を望むリアス式海岸の一角にある村で、現在でいう和歌山県南西部・太地町の場所に位置する。
船がそんな太地の湾に落ち着くと、犬彦が正成の元に報告にやってきた。その傍には三厳も立っている。
「若様。それに三厳様。当船は太地に到着しました。それで、申し上げにくいことなのですが……」
「何だ?遠慮なく申してくれ」
「はい。当初ここには一泊だけの予定でしたが、荷物や船体の確認のためは最低でも丸一日は必要かと。死体の処理や傷の手当ても考えますと、複数日ほど留まりたいのですがよろしかったでしょうか?」
おずおずと尋ねる犬彦。日数がかさむということはそれだけ費用が掛かるということだし、また退屈を強いることでもある。犬彦は機嫌を損ねることを恐れていたのだが、これに正成や三厳は異論なく頷いた。ここも餅は餅屋である。
「うむ。こちらは気にせず万全を期してくれ」
「はっ。ありがとうございます」
こうして許可を得た犬彦は滞在の手続きを行うために下船して村の方へと向かった。それを船から見送る正成に別の船員が声をかけてくる。
「若様。寝床の準備が整いました。しかしよろしかったのですか、船宿でなくて?」
船宿とは廻船の船員らが泊まるための陸の宿である。なお実際に宿泊するのは手続きのために陸に上がった船長(犬彦)や客人(正成)くらいで、残りは防犯と宿代節約のために船で寝るというのが通例だった。船に慣れていない正成は主に船宿で夜を過ごしていたのだが、今日ばかりは船から下りないことに決めていた。
「ご苦労。万が一のことを考えたらこちらの方が安全ですからね」
船には船員たちに伊賀の忍び、さらには柳生三厳もいるのだ。これ以上の防犯体制もそうそうないだろう。船員も「それもそうですね」と納得すると早速正成らを寝床まで案内した。なおその寝床であるが、それは荷物を少し動かし風よけを作っただけの簡素なスペースであった。寝返りすら苦労しそうな空間であった急な話故に贅沢を言っても仕方もあるまい。正成は平気な顔で「ご苦労だった。持ち場に戻っていいぞ」と船員を返すと目が合った三厳に無言で肩をすくめた。それと同時に正成は鹿之助の姿が見当たらないことに気付く。
「……そういえば鹿之助はどこに行ったのでしょうか?」
少し前から三厳がそばに立っていたためつい忘れていたが、鹿之助は正成の用心棒としてこの船に乗っている。その鹿之助の姿が見えないのだ。
正成が近くの船員を捕まえて尋ねると船員は気の毒そうに答えた。
「あぁ鹿之助でしたら死体の番をしたいと言ってそこにおります。……まぁ兄のことでいろいろと思うところがあるのでしょうね」
熊之助は兄弟ではないと言っていたが、あれを見てそう信じるものはまぁいないだろう。それでも熊之助の見事な切腹に敬意を表してそれを追求する者は誰もいなかった。
「……そっとしておきましょうか、三厳様」
「それがいいでしょうね。一晩過ぎれば少しは落ち着くでしょう」
やがて正成は荷物の隙間に作った寝床に横たわり、三厳はその近くの荷物を背に腰を下ろした。これはもちろん正成の警護のためである。
しばらくすると波の音に紛れて正成の寝息が聞こえてきた。船内の気配を探ると船員らも夜番の者以外は寝てしまったようだ。大変な一日だっただけに眠りも早いのだろう。三厳も誰も見ていないだろうと大きく一つあくびをした。
翌朝。荷物に寄りかかりながら目を閉じていた三厳はそろそろと近づいてくる気配に意識を覚醒させた。
「……与六郎か」
「申し訳ございません。起こすつもりはなかったのですが……。お変わりはありませんか?」
「問題はないし、まだ寝とらん。そちらも問題がないのなら代わりの見張りを誰か寄越してくれ」
万が一に備え夜通し起きていた三厳であったが結局賊の報復らしきものは起こらなかった。やってきた別の忍びに正成の護衛を引き継いだ三厳は荷物の影で仮眠をとる。次に目を覚ましたのは正午ごろで、周囲の船員たちは昨日海戦があったとは思えないくらい平時のように働いていた。三厳は忍びの一人を捕まえて尋ねた。
「……何か変化はあったか?」
「あ、おはようございます、三厳様。特に大きな問題はありません。船と荷物もほぼほぼ無事であると確認されたそうです。一つ申し上げるならば正成様が少し前に上陸いたしました。護衛には与六郎様がついております」
「陸に?酔いでもしたのか?」
「いえ、死体の埋葬についてのお願いをしに向かうとかなんとか。さすがにこのまま尾張まで乗せておくわけにはいきませんからね」
現在船の奥には先の海賊戦での死者が並べられている。数は熊之助を含めた四名で、すべて海賊側であるが下手に海に流せば何かあったときにあらぬ疑いを持たれかねないためこうして船に乗せていた。
しかし冬場とはいえ腐敗は起こる。目的地である尾張までもまだ距離があるため正成は――縁もゆかりもない土地ではあるが――この太地の地に埋葬させてはくれないかとお願いしに行ったということだ。
「なるほどな。しかし許可が下りるだろうか。だいぶ無茶な願いだぞ」
「そこは承知しておられるかと。それでも「何とかしてみせます」とおっしゃってました」
「ふむ。そこはもう任せるしかないか。……鹿之助はどうしている?」
「まだ意気消沈しておりますね。ただ朝食は食べていたそうですので気は持ち直しているのかと」
「まぁ致し方なしか。火葬も済めば吹っ切れもするだろう」
その数刻後の夕刻頃、話をまとめて戻ってきた正成曰くどうにか寺の端の方に埋葬の許可が下りたという。なおのちに護衛についていた与六郎から聞いたところによると結構な額を握らせたらしい。ただし葬儀のための人員は割いてくれないようで、墓穴掘りから火付けまですべてこちらでやらなければならないそうだ。
「譲歩いただけたのはこれまででしたが、よろしかったでしょうか?」
正成の問いに一行はそのくらいならまぁいいだろうと頷いた。この日はもう遅かったため墓穴掘りは明日からということにして三厳たちはこの日を終えた。
翌日、日が昇ると早速一行は墓地の指定された一画に出向いた。そこは墓地の敷地内では日当たりの悪い、いうなれば『死後、ここに埋められるのは嫌だな』というような場所であった。
「……なんか嫌な雰囲気ですね」
船員の一人の震えた声に三厳は鼻で笑った。
「安心しろ。何もいない。何なら祓いの
「……三厳様はそういったものにも精通しておいでで?」
「まぁいろいろとな。折角だ。景気づけにやってやろう」
三厳はそう言うと刀と酒を使い、まるで舞うように印を切った。
「おぉっ!何か空気がきれいになったような気がします!」
「そうかそうか、それはよかった。それでは早々に掘ってしまおうか」
「はい!」
意気揚々と平鍬を持つ船員。それを横目に忍びの一人が尋ねてくる。
「……先程の印にそのような効果はあるのですか?」
「一応穢れを防止する印ではある。空気を浄化する効果はないがな」
苦笑する忍びに三厳はにやりと笑い、「さて、俺たちも体を動かすか」と鍬を持ち直した。
江戸時代の埋葬様式には火葬と土葬があるが、ここ太地は火葬文化の土地だった。当然三厳らもそれに倣うわけだが、ここには現在のような大規模な火葬設備などはなく、また三厳たちには時間もない。というわけで一行は非常に簡単な火葬――墓地の一角に穴を掘りそこに死体を並べて火を付けそのまま埋めるという非常に単純な埋葬で済ますことにした。
三厳たちはそのための穴を掘っていたわけなのだが、さすがに四人分ともなると結構な重労働で掘り終えた頃にはもう午後の鐘も鳴っていた。そこから急いで死体を並べて火を付ける。しばらくすると湿った灰色の煙が冬空に上がった。
三厳らはようやく一息つけると腰を下ろす。するとそこにか細く声をかける者がいた。
「三厳様……」
振り向けばそれは鹿之助であった。明らかにやつれた顔をした鹿之助はまずは深く頭を下げた。
「このたびは本当にご迷惑をおかけしてしまいました。本当、何とお礼を申し上げたらいいのか、見当もつかないほどにございます……」
「気にするな。こちらにもいろいろと思惑はあったからな。それよりも、これからも大変だろうがしっかりと励むのだぞ」
「はい、精進いたします。それで一つお願いしたいことがあるのですが……」
「ん、なんだ?何でも言ってくれ」
「では失礼ながら、三厳様たちは今回の襲撃についてご存じのようでした。今回の件で裏で何があったのか、教えてはいただけないでしょうか?」
鹿之助の沈んだ目が三厳に真っすぐに向けられた。これに答えないのは誠実ではないだろう。
「そうだな。時間もあるし、お前には知る権利もあるだろう」
三厳はそう言うと、立ち昇る灰色の煙を眺めながら語りだした。
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