柳十兵衛 報告書を受け取る
現在又三郎が来訪している重信邸。その正門から少し離れた路地に隠れるように立つ一つの影があった。正門を陰から見張るその人物、それは十兵衛その人であった。
又三郎に「後から行く」と言っていた十兵衛であったが、実際は又三郎が良兼邸を出てすぐにそのあとをつけて重信邸内に入るところまで見届けている。それからまもなく一刻。十兵衛は離れることなくその重信邸の正門を監視をしていたが又三郎は未だに表に姿を現さない。
(まだ見えぬか。さすがに遅いか……?)
事前の打ち合わせでは重信からこれまでの事件の調査報告と小田原市中に残された術式の情報をうまく聞き出し持ってくることとなっていた。だがそれは重信の白黒に関わらず簡単なことではない。向こうも向こうなりの考えを持っているのだし、場合によってはこちらが疑われることもある。下手にふるまえば切られるなんてこともあり得る時代だ。
(まさか本当に捕らえられてたりしないだろうな?どうする?そろそろ踏み込む可能性も考えていた方がいいか?)
十兵衛がそう思い軽く刀の柄に手をかけた頃、ようやく又三郎が門前に姿を現した。ほっと一息吐いた十兵衛は又三郎に魔力の類がまとわりついていないかを確認してから顔を出した。
「あっ、十兵衛様!お待たせいたしました」
十兵衛を見つけた又三郎の顔にはちょっとした一仕事を終えた達成感が見て取れた。おそらくは首尾よく行ったのだろう。
「重信殿はなんと?」
「いろいろと思うところもあるようですが一応は納得してもらいました。少なくとも今日一日は屋敷内に留まるとのことです。加えてこちらがこれまでの調査経過と術式についてだそうです」
そう言って又三郎は少々分厚い手紙状の報告書を取り出した。出された手紙を十兵衛はすぐには受け取らず、まずは先ほどと同じように術式等が込められていないことを目視で確認する。どうやらこちらも大丈夫のようだ。十兵衛は報告書を受け取りこの場で広げた。
「ここで読まれるのですか?」
「時間が惜しいし、何か気になるところがあれば重信殿に訊かねばならぬからな」
報告書は資料ごとに複数枚に分かれていた。十兵衛は一枚目から順に目を通す。どうやら一枚目には調査を行った日時とその経過が書かれているようだ。
報告書によると異変の始まりらしきものは半年ほど前から感じていたそうだ。だがその頃は勘違いかと思うほどの微細かつ単発的なもので重信もさほど気に留めていなかった。今のように劇的に広がったのは二か月ほど前からだという。この頃より本腰を入れて調査をするも原因は見つけられず、また同時期に後述する術式を書いて異変の進行を抑制しようとするもそれも大きな効果は出せずにいた。その後一月ほど腐心するも状況は改善せずとうとう江戸への救援を上申。それが巡り巡って十兵衛の下へと話が来て今日に至るようだ。
二枚目には小田原市中のどこを見て回ったのかが書かれていた。重信の調査は定石通り城や門といった要所から始まり人通りの多い大通り。人目に付きにくい裏路地や廃寺。他にも地脈や風水上の重要地とまさに卒なく調査されており、正直これ以上調べるところなどないのではないかと思うほどだった。
三枚目は昨日見つけた小田原内に残された術式について。やはりあれは重信の手によるものだったようだ。重信曰く術式は小田原市中に八箇所あり、十兵衛の予想通りその八つが相互に働き完成する一つの大きな術式であった。
「八箇所か。結構あるな」
「そこについては重信様も申しておりました。どうも初めは術式は三箇所だけだったそうです。ですが異変が進むにつれてそれだけでは効果が期待できなくなり、徐々に増やしていった結果そうなってしまっただとか」
「効果か……」
その効果についても報告書には書かれていたが、それは非常に長く複雑であった。十兵衛は思わず「長いな……」と愚痴をこぼしたがそれでもどうにか執念で読み解いた。
重信が小田原市中に設置した大規模な術式。どうやらこれには『無意識下における攻撃性の抑制』および『集合意識における悪意の拡散』という効果があるようだ。
まず『攻撃性の抑制』だが、まず前提として最近の小田原では異変の影響かついつい攻撃的になる人が増えていた。このままでは突発的な刃傷沙汰が起こるのは時間の問題である。それを抑制するために重信は周囲の人間が持つ攻撃性を吸収する術式を書いた。十兵衛が昨日見つけたそれがその術式だ。これにより人々の攻撃性は抑制されたが、代わりにその術式に濃度の濃い攻撃性・悪意が溜まることとなった。そうなると今度はこの術式自体が周囲に悪影響を及ぼす可能性がある。それを避けるために組み込まれたのが溜まった悪意を別の術式に移す機能だ。
小田原市中に現在設置されている八個の術式。そこでは日夜溜まった悪意を別の術式に渡し渡されている。見かけ上では単に悪意がぐるぐると小田原内を回っているように見えるが、実はこの移動過程で集めた悪意が常に微量に漏れ出でている。つまり実質的な攻撃性・悪意の拡散・希薄化が行われているということだ。
(なるほど、そういうことか)
小田原を覆う悪意が不自然なまでに薄く広く漂っていたのはどうやらこの重信の術式のせいであったようだ。これのおかげで突出した悪意や攻撃性が生まれることなく、また異変の気配が小田原外に広がらずに済んでいた。
だが一方でこれがために小田原内に常に悪意が留まることとなり、また発生減の特定が難しくなり調査が進まなくなったという側面もある。
(規模が大きいだけに功罪も大きい術式だ。これだけで重信殿の白黒は決められないか。とりあえず直接見て見ないうちに判断するのは早計だな……)
こうして一通り目を通した十兵衛は報告書を折りたたみ懐にしまう。そしてそのままいざ調査に出かけようとするが又三郎が何か言いたげにしているのに気づいて足を止めた。
「ん?まだ何かあるのか?」
「あ、いえ。それで全部です……」
だがやはり又三郎は何か言いたげなままである。十兵衛が少し無言で待つと又三郎も意を決したのか尋ねてきた。
「あの、十兵衛様。十兵衛様はやはりまだ重信様をお疑いになられているのですか?」
なるほど確かに重信はこうして素直に調査報告や術式についての情報を開示してくれた。敵対する存在ならそのようなことはしないだろう。しかしそれでもなお十兵衛は安易に結論を出さなかった。
「お前の言いたいことはわかる。だが一番最悪の可能性が十分に残っているのなら、それを懸念しないわけにはいかない」
「そう、ですよね……」
そう答えるということはわかっていたが、それでも又三郎としては歯痒い気持ちになる。そんな又三郎を見て十兵衛はぽつりと「皮肉な話だな」と呟いた。
「皮肉ですか?」
「ああ。例えば俺は城の術師らに認められて怪異改め方になった。それは俺を評価してくれる人間、評価することのできる人間がいたからこその話だ。だが重信殿の場合はなまじ力があるせいで評価できる人間が限られている。今回のように彼と同等あるいは上回る術師がいなければその真意を測ることもできない。結果としていつまでも疑われ続けてしまう。力を持つが故の孤独、とでも言うのかもな」
「孤独……」
「だがこちらとてお役目だ。余計な情はすべてが終わるまで抑えておけ。特にお前は最悪の場合は自らの手で切ると言ったんだ。自分の言葉には責任を持てよ」
「それは……もちろんわかっております……」
「ならいい。それでは俺は調査に行ってくる。きちんと重信殿を見張っておくのだぞ」
そう言って小田原市中に去っていった十兵衛を又三郎は門前より見送った。
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