植田与六郎 追手に狙われる 1

 姫路にて合流した与六郎と弥彦郎は追手の目をかいくぐり、海路を使ってどうにか大坂まで戻ってくることができた。

 しかし残党たちの実力は未知数のため柳生庄に着くまでは油断はできない。とりあえず二人は与六郎の長屋に移り、これからのことを話し合うことにした。


 長屋に帰った与六郎は早速現状確認とこれからの予定について弥彦郎と話し合った。

「早速だがまずは状況を整理しておこう。初めにお前だが、お前の目的は残党たちの情報を売るから柳生家に身柄を保証してほしいということで間違いないな?」

「ああ、そうだ。あいつらは短絡的で向こう見ず過ぎた。はっきり言ってもうほとほと愛想が尽きたんだ。寄らば大樹ってやつさ」

 弥彦郎の目的は残党たちの情報と引き換えに自信の安全を確保することであった。その尻軽さに与六郎は一瞬軽蔑するような目を向けたが、これもまた一種の処世術なのだろうとすぐに表情を戻し話を続ける。

「そのことだが本当に柳生庄にまで向かうつもりか?追手の件もあるし、決して安全な道のりではないぞ」

「そりゃあわかってるが、それじゃあどうしろってんだ」

「この場で俺たちで取引するというのはどうだ?つまりこの場でお前が情報を渡してくれれば、こちらもそれに見合っただけの報酬を出そう。その後は好きな場所に行くといい。下手に目をつけられている柳生庄に向かうよりははるかに安全だと思うぞ」

 与六郎が出した案は柳生庄をあきらめ、この場で持っている情報を吐きだしたらどうだというものだった。彼としては柳生家に弥彦郎のような落伍者を引き渡したくなかったのだろうが、弥彦郎はこれを頑として断った

「おいおい。はした金渡して厄介払いをしようったってそうはいかねぇぞ。俺も柳生家も馬鹿共に狙われているのは同じ。同じ敵を持つ者同士、手を取り合うのはおかしな話じゃないだろう?」

 どうやら弥彦郎は未だ柳生家が本気で自分の持つ情報を欲していると思っているらしい。

(馬鹿な奴だ。裏切り者の持つ情報なんぞすぐに更新されているだろうに。……まぁいい。連れていく利点がないわけではないからな)

「わかった。そこまで言うなら当初の約束通り柳生庄へと連れていこう」

 与六郎がこう言うと弥彦郎は満足げに口角を上げた。

(ふふふ。やはりこいつらは俺の情報が喉から手が出るほどに欲しいようだな。これなら交渉次第ではかなり引き出せるかもな)

「それで柳生庄にはいつ頃向かうのだ?まだ日は高いぞ。町を出ようと思えば出れるんじゃないか?」

 現在の時刻は昼の八つ半で日没まではあと三時間ほどあった。今日の午前がひたすら船旅だったため、次の宿場に向かうだけの体力も十分に残っていた。しかし与六郎はこれに首を振る。

「ダメだ。追手が街道の方に張ってる可能性があるからな。一応の安全が確保されるまではここに留まるのが最善だ」

 残党たちは柳生家と山中屋との関係を知っている可能性があった。それはつまり海路を使ったこちらのルートを向こうが把握しているかもしれないということだ。いかに与六郎であっても待ち伏せされて多勢に無勢で来られたらタダでは済まないだろう。

「とりあえず今日はここで待機して、街道の偵察に出た者たちの報告を待つ。できれば最短距離で向かいたいが、それはまぁ報告次第だな」

「最短距離……。ということは『南都道なんとどう』だな?」

 弥彦郎の質問に与六郎は短く「ああ」と頷いた。


 南都道。現代では『暗越くらがりごえ奈良街道』の名で知られている、大坂から奈良へと至る街道の事である。

 この道は古くは奈良時代に整備された街道で、その特徴は当時の政治・産業の中心地――大坂・難波と奈良・平城京を可能な限り最短距離で結んだ道であったということだ。具体的には大坂・玉造たまつくりを起点に東進し、生駒山地の暗峠くらがりとうげ榁木峠むろのきとうげを越えて奈良市街地に入る街道である。

