柳生三厳 大坂に入る 4

 船を見るために山中屋の跡継ぎ候補である正成の案内で波止場へとやってきた三厳と与六郎。ところがその案内の途中で正成が別件で少し離れることとなる。仕方なく彼が戻るまで波止場の人々を眺めていた三厳であったが、そこでふと船の荷下ろしの人足の中にあやかしがいることに気付いた。

「あの山中屋の上荷差うわにさし(荷物の積み下ろしを行う人夫)、あやかしだぞ……!」

「ええっ!?」

 三厳の指摘に与六郎は慌てて重心を落とし警戒態勢に入った。二人の視線の先にいるあやかしは周囲の者よりも頭二つ分は背が高く筋骨も隆々で、そして何より本物の馬と見間違いかねないほどに馬面であった。

「不思議なものですね。先程まではそういう顔の男だと思っていたのに、そう言われるともうあやかしにしか見えないのですから」

「まぁ俺の場合は匂いやら気配やらでわかるからな。俺も顔だけ見ていたら先入観でそう思ったかもしれない」

「それであやつはなんという種族ですか?あの顔ですから『馬人ばじん』とかそのあたりでしょうか?」

 それを聞いた三厳は視線を外さずに口元だけにやりと笑った。

「おお、いい勘だな。まさにあやつは『馬人ばじん』。馬の特徴が現れるあやかしだ。……いや、『あやかし』ではなく『異人』とでも言った方が正しいのかもしれないな」

「『異人』ですか?」

「ああ。馬人は存外歴史の古い一派でな。確か天平てんぴょうの頃に海の向こう、天竺てんじく(現インド付近)あたりから来た一族だったはず。馬家マーけと呼ばれていたこともあったそうだ」

 三厳の言った『天平の頃』とは奈良時代中期のことで、西暦で言うなら730年から750年あたりを指す。三厳たちの時代からすればおおよそ九百年ほど昔の話だ。

「それはまた古い一族ですね。しかし私は初めて耳にしましたよ」

「数百年以上昔に政争を恐れて西国の山奥に引っ込んだという話だからな、知らぬのもしょうがないだろう。それに血の濃い薄いもある。俺も三度ほど馬人の者に会ったことがあるが、そいつらはせいぜい『それなりに馬面』くらいの血の濃さだった。あれではわかる者にしかわからんだろうな。もしかしたらお前も知らず知らずのうちにすれ違っているかもしれないぞ」

「なるほど。しかしそれならば奴は……」

「ああ。相当に先祖返りしているのだろうな」

 三厳たちが見張る相手は本物の馬と並べても遜色ないほどの馬面だ。それはつまりそれだけあやかしの血が濃く出ているということであろう。与六郎がゴクリと唾を呑む。

「……やはり危険なあやかしなのですか?」

「凶暴性に関しては個々人の性分だから一概には言えない。ただ一つ言えることとしては馬人は常人よりもはるかに力が強いということだ。その気になれば難なく人を紙屑のようにねじり潰せるだろうな」

「それほどまでなのですか……」

「ああ、一度怒らせたら手に負えないそうだ。六観音の一つに馬頭観音があるだろう?あれは怒り狂った馬人が元になったとも言われているからな」

「憤怒すれば明王が如しですか。敵に回したくはありませんな」

 そう語る三厳たちの目の前で馬面の上荷差しのは五十貫(約190kg)はありそうな荷の束をひょいと担いで運んでいた。周りの者たちは呑気そうに「相変わらず力持ちだなぁ」と言っているが三厳たちの表情は硬くなるばかりであった。


 慎重に馬面の男を観察する三厳たち。二人がこうも警戒している理由――それはあやかしやそれに類する者たちは普段は人目につかぬよう隠れて暮らしているというのが当時の一般常識であったためである。

 あやかしと聞けば怪異な力を使い人々を惑わすような存在を想像するかもしれない。しかし実際はそのような野心あるあやかしは稀であり、むしろ他人からの奇異の目や迫害を恐れ極力人前に出ないようにしているあやかしがほとんどであった。

