鹿之助 兄と決別する

 岩礁ひしめく紀伊半島南部の海域。そこを渡る廻船の船上にて馬人の兄弟、鹿之助と熊之助は再会した。

 しかしそれは決して喜ばしいものではなかった。片や廻船の乗組員。片やその廻船を襲う海賊。くしくも兄弟は互いに敵として再開したのであった。


「熊兄……!」

「……」

 手拭いの覆面を解き顔を見せた熊之助に鹿之助は苦悶の表情を浮かべる。可能性としては考慮していた。しかしいざその現実に直面すると心の準備など全くできておらず、痛みにも似た悲しみが鹿之助を襲う。

「熊兄!何をなさっているのですか!?」

「……」

 叫ぶ鹿之助。しかし反応はない。元より馬人は比較的表情の見分けがつかない顔をしているが、それを差し引いても熊之助は感情を押し殺した顔で無言を貫いていた。

 そしてそんな熊之助の代わりに答えたのが隣に立つ別の海賊であった。

「おいおい、何をって見てわからないのか?船を襲ってるんだよ」

「黙れ!お前には訊いていない!熊兄!何故このような外道な稼業に手を染めているのですか!?」

 鼻息荒い鹿之助に海賊の男はやれやれという風に肩をすくめた。

「外道とはずいぶんな言い草だな。確かに褒められた稼業じゃないが、こういった稼業でしか食えない者もいるのだぞ」

「開き直るな、痴れ者め!真っ当な生き方から逃げただけだろうが!兄上をこのような外道の道に引き込みおって!」

 馬人の馬力さえあれば仕事など引く手あまたのはずだ。それをこの男がこのような悪の道に引き入れたのであろう。そう思い激昂する鹿之助であったが、ここでようやく熊之助がその口を開いた。

「……果たしてそうか?」

「え……?」

「よく考えてもみろ。俺たちには常人よりもはるかに優れた力がある。そんな力を持つ者が普通の職などについて何の意味がある?もっと相応しい稼業があるのではないか?」

「な、何を言っておられるのですか、熊兄……?」

 戸惑う鹿之助に熊之助は返事をせず、手にした得物――六尺あまり(約180cm)の金砕棒かなさいぼうをすっと構えた。

「強い者が弱い者から搾取するのは当然の成り行きだ。そして俺は強い!……はぁっ!」

 熊之助は金砕棒を全力で甲板に叩きつけた。この金砕棒とは重さと硬さを重視した打撃武器で、戦国時代には建物やバリケードを壊す破城槌としても使われた。それを馬人の力で振り下ろすのだ。その一撃はそれなりに厚いはずの甲板板を難なく叩き割り、その割れた隙間からは下層の船室が覗いている。恐ろしいまでの破壊力であったが熊之助はそれも当然という態度で金砕棒を担ぎ直す。

「俺たちには力がある。それを十全に使い生きることに何の問題がある?」

 熊之助の目はぞっとするくらいに暗かった。記憶にある兄のそれとはまるで違う。背すじを寒くする鹿之助であったが、それでもなおここで臆してはいけないと態度だけは毅然としつつ返す。

「自らの力を活かした稼業。それがこんな理不尽な稼業だというのですか?この泰平の時代に時代遅れも甚だしい」

「時代遅れ?果たしてそうだろうか。お前の言った泰平だって徳川が力で他勢力を圧倒して成り立っているものだ。ならば力を否定するというのはその根本を否定することに他ならないのではないか?それにだ、強者と弱者を分けるのはなにも強者側からだけではない」

「えっ?」

 熊之助が視線をすぅと周囲に向ける。それにつられて鹿之助が周りを見渡せば、見えたのは熊之助の怪力に怯え切った船員たち。そして彼らの目は同時に鹿之助に疑惑の目を向けていた。

「……っ!」

 彼らの視線の意図はわかった。常人離れした怪力に似たような馬面、そしてこの会話だ。鹿之助と熊之助との間に何かしらの関係があることなど一目瞭然で、そして彼らは鹿之助もまた敵になるのではと警戒していた。