 その利便性からこの時代でも多くの人が利用しており、それに比例してよく整備もされていた。大坂から奈良へと向かうならまず第一に候補に挙げる道である。それゆえに残党らが目をつけていたとしても何らおかしな話ではない。

「やっぱり待ち構えていると思うか?」

「まぁ楽観視はしない方がいいな。向こうが山中屋を知っているならば、大坂からまっすぐ大和に行ける南都道は押さえないわけがないからな」

「だよなぁ……。やっぱり見つかれば一戦交えることになるのか?」

「そこも何とも言えないな。強いて言うなら向こうがどれだけ本気でお前を殺したがっているかに寄るだろう」

 南都道は古くから栄えていた街道なだけあって、御公儀の監視の目も厳しい街道だった。そんな場所で刃傷沙汰を起こせば高確率で捕らえられてしまうことだろう。果たしてそんな真似を、これから江戸や柳生家に復讐しようとしている連中がするだろうか?

(どう考えてもこいつは向こうの本命ではない。とはいえ絶対に襲ってこないとも言い切れない。なにせこんな時代に江戸に弓を引くような連中だからな。普通の頭はしていないと思った方がいいだろう。……まったく、これだから牢人連中は嫌なのだ)

 与六郎がそのようなことを思っていると、ふと長屋の戸がトントンと叩かれた。


 誰かが唐突に与六郎の長屋の戸を叩く。

 弥彦郎はすわ追手がやってきたのかと顔を青くしたが、与六郎は戸を叩く音の具合から誰が来たかを察した。

綱二つなじ殿か?」

「はい。ただいま街道の偵察より帰ってまいりました。入ってもよろしいでしょうか?」

「うむ、入ってくれ」

 与六郎の許可を受けて長屋に入ってきたのは牢人風の格好をした恰幅のいい二十代後半あたりの青年だった。この男は綱二という与六郎の部下で、南都道の調査を任されていた男である。綱二は小汚い格好とは裏腹に、きっちりと膝をついて丁寧な口調で偵察の報告を行った。

「ご指示の通り、大坂から暗峠までの道を偵察してきました。道中の茶屋や無頼らに話を聞いたところ、やはり見知らぬ牢人徒党を見かけたとのことでした」

「ふむ。出羽守の残党か?」

「断言はできませんが、左手のない牢人に心当たりはないかと聞いて回っていたとも聞いております」

 そう言って綱二はちらと左手を失った男――弥彦郎を見た。そんな人物を探している牢人など坂崎家の追手以外居ないだろう。

「やはり追手は街道の方に回ったか。しかしそうなると困ったな。やつらはどれくらいの人員で道を押さえている?」

 向こうの見張り次第では大きく迂回することも考えなければならない。だがこれに綱二はそれほど気にする必要もないだろうと返した。

「そのことなのですが、奴らを見かけた別の者の話によりますと、奴らは数人を残して大半が峠を越えていったと聞いております。おそらく本命の柳生庄攻略に向かったのかと」

「む……。そのことを三厳様たちには?」

「手の空いていた者を一人走らせました。柳生庄は以前より警戒しておりましたので手遅れになるということはないでしょう」

「ふむ……」

 綱時からの報告を聞いた与六郎はしばらく思案したのち、弥彦郎の方を向いて問いかけた。

「というわけだがどうする?東はこれからきな臭くなりそうだが、それでも柳生庄へと向かうか?」

「そ、それは……」

 返答に詰まる弥彦郎。実はこの時彼は思わぬ苦境に立たされていた。というのも、ここでじっとしていたら交渉相手がいなくなるかもしれないからだ。

 まず当然だが柳生家がなくなれば自分を保護してくれる対象がいなくなる。そうするとこの先誰の庇護もないまま生きていかねばならない。残党たち追手も自分一人で対処しなければならなくなる。

 その一方で残党たちが負けても、それはそれでこちらの立場がなくなる。なにせ彼の計画は柳生家にとって価値がある(であろう)残党たちの情報を売ることで成立するものだったからだ。その残党たちがいなくなれば交渉の場自体がなかったことになってしまう。