 三厳も江戸や柳生庄内にあやかしの知り合いが複数人おり、中には鬼の血を引いている者や魂が九つある者などもいるが、そんな泣く子も黙るような力を持った者たちでさえ好奇の目をうとんで昼間の往来を大っぴらに歩くような真似はしない。それが当時のあやかしたちの慣習だったのだ。

 さてそれを踏まえたうえで件の馬人はどうかと言えば、場所は大坂という天下の大都市。しかも人の行き来が激しい波止場での仕事。見た目は一般人とは程遠く、また自らの腕力を隠そうともしていない。そしてそれなりに時間をかけて信頼関係を築いたのか周囲に彼を怪しむ者はいない。三厳らが大いに困惑したのも頷けることだろう。

「……どう見られますか、三厳様」

「どうもこうもなぁ。いったい何が目的なのか……単に力仕事を求めてここにたどり着いたとかなら楽な話なのだがな」

 しかしそれは楽観視が過ぎるだろう。あやかしはその力や外見故に普通の人間のような人生を送ることは難しく、渡世の闇を見ることで擦れた性格になる者も少なくない。彼もあれほどの馬面ならこれまで幾度も好奇の目にさらされてきたはずだ。果たしてそんな彼が二心なく真面目に上荷差しの仕事にいそしんでいるのだろうか?

 考えあぐむ三厳に与六郎は低い声で尋ねる。

「……いかがなされますか?」

 これは単に「どう行動するか」という表層的な質問ではない。与六郎は三厳が『怪異改め方』であることを知っている。このお役目はあやかしがらみのことならばある程度のことは免責されることも教えてある。つまり極端な話だが相手があやかしであるのならば一方的に切り捨てても重く裁かれることはないだろうということだ。

 三厳もその可能性自体は留意していた。しかしまだそれは最善の解決策ではないだろう。

「何はともあれ情報不足だ。やはり一度は直接話さなければな。俺が行くからお前はそこで待っておけ」

 あやかし相手ならば三厳自ら前に出る他ない。与六郎は自分の不甲斐なさを恥じるように「はっ。お気をつけて」と頭を下げた。それに対し三厳は「うむ」と言うと、一瞬刀に手を置きその位置を確かめてから例の上荷差の一団に近付いていった。


 さて一度話をしてみるとは決めたものの、剛腕のあやかしにいきなり声をかけるのはさすがに無謀がすぎるだろう。というわけで三厳はまずは周囲の者から話を聞くことにした。手頃な相手がいないかと軽く見渡した三厳が選んだのは丁度暇そうにあくびをした中年の男であった。

「もし、ちょっといいか。そのほうは山中屋の者か?」

「へぇ、そうですが何用でしょうか?」

「なに、ちょっと訊きたいことがあってな」

 三厳は軽く荷物に隠れてから例の一団を指差した。

「あそこで働いている上荷差し、あれはそのほうの店の者か?」

「どれどれ……あぁそうですね。うちの若い奴らです」

「あの馬面の者も?」

「馬面?あぁ鹿之助しかのすけですか。はい、そいつもうちの者ですね」

「鹿之助?あの男、あの顔で『鹿之助』という名前なのか?」

 件の馬面の男はどうやら『鹿之助』という名前らしい。三厳が名前の妙に顔をしかめると男も愉快そうにはっはと笑った。

「ええ、おかしな話でしょう。あの顔なら『馬之助』の方が似合っているというのに。それでお侍さん方は馬之助……じゃなかった。鹿之助に何か御用でしょうか?」

「あぁなに、俺は腕っぷしのいい奴が好きでな。それっぽい奴を見つけると声をかけてみたくなるんだ。折り合い良ければ下男にすることもある。それでどうなんだ?あの鹿之助とかいう奴、見たところかなり体格はいいが喧嘩の方はいける口なのか?」

 三厳がこう尋ねると男は鼻で笑った。

「はっ。だとしたらお侍さん、そいつはとんだ見込み違いだ。確かに鹿之助は力は凄ぇが、あいつは喧嘩どころかいわゆる『虫も殺せない』ってくらいに穏やかなやつですからな」

