柳生宗矩 幕府の深淵を垣間見る 2

 十兵衛たちの活躍により、宗矩は忠長を貶めようとしている勢力がいることを突き止めた。彼はその証拠を家光に提出し、以後この案件は家光預かりとなる。

 それから数十日後。宗矩は先代将軍・秀忠に呼ばれて西の丸に向かう。そこで宗矩は、秀忠が忠長改易を承認しているという事実を知るのであった。


 西の丸に集まった重鎮たちを前に、先代将軍・秀忠はこう言い放った。

「我々は今年中に駿府の忠長を改易させる。各々それを念頭に置いてまつりごとを行うように」

「!?」

 秀忠の宣言に集まっていた面々――酒井忠世や土井利勝、そして柳生宗矩などは言葉を失った。

 だがそれも当然のことだろう。駿府の忠長は秀忠の実子である。にもかかわらず秀忠本人から彼を改易する旨を宣言されたのだ。普通ならば悪い冗談か聞き間違い、あるいは秀忠が乱心したと思うだろう。しかし当の秀忠はこれだけ言えば十分だと言わんばかりに、あとの説明を崇伝に任せた。引き継いだ崇伝もまた淡々と話を続ける。

「大御所様がおっしゃられた通り、今年駿府の大納言様は改易なされる。その際それなりの混乱が予想されるが、各人上手いこと動いて被害を最小限に止めるように」

 崇伝の事務的な示達に宗矩たちはそのまま頷きそうになったが、ここで正気に戻った土井利勝が待ったをかけた。

「お待ちになってください!駿府の大納言様を改易とは、いったいどういうことですか!?」

 当然の疑問である。これに秀忠ではなく崇伝が返答した。

「どうもこうも、お聞きになられた通りですよ。……ああ、細部につきましてはこれから詰めていきますので、決まり次第随時お伝えいたしましょう」

「そうではなく……!わかっているのか!?大納言様だぞ!?そんなお方をそんな適当に改易に処せば、なにが起こるかわかったものではないぞ!?」

「もちろん慎重に検討を重ね、影響は最小限にいたすつもりです。そのためには皆様方の協力が必要不可欠。それゆえの此度の招集にございます」

「そういう話がしたいのではなく……!あぁもう!どうしてそのように落ち着いていられるのだ!?」

 わざと芯を外したような崇伝の返答に、利勝の顔も秀忠の前とは思えぬほどに険しいものとなっていく。見ている方はあわや飛び掛かるのではないかと懸念するほどであったが、しかしそこは賢才・利勝。このままではいけないと一度深呼吸をして心を落ち着かせると、改めて崇伝に丁寧に質問を投げかけ始めた。


「……よもや忘れておられるとは思わんが、駿府の大納言様は上様の御子息であらせられるぞ。そんなお方を改易に処せば、大名や民草たちに『江戸で内紛が起きている』と思われてしまうのではないか?」

「確かに驚かれることではありましょう。しかし上総介かずさのすけの少将殿という前例もおります。特別屋台骨が折れたと思われるほどでもありますまい」

 崇伝が名前を挙げた『上総介の少将』とは、元和二年(1616年)に改易された松平忠輝のことである。彼は家康の六男、つまりは秀忠の実弟であるにもかかわらず将軍となった秀忠の名の下で改易させられた。

 その理由は表向きは関ケ原の合戦時の不行跡ということになっているが、実際は権力を秀忠に集中させるために境遇の近しい忠輝を中央政権から排除したというのが周知の真相であった。ともかく将軍の実弟であっても改易させられるという前例はあるということだ。

「……なるほど、確かに前例はあるようだ。しかし少将の時に混乱が少なかったのは、その改易理由が明示されたからに他ならない。妥当かどうかはともかく、理由がはっきりとしていれば天下もある程度は納得する。……それで崇伝殿は此度はどのような理由で大納言様を改易させるおつもりなのか?」

「……この場で言う必要のあることではない」

「いや、必要だ!こうして腹を割っている我らすら納得させられずに、どうして天下を納得させられるというのだ!?はっきりと言ってやろう。現状大納言様に誰もが納得するような落ち度など存在せぬぞ!」

 利勝も多少の清濁ならば併せ呑むことができる人物ではあった。しかし現状忠長にわかりやすい落ち度はない。にもかかわらず強行するのは、むしろデメリットの方が大きいのではないかと言うのが利勝の意見である。

 しかし末席でこのやり取りを見ていた宗矩には思い当たることがあった。

(まさかなのか……!?)