 つまり弥彦郎としては両者の決着がつく前に自分の持つ情報を売り切らなければならない。しかしその柳生庄までの道中には残党たちが出張ってきている。彼らに見つかれば物のついでに殺されてしまうかもしれない。

(くっ!どうする?火中に飛び込むだけの価値があるのか?だがはした金を貰ったところで今更帰れるようなところもないし……)

 悩む弥彦郎に与六郎が声をかけた。

「もし危険だと思えば先程提案したように情報だけ俺が買ってもいいが、どうする?」

「ばっ、馬鹿言うな!どうせ二束三文で買いたたくつもりだろうが!行くよ!行くに決まってんだろう!」

 半ば売り言葉に買い言葉で柳生庄に向かうと口走った弥彦郎。彼は一瞬自分の軽率な決断に青くなったが、すぐに開き直って自分の決定を強調した。

「そうだ、孝蔵なんて屁でもねぇ!あの馬鹿共に一泡吹かせてやるんだよ!」

 鼻息荒くする弥彦郎を横目に、綱二は小声で与六郎に尋ねた。

「よろしかったのですか?もはやたいした情報など持っていないでしょうに」

「わかってるさ。ただ上手くいけば他の裏切りを誘発できるかもしれないし、それに残党らへの陽動になるかもしれないからな。それより綱二殿は明日は何か用事があるか?俺一人では不安だから護衛と案内役を頼みたいのだが……」

「与六郎様のご指示ならば喜んで」

 深々と一礼する綱二。こうして与六郎は弥彦郎と綱二を率いた三人で柳生庄へと向かうこととなった。


 翌日、与六郎ら三人は日が十分に上ってから長屋を出た。

 彼らが朝一で出発しなかったのは残党たちの監視がないか確認するためであった。そして部下の報告によると今のところそれらしき牢人は見ていないとのことだった。

「よし。今なら安全に町から出られるようだ。だが油断するなよ。いいか?顔だけじゃなくその左手も隠すんだぞ。向こうがどれだけの人員を割いているかわからん以上、見つかったら絶体絶命だと思え」

「わかってるって。心配性だな。こんな格好してるんだ。そうそう見つかりやしないって」

 弥彦郎の言った『こんな格好』とは武士風の旅装束のことであった。これは修験者装束の代わりに綱二が夜のうちに用意したもので、一牢人が着るには惜しいなかなか仕立てのいいものだった。

 これに対し与六郎と綱二は若干質素な旅装束を着込んでいる。これは彼らの自前の品というのもあるが、あえて弥彦郎だけ質のいいものを着せることで彼がこの中で一番格上だと錯覚させる目的もあった。これにより何かあったとき弥彦郎が何もしなくても、周囲の人たちは「あぁこの人は気位の高い武士で、面倒事は部下に任せているんだな」と勘違いさせることができる。つまり顔や左手を隠し続けても不自然ではなくなるということだ。

「……まぁやるだけのことはやったんだ。あとはなるようになることを祈るしかないか。では行こうか、二人とも」

 与六郎の言葉に綱二と弥彦郎はそれぞれ「承知いたしました」、「おう」と言って返事をした。

 こうして出立した一行は大坂城を左手に望む玉造の大通りを真東に進み、そのまま道なりに町を出た。道はかつての政治・文化の中心地をつないだ街道・南都道。現在でもつかわれている主要な街道なだけあってよく整備されており、行きかう人も多かった。

「結構人がいるな。これならあいつらも俺を見落とすかもな」

「気を抜くな。紛れることができるのは追手も同じ。気付かれぬよう前を見てさっさと歩け」

「へいへい。すみませんねぇ」

 どうやら弥彦郎は護衛がついていることで気が大きくなっているようだ。それまで一人で逃げ回っていたことを考えると致し方なくもあるが、対する与六郎は過剰な信頼に軽い危機感を覚えていた。

(相手の実力が未知数な以上、こいつが思っているほど楽な状況ではないのだがな……)

 だが警戒する与六郎の思いとは裏腹に出発から数刻後、彼らは特に問題なく生駒山地の峠・暗峠くらがりとうげのふもとまでたどり着くことができた。一行はふもとの茶屋で遅めの昼食を取る。順調な旅路に満足げだったのは弥彦郎である。

