柳十兵衛 邂逅する 3
三河国・吉田宿を少し超えたあたりで十兵衛一行は牢人の集団に囲まれた。
(出会う可能性はあるとは思ってはいたが、よもやこんな機に来るとはな)
彼らは十兵衛を指して「柳生三厳だ!」と言って囲んできた。老中の使いが言っていた、三厳を討って名を上げようと目論む牢人の一派だろう。数は九人。彼らは街道の前後に広がり十兵衛たちが逃げられないように立ち並んだ。
十兵衛らは身構えるが面倒なことに十兵衛らが対処すべき相手はこの牢人たちだけではない。現在十兵衛たちは推定尾張の手の者に監視されている最中だった。
(まったく、なんて間の悪い連中なんだ。こっちは下手な真似などできないというのに)
江戸と尾張の関係は決して良好とはいえず、またここ三河は尾張の隣国である。下手に立ち回れば尾張側に拘束・取り調べの口実を与えてしまう。
しかしそんな状況を牢人らが知るするはずもなく、彼らはもう討ち取った気になっているのか十兵衛たちを囲みながらにやにやと笑う。
「柳生宗矩の息子・柳生三厳。恨みはないがその首、討ち取らさせてもらうぞ。ふふふ。まさか御流儀師範の息子が逃げるなんて真似はしないよな?」
安い挑発だ。これが江戸市中を柳生三厳として歩いているときにされたというのなら買ったかもしれないが、柳十兵衛として歩いている現在それに付き合ってやる道理もない。十兵衛は適当に煙に撒こうとする。
「悪いが人違いじゃないのか?私は伊勢の上原という者だ。そのなんとか三厳とかいう者ではないぞ」
しかしさすがにそれは通用しなかった。牢人の一人が口角から泡を飛ばす。
「しらばっくれるんじゃねぇ!こっちは何度もてめぇの顔を見たことがあるんだよ!」
友重が小さな声で尋ねる。
「お会いしたことが?」
「しらん。全く覚えがない」
十兵衛のこの発言に嘘はなかった。目の前のこちらを睨んでくる牢人に心当たりはない。だが自分の顔を知っている牢人がいてもおかしくないくらいには思ってもいた。
というのも江戸にいた頃の十兵衛の交友関係は必ずしも潔白だったとは言い難いものだったからだ。なにせ幼少期から剣を振るわされてきた身。そのためか机に向かって書を読むような者よりも、喧嘩や相撲に明け暮れる粗暴な連中の方が気が合い必然そのような者とばかりつるむようになっていた。酒の味を覚えると交友関係はさらに荒れ、どんな身分かもわからない連中と一晩飲み明かしたなんてことも一度や二度ではない。さすがに小姓仕事をこなすうちにそういった連中とは自然と疎遠となっていったが、当時の縁で十兵衛の顔を知っている牢人がいてもおかしくはない。もしこの十兵衛の顔を検分をした牢人がそうだとすればおそらく誤魔化すのは不可能だろう。(さて、どうしたものか)と十兵衛は思案した。
こうして十兵衛と牢人らが睨み合っている最中、平左衛門は
あるいはこの牢人らも彼らの差し金かもしれない。しかしどうもそれは違うようだ。ちらと見れば尾行者たちも他の何も知らない往来人と同じようにこの状況に戸惑っているようだった。
(どうやらこの牢人の襲撃は向こうにとっても想定外だったようだな。だとすればこれは好機か……)
平左衛門は牢人らに気付かれないようにスッと友重に声が届くところまで近づいた。
この間十兵衛は十兵衛でこの牢人らをあしらおうとしていた。
「もう一度言っておくが、私はお前たちが追っていると言う何とかという者ではない。何なら手形でも見せてやろうか?」
「うるせぇ!誤魔化そうとしてんじゃねぇぞ。柳生の家ならそのくらい偽造できるだろうが」
「そんなわけないだろう……まったく、いい加減にしろよ。こっちも旅路の身。素直に引くなら追いはしないぞ」
しかし血気盛んな牢人たちである。十兵衛の睨みも鼻で笑い返す。