 ここに来て宗矩は自分が呼ばれた理由を悟った。確かに今現在忠長に目立った落ち度はない。しかしその仕込みはされていた。宗矩たちが駿府で発見した例の呪詛である。

(おそらく例の術を使って改易の原因を作るつもりだったのだ!しかしそれを作動させる前に我々がそれを見つけてしまった。崇伝様たちは某らが見つけてしまったことをお知りになったのだ!そして邪魔されるくらいならと、あえて計画を前倒しにし、我々にこのことを打ち明けたということか!)

 宗矩がちらと秀忠の隣に座る家光に目をやるとちょうど彼と目が合った。しかし家光はすぐにバツが悪そうに目を逸らす。その反応を見るに、やはり自分たちの調査が今日の宣言の引き金となったようだ。

(あぁ何ということだ……!まさか江戸の中枢が大納言様を貶めようとしているその中枢だったなんて……!)

 敵は徳川一門あるいは忠長個人に恨みを持つ者の犯行だと思っていた。しかし本来ならば最も守ってくれるはずの身内が裏で糸を引いていただなんて……。忠長の余りの不憫さに、宗矩は思わず顔を伏せるのであった。


 宗矩がおおよその背景を理解した一方その頃、利勝と崇伝の口論はさらに白熱したものとなっていた。

「だから今無理をすることに何の意味がある!?諸侯らが不審がれば本末転倒であろう!」

「多少の不審も考慮のうち。ですがそれも些事に過ぎませぬ」

「っ!貴殿とてこれが性急すぎる話であることは理解できるはずだ!なのになぜそこまで急ごうとする!?」

 崇伝らが急いでいる理由は忠長に対する仕込みが宗矩たちに露見してしまったせいであったが、事情を知らない利勝がそれを知るすべはない。代わりに彼は今回の件に別の狙いがあるのではないかと深読みし始めた。

「……まさか他に何か狙いでもあるというのか、金地院殿!?大納言様を犠牲にしてでも成し遂げたい何かが!」

「……」

「何を黙っておる!?お前が手にかけようとしているのは将軍家の血の者なんだぞ!?弁明の一つでもしてみてはどうなのだ!?」

 苛烈に責める利勝に対し無言を貫く崇伝。その反応にさらに苛立つ利勝であったが、ここでさせるに任せていた秀忠が二人の口論に割って入った。

「よせ、利勝。崇伝をそう責めるでない」

「しかし上様!」

「利勝。崇伝が黙しているのは余を慮ってのことだ。だが思えば間違っていたのは余の方だ。互いに腹の内をさらけ出す場だというのに、自分だけ綺麗なままでいようとしたのだからな」

「上様、何を……?いや、まさかそんな……」

 嫌な予感を覚えた利勝はどうにかして秀忠の口を塞げないか思案した。しかし相手が秀忠ではどうしようもない。

 そして秀忠は、ある意味で最も救いのない一言を発した。

「勘違いが起きないようにここで断言しておこう。今回の件は余も承認済み。……いや、そもそも忠長改易の件は余から言い出した話である」


「忠長改易の件は余が自ら発案したものである。崇伝は単にそれに従っているにすぎん。そこを勘違いしないでやってくれ」

「くっ……!」

 秀忠の発言はある意味最も救いのない一言であった。

 もしこの件が誰かの入れ知恵ならば、秀忠を説得することで最悪の事態を回避することもできただろう。しかし秀忠本人から出たものとなるとそれも難しい。つまり忠長の改易はほぼ決定事項となってしまったということだ。