「ほう、そうなのか」

「ええ。喧嘩もそうですが酒も女にもまるで興味がない面白みのない奴で、毎日朝から晩まで荷物を担いでいったい何が楽しいんだか……。まぁだからこそ旦那様もあいつを気に入っているんでしょうけどね」

「旦那様というと幸元殿か?」

「おやご存じで。そうです、幸元様です。そもそもあいつを連れてきたのが旦那様なんですよ。備中か備前だったか……ともかくあそこら辺で働いていたあいつを旦那様が見い出して連れてきたんです。それであの働きっぷりですからね。まったく旦那様もいい買い物をしたものだともっぱらの噂です」

 この話に三厳は「ほう、そうなのか」と軽く相槌を打っていたが、実のところ内心では面倒な関係性に苦虫を噛み潰したかのような心地になっていた。

(参ったな……幸元殿のお気に入りということは単に切って捨てれば終わる話ではなくなったぞ。くそっ、これが山中屋でなければ見て見ぬ振りもできたのに!)

 黙って熟考する三厳。それを見た男は三厳が鹿之助を自分の下男にしたいのではないかと思ったようだ。

「おや、もしかして引き抜くおつもりですか?ですがそれも無理でしょうね。あいつは自分を見い出してくれた旦那様に感謝しておりますから、いくら積んだとしても首を縦には振らんでしょうよ」

「そうなのか?」

「ええ。実際他の店が結構な金額で引き抜こうとしたのを断ったっていう話もありますからね。まったく欲のない男ですよ。俺だったらすぐにしっぽ振って乗り移るっていうのに」

 ケケケと能天気に笑う男に対し三厳はますますこんがらがった状況に苦悩した。

(なるほど、その話が本当ならば見上げた忠義だ。しかし本当に忠義だけなのだろうか。何か別の狙いがあっての辞退ではないのだろうか)

 例えば熟練の蔵破りなどは自分の部下を狙った家の奉公人として送り込み数年かけて情報を集めさせるとも言われている。果たしてあんな目立つ人物を諜報員として送り込むかは甚だ疑問だが、それでも可能性がないわけではない。三厳は(やはり直接話さないとわからぬか)と面倒そうに頭を掻いた。

「なるほど、下男にするのは難しそうだな。だが話しかけるくらいなら構わないだろう?」

「まぁお好きになさってくださいな。無駄だとは思いますがね」

 三厳は再度あくびをした男に礼を言って改めて鹿之助に近付いた。


 鹿之助は他の上荷差し仲間と共に荷物の影で休んでいた。三厳が一定距離まで近付くと潮の香りの中にあやかし特有の獣にも似た香りがぷんと鼻を突く。

(さすがに近付くとあやかしの気配も強くなるな。普通の者には気付かれないとはいえ、よくもまぁ人里に降りてこられたものだ。さて……)

「すまないが少しいいか?」

 三厳が声をかけると上荷差しの一行は一斉にこちらを向き、そして訝しむかのような目を向けた。ここは普段は武士がくるようなところではないからだ。上荷差しの一人がおずおずと尋ねてくるr。

「……何か御用でしょうか?」

「そう怪しまなくていい。俺は山中屋の客でここには船を見に来たのだ。そしてその途中で面白い奴を見つけてな」

 そう言って三厳が鹿之助の方を見ると目があった鹿之助がビクンと体を強張らせた。

「そこの者――鹿之助とかいうそうだな?お前の怪腕っぷりを見て少し話をしたくなったのだが今構わないか?」

 上荷差したちは顔を見合わせる。いきなりこんなことを言われれば怪しむのも当然のことだろう。しかし相手は店の客だと名乗っているし二本差しの武士でもある。結局断る理由を見つけられなかった鹿之助は警戒しつつも「まぁ少しだけなら……」と立ち上がり三厳についていった。

 思ったよりも警戒している鹿之助。これ以上警戒されると情報が引き出せなくなるかもしれないため三厳は会話は漏れないが仲間の姿は見えるギリギリの距離まで鹿之助を連れ出した。