「はんっ。なら最後までそう言っていろ。お前が誰なのかは後でじっくり首実検してやるからよ!さぁ!抜きな!」
そう言って首魁らしき男が抜刀すると他の牢人らも続いて抜刀した。遠くで見ていた往来人が「ひゃっ」と悲鳴を上げる。白昼の東海道が一気に物々しい気配に包まれた。
(やはり一騒動は避けられないか……)
白刃を向けられ囲まれていたが十兵衛は落ち着いていた。相手の数は九人。対しこちらは三人だがその内訳は忍びの鍛錬を受けている平左衛門に門弟筆頭と名高い友重、そして何より十兵衛自身も腕に覚えがある。おそらく対処できる範囲であろうが、問題は敵がこの牢人たちだけではないという点だ。
(しかし困ったな。ここは江戸じゃない。下手に振舞えば尾張の者も動くかもしれない……)
十兵衛がどうするべきかと悩んでいると背後から平左衛門が「十兵衛殿……」と小さく声をかけた。平左衛門がそのまま二三呟くと十兵衛は静かに頷き、そして一歩前に出た。
「やれやれ。人違いではあるが、さすがに黙って切られるつもりはないぞ」
十兵衛はゆっくりと、やや仰々しく刀を抜きそれを正眼の型で構えた。
その腰の入った立ち振る舞いに牢人も往来人も素人ながらに感じ取ったのか、慌ただしいばかりであった街道の雰囲気がぴんと張り詰めたものに変わった。
「へ、へへっ!ようやく抜きやがったな!」
牢人の一人が顔を引きつらせながら煽る。見れば他の牢人たちも十兵衛の構えに大なり小なり固くなっている。その固さは決戦前の武者震いか、あるいはいざ切り合いの空気となって怖気づいたのか。十兵衛は少し強い言葉で圧してみた。
「悪いがこうなればもう手加減はできないぞ。貴様ら、切り伏せられ、泥にまみれて朽ちる覚悟はできているのだな?」
「うるせぇ!その澄ました顔、すぐに叩き切ってやんよ!」
牢人は売り言葉に買い言葉といった感じで叫んだ。その様子は蛮勇じみていたが実はそれほど嫌いでもない。
「いい心意気だ。……故に少々申し訳ないな」
「あぁん!?何の話だ!?」
「いや、何でもない。こちらの話だ。では……いくぞ!」
そう言って十兵衛は鋭く、深く一歩目を踏み込んだ。その場にいた全員が衝突を予感し息を呑む。
「!!」
――と思ったら十兵衛はその踏み込んだ足ですぐさま反転・納刀し背後にあった里山へと一目散に駆け出した。牢人らは一瞬唖然とするががすぐに十兵衛の意図を理解し叫ぶ。
「なっ!?てめぇ!逃げる気か!?」
慌てて追おうとする牢人たち。しかしそんな彼らの顔面目掛けて平左衛門と友重が拾い上げた砂利を投げつける。砂利は大した威力にはならないがそれでも顔面に当たれば半歩ひるませるくらいの力はある。そしてそれだけの余裕が生まれれば十兵衛たちには十分だった。十兵衛らは進行方向の最低限を切りつけて包囲網を突破。そのまま里山山中へと逃げ込んだ。もちろん牢人らは追おうとしたがある者は納刀のために出だしが遅れ、抜いたまま追おうとした者も片手が長物でふさがっている状態では思うように進めない。その間に十兵衛たちは里山の奥へと消えていってしまった。
これが平左衛門の策であった。十兵衛の圧で虚を突き、その隙に山中へと逃げ込む。三十六計逃げるに如かず。無用な争いはしないに越したことはない。
そしてこれにより撒こうとしたのは牢人だけではなかった。急な十兵衛らの逃亡に驚いたのは隠れて追っていたあの推定尾張の連中も同じだった。彼らも急いで追いかけようとしたが、もとより距離を取っていたためそう簡単には追いつけないだろう。
そんな目論見を持ちつつ十兵衛たちは里山山中を一気に駆けていた。
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