 とはいえまだ全容は見えてこない。利勝はこれまでの熱を一旦抑え、秀忠に説明を求めた。

「……どうかお聞かせください。何故上様は大納言様の改易をお考えになられたのですか?」

「簡単な話だ。天下に二君は必要ない。家光の世を盤石とするため、それに対抗しうる者を追い落とすのは当然のことだろう」

 もちろんこの理由は想定の範囲内だった。家光に権力を集中させる構図は現政権の方針でもある。しかし父が子を無理矢理改易させてまですることでもないはずだ。

「……恐れながら大納言様は実質まつりごとには関わっておりません。また動かせる兵もわずかなため、放っておいても江戸の脅威となることはないでしょう」

 利勝の言う通り、長い間政治から遠ざけられてきた忠長に今更盤面をひっくり返すだけの力はないだろう。しかし秀忠は無情にも首を振る。

「威光の光はをかけたくらいでは遮ることはできない。仮に本人にその気がなかったとしても、担ぎ上げようとする者はいるはずだ。そんな虫のような輩が現れる前に、後顧の憂いは断つべきである」

「……それが身内であっても、ですか?」

「当然だ。今の御代はそのような犠牲の上で成り立っている。忠輝しかり。右大臣様しかり……」

(右大臣?)

 唐突に出てきた右大臣の名に、この場にいた多くの者が頭にはてなを浮かべた。

 右大臣とは朝廷の職の一つだが、近年の右大臣で特別幕府の犠牲になったような者はいない。幕府とかかわりの深い右大臣なら家康がいるが、その任期は一年足らずであり、そもそも秀忠が家康をわざわざ『右大臣』と称すはずもないのでこれも違う。

 では秀忠が思わず名前を挙げた右大臣とは誰なのか?宗矩たちはしばし困惑していたが、まもなくしてもう一人秀忠と縁の深い右大臣がいたことを思い出しハッとする。

 その名は豊臣秀頼ひでより。豊臣秀吉の実子にして、秀忠が一時主君として仕えていた人物であった。


 豊臣秀頼。その姓からわかるように豊臣秀吉の実子で、彼が五十七歳の時に生まれた子であった。

 彼が生まれたのは今から三十六年前の文禄二年(1593年)の夏。時期としてはとうに天下統一は果たされ朝鮮出兵も始まった頃で、さらに言えば秀吉が養子である秀次ひでつぐに関白の職を譲った後でもあった。

 しかし秀次が血縁とはいえ養子なのに対し、秀頼は実の息子。ここで親の情が暴走した秀吉は秀次から関白職を奪って自刃にまで追い込み、改めて幼い秀頼を自身の後継者に据えた。だが先程述べた通り、この時の秀吉はもう六十間近といつ死んでもおかしくない年齢である。そのため秀吉は伏見城に重鎮たちを集め、彼らに秀頼の後顧を頼んだのであった。

「口惜しい話だが、余が拾丸ひろいまる(秀頼の幼名)の成長を見届けることはないだろう。家康や。どうか独り立ちできるまで導いてやってくれ」

 秀吉が秀頼の第一の後見人に選んだのは秀吉政権の中核・五大老の筆頭であった家康であった。これに家康は力強く頷いた。

「太閤様のお言葉のままに」

 その言葉に喜色を浮かべた秀吉はもう一人後見人を指名した。それが家康の子、若き頃の秀忠であった。

「秀忠よ。年の近いお前はきっと拾丸の良き相談相手となってくれることだろう。一番近くで末永く支えてやってくれ」

「そのめい、身命を賭して果たしてみせます」

 秀忠もまた力強く頭を下げた。この時秀忠御年二十歳。そんな若侍に対して、天下を統一した御大将からの直々の命である。武士としてこれ以上心震えることもないだろう。

(必ずや若様をお守りして見せようぞ!)

 若き日の秀忠はこれこそが自分に与えられた天命だと心に強く刻むのであった。


 しかし戦国のことわりは非情であった。秀頼誕生から五年後の慶長三年(1598年)。秀吉が亡くなると、家康は早々に遺訓を無視して勢力の拡充を図る。これに同じ五大老の毛利輝元や宇喜多秀家、そして石田三成などが反発し起こったのが、世に名高い関ヶ原の戦いである。

 その結果は周知の通り、家康側が勝利したことにより天下は彼の手中に収められた。もはや幼い秀頼など物の数ではない。しかし家康はいきなり秀頼排除に動くような真似はしなかった。彼はあくまで今回の戦は三成らとの政治方針の対立によって起こったものであるとし、秀頼と敵対したわけではないという姿勢を取った。これは秀頼側も認めているところであり――認めざるを得なかったという面もあるが――関ヶ原後も家康と秀頼の親密な関係は続いていた。例を挙げれば秀頼はのちに家康の推薦で右大臣にまで昇格しており、また彼の正室には秀忠の娘である千姫があてがわれもした。