「このへんでいいかな。ほれ、そう気を張るな。別にいきなり切り捨てたりなどはしないから安心してお前も腰を下ろせ」

「はぁ。それでは失礼して……」

「ふむ、ではどこから話そうか……。まず私だが私は柳生家の三厳という者だ。先程も言ったが山中屋には客として来ていてな、今はとある商談が成立する一歩前というところだ」

「そうですか。それはまた、おめでとうございます」

「うん、ありがとう。それで先んじて下見がてらに船を見に来たというわけだ。案内は店主の御子息・正成殿にしてもらっている」

「ええっ!?若様直々にですか!?それはまた……」

 正成直々の案内と聞いて鹿之助は目の前の相手がただの下級武士ではないということに気付く。同時に彼の緊張も不信感からのそれではなく、客に粗相をしてはいけないというそれに代わっていた。

「ちなみにその若様だが、どうも何か問題があったらしく人足頭とやらに連れていかれてしまってな。そこで待っていた間にお前を見つけたというわけだ」

「そうだったんですか。あぁ、そういえば確かに上の人たちが伝票の具合がおかしいとかなんとかで騒いでましたね。……えっと、それで私への用は何なのでしょうか。先に申しておきますが、申し訳ありませんが私は山中屋以外で働くつもりはありませんので」

「あぁその話なら聞いている。なかなかの忠義だと感心した。だが生憎と立場柄そういうのを疑う癖がついていてしまってな」

「えっ?」

 三厳の声が急に低くなったことに動揺する鹿之助。その隙を逃さず三厳は詰め寄る。

「……お前、あやかしだな?」

「!?」

 真正面からの問いかけに鹿之助の顔は大きくゆがんだ。完全に不意を突かれたという顔だった。

(さぁて、どう出る?誤魔化すか、暴れるか?)

 三厳はどうとでも動けるように全身に緊張を張り巡らせながら相手の出方を待った。横にも後ろにも飛び退けるし、逃げようものならばすぐさま追いかけることも、そして一瞬で抜刀することもできた。しかし鹿之助はすぐには動かなかった。彼は深刻そうな顔でぶるぶると震えながら地面を見つめている。それはあやかしと見破られたことがショックだったという様子だった。

 こうして数秒震えていた鹿之助であったが、やがてハッとして勢いよく立ち上がった。

(来るか!?)

 身構える三厳。しかし次に鹿之助が取った行動はその大きな体を小さく折りたたんだ土下座であった。

「ど、どうか見逃してくだせぇ……!」

「なぁっ!?」

 大きな体をまるで香典箱にでも入れるかのように小さく折り曲げて土下座をする鹿之助。三厳は一瞬油断を誘うための行動かとも思ったが、そのあまりの無防備さにどうしていいかわからず思わず固まった。

(こ、これは油断を誘うような半端な土下座ではないな。本気で怯えて命乞いをしている……!)

 戸惑い固まっていた三厳であったが、ふと周囲を見ると他の人足たちがこちらに気付き不審そうな目を向けていた。

(まずいな。これではこちらの悪い噂が立ってしまう!)

「お、おい!落ち着け落ち着け!何も今すぐ切って捨てようというわけではない。それならこうして話しかけたりはしないだろう?」

 三厳は慌ててその大きな背中をなだめるようにポンポンと叩いた。

(まったく、何をやっているんだ俺は……)

 自分の行動に辟易する三厳であったが効果はあったようで、鹿之助はどうにか落ち着きを取り戻しその体を起こした。

「わ、私を切りにきたのではないんですか……?」

「切るなら人目につかない所で黙って切ってる。わかったらさっさと立ち上がれ。面倒をかけると本当に切ってしまうぞ」

「あ、はい……そ、そうですよね……すみません、取り乱してしまって。……あの、それなら一体何の御用なんでしょうか?」

「さっきも言っただろう。俺は山中屋の客だ。近々ちょっとした商談が結ばれるというのも本当で、その視察に来たのも本当だ。そこでお前のようなあやかしを見つければ声をかけて確認しようとするのは当然だろう?」

