柳十兵衛 怪しい術の出所を探る 4
雅行の協力によって目的の屋敷への潜入に成功した十兵衛と与六郎。屋敷内を探索する二人はやがて怪しげな、神社の本殿を思わせる建物を発見した。
おそらくここが不審な術の発生源だと見抜いた二人は潜入を試みるが、中にいる者に気付かれずに忍び込むのは難しそうだった。
そこで十兵衛は自分が囮となることを提案した。十兵衛は母屋の方で一騒動起こし、油断していた武士たちを庭へとおびき寄せた。
時刻は夜更けの九つ(午前零時頃)になろうかという頃。
屋敷内で上手いこと騒動を起こした十兵衛は、つかず離れずの距離で駆け回り警護の武士たちを庭に集めていた。
(さて、何人くらい出てくるだろうか……)
武士たちとは言ったが、こんな小さな屋敷に五十人も百人も詰めているなんてことはないだろう。向こうも目立ちたくないことを考えれば、おそらくここにいるのは多くても十五人。少なければ十人以下でもおかしくない。実際屋敷の中で騒いでいる気配の数はそのくらいであった。
「奥座敷の方に賊が忍び込んだ!全員起きろっ!」
「賊は庭の方に逃げたぞ!松明を持ってこい!」
「こっちだ!絶対に逃がすんじゃねぇぞ!」
(さて、これは……二手に分かれたようだな)
深夜ということもあり敵の動きは音で把握できた。どうやら敵は十兵衛を追う班と、武器や松明を取りに行った班とで分かれたようだ。
そして十兵衛を追っていた班は庭に出るやさらに二つに分かれる。
「健三!三四郎!お前たちはお堂の方に行け!賊は囮で向こうが目的かもしれんからな!」
「はっ!」
なるほど向こうにも頭が回る者がいるようだ。指示を受けた二人が迷わず例の本殿風の建物へと駆けていく。これにより与六郎には少し負担を強いてしまうが、一方であの建物が重要地点であることが確定した。これで十兵衛は時間稼ぎに専念できる。
(まぁ与六郎ならば問題ないだろう。こっちはこっちの仕事をするだけだ)
十兵衛はそのまま走って囲いを越えることもできたが、あえて庭の中央で立ち止まった。その後すぐに武士たちも追いつき、警戒しつつ扇状に広がり十兵衛を囲もうとする。その数は五人。
(五人か。灯を取りに行った者たちもいたから、それも加えれば八人というところか。さて、こいつらはどのくらいやれるのかな?)
一対五の構図であったが、時間稼ぎが目的ならばそれほど絶望的な人数差でもない。要はやりようである。
十兵衛は先程屋敷から拝借した刀をゆっくりと抜き、それを体の後ろに隠すように構えた。脇構えの構えであった。
騒動を起こし屋敷の警備を引き付けた十兵衛。一方その頃与六郎は、騒ぎの伝播に合わせて本殿へと潜入し、すでに小部屋の一つに身を潜めるに至っていた。
(十兵衛様はうまく敵を引き付けられたようだ。だがあまり無理はさせられん。早急にお役目を果たさなければな)
与六郎に与えられた任務はこの建物に忍び込み、中で行われているであろう忠長を狙った術式の証拠を得ることであった。そのためにはもう一つ深いところに忍び込む必要がある。
中に入ってわかったことだが、この建物は中央に十八畳ほどの大きな座敷があり、その周囲を廊下や小部屋で囲んだ造りとなっていた。おそらく初めから何かの儀式用に建てられた建物なのだろう。
となると本命はやはり中央の大座敷なのだろうが、しかし与六郎はまだそこには忍び込めていない。座敷の中にいる人たちが外の騒動を聞きつけ、警戒しているためである。
「いったい何だってんだ。外で何が起こっている!?」
「まさか城の連中がここに気付いたのか?」
「どうする?ここでじっとしていていいのか?」
不安そうな声はすべて座敷の中より聞こえてくる。おそらく忠長に術をかけていた術師たちだろう。彼らが敏感になっているうちは戸を開けて中に入るなんて真似は出来そうにない。
(かといって時間をかけてしまえば、その分十兵衛様が危険に晒されてしまう。さて、何かきっかけがあればいいのだが……)
打つ手がなくなっていた与六郎であったが、急いては事を仕損じる。落ち着いて深呼吸をし好機を待っていると、ふと外からこちらに向かって駆けてくる気配がした。
気配の主はやがてこの建物前までやってきて、戸をドンドンと乱暴に叩いた。
「熊!無事か!?」
これに反応したのは建物内で警備をしていた武士である。彼は小さく戸を開けて外の様子を尋ねた。
「こっちは大丈夫だが、これはいったい何の騒ぎだ?」
「どうも賊が出たらしい。書庫のあたりを漁っていたそうだが、もしかしたらそっちが狙いかもしれない。念のために事態が収束するまで誰も入れるなよ」
「賊だと!?しょっ、承知した!そっちも気を付けろよ」
そう言うと警備の男は戸を閉めて、念入りに
「あー、皆聞いてくれ。先程屋敷の方に賊が出たらしい。もしかしたら敵の狙いはこちらかもしれないから、皆は落ち着いて……」
(よし、今だ!)
