(第十四話 終)柳生宗矩 従五位下の官位を得る

 秀忠が進める忠長改易計画。それを阻止するために宗矩が家光に授けた案は、なんと将軍の権力を存分に使えというものだった。

 一見すると権力の乱用にしか見えないが、秀忠の策略を止めるにはそのくらいの強引さも必要だ。宗矩は新陰流の印可と共にそう説得すると、家光も覚悟を決めて秀忠に計画中止を命じるのであった。

「いたずらに天下に混乱を与える父上の計画、私だけでなく老中各位も見送るべきだと考えております。ゆえに此度の件、征夷大将軍の名をもって差し戻しおよび中止とさせていただきます!」

 力強く宣言した家光に秀忠はがっくりと肩を落とした。

「老中たちまでそちら側に付いたか……。ならば仕方あるまい。余とて江戸が二分されることは望んではいない」

「では父上……!」

「ああ。忠長の件は見送ることとしよう」

 さすがに引き際はわきまえていたようで、秀忠は忠長改易計画の中止に同意した。


 中止決定後、家光は早速老中たちと共に細部の調整に入った。

 忠長に術をかけていた術師一団の解散や、朝廷に情報が漏れていたときの対処方針。この場にいない高官たちにどこまで説明するか。そして今日の件の箝口令。決めることは多々あったが、元よりこの場にいるのは幕府の頭脳たちである。彼らはその日のうちに今回の計画をきれいさっぱり白紙に戻したのであった。

「では父上。本日は時間を取っていただきありがとうございました。また後日、ゆっくりと語り合いましょうぞ」

 こうして目的を達成した家光や老中たちは晴れやかな顔で各々の職場へと戻っていく。

 対し西の丸には秀忠と、彼と共に暗躍していた崇伝のみが残っていた。崇伝は家光たちが帰った後も悔しそうに座したまま、なぜ作戦が失敗したのか頭の中で何度も反芻していた。

(くそっ!長年の計画が台無しだ!しかしまさか竹千代様があそこまで大胆な手を使うとは……。病に伏せていた時とはまるで別人だ。まさか誰か入れ知恵した奴がいるのか……?)

 彼らの予想では家光は何もできず、老中たちも消極的ながらも賛成の立場を取ると思われていた。だががその流れを変えた。それは一つの大きなうねりとなり、崇伝たちが数年かけて準備をしていた計画を反故にしたのだ。

(金も手間も膨大にかけたというのに、誰かは知らぬが余計なことをしてくれたものだ!)

 苛立つ崇伝であったが、まもなくしてその怒りはいったん収まった。原因は秀忠があまりにも静かすぎたためである。秀忠は家光たちか帰って以降窓際に移り、ただぼおっと庭を眺めていた。

(殿はいったいどのように思われているのだろうか……)

 崇伝からは秀忠の背中しか見えていなかったが、その背中から彼の心中は窺い知れない。崇伝のように計画を潰されて憤っているのか、それとも実の息子に反抗されたて悲しんでいるのか……。

 しばらく黙って思うに任せていた崇伝であったが、こうも静かだとさすがに心配にもなってくる。意を決した崇伝は恐る恐る秀忠に声を掛けた。

「殿。その、お気を確かに……。殿の深いお考えは某が重々承知してますゆえ……」

 しかしその声に振り返った秀忠の表情は寂しげではあったものの、思っていたよりは晴れやかであった。

「ん?……あぁ案ずるな。さほど気にしてはいない。むしろ……年を取ったなと思っていたところだ」

「年、ですか?」

「ああ。確か家光は今年で二十五だったな?」

 崇伝がそうだと答えると、秀忠は自嘲するように小さく微笑んだ。

「まったく不思議なものだ。二十五といえば私はちょうど右大将になったばかりの頃だ。関ヶ原の後始末に追われてて、父上もまだ存命で、秀頼様もまだ大坂にいらした頃だ……」