「わかるか?弱者は怯み、恐怖し、そして壁を作る。仮に強者側から壁を作らなくとも、弱い者の方から勝手に壁を作って排斥しようとしてくるのだ。ならばそこに忠を尽くしてどうなる?もう考えるな、鹿之助。素直に強者としての彼岸に立てばいい。俺たちにはそれが許されているんだ」

「……強ければ誰を傷つけてもいいと?」

「強者は強者らしく、弱者は弱者らしく振舞えと言っているんだ。そうすれば誰も痛い目を見ることはない。それが賢い生き方というやつだ。わかるだろう、山中屋の坊ちゃん?」

 熊之助の言葉に鹿之助が慌てて振り返ると、船倉の入り口には青い顔をした正成が立っていた。

「若様!?なぜ出てきたのですか!?」

 正成は敵の目標の一つである。実際どんな荷物よりも正成を押さえられてしまえば鹿之助たちは抵抗できなくなってしまう。そんな目標がわざわざ見えるところにまで出てきてくれたのだ。海賊の男はにやりと下品な笑みを浮かべた。

「ほう、あれが山中屋の倅か。やあやあ、坊ちゃん。状況はわかっておいでですな?抵抗しなければ殺すまではいたしませんが、いかがなさいますか?」

 下衆な口調でいけしゃあしゃあと言ってのける海賊の男。だが正成はこれには構わずに青い顔のまま熊之助の方を向いた。

「そ、そこの者……。貴方は鹿之助の兄か?」

「……そうだ、と言えばどうする?」

 このやり取りにどきりとしたのはむしろ鹿之助の方であった。

 あぁ、いよいよ賊とのつながりが発覚してしまった。異人であるということもこのままバレてしまうかもしれない。そうすれば自分の居場所はどうなってしまうのだろうか。熊之助が先ほど言った『壁』という言葉が急に重くのしかかる。

 しかし正成の次の言葉は皆の予想の外のものであった。

「……お主、私の下で働く気はないか?」

「は?」

「えっ?」

 思わぬ発言に一同は固まるが正成は構わず続ける。

「鹿之助はうちでよく働いてくれている。その兄だというのならその働きも期待できよう。他の者たちに関しても改心するというのなら何かしらの便宜も図ろうぞ。さぁどうする?」

 なんと驚いたことに、正成はここで海賊たちを勧誘し始めたのだ。これには敵味方問わず全員一瞬唖然とし、そしてしばらくしてから海賊の男が笑い出した。

「……は、はははっ!なんとなんと。まさか乗り込んできた俺たちを手元に囲おうとするとは!山中屋の倅は気概が足りないと聞いていたが存外そうでもないらしい!」

 男はひとしきり笑った後に冗談めいた口調で答えた。

「そうだな。日に金一両でなら雇われてもいいかな」

「悪いがそのような額は出せない。既定の額を働いた分だけだ。それがまっとうな稼業というものだ」

「ふふふ。ならば交渉は決裂だな。もっと割のいい仕事があるんでな」

 そう言って腰の刀に手をやり近づく男。鹿之助は慌ててその前に立ちふさがるも、男は鼻で笑っただけでまるで相手にする様子もない。

「やれやれ。兄弟分の弟には手を上げたくはないんだが……。なぁ、お前は本当に俺たちの仲間になる気はないんだな?」

「……くどい」

「強情だねぇ。まぁ少し頭を冷やせば考えも変わるだろう。それじゃあ少し痛めつけるが、構わないな、兄弟?」

 熊之助が無言で返答をすると男は改めて刀を抜いた。


 海賊の男は刀を抜き正眼に構えた。その顔には相変わらず軽薄な笑みが浮かんでいたが構えの方は乱れのない、それなりに場数を踏んでいることが伺えるしっかりとした構えであった。

(くぅっ!やるしかないか!)