「あぁそれもそうですね……。あっ、ということは俺は旦那様に迷惑をかけてしまったということでしょうか!?」

 さっきとは別の理由で震えだす鹿之助。どうやらこいつは面倒くさいほどに生真面目な奴のようだと三厳はため息をついた。

「気にするな。これで破談にするほど狭量でもない。……そもそもこちらから破談を言い出せるわけがないしな」

「何かおっしゃられましたか?」

「いや、何でもない。それよりも俺はお前が悪いあやかしでないと確認をしたいんだ。わかったら落ち着いて話してくれるな?」

 鹿之助は真剣な顔つきになりこくんと頭を下げた。


「承知いたしました。えっと、それでどこからお話いたしましょう……?」

「そうだな……まず第一に、お前は馬の血が混じったあやかしの一族――『馬人』でいいのだな?」

 さすがにここまで来て「ただのすごい馬面の人でした」ということはないだろうが、それでも一応聞いてみると鹿之助は素直に頷いた。

「はい、そうです。馬人です。私の生まれた村は馬人の血が色濃く残っている村でした……」

 そこから鹿之助はぽつりぽつりと自身の経歴を語り始めた。

 鹿之助曰く彼が生まれ育ったのは備中(現岡山県西部)と美作みまさか(現岡山県北部)の国境いあたりにあった小さな村落だそうだ。どうやらそこら一帯は馬人の血が濃く残っている所らしく、度々鹿之助のような先祖返りの強い者が生まれていたという。

「そんな地域があったのか。しかしそれにしてもお前の血は濃いぞ。よくそんなので人里に下りてくる気になったな」

「そうなんですか?これくらいの顔の者ならよくいましたし、特に兄たちも似たようなものだったので自覚はありませんでした……」

「兄?」

「年の離れた兄が二人おりました。村ではよく兄らと顔が似ていると言われていたので兄たちも血が濃かったのでしょうね」

 どこか寂しそうに懐かしむ鹿之助に三厳は「長く会っていないのか?」と尋ねてみた。

「十年ほど前に村を出て行きそれっきりです。二回目の大坂の役が始まる前でした」

「大坂での牢人募集か」

「はい。幼いながらもその日のことはよく覚えております。家を出る直前、兄は言っておりました。『この機を逃せばもう二度と男児として名を挙げる機会はなくなるだろう』と……」

 鹿之助の語った二回目の大坂の役とは1615年に起こった『大阪夏の陣』のことである。これは豊臣対徳川の最後の戦であり、前年の冬の陣の影響から開戦前から豊臣方の敗色は濃厚であった。実際多くの大名が参戦を見送ったがそれでも豊臣方には最終的に五万を越える牢人たちが集まったと言われている。これほどの牢人が集まったのは豊臣の人望だけの話ではない。彼らはわかっていたのだ。これがおそらく最後の大戦――武士として名を挙げる最後のチャンスになるということを。

(気持ちはわかる……)

 武士である三厳には村を出た兄たちの気持ちが理解できた。馬人という突出した力を持って入れば尚更だろう。だが三厳は大坂の役にて馬人の牢人が活躍したという話は聞いたことがない。

(つまりはそういうことなのだろうな……)

 少ししんみりとした空気が流れたが今はそれに構っている暇はない。三厳は話の流れを戻そうとする。

「話が逸れたな。俺が知りたいのはお前がどういった経緯で山中屋で働くことになったかということだ。聞けばお前が育った村は馬人に対する偏見も少なそうだが、ならば何故村を出ようと思ったのだ?」

「……きっかけは数年前に母が亡くなったことですかね。それがきっかけで兄たちがどうなったかを知りたくなったのです。生きているのならば母の死を伝えたいですし、死んでいたとしても墓前に報告できますからね」

「それで村から出たのか?」

「ええ。丁度備前の方で上荷差しの募集をしているという話がありましたので」

「そこで幸元殿とも出会ったと」

「はい。何故か気に入られて大坂へと来ないかとお誘いを受けました。私も兄たちの情報を得るならば大きな町の方がいいだろうと思いついていきました」

「それで兄たちの情報は?」

 鹿之助は悲しそうに首を振った。

「無しのつぶてで……。こんな顔ですからすぐにわかると思ったんですけどね、へへっ……」

 そう自虐気味に笑う鹿之助は痛々しく、疑っている三厳ですら思わず同情しかけた。三厳は思わず話を変える。

「そういえばお前が馬人であるということは幸元殿らは知っているのか?」

「はい、本格的にお声をかけていただいた時にお話しいたしました。ですが幸元様は気にするなと言って受け入れていただきました。兄のこともできるだけ情報を集めようと言っていただき、まこと頭が上がりません」