中の術師たちが男に注目する気配がした。これを好機と見た与六郎は急いで座敷の反対側に回り込み音もなく忍び込むと、そのまま素早く天井に登り、梁の陰に身を隠すことに成功した。
(よし。誰も気付いていないようだな。ここなら簡単には見つからないだろうし、部屋全体が良く見える。そして……どうやら当たりのようだな)
中央の座敷は十八畳ほどの板張りとなっており、そこには呪術的な道具が並べられていた。例えば境界を表すための
それらはすべて与六郎にとってちんぷんかんぷんなものであったが、そこは大した問題ではない。術の分析は分析できる者がすればいい。自分のお役目はこれを書き写し、しかるべき人に届けることである。
与六郎は紙と筆を取り出すと、目についたものを片っ端から記録していった。
さて、所変わって改めて庭先の十兵衛。彼は脇構えの態勢で敵の武士たちを牽制していた。
脇構えは左足を前に出し、刀を寝かせて胴体の後ろに隠すようにした構えである。正眼の構えと比べると手元の自由度に乏しいが、その分足が使いやすく、また相手から見て刀身が隠れているため踏み込みをためらわせる効果も期待もできた。今回のような複数人を相手に時間稼ぎをするにはちょうどいい構えと言ってもいいだろう。
事実敵の武士たちは十兵衛の異様な雰囲気に圧され、それ以上近付けずにいた。
「くっ!何者だ、お前は!?名を名乗れ!」
このあたりでもう敵の武士たちも十兵衛がただの盗人でないことを感じ取っていたようだ。しかしだからと言って十兵衛が馬鹿正直に名乗る義理もない。十兵衛は適当にうそぶいて時間を使う。
「そうカッカしないでくださいな、お侍さん。私はしがない旅人。ちょっと道に迷ってうっかり屋敷に入ってしまっただけでさぁ」
「つくならもっとマシな嘘をつけ。この世のどこに迷っただけで高い壁を越えて座敷に忍び込み、物を漁る旅人がいようか」
「まさか私が盗人だとでも?そりゃあ勘違いですよ、お侍さん。私はまだ何も盗んでいない。盗んでいないなら盗人じゃあないでしょうよ」
「減らず口をっ!」
のらりくらりとした十兵衛の返答に業を煮やしたのか、中央の武士が刀を高く上に上げた。それは上段よりもさらに高い、まるで天に突きささんばかりに腕を真っすぐ伸ばした構えであった。
(む?なんだ、あの構えは?)
この不思議な構えに十兵衛も一瞬気を取られるが、実はこれは囮であった。次の瞬間、最右翼に位置していた武士が十兵衛に向かって素早く寸鉄を投げてきた。左足を前に出していた十兵衛にとっては、やや死角となる位置からの攻撃である。
「っ!?」
気配を察した十兵衛は間一髪でこれをかわす。しかし当たりこそしなかったが、この一撃は彼らの練度の高さが垣間見えた一撃であった。
(こいつ、打ち合わせもなしに死角からっ!?)