 そのような関係性であったため、一部では家康が秀吉の遺訓に従い彼の成長後に改めて将軍職を譲るのではないかと考える者もいた。歴史を知っている現代人からすると噴飯ものの話だが、当時の武将や外国人商人の日記などを見てみるとそれを期待していた層は一定数いたらしい。

 だがまもなくしてそんなわずかな希望すらついえることとなる。きっかけは秀頼が再建しようとしていた方広寺ほうこうじ――その鐘に刻まれた銘が徳川家を呪うものだと難癖をつけられたためであった。

 問題となった銘は『国家安康こっかあんこう』。この一文は『家』と『康』の字が分けて書かれており、これが家康政権の崩壊を願う呪詛の類ではないかと誤解された。世に言う『方広寺鐘銘事件』である。現代でも様々な解釈がなされているこの事件であるが、結果としてこれが豊臣と徳川とを決別させる最後の一手となった。

 これにより戦国時代最後の大戦――大坂の役が引き起こされることとなる。


 慶長二十年(1615年)、秀忠は決戦の地・大坂へと向かっていた。

(いよいよ殿を……、いや、右大臣様を討つのか……)

 大坂の役はいわゆる冬の陣と夏の陣の二つがあるわけだが、この時すでに一戦目の冬の陣は終わっていた。冬は兵糧などの問題から講和という形で決着がついたが、それから半年も経たないうちに家康は秀頼討伐を改めて決意。それに合わせて秀忠は本陣近くの河内国若江のあたりを進んでいたところである。

(まもなく父上の待つ本陣か……。到着すればすぐに決戦となるのだろうな。そうなれば右大臣様のお命も……)

 もはや天下はほとんど徳川のものとなっており、豊臣方に着いた者は数えるほどしかいなかった。加えて前の講和条約により大坂城の堀も埋め立てられている。一度決戦が始まれば落城まで数日もかからないだろう。

 それはつまり秀頼の命もあと数日であることを示していた。一度は主君と仰いだ者の死。それを思うと秀忠の歩みも自然と遅くなる。

(下剋上もまた一つの世の習い。しかし右大臣様を主君と仰いだのもまた事実。果たしてこんな逆賊のような真似を続けてもいいのだろうか?)

 もちろん今更天下の趨勢が変わることがないことは秀忠も理解している。しかしあの日、伏見城にて秀頼を守ると言った時の熱い思いは決して嘘ではなく、今でも鮮明に思い出せた。

 決して交わることのない二律背反。苦悩する忠長は、この時偶然護衛についていた宗矩にその思いを吐露した。

「宗矩よ。本当に我らは右大臣様を討たねばならぬのだろうか?かの方は恭順の姿勢は見せておるのだ。転封などでも構わぬのではないか?」

 だがこれに当時秀忠の剣術指南役だった宗矩は毅然と首を振った。

「並みの武将ならばそれでもよかったでしょう。しかし右大臣様はあの太閤様の御威光を受け継いだお方。仮に籠の中に押し込めたとしても、すだれの隙間から日が漏れ差すようにその御威光が漏れ出るはずです。そして光が漏れ出でる限り、その御威光を利用しようと企む奸臣も虫のように集まってくる。後顧の憂いを断つにはここで決着をつけるしかないのです」

 ちなみにだが宗矩が豊臣方に辛辣なのは、彼が初めから家康の配下であったことに加え豊臣政権とは土地を巡って一悶着あったためであった。宗矩からすれば豊臣方にくみする理由はどこにもない。しかしその一方で若き主君・秀忠の苦悩も理解できた。