「殿……」

 秀頼とは豊臣秀吉の実子で、一時は秀忠が主君と仰いだ人物である。しかし秀忠は大坂の役にて彼を討った。それが天下泰平のためには必要なことだと信じていたからだ。

「思えばあの頃は父上の言うがままであった。父上と道をたがえようなどとは思ってもみなかった。しかし家光はもう私に反抗するまでに至ったのだな……」

 秀忠も、家光が覚悟をしたことにより計画の潮目が変わったことを理解していた。家光が反対姿勢を貫くと決めたことにより、老中たちも彼に従うことを決めたのだ。皮肉な話だがどうやら将軍職の代替わりは順調に行われたらしい。

 そんな我が子の成長が嬉しいのか寂しいのか、何とも言えぬ表情で語る秀忠であったが、ここで崇伝がチクリと一言苦言を呈した。

「……お言葉ですが反抗すればいいというものではございません。大事なのは正しい道を選ぶこと。それに時代は関係ありません」

「ははは。珍しいな、慰めてくれるのか?もちろんそれはわかっておるさ。それでも家光が思っていた以上に成長していたことに驚いてな。だが二十五だものな……。そのくらいにはなって当然か……」

 秀忠はそう呟きながら再度部屋の外の庭に目をやった。西の丸の庭園は数多の庭師と職人を呼んで造らせた、太平の世の象徴のような庭である。そんな庭を秀忠はしばらく眺めたのち、冷淡な声で呟いた。

「確かに家光はよくやった。しかしまだまだ甘い……!」

 次の瞬間、ピリッと場の空気が引き締まった。崇伝が驚いて顔を上げると、そこには海千山千を乗り越えて江戸の繁栄を築いた二代将軍・秀忠がいた。

「なるほど、あやつの言う通り忠長や義直が今すぐ我ら本家を脅かすことはないだろう。だが奴らはいずれ必ず江戸の脅威となる。そうなる前に手は打たねばならぬ。……たとえ我が子に畜生だとなじられようともな」

「ということは、殿……!」

「ああ。家光にはああ言ったが……」

 家光にはこの件から手を引くと約束した。しかし大義の前では約束など何の意味も持たない。それがこの世の現実である。

 謀略渦巻く戦国の世を知っている秀忠からすれば、人質一つも取らずに口約束で満足していた家光は逆に心配になるほどに手ぬるいものだった。

「やはりまだあやつに天下のすべてを任すことはできない。おそらく卑劣だ何だと揶揄されることだろうが、だがそれもすべては子のため孫のため。わかってくれるか、崇伝?」

「はっ!もちろんにございます!」

 力強く一礼する崇伝。彼もまた江戸の繁栄のために命を賭してきた男である。今更家光が気を吐いた程度で止められるような相手ではなかったのだ。

「……とはいえ計画をそのまま続けるのはまず不可能かと思われます。若様はともかく、老中たちはそれなりに目端が利きます。また一から時間をかけて策を弄する必要があるかと」

「構わんさ。最後に安寧な江戸の町が残っていればそれでいい」

 秀忠はもう一度改めて庭を見た。相も変わらず手入れの行き届いた美しい庭である。

(この眺めを子子孫孫にまで伝えることが余の使命だ。そのためならば私はどんな手でも打とう。たとえそれが到底人とは思えぬ非情な行為だったとしてもな……!)

 この時秀忠、数えで六十歳。彼はおそらくこれが最後の大仕事になるだろうと、静かに覚悟を決めるのであった。


 さて、そのような不穏な策略が渦巻く西の丸とは裏腹に、本丸の老中たちは厄介事が解消されたことに安堵していた。

「いやぁ、まさか上様が大御所様に物申す日が来ようとは。話を聞いたときにはどうなることかと思いましたが、丸く収まって何よりでしたな」

「ああ。おかげで余計な混乱が起こらずに済んだのだ。これ以上ない上がりと言えるだろう。聞いたところによると、剣術指南役の柳生宗矩が上様に入れ知恵をしたそうだな」

「はい。詳しい話は知りませんが、上手いこと剣の道理を使って説き伏せたそうです」

 宗矩は特別自分の功績をひけらかしたりなどはしなかったが、偶然耳にしていた小姓あたりが噂を広めたのだろう。老中たちの間ではすでに功労者の一人として名が挙がっていた。

 この頃はまだ一旗本に過ぎない宗矩である。そんな彼が老中たちから良い評価を受けるのは喜ばしいことであったが、しかしこれには悪い側面もあった。話の最中、ぽつりと呟いたのは酒井忠世であった。