 来るならば迎え撃つ他ない。普段喧嘩などはしない鹿之助であったがそれは馬人の過剰な力で他人を傷つけることを恐れてのことであり、このような場面で体が動かないような臆病者ではない。

 そんな鹿之助の得物は船倉に転がっていた予備のであった。素材はおそらく樫で長さは十尺ほど(約3m)。間合いではこちらの方が圧倒的に有利なためおそらく向こうもそう簡単には手を出しては来ないだろう。

 そう思っていた鹿之助であったが、なんと海賊の男はそんなことなど気にも留めないという風にずんずんと間合いを詰めてきた。

「く、くそっ!」

 鹿之助は向かってきた男を艪で薙ごうとした。武術の経験はないが馬人の力だ。芯を捕らえずとも当たりさえすれば動けなくなるくらいの衝撃を与えることもできるだろう。

 しかし意外にもこの男、的確に鹿之助の間合いを見極めて紙一重で避け、その隙をつくように素早く刀を振ってきた。鹿之助は慌てて腕を引き身を守ろうとするも所詮は素人の防御。男の凶刃は容赦なく鹿之助の肩のあたりをざくりざくりと切り、そしてその痛みに気を取られている隙に持っていた艪も力任せに弾き飛ばされた。

「あっ!」

「児戯よのう……」

 男は余裕しゃくしゃくという態度でへたり込む鹿之助に切先を向けた。

「悪いが馬人の間合いはよく知っているんでな。さぁどうする?我らの仲間となるか?」

「……ふざけたことを!私はお前のような外道に堕ちたりなどしない!」

 すごんではみたものの状況は絶体絶命であることに変わりはない。

 男はにやりと笑い「そうか。それじゃあ少し寝とけ」と言って上段に構え、そして振り下ろした。

(くっ……これまでか……)

 ぎゅっと目をつぶる鹿之助。

 しかしいつまで待っても海賊の刀が下りてくることはなかった。何が起こったのかと恐る恐る目を開けてみる。するとそこでは何者かが鹿之助と海賊との間に割込み、男が振り下ろした刀を受け止めていた。

 割って入った男は鹿之助の方をちらと振り返り満足そうに笑った。

「よく言った、鹿之助!あとはこちらに任せろ!」

「あ、あなたは……」

 どこかで見た覚えのある顔。それを鹿之助が思い出すよりも先に声をかけたのは正成であった。

「三厳様!お気を付けください!」

「問題ない!」

 三厳は刀を受け止めた端材ごと相手を蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた男は甲板をごろんごろんと転がる。ただこれは三厳の蹴りが強かったためではない。男は男で瞬時に三厳の危なさに気付き、間合いを取るために転がったのだ。十分に距離を取り立ち上がった男は三厳を睨みつけて尋ねる。

「……てめぇ、何者だ?」

 三厳は何食わぬ顔で答えた。

「なに、ちょっとした用心棒という奴だよ」


「用心棒だぁ?てめぇ、どこから現れた?」

 三厳は鹿之助を庇うようにすすすと前に出て答える。

「どこも何もずっと船の中にいたさ。ちょいと荷物の陰に隠れていたんだ。勝手に現れたのはむしろそっちの方だ」

「解せないな。なら何故始めから出てこなかった?それに一人でどうするつもりだ?」

 怪訝な顔をする男に三厳はにやりと笑った。

「遅れて出てきたのにはこちらにも理由があってな。それともう一つ。用心棒は私一人ではないぞ」

「なにっ!?」

 慌てて周囲を見渡す男。改めて見ればいつの間にか乗り込んだ海賊の半分近くが倒れ床に付している。残った者も複数の船員らにじりじりと囲まれる形で追い詰められていた。

 なぜ急にここまで戦況が傾いたのか。それは山中屋側に急に三人ほどの援軍が現れたためであった。

「ここは俺たちが前に出る!お前たちは弱った奴を数で囲んで抑えつけろ!怪我をしないように注意しろ!」

「お、おう!」

 思わぬ救援に船員たちも戸惑ってはいるようだったがそれでも敵ではないということは理解したようで、彼らはその指示に従い的確に乗り込んだ海賊らを無力化していった。

「くっそ……!」

 唐突な形勢逆転に海賊の男は悔しげに歯ぎしりをして三厳を睨みつける。

(さて、どう動く?)