「心中はお察しいたします。……いえ。某などでは計り知れぬほどの複雑な胸中なのでしょう。ですがのちの太平の世のためにも、心に修羅を宿して戦ってくださいまし」

「戦う……。戦って、かつて忠誠を誓った相手を屠れと申すか?」

「それは……」

 確かに戦国の習いとはいえ、かつて主君と仰いだ者を亡ぼすとは慈悲のない話である。その先に天下泰平の世があると言われても、にわかには信じられないだろう。

 それでも秀忠には先に進んでもらわねばならない。どうやって説得すればいいのだろうかと宗矩が頭を悩ませていると、不意に陣の近くで鬨の声が上がった。

「うぉぉぉぉぉぉぉっ!」

「な、何事だ!?」

「て、敵襲!豊臣方の奇襲にございます!」

「なにぃ!?」

 敵襲の報告と共に陣幕の外から交戦の音が聞こえてきた。どうやら敵はかなり近くに潜んでいたらしい。また捨て身の覚悟からか勢いもあるようで、このままでは突破されかねないと、宗矩は刀を取ってすぐさま立ち上がった。

「殿はここにいらしてください!某が打って出ます!」

 そう言って飛び出した宗矩は鬼神が如く奮迅し、まもなくして奇襲部隊を撃破した。そして返り血と共に戻ると、改めて秀忠の前に膝をついた。

「これが戦場にございます。命は誰彼の差なく平等で、油断すればすぐに失ってしまう。たとえそれが若様であってもです」

「そ、それはわかってはいるのだが……」

「右大臣様も若様のことは憎からずお思いになっているいることでしょう。ですが残念なことに豊臣の御大将として生まれてしまった身。かの方はその天命に従っておられるのです。ならば若様も徳川の御大将としてそれに応えることこそが、右大臣様に対する一つの忠義ではかと存じ上げます」

「天命……。一度は守ると誓った相手に、情けをかけることも許されぬというのか……!」

「……情けをかけるにしてもせいぜい千姫様までかと。それ以上はむしろ相手方への侮辱にもなりかねません」

「………………。そうか……。もうそれくらいしかできることはないのか……」

 己の限界を悟ったのか秀忠はがっくりとうなだれる。しばらく彼はそうしていたが、まもなくして再度顔を上げた時、彼の顔は若いながらも一人の大将の顔になっていた。

「……何ともむごい道だ。しかしこれが私の天命ならば、それに従ってやろうではないか」

「お供いたします、若様」

 こうして覚悟を決めた秀忠は家康と合流し、共に大坂城を攻め立てた。そして慶長二十年(1615年)五月七日深夜。大坂城大台所より出た火は城全域にまで広がり、ついには落城となる。これにより戦国時代は終焉を迎えた。

 秀忠は主君殺しの対価に、長い太平の世を手にいれたのであった、


「右大臣様を討ってからもう十四年か……。遠い昔のような気もすれば、ついこの前のような気もする。不思議なものだ……」

 時は戻って寛永六年(1629年)、江戸城・西の丸。秀忠はしばらく在りし日を思い出しながら目を伏せていたが、面を上げた時には目付きの鋭い厳格な御大将の顔になっていた。

「当時は若く色々と思うところもあった。しかし今となっては断言できよう。天下を一つにまとめるには仕方のない犠牲だったとな。そしてそんな犠牲はこれからも必要となってくる」

「……っ!それが御子息であられる大納言様だとおっしゃられるのですか?」

「唐の名君・太宗も、時には非情に身内を切り捨てることで長い繁栄の礎を築いた。無論心が痛まぬわけではないが、変わらぬ太平のためならばきっと忠長も理解してくれることだろう」

 つらつらと語る秀忠の口調に躊躇いや後ろめたさは微塵も感じられなかった。この自信を支えているのはおそらく彼の成功体験だろう。秀頼に忠輝、その他名もなき将兵たち……。多くの犠牲の上に太平の世を築いてきた秀忠だからこそ、これほどの確信を持って言えるのだ。

 そんな強固な意志をこの場で覆すことはできないだろう。利勝は悔し気に奥歯を噛みしめながら頭を下げた。

「……少しばかり考える時間をいただきたく存じ上げます」

「構わぬ。急な話だったからな。落ち着いて考えるといい」

 せめてもと時間稼ぎのような発言をする利勝。これを秀忠は気に留めることもなく了承した。その余裕は最終的に自分の意見が通ることを確信しているためだろう。

 実のところその見立ては正しい。いったい誰がこれほどまでに強固な秀忠の意志を崩すことができようか。

 結局その後は誰も発言することなく、崇伝によって事務的な注意事項の確認がなされたのち、この場は解散となるのであった。

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