今の囮を使った連携攻撃は何の打ち合わせもなしに行われた。それはつまり、かねてよりこういった事態を想定して訓練をしていたということである。このご時世にここまで実戦的な訓練をしている武士は珍しい。それだけ本気でこの場所を守っているということなのだろう。十兵衛はこれは楽な仕事ではなさそうだと認識を改める。
一方攻撃をかわされた敵方だが、こちらはこちらで十兵衛に対する警戒を強めていた。
「今のをかわすか!やはりただの盗人ではないな!?」
自信のあった攻撃をかわされ、ただの賊ではないと改めて警戒する武士たち。彼らは口には出さなかったが、十兵衛の背後に強大な権力者の影を感じ取っていた。
(誰が送り込んできた刺客だ?駿府からか?江戸からか?……なんにせよ絶対に逃がすわけにはいかなくなったぞ!)
互いに楽な相手ではないと悟った一行。そこに武器を取りに行っていた武士が合流する。
「無事か、お前ら!?」
「おぉ、
「だろうな。よし、お前ら、逃がさないようにきちんと囲んどけよ!」
そう言うと正蔵なる男は槍をまっすぐ十兵衛に構えた。これに他の武士たちは素直に従う。どうやら彼がここで一番の実力者のようだ。
(チッ、新手か。しかも槍とは、厄介な!)
まだ騒ぎを起こしてから十分と経っていない。与六郎のためにも、あともう少しばかりここで踏ん張る必要がある。つまりはここが正念場ということだ。
十兵衛はふぅと息を吐き、改めて刀を握りなおした。
囮役として警護の武士を引きつけていた十兵衛。そこにおそらくここで一番の実力者であろう男、正蔵なる者が槍を持って合流してきた。
「さあ、来い!」
正蔵は身の丈六尺(約180センチメートル)を越える、この時代にしてはなかなかに巨躯な武士であった。そんな彼が十兵衛の正面に立ち槍を構える。間合いは一丈弱(約3メートル)。その姿は堂に入ったもので、十兵衛も思わず息を呑んだ。
(こいつ……出来るな……!)
男の得物は穂先が一尺強(約30センチメートル)、全体が六尺(約180センチメートル)の取り回しのしやすい小型の素槍で、構えは左手・左足を前に出した一般的な構えであった。
ちなみに十兵衛も脇構えで左足を前に出していたため、図らずも同足の構えとなる。同じ足を前に出していると呼吸が読みやすくなる半面、不意打ちなどがしにくくなるのだが、果たしてそれが吉と出るか凶と出るか……。
十兵衛は重心を下げ、一気に集中力を高めた。
「……」
「……」
両者はしばらく月明かりの下で睨み合っていた。しかし十兵衛が動かぬと見るや、正蔵はじりじりと間合いを詰め始める。時間稼ぎをしたい十兵衛は下がれないかと一瞬背後を見るが、後ろにはすでに他の武士が構えていたためこれ以上下がることは出来そうにない。
仕方ないと十兵衛は左足に体重をかけて、今にも飛び掛からんばかりの剣気を飛ばす。正蔵はこれを見て一瞬足を止めたが、すぐにハッタリだと気付いてなおも間合いを詰めてきた。
(やはり実戦慣れしているようだな)
正蔵だけではない。囲んでいる周りの武士たちも、いつでも追撃できるだけの体勢はとっていた。一瞬たりとも隙を見せられぬ中、早くも正蔵が間合い内に入ってきた。
そこからの攻撃はまさに石火のごとき速さであった。正蔵は間合い内に入るや、余計な駆け引きなど全くせずに迷わず槍を伸ばしてきた。
「はぁっ!」
「くっ!」
正蔵の攻撃は単純明快――槍の先端が相手に届くと見るや、素直に突きにいくというものであった。いたって単純、それゆえに対処は難しい。
槍対策の基本は柄を破壊するか懐に飛び込むかの二択であるが、ギリギリの間合いのせいで柄をつかむことができず、また正蔵の攻撃は素直に胴体の中心部を狙ってきているため攻撃に合わせて前に踏み込むことも困難であった。
しかも仮に踏み込めたところで、その程度は向こうも対策済みである。
(今だっ!)
「甘いわっ!」
何度目かの攻防で上手いこと噛み合った十兵衛は、槍の内側に一歩踏み込むことに成功した。その勢いのまま相手の懐に飛び込もうとしたが、そこは向こうも巧者。正蔵は落ち着いて二歩下がり、そして一歩強く踏み込んで相手を寄せ付けぬような薙ぎを繰り出した。
(っ!上手い!デカい顔をするだけのことはある!)