 しかし次の男の行動は意外なものであった。

 男は劣勢とみるや「分が悪い!引けっ!」と叫び、反転し船のへりの方に駆け出した。向かうは自分たちが乗ってきた小舟だ。おそらくそれに乗り逃げようとしたのだろう。

(逃げるか。素早い判断は見事だな。だが……)

 だがそれは叶わなかった。船のへりから海面を見た男はそこにあるはずの小舟がないことに愕然とする。そこに残っていたすっぱりと切られてぷらんぷらんと揺れている係留用の綱だけであった。

「な……どうして……!」

「残念だったな。悪いが退路は断たせてもらったぞ」

 男は知る由もないが、甲板にて男が鹿之助と言い合っているうちに乗り込んでいた用心棒の一人――三厳らが用意した伊賀の忍びがこっそりと近づきその綱を切っていたのだ。もちろん右舷から乗り付けたもう一隻の方も切り離している。逃走用の舟が亡くなっていると気付いた海賊たちは一か八かと海に飛び込むか、あるいは諦めて投降していた。

「さて、お前はどうする?」

「くっ……!」

 先程までの余裕はどこに行ったのかという風に歪んだ顔で三厳を睨みつける男。そんな追い詰められた男が選んだのは突撃であった。男は雑に刀を上げて三厳に向かって駆け出した。

「このっ、若造がぁ!!」

 それは一見破れかぶれの一撃ように見えた。だが男は間合い直前で大振り一回の牽制を入れると、そのまま三厳の横を抜け正成に向かって駆けていった。男の目的は正成であった。山中屋の跡継ぎ、正成。これを押さえればまだ勝機はある。

「若様っ!」

 叫ぶ鹿之助。固まる正成。しかし男は三厳の横を抜け数歩進んだところで急に足がもつれ甲板に倒れた。

「あ、足が……!なにが起こった……!?」

 男が慌てて自分の足を見れば、その左ふくらはぎにはいつの間にかぱっくりと割れた一すじの切り傷がついていた。言うまでもなく三厳がすれ違いざまに切っていたのだ。

「正成殿を狙うとは、なかなか冷静だな。さすがに少し肝を冷やしたぞ」

「くっ……」

 悔しそうに歯ぎしりをする男。三厳という壁。足には傷。正成までもまだ遠い。窮地も窮地である。そんな状況で男が選んだ最後の一手は海に飛び込むことであった。

 男はもう一度刀を大振りし牽制すると、痛む足に無理を言って冬の海に飛び込んだ。その根性には三厳も呆れを通り越して感心すらした。

「この期に及んでまだあがくか。もはや感心すらするな。だが……与六郎!」

「はっ!」

 三厳が呼ぶと奮闘していた用心棒の一人、与六郎が船のへりに足を置いて構える。そして懐から五寸(約15cm)ほどの棒手裏剣を取り出すと狙いを定め、冬の海で必死にもがく男の背中めがけて投げつけた。

「うぐぅっ!?」

 背中に一撃を受けた男は海上でびくんと硬直し、一瞬だけ白波の中に赤いものが見えた。かと思うと次の瞬間には男はもう波間に消えており、そしてそれ以降男が浮かんでくることはなかった。

「……仕留めたかと」

「うむ。よくやった。……それでお前はどうするか?」

 三厳はゆったりとした口調で残った一人――熊之助に声をかけた。尋ねられた熊之助が周囲を見渡すと乗り込んだ海賊の仲間らは皆取り押さえられるか逃げ出すかしてすでに壊滅していた。

