柳十兵衛 邂逅する 2

 ここで少し『御三家』について説明をする。

 御三家とは徳川一門のうち宗家(将軍家)ではないものの、血が濃く別格扱いされている三家のことを指す。彼らは徳川姓を名乗ったり三つ葉葵の使用が許されるといった特例を持ち、公儀の場でもその格式に見合った扱いを受ける。(この頃の水戸はまだ格式が低かったために『御三家』と称するのは正しくないのだが、わかりやすさのために以後も『御三家』と称する。)また彼らには徳川の世を維持するために、将軍家に後嗣が絶えた時養子を出して将軍家を存続させるという役割も担っていた。実際後世の話だが八代目吉宗よしむねから十四代目家茂いえしげまでは紀州筋、十五代目慶喜よしのぶは水戸筋の将軍である。

 以上のように長い江戸時代において御三家は大きな影響力を持つ存在だったのだが、この時代のそれは若干趣が異なっていた。というのもこの頃はまだ初代・家康の実子が存命だったからだ。いやそもそも御三家の起源は家康晩年の子らをどう扱うべきかというところから生まれたものであった。

 時代は四百年近く前の戦国時代。この頃は乳幼児の死亡率が高くまた戦火や疫病による不慮の死も少なくなかった。そのため後継者として多くの子を成すのも為政者にとっての生存戦略の一つであった。家康もまた例に漏れず徳川の血を絶やさぬために晩年まで子を作った。こうして生まれたのが九男・義直よしなお、十男・頼信よりのぶ、十一男・頼房よりふさであった。彼らはのちにそれぞれ天下の要所・尾張、紀州、水戸を与えられその地で家長となり、それがいわゆる御三家・尾張徳川家、紀州徳川家、水戸徳川家となった。


 さて、繰り返すがこの頃この家康の実子・義直らは存命だった。そして十兵衛らにとって悩ましいことは、彼らが存命であるにもかかわらず家康の孫――義直らにとっては甥である家光が三代将軍になったという政治的背景の存在であった。


 義直らと家光は叔父と甥の関係であるが実は彼らはほとんど年が離れていない。現在(寛永三年・1626年)義直は二十七歳。頼信は二十五。頼房は二十四。対し家光は二十二歳と最も幼く、またそれでいて年は五つと変わらない。加えて義直らも家康の直系である。つまり三代将軍を選定する際、彼らもまた十分な資質を持っていたということだ。むしろ年の長幼や血の濃さを鑑みれば義直や頼信の方が相応しいと言う者も少なからずいただろう。しかし実際は将軍職は家光に譲渡された。これには当時まだ存命中だった初代・家康の意向が大きかった。

 戦国の世を生きてきた家康は家督をめぐる肉親同士の争いと、それにつけこむ奸臣を幾度となく目にしてきた。当然ながら自分の子孫らにはそのような愚行を行ってほしくない。そのため家康が提唱したのが、宗家(将軍家)の長男が跡を継ぐという厳格なルールであった。兄弟でもない、年長の親族でもない、才器の大小でもない。相続争いで家が割れないようにとにかく宗家長男を優先するという方針を徹底させた。この方針のおかげで家光は義直や頼信といった家康の実子、および才器を期待された弟の忠長を差し置いて将軍職を継いだのであった。

 だが『反抗しなかった』と『納得している』は全く別の問題である。家康の実子という自負を持っていながら甥の家光に臣下の礼を取るということを義直らはどう捉えていたのか。人の腹の内は畢竟推察で語るしかないが、普通に考えれば並々ならぬ感情を抱いていたとしても不思議ではない。

 加えて厄介だったのがこの頃の家光にはまだ子供がいなかったという点である。家康は宗家長男を優先するというルールを作った。しかし現在その宗家長男はおらず、また家康自身も十年前に没した。こんな折に万が一家光の身に何かあれば代わりの将軍となるのは……。

 そのような背景があったがために十兵衛のような家光の臣下はどうしても御三家に対して警戒せずにはいられなかったのだ。


 以上の経緯から緊張する十兵衛たちであったが平左衛門は落ち着くように促す。

「それほど緊張することもないですよ。監視以上のことをしてくることはないでしょうから」

「そ、そうでしょうか」

「もちろん。権大納言様(義直)軽んじるつもりはありませんが、今や格は上様(家光)の方が上。権少将ごんしょうしょう様の例もありますし、下手な騒ぎなど起こしたくはないのはむしろ向こうの方ですよ」

 権少将とは十年ほど前に改易となった松平忠輝ただてるのことだ。松平の姓からわかるように彼もまた徳川一門・家康の六男であったが秀忠時代の権力一本化政策の中で改易の憂き目にあっている。為政の妨げとなるのなら御一門とて容赦はしない。それが幕府の方針でありそんな中で宗家・将軍家にたてつくような、あるいはそう見える行動などたとえ尾張徳川であっても起こさないだろう。

「五人もついてきているのは少し珍しいですが、まぁそれでも何かしてくるということはないでしょうね」

 事実彼らはここまで一定の距離を保ち監視するばかりで一向に近づいてこようとはしない。存外どうにかなりそうだとわかると十兵衛はふぅと安堵の息を漏らした。

(なるほど。しかし江戸の外ではこのようなしがらみもあるのか。まだまだ学ぶことが多いな)

 監視されているという事実は少々気に障るが尾張を抜ければ彼らも離れることだろう。このまま何も起こらないことを祈りながら十兵衛らは立ち上がり、再度東海道を西に歩き始めた。


 しかしながら騒動は予期せぬ方からやってきた。

 十兵衛一行で最初にそれに気付いたのは平左衛門であった。

「……ん?」

「どうかなされましたか、平左衛門様」

「いえ、何か……後方から妙な気配が……」

 平左衛門は振り返り、尾行者のさらに後方に目を細める。しばらくして十兵衛らも異変に気付いた。街道の後方から牢人の集団があわただしくやってきたのだ。彼らは明らかに何か目的をもって街道を駆けていたが、その割に彼らの格好は旅路のそれではない。何か知らせを受けて近くの根城から急いで飛び出してきたという風だ。

「これは……」

 十兵衛らは嫌な予感を覚えたがここで急に隠れても目立つだけである。予感が勘違いであってほしいと思いつつ、十兵衛たちは軽く顔を伏せて彼らが通り過ぎるように道を開ける。近づく牢人たちは尾行していた山伏親子を通り過ぎ、そのまま十兵衛一行をも通り過ぎようとした。しかし悪い予感とは当たるものである。すれ違いざま牢人の一人が十兵衛の顔を覗き込んで叫んだ。

「いた!こいつだ!こいつが柳生三厳だ!」

 直後牢人らは街道の前後に広がり十兵衛たちを逃さないように立ち並んだ。

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