「ふぅ。意外と何事もなくここまで来れたな」

「ああ。だが油断するなよ。暗峠はその名の通り、草木で日光が遮られているため日中でも見通しが悪い。奇襲をするならもってこいの場所だ」

「へぇ、そうなのか。だがこんなに人がいる中で襲ってきたりするかねぇ」

 春先ということもあって峠のふもとにはそれなりの数の旅人が行きかっていた。その外見も武士、飛脚、行商人、修験者と様々で、この中から求める一人を見つけて襲うのは確かに骨が折れることだろう。

(まぁ今日は確かに人が多くて襲撃日和ではない。だがこの先に襲いやすい場所があっただろうか?)

 与六郎は襲われるならこの峠を越えるまでにだと思っていた。しかしそれらしい気配がないまま一行は峠の中腹にまで来ていた。


 彼らが行く暗峠は標高約450メートルの峠道で、急勾配で有名な峠であった。もちろん忍びである与六郎や綱二ならばたいしたことのない峠道だったのだが、今回は弥彦郎がいる。一行は彼のためにどうしても所々で腰を下ろして休憩せざるを得なかった。

「わ、悪いな……。まさかここまで急だとは思ってなくってよ……」

「いいから息を整えろ。このくらいなら初めから折り込み済みだ」

 弥彦郎のことを面倒だと思っていた与六郎であったが、さすがにこの峠道では彼に同情していた。なにせこの暗峠は急勾配に加えて道の脇にヒノキやスギが生い茂っており、それが日光を遮って昼間であっても足元がはっきりしないくらいに暗いのだ。並の旅人でも苦労するのに、左手を失った弥彦郎にそれ以上を求めるのはあまりに酷だろう。

「道は長いんだ。下手に急いで怪我をされる方が困る」

「お、おう……。ありがとうよ……」

 そんな休憩の三回目の時だった。一行は肩で息をしている弥彦郎を真ん中に座らせ与六郎と綱二で彼を挟んで前後を警戒していたのだが、ここでふと綱二が近付き小声で話しかけてきた。

「与六郎様、間違いありません。つけられております」

 与六郎は綱二の方に顔を向けずに「数は?」と尋ねた。

「三人です。格好は粗末な旅装束で、一町ほど距離を取ってついてきております」

「一町……。大分離れているな。ただの監視か?」

 一町とはおおよそ100メートル強の距離である。襲撃を企むような距離ではないし、ただの尾行にしたって遠すぎる。

「どうも気付かれないことを第一にしているようですね。おそらくですが先を行く本隊との合流を図っているのではないでしょうか?」

「本隊!そうか、それがあったんだ」

 与六郎は昨日受けた報告の中に『徒党の大半は峠を越えていった』というのがあったのを思い出した。つまり彼らの作戦は与六郎たちを本隊近くにまで泳がせたのち、ちょうどいいところで連絡を取り合い挟み撃ちを仕掛けるつもりだったのだ。なるほどこれなら少人数で与六郎たちを襲わなくて済むし、襲撃後そのまま本隊と合流することができる。与六郎も思わず「上手いことを考えるものだ」と相手の作戦を褒めた。

「いかがなされます?逆にこちらから仕掛けてみますか?」

「うぅむ……。それも悪くはないが、向こうの方が数が多い上に護衛しながらだとな……」

 しばらく考えたのち与六郎はこのまま何も気付いていない振りをして進むことに決めた。

「このまま行ける所まで行ってみよう。上手くいけば前を行く本隊を引き付けることができるかもしれないしな」

「承知いたしました」

 方針を決めた二人はそのまま何も知らずにいる弥彦郎と共に峠を行く。そしてその後二度の休憩を経たのち、彼らは峠の最も高いところまでたどり着いた。彼らの眼前に生駒谷と矢田丘陵、そして大和の広い平野部が広がる。

「おぉ!ようやく峰か!そして大和か!」

 感嘆する弥彦郎。だが彼は未だ知らなかった。背後一町ほどのところに自分を狙う鋭い瞳があるということを。

 そんな弥彦郎に対し与六郎はさりげなく「まだ道は長いのだぞ」と忠告した。

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