「大勢は決した、というやつか……」

「ああそうだ。投降するか?命を無駄にすることもあるまい」

「ふん。馬鹿なことを。どうせ晒し首になるというのに」

 それなりの規模の賊である。極刑が免れられないことは誰の目にも明らかだ。しかし意外にもこれに三厳が首を振る。

「いや、そうとも限らんぞ。山中屋から言伝を預かっている。お前が心を入れ替えて真面目に働くと誓うなら、うまく過去を誤魔化し鹿之助と同じように雇ってもいいとな」

「なんだと!?」

 これには熊之助だけでなく鹿之助も「えっ!?」と驚いた。三厳は山中屋からの伝言だと言った。ということは本店は今回のことを知っていたというのだろうか。

「……何を言っている。貴殿が何者かは知らないが、そのような権限を持っているはずがあるまい」

 熊之助の疑念はもっともである。だがこれに続いて正成も口を開く。

「嘘ではございません。我々山中屋は皆様方を受け入れる準備が出来ております。これは私一人の考えではなく、父・幸元も承知の上の話です」

「なん……だと?」

 ますます驚く鹿之助。正成の口調に口から出まかせという雰囲気はない。ということは本当に本店は今回の件を把握していたということだ。

 だがこれに熊之助は首を振って得物を構え直した。

「……そんな甘言を信じるとでも思ったのか?」

 確かに信用するにはあまりに都合のよすぎる話である。だからこそ三厳も少し悲しい顔をしつつも、わかっていたという風に構え直した。

「まぁそうもなるか……。とりあえず言伝は伝えたからな」

 三厳も改めて重心を下げる。甲板にて三厳と熊之助の二人は臨戦態勢で向かい合った。


「そういえば名を聞いていなかった。先の腕前に統率力。無名というわけではあるまい。俺は備前の馬人、熊之助だ」

 金砕棒を構えて名乗る熊之助に三厳も再度刀を構え直し答える。

「大和国は柳生家の柳生三厳だ」

「大和の柳生?ふ、ふふふ。そうかそうか。これはまた存外な大物と相まみえたというわけか」

 さすがに三厳のことは知っていたようだ。こんな状況ではあったが熊之助は武人らしく嬉しそうに口角を上げた。同時に尽きかけていた気力も満ちてくる。

 しかしそこに水を差す者がいた。鹿之助である。

「おやめください、熊兄!もう決着はついたでしょう!これ以上戦う理由などないはずです!」

 鹿之助からすれば当然の叫びだろう。しかし熊之助はこれを鼻で笑う。

「決着がつくということは死ぬということだ。だが俺も三厳殿もまだ立っている。つまりまだ一花咲かせられるということだ」

「何を馬鹿な!三厳様もどうかおやめになってください!」

「いいや、三厳殿。貴殿も武人として生きると決めているのならわかるはずだ。ここはまだ止まる場所ではないと!」

 これに三厳は刀を構えることで返答とした。

「三厳様!」

「ふふっ。さすがは柳生家の御嫡男。最後の相手にふさわしいことよ!」

 熊之助はにやりと笑い得物の金砕棒を持ち直す。そして呼吸を整えると「はあっ!」と叫び力の限りに飛び掛かった。


 熊之助の得物――金砕棒とはいちいや樫といった堅い木を棒状に成形し、そこにさらに板金やびょうで補強した打撃武器で、その硬さと重量で相手を打ちのめす武器である。戦場では通常武器としてだけでなく敵の門やバリケードを壊す破城槌として使われることもあり、当然真正面から防御するような武器ではない。馬人の怪力を鑑みればなおのことだ。

 対策としてはやはり大振りの後の隙を狙うべきであろう。柳生新陰流としても十八番の戦法だ。しかし三厳はなかなか熊之助の間合いに入り込めずにいた。理由は熊之助の怪力である。熊之助はその怪力で金砕棒をまるで脇差のように素早く振って三厳を牽制していた。

「はあぁぁぁっっっ!!!」

(まるで台風だな!思った以上に隙がない……!)

 相手の得物が脇差ならばうまく刀を合わせて巻くなり流すなりすればいい。しかし金砕棒相手ではこちらの刀の方が折れてしまうかもしれない。攻めあぐねる三厳は途中一度納刀し奇襲めいた抜刀術を放ってみたりもしたが、それも上手く見極められ傷を負わせるまでにはいかなかった。

(くっ。これはどうやら一瞬の勝負になりそうだ……!)

 ちまちまとした手傷を負わせることはおそらく無理そうだ。ならばいつか来るであろう一瞬の隙をつく他あるまい。しかし一瞬の機を逃すまいとしていたのは熊之助もまた同じであった。

(さすがは柳生家の者。こちらの攻撃がまるで当たらない……しかし焦るな!一撃目を入れさえすればこちらにも勝機はある!)

 こうして互いに決定機を逃すまいという攻防は続く。

 片方が風切り音がするほどに得物を振れば相手はそれを木の葉のように避け、片方がその隙をつき煌くような一閃を放てば相手も力の限りそれを避けて反撃を行う。その様は傍から見ると暴風と閃光のように見えたという。

 しかしそんな攻防も思わぬところから均衡が崩れる。その原因はここが船上だったといことだ。それまで安定して揺れていた船であったが――何かしらの潮の流れに乗ったのだろう――船は唐突にぐわんと大きく揺れた。

「ぬおっ!?」

 この揺れに運悪く熊之助の体勢が崩れた。いや、あるいは確率的には当然だったのかもしれない。熊之助は三厳を間合いに入れないために常時金砕棒を振っていた。つまりそれだけ重心が動いていたということだ。その不安定な体勢のツケがここで現れた。

 熊之助はどうにか踏ん張り尻もちまではつかなかったものの、一瞬体が固まった。そしてその隙を見逃す三厳ではない。見れば熊之助の目には一足で飛んでくる三厳の姿が見えた。

(いや、まだだ!近付かせさえしなければ……!)

 腕力および武器の打撃力で言えばまだ熊之助の方に分がある。熊之助は相打ちも辞さない覚悟で全力で金砕棒を振った。当たりさえすれば骨くらいなら砕いてくれるだろう。

 しかしここで三厳は間合い直前で足を止めその一撃をかわした。そして目にもとまらぬ速さで脇差を抜き、それをまるで棒手裏剣のように熊之助に向かって投げつけたのだ。

「なっ!?」

 三厳は飛び込み切りかかってくる。そう思い込んでいた熊之助からしてみれば完全に意識の外からの攻撃であった。

 しかも三厳は単に脇差を投げつけたわけではない。手裏剣術や小具足術(脇差などを用いた剣術)を修めた三厳による一投だ。真っすぐに飛ぶ脇差は熊之助の思慮の隙間を抜け、その胸部中央に深々と突き刺さった。

「ぐはぁっ!?」

 痛みに硬直する熊之助。そこに三厳は改めて一気に踏み込み、刀で巻き込んで熊之助の得物を弾き飛ばした。飛ばされた金砕棒はしばし宙を舞い、やがてからんころんと甲板に転がった。熊之助はそれを目で追うことしかできなかった。

 決着である。熊之助は力なくその場にへたり込んだ。


 甲板での他の戦闘もほぼほぼ終わっていた。大半は伊賀の忍びたちによって討ち取られるか、または船員たちに抑え込まれ捕縛されていた。海に飛び込んで逃げた者も少なからずいたがこの冬の海だ、果たしていったい何人が岸までたどり着けたことだろう。