(なるほど。山中屋以外の誘いを断っているのはこのあたりが原因か)

「他にお前の正体を知っている者はおるのか?例えば正成殿などはどうだ」

「若様はおそらく知らされてないでしょう。ですが年寄役様・宗信様などはご存じのはずです。番頭の方々は……ちょっとわかりませんね。すみません」

「気にするな。俺が知りたかったのは店の上の者たちがきちんと知った上でお前を受け入れているかどうかだからな。幸元殿が承知しているというのならこれ以上俺が言うこともないだろう」

「で、では……!」

 ほっと安堵した表情の鹿之助に三厳はひらひらと手を振った。

「時間を取らせて悪かったな。もう戻っていいぞ。もちろん今回の話は俺の胸中にしまっておくからな」

「は、はい!ありがとうございます!」

 深く頭を下げて鹿之助は上荷差し仲間の元へ帰っていった。その表情は実に穏やかであったが、三厳の顔は相変わらず硬いままだった。

(さて、どこまで信用したものか……)

 鹿之助と話してみて得た印象はまさに田舎から出てきた純朴な青年という風だった。また彼の話も特におかしい所もない。しかしだからといって「はい、そうですか」と言って警戒を解けるほど三厳は甘い世界に生きてはいない。

(あの男がとんだ役者だったという可能性もなくはない。しかしこれ以上はどうしたものか……)

 頭を抱えつつ三厳が与六郎のもとに戻るとその隣には正成が待っていた。どうやら鹿之助と話しているうちに向こうも用事を終えたようだ。合流した三厳に正成は恐る恐る尋ねてくる。

「あの、三厳様……鹿之助が何か粗相でもしたのでしょうか?」

「ん?あぁ気にしないでください。なかなかの強腕だったので少し話してきただけです。実を言いますと向こうにその気があれば下男にでもしようかと思ったのですが、生憎と袖にされてしまいました」

 三厳が誤魔化しつつ答えると、それを信じた正成はほっと胸をなでおろした。

「そうですか。いや、三厳様には申し訳ないですがほっとしました。あれはうちで一番の上荷差しですからね。抜けられたら金数十枚以上の損失になっていたことでしょう」

「随分と高い評価を受けているのですな」

「ええ。腕力もですが何より実直で勤勉ですからね。父もよく『ちょっとした縁で拾ってきたが大当たりだった。これもご先祖様方からの恵与なのだろう』とおっしゃってました」

 そう笑顔で語る正成。しかしこの青年は鹿之助があやかしであるということをまだ知らない。

(果たして山中屋はこれからどうなるのか……)

 憂いたたずむ三厳。そこに与六郎が近付く。

「いかがでしたか、あの上荷差しは?」

「……少し待て。まずは正成殿をお送りし、宿に戻ってからだ」

 与六郎は素直に「はっ」と言って一歩下がった。


 その後三厳らは山中屋へと戻り正成らと別れ、数日前から泊まっている南船場の安宿へと戻ろうとする。しかしいざ宿が見えてきたところで三厳の足がびたりと止まった。

「いかがなされましたか、三厳様?」

「いや、あれを見てみろ……」

 何とも言えぬ硬い表情をしている三厳に促され宿の方を見る与六郎。するとそこにいたのは鹿之助とはまた別の馬面の男であった。その男は明らかに堅気ではないボロの小袖をまとい、周囲に過剰に警戒した視線を向けてから隠れるように宿へと入っていった。

「あれは……」

 何か言いたげな与六郎の視線に三厳は憂鬱そうに頷いた。

「ああ、面倒なことになってきたな……」

 三厳はそう言うと額に手を当てため息をついた。

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