なまじ踏み込んでいた十兵衛はこれは危ないと大きく飛び退く。そして着地と同時に飛んできた二つの寸鉄を、一つは避けて一つは刀で弾いた。
キィィィン
寸鉄を弾かれた武士が悪態をつく。
「くそっ!これも弾くか!」
しかし十兵衛は十兵衛で「クソッ」と吐き捨てたい気持ちであった。
(クソと言いたいのはこっちだ!こいつら、思ってた以上に訓練されていやがる!)
周囲を囲んでいる武士たちは単なる逃走防止用ではなく、彼らは彼らでしたたかに十兵衛を狙っていた。幸いなのはこの暗がりの中で同士討ちを避けるために積極的に攻勢に出てこないという点だが、それもいつまで続くかはわからない。
(さて、どうする?いっそ全力で逃げに徹するか?)
そろそろ騒動を起こしてから十五分といったところだろうか。打ち合わせでは間もなく与六郎が仕事を終える頃だが、未だその合図はない。そして時間が味方をするのは十兵衛側だけではなかった。
ふと見れば、母屋の方から煌煌とした光が四つほどこちらに向かってきていた。
「待たせたな!松明だ!」
「よし!囲んで照らせ!」
正蔵たちに合流したのは松明を用意していた一団であった。彼らが松明を持って四方に立つと、庭は一気に互いの顔が見えるほどに明るくなった。これによりいよいよ周囲の武士たちも戦闘態勢に入る。
(くっ!これはマズいか!?)
さしもの十兵衛も敗北を予感する、まさにその時であった。
パン!パン!パン!
唐突に本殿風の建物の屋根からパンパンと激しい破裂音が響いた。
パン!パン!パン!
「な、何だこの音は!?どこからだ!?」
夜の静寂を穿つ無数の破裂音。唐突に響く怪音に慌てふためく正蔵たちであったが、十兵衛はこれが何かを知っていた。
音の正体は
(でかした、与六郎!)
そうとわかればもうこんなところに用はない。十兵衛は彼らがひるんだ一瞬の隙を突いて囲いの方に向かって駆けだした。
「はっ!ダメだ!そいつを逃がすな!」
正蔵らは逃げ出す十兵衛に気付いたものの、一歩の出遅れは致命的であった。距離を取って囲んでいた武士たちは十兵衛に追いつけず、唯一止められるであろう進行方向上の武士も片手に松明を持っているため応戦のしようがない。
「と、止まれ!止まらんと切るぞ!」
一応警告こそしたものの、そんなものが通じるはずもなく、十兵衛は迷わず正面の敵に向かって鞘を投げた。
「ぬおっ!?鞘だと!?」
予想外の攻撃に、男は思わず飛んできた鞘を手で受ける。これにより一瞬ではあるが両手がふさがってしまう。その瞬間に合わせて十兵衛が刀を振るう。
「ひぃっ!?」
きらめく白刃。男は思わず切られたと思い目をつぶるが、十兵衛の狙いは彼が持っていた松明であった。
十兵衛が切り落とした松明は地面に転がり、無数の火の粉を舞い上がらせた。これにより十兵衛を追っていた後続たちが一瞬ひるんでしまう。
その間に十兵衛は、今度は刀を囲いに向かって投げつける。投げられた刀は真っすぐに板張りの囲いに突き刺さり、乗り越えるための足場となった。
「し、しまった!壁を越えさせるな!追え!追えっ!」
騒ぐ正蔵たちであったが、二歩も遅れれば追いつけるはずもない。十兵衛は刀を踏み台にして軽やかに跳躍すると、あっという間に囲いの向こうへと消えていった。
「し、しまった……!」
正蔵たちも急いで囲いを越えるが、その先に見えたのはどこまでも広がる深い夜闇であった。十兵衛の姿はもちろん、どの方向に逃げたかすら見当もつかない。
「ど、どうする?駿府の城下町まで追ってみるか?」
「いや、顔がわからん以上追いかけても無駄だ……。それよりも一刻も早く江戸に報告せねば……!」
曲者には逃げられ、その素性もわからずじまい。口惜しさと自分への情けなさで奥歯を噛む正蔵らであったが、今はそれを悔やんでいる暇はない。最悪の事態を想定して次の一手を打たねばならぬ。
彼らは十兵衛たちの追跡を諦め、証拠の隠滅と江戸への報告のため、急ぎ屋敷へと戻るのであった。
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