柳十兵衛 来訪する

 遠くで暮れ六つの鐘が鳴るのを聞きながら、又三郎は途方に暮れたように黄昏時たそがれどきの空を見上げていた。

(これは俺はどうすればいいんだ?)

 場所は重信屋敷内。又三郎は未だに重信の監視を続けていたが、実際は十兵衛から次の指示がないために他にすることがないと言った方が正しかった。

 十兵衛とは朝に重信邸正門前で報告書を渡してからそれっきりで、それ以降連絡はない。又三郎は何度も正門付近へと顔を出し手紙や使いが来ていないかと確認してみたがそれもなく、その門ですらとうとう暮れ六つということで閉じられ内からかんぬきがかけられた。


 普通なら子供の使いではないのだから半日連絡がないくらいどうということはない。しかし今は重信の扱いをどうするかを決断する瀬戸際。もっと言えば小田原の今後を決める瀬戸際である。今日中に何かしらの答えを出すということは決めていたため遅れるという連絡すら寄越してこないというのはやはり不自然という他ない。必然悪い予感が脳裏をよぎる。

(もしや十兵衛様の身に何かあったのでは?)

 いくら強者とはいえ十兵衛とて人の子。万が一ということもあり得る……とも一瞬思ったが改めて考えみるといまいちその姿が想像できない。

 それよりはむしろ自分を、又三郎を見限り黙って裏で切り捨てる計画を立てている姿の方が想像できた。

(あぁ……やはり俺は不義理を働いたように見えるのだろうか……?)

 無論そのようなつもりは全くない。だがもし重信が黒ならばそれを庇うように動いた自分も当然怪しく見えることだろう。又三郎は何かあったら自分が重信を切りその後腹を切ると言ったが、十兵衛がそれを聞く道理もない。十兵衛なら今後の柳生家の安全のため名誉のために、一思いにずばりと刀を振り下ろすくらいのことはやってのけるはずだ。

 又三郎はぶるりと体を震わせる。見えない知らないあやかしよりも知っている十兵衛の一撃の方が又三郎にとっては恐ろしかった。


 そんなことを考えながら又三郎が勝手に肝を冷やしていると、ふと誰かが何かを叩く音を耳にした。ドンドンドンと規則正しく叩かれる音のもとに行ってみれば、それは誰かが門のくぐり戸を叩いている音だった。扉の向こうからは声も聞こえる。

「夜分遅くにすまない。誰かいないか?」

 又三郎ははっとした。十兵衛の声である。慌てて閂を外して戸を開けようとしたがよくよく考えればここは重信の屋敷。寸でのところで踏みとどまったところでようやく門番の奉公人がやってきて「どちら様でしょうか?」と扉の向こうに声をかけた。

「夜分遅くにすまない。それがし柳十兵衛という者である。火急の用故に黒田重信殿にお取次ぎ願いたい」

 やはり十兵衛のようだ。しかしこんな時間に火急の用とは何事だろうか。

(まさかとうとう討ち入りにでも来たのか!?)

 又三郎は急いで門から少し離れたところの壁に登り表の通りを覗き見る。暗くてよくわからないが表には一人分の人影――十兵衛の姿しか見えない。さすがの十兵衛とて単身で乗り込んで切り込むなんて真似はしないだろう、と思いたかったが十兵衛相手ではそれすらも自信が持てない。

 判断に迷う又三郎がふと内の方に目をやれば先ほどの門番が屋敷の方へ駆けていくのが見えた。おそらく重信に判断を乞いに行ったのだろう。又三郎は少し悩んだが駆けていった門番のあとに続き重信のもとに向かうことにした。重信がどういう判断をするのか確認するためだ。自分がどう動くかはそれを確認してからでも遅くはないだろう。

 この時重信は自室で就寝の準備をしていた。この時代は碌な明かりがないために日が暮れればあとはもう就寝くらいしかすることがない。それだけに重信はこの時分の十兵衛来訪の報を聞いて驚いたが、すぐに落ち着いて招き入れるように指示を出した。これを受けて門番は戻っていったが又三郎は残って重信に尋ねた。

「招き入れるのですか?時間を考えれば自然に断ることもできたはずでは?」

 十兵衛が万が一の時は強硬策に出ることは重信も知っているはずである。対して重信は自棄やけっぱちというほどではないものの若干諦めたかのように笑って見せた。

「と申されましても、こちらはとある城代の一家来で向こうは年寄衆直属。情けない話ですが追い返せるような立場ではないのですよ。それに十兵衛殿が必ずしも刀を抜くとは限りませんからね。遅かれ早かれしなければいけない賭け。なら今日という日に天命を賭けても問題はないでしょう」

 そう言うと重信は別の家来に明かりの準備を指示した。どうやら本気で十兵衛と対面するようだ。又三郎はごくりと唾を飲んだ。いつかは来ると思っていた十兵衛と重信の邂逅。しかしそれが今日という日に起こるとは思ってもみなかった。


 あまりの急な展開に又三郎は混乱しつつも再度門へと向かう。今度は十兵衛の真意を確かめるためだ。門ではちょうど門番が閂を外しくぐり戸を開けたところであった。

 又三郎は心落ち着かぬまま、くぐり戸から数歩離れたところに立った。もし乗り込んできた十兵衛がいきなり切りかかってきたらどうするか。もし十兵衛が自分に重信を切れと言ってきたらどうするか。自分がどう動くかはその時にならないとわからないが、どんな展開であれ十兵衛がどうしてその結論にたどり着いたかは知っておきたかった。

 やがてくぐり戸から一つの影が屋敷内に入ってくる。又三郎は一呼吸整え、(ここが渡世の終わりかもしれぬな)と思いながら声をかけた。

「十兵衛様でいらっしゃいますか?」

 影はピクリと反応し、そして実にほがらかな声で返事をした。

「おや、又三郎。いたのか。はは。急に声をかけるから驚いたぞ」

「え?あ、はい。すいません……」

 十兵衛はこちらが拍子抜けしてしまうほどに朗らか、上機嫌であった。

「どうしたのだ、又三郎?呆けた様子で」

「いや、呆けたも何も……いったい何をしにいらしたのですか?」

「何をって、ああそうか。お前、私が押し入りに来たと思ったのか。あー、そうだなすまんかった。確かにお前からしてみれば驚いただろうな。だが安心しろ。その必要はなくなった。ほら、これだ」

 そう言って十兵衛は抱えていた包みを上げて見せた。片手で持つには少し大きいその包みを見て「何ですかそれは」と尋ねると、十兵衛は上機嫌に口角を上げた。

「わからないか?ようやく見つけたんだよ」

「見つけたって、まさか……!」

「ああ、そうだ。見つかったんだよ。ここ小田原で起きている異変の原因がな」

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