大場又三郎 重信と向き合う 2
(あぁ、行ってしまわれたか……)
小田原市内へと向かっていく十兵衛。又三郎はその背中が見えなくなるまで門前に立ち見送っていた。不安はない、と言えば若干嘘になるがそれでももうできるだけのことはした。あとはもう天命を待つ他ない。そう思いつつ又三郎が屋敷内に戻るとふと声をかけられた。
「又三郎殿」
柱の影から顔を出したのは重信であった。
「立ち聞きは失礼だとは思ったのですがどうしても気になりましてな。今の御人が十兵衛殿ですかな?」
この場面、十兵衛の身を案ずれば誤魔化すべきところではあったが又三郎は素直に「はい」と答えた。
「なるほど。稀有な星の下に生まれたお方のようだ」
「星……陰陽寮ではそのようなことも学ぶのですか?」
「暦の編纂も陰陽術師の業務の一つですからね。まぁ私は星詠みに関しては話のタネになる程度しかできないんですがね」
そう言ってはははと笑う重信はまるで憑き物でも落ちたかのようにすっきりとした顔をしていた。それは又三郎が思わず困惑するほどであった。
「おや、どうかなされましたか?」
「い、いえ。なにかこう、落ち着いていらっしゃるなと思いまして」
「ああ。ふふっ、なんなんでしょうね。私もうまくは言えないのですが、なにかこう、肩の荷が下りたような心地なんですよ。とりあえず今はもう十兵衛殿に託すほかありませんからね。それが逆に一息つくきっかけとなったようです」
そして重信はしみじみと呟いた。
「……今思えば焦っていたのかもしれませんね」
「焦りですか。そんな風にはとても見えませんでしたが」
「ふふっ。だとすれば私の面の皮もだいぶ厚いようですね。ですがまぁ結構大変なんですよ。一人で責任を負わねばいけませんし、すべての人が言うことを訊いてくれるというわけでもない。それに又三郎殿ももう知っておられるのでしょう?同じ家来内であっても私のことを悪しく言う人たちがいるということを」
「それは……まぁ小耳に程度には……」
「気を使わなくてもいいですよ。もとより成果の見えにくい業務な上に、信じない人はとことん信じていませんからね。まったく割に合わないお役目ですよ」
若干皮肉げに笑う重信を見て又三郎は先ほどの十兵衛の話を思い出した。ここ小田原には怪異系の事件を扱えるのは重信しかいない。天下の要所でありながらここで起こる不可思議な事件には称賛も批判も責任も、すべて重信一人が背負わなければならない。十兵衛の言葉を借りれば実に孤独だったことだろう。
そんな折江戸から十兵衛がやってきた。結果として今のところ手を取り合ってはいないが、それでも同じく異変を追う者の存在は重責を背負う重信にとっては頼りになる存在になったはずだ。そこら辺の感情の機微が調査報告を素直に出す流れにつながっていたのかもしれない。
そして又三郎はもう一つ気付いた。
(そうか。重信様は似ておられるのだ。我が殿(宗矩)に)
宗矩との類似。それは姿かたちの話ではない。もっと本質的なもの――お役目に対する自信や自負。責任感。そして孤独と焦り。そういった点が所々宗矩と重なって見えたのだ。
そしてそれがおそらく又三郎が重信を妙に信用していた原因だったのだろう。
時代はもう武ではなくなっていた。
大坂の役が終わり徳川の天下となると小競り合い程度の合戦すら行われなくなった。それはつまり戦闘員としての武士の価値の低下であり、幕府はそんな世になったことを強調するかのように武勲で身を立てた武将らを軒並み改易・除封させていった。
これには当然宗矩も焦った。当時の宗矩の地位は家康・秀忠の御用剣術師範という武によって得たものである。逆に言えばそれ以外の目立った功績はないため、その地位を疑問視したりやっかむ者も少なくなかった。世間の評判とは裏腹に宗矩の立場は風が吹けば飛んで行ってしまうほどのものしかなかったのだ。
だからこそ宗矩は、時には武以外の手を使ってでも生き残ろうとした。門下に多くの大名旗本を迎え時には認可も与えたりした。茶会や能を通じて幕府要人らと親睦を深めたりもした。宗矩は控えめに言っても天下の五指に入るほどの剣豪であろう。そんな宗矩ですら単純な武だけで生き残ることはできない時代だった。
ではそんな宗矩の姿を見て、又三郎を始め宗矩の家来たちは幻滅したのかと言えばそんなことはなかった。むしろそんな宗矩を支えたいと思う者たちばかりであった。
宗矩は剣一本で地位を築いたという点では多くの剣士にとっての理想であり、そして武以外の手を使ってでも生き延びるという点は多くの剣士にとっての現実である。理想だけでは生きていけないとわかりつつも、それでもなお剣という道に自信と自負を持ち生きていく。そんな理想と現実を一人で体現する宗矩に又三郎たちは惹かれていた。
そんな宗矩の姿は所々で重信と重なる。例えば重信の陰陽術はすべての人が見えるわけではないため評価していない人も少なくない。宗矩の剣術もまた武から離れつつある今では確実に時代遅れになりつつある。無二でありながらすべての人に認められているわけではない立場。相談できる相手のいないお役目。責任、政治、陰口、焦り。そのようなものを背負いつつも、それを表に出さずにただ真摯にお役目に向かう姿。
(そうか。重信様も戦っていらっしゃられるのだ)
それを見た又三郎が重信を支えたいと思うことは不思議なことではなかった。
もちろん又三郎が忠を尽くす相手は宗矩に変わりない。だが宗矩と重信、加えて十兵衛の三人に忠を尽くす道がどこかにあるはずだ。それを見つけることこそが時代と戦う孤高の男に惹かれた自分のお役目なのだろう。
又三郎は自分のするべきことを強く自覚した。十兵衛が帰ったらもう一度重信を信じてみるようにと進言してみよう。一回二回では足りないかもしれないが、それでも根気よく続ければいつかはわかってくれるだろう。そうして二人が並び立った時この異変は解決し、延いてはそれが主君・宗矩のためにもなるはずだ。
そう強く決心した又三郎であったがこの計画はなかなか実行には移されなかった。というのも十兵衛がなかなか帰ってこなかったからだ。
空は薄暗くなり、まもなく暮れ六つの鐘が鳴る。それでもなお十兵衛は小田原市中の調査から戻ってこなかった。
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