 三厳も熊之助に抵抗の意思がないとみると刀を納めて息を吐いた。そこに鹿之助が駆け寄る。

「熊兄っ!」

 三厳は一瞬止めようともしたが、それも野暮だろうと見送る。ただ一応刺さったままの脇差については忠告した。

「刺さった脇差はまだ抜くなよ。心の臓に近いし脈もまだ落ち着いてない。誰か手当の道具を持ってきてくれ!」

 三厳の言う通り熊之助の胸元からは血がだらだらと流れている。鹿之助は慌てて横にしようとしたが、熊之助はそれを手で遮った。

「く、熊兄?安静になさってください……!」

 だが熊之助は横にはならずにじっと鹿之助を見つめ、そして決意を決めたように息を吐いてから口を開いた。

「……兄とは何だ?俺にお前のような弟はいないぞ」

「えっ!?な、何を言っておられるのですか、熊兄……?」

「知らんな。誰かと勘違いしておるのだろう。よくある、馬面だからな……」

 困惑する鹿之助。だが熊之助はそれをよそに恐る恐る近付いてきた正成に目をやった。

「そこの者……山中屋の者とお見受けする……」

 声を掛けられびくりと肩を震わす正成。それでもどうにか正成は代表の顔を作り気丈に一歩前に出た。

「……いかにも。某は山中家家長・山中幸元が八男、正成である」

「そうか。ではまずは……今回貴殿の船を襲ったことを謝罪する。今更頭を下げたところでどうにもならないが、それでも、すまなかった……」

 満身創痍の体で小さく頭を下げた熊之助に全員が言葉を失う。そんな中で熊之助はちらと鹿之助の顔を見てから言葉を続けた。

「それからこの男だが、顔が似ているだけで私とは無関係の奴だ。兄弟でも何でもない」

「な、何を言っているのですか、熊兄っ!私はあなたの弟ですよ!」

 この熊之助の振る舞い――この時その場にいたおおよそ全員がその意図を察し、そして黙って見守ることに決めた。唯一鹿之助のみが戸惑っていたが、それも与六郎や船頭の犬彦がさりげなく押さえる。そして熊之助は荒い息で続ける。

「俺らの徒党は今回乗り込んできた者で全員だ。後々報復されるということもないだろう。捕らえた者の処分はそちらに任せるが、皆が悪い奴というわけでもない。気を配ってくれるとありがたい……」

「適宜便宜を図ります。もちろん鹿之助に関しても」

「ありがたい……」

 それを聞くと満足したように熊之助の表情は穏やかなものとなった。最後に正成が尋ねる。

「あなた自身はよろしかったのですか?」

「ふっ。自ら望んだ道だ。けじめくらいつけられる。三厳殿。少しばかり脇差を汚してしまうご無礼をお許しください……」

「く、熊兄!?何を!?」

 嫌な予感に鹿之助は駆け寄ろうとしたがもう遅かった。熊之助は鹿之助を見て軽く微笑んだかと思うと胸に刺さった脇差を抜き、そして迷わずそれを自らの腹に突き立てた。

「ふぐぅっ!」

「熊兄ぃっ!?」

 押さえつける犬彦らの手を跳ねのけ駆け寄る鹿之助。しかし甲板にできた血だまりはもはや助かる見込みはないことを如実に示していた。

「熊兄!熊兄っ!あぁ、どうしてこんなことに!」

「泣くな、鹿……。俺が自ら選んだ道だ。それに、お前が行った通り外道で恥ずべき人生だった……。最後に腹を切れただけでも上々だ……」

「そんなこと……そんなことあるわけないではありませんか……!」

「すまんな、鹿……。墓前の父母によろしく頼む……」

「う、うわぁぁぁっ!」

 鹿之助が取り乱す中、三厳が静かに熊之助の横に立った。その手には抜かれた刀が握られている。気付いた熊之助は「重ね重ね、かたじけない……」と頭を下げ、そのまま素直に首すじを差し出した。そこに静かに刀を当てた三厳はふと思った。

(太い首だ……)

 熊之助の首は太く逞しかった。半端な一撃では骨を断つことすら難しいかもしれない。だがそんな無様は許されない。三厳は改めて柄を握り直し、呼吸を整え、そして渾身の力を持って振り下ろした。

「ふっ……!」

 熊之助の首は一刀で落ちた。

 鹿之助の慟哭が冬の海に響いた。

 今度こそ完全に終幕であった。

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