「……しかしそうなると宗矩殿も報復の対象に含まるかもしれませぬな」

「!」

 忠世の呟きに老中たちの表情がにわかに曇った。

 今回の一件、家光は少々強引ではあったものの、官僚的な目で見れば正当な手段で秀忠の計画を阻止した。しかし個人の感情としてそれに納得できるかはまた別の話である。なにせ長年温めていた計画を唐突にひっくり返されたのだ。内心はらわたが煮えくりかえっているであろうことは容易に想像がつく。つまるところ彼らが危惧していたのは秀忠たちによる私的な報復であった。

 もちろん秀忠たちにだって立場がある。わかりやすい形で攻撃してくることはないだろう。おそらくはチマチマと、権力や立場を利用した嫌がらせをしてくるはずだ。そんな報復が行われた時一番被害が大きくなるのは誰かと言うと、一番立場の弱い者――つまりは老中でも何でもない宗矩になるということであった。

「まいったな。特に後ろ盾を持たない宗矩殿では嫌がらせに耐えられぬやもしれぬぞ」

「金地院殿の嫌味は私たちですら辟易するほどだからな。かといって下手に助ければ、事情を知らぬ者からやっかみを受けるやもしれん」

「だが宗矩殿は今回の件の功労者だ。出来ることならば何とかしてやりたい。上様だって同じお考えのはずだ」

 さすがにここで見捨てるほど老中たちも非情ではなかった。どうにかして宗矩を守ってやりたい。そう一行が宗矩の身を案じていると、土井利勝が手を挙げて自分に考えがあると名乗り出た。

「ならばこの件、某に任せては貰えぬか?前々から少し考えていたことがあってな」

「案があるのならお任せいたしますが、どうするおつもりで?」

「なに、変なことをするつもりはない。普通に功労に対して褒美をやるだけだ。金地院殿だって文句は言うまいさ」

 そう言うと不思議がる老中たちを横目に利勝は楽しげに微笑むのであった。


 それから数日後、宗矩は老中・酒井忠勝に呼ばれて城に登った。この日は剣の稽古もなかったため、宗矩はまっすぐ彼の執務室まで案内される。

「讃岐守様。柳生宗矩様をお連れしました」

「うむ、ご苦労。よく来てくれたな、宗矩殿。そう固くならず、どうか楽にしてくれ。先日は大儀であったな。上様はもちろんのこと、私を含めた老中各位が貴殿の働きに深く感謝をしていたぞ」

「はっ。ありがたきお言葉、恐悦至極にございます」

 部屋に入った宗矩は忠勝のねぎらいの言葉に丁寧に頭を下げた。しかしその落ち着いた動きとは裏腹に、その心中は穏やかなものではなかった。単なるねぎらいならば城の外でもできる。そこをわざわざ呼びつけたのだ。また何か厄介事ではないかと宗矩は秘かに警戒していた。

「む?どうした、宗矩殿?少々顔色が良くないようだが」

「いえ、その……、また何か問題が起こったのかと思いまして……」

「あぁなるほど。ははは。そう警戒しなくともよい。今回は特に何もない。……いや、あると言えばあるのだがな」

 そう言うと忠勝はスッと背すじを伸ばし真っすぐに宗矩を見た。つられて宗矩の背すじも伸びる。こうして部屋の空気が凛としたものに変わると、忠勝は事務的でありながらもどこか温かみのある口調で話し始めた。

「柳生宗矩よ。先日の大納言様の件もそうだが、出羽守の件(坂崎事件)、そして長年将軍家の剣術指南役として仕えた件。思えば貴殿はここまでよく貢献してくれた。改めて各位を代表して礼を言おうぞ」

「ありがたきお言葉にございます。ですがそれもすべて皆様方があってのこと。某はその御活躍の一端を担ったに過ぎませぬ」

「そう謙遜するな。貴殿の献身には皆が感謝している。そこで今回我らはその働きの報いとして、貴殿に従五位下の官位を与えることとした」

 従五位下の官位。忠勝からの予想外の提案に、宗矩は思わず動揺し居住まいを崩した。

「えっ……、さ、讃岐守様。今何と……」

「ふっ。気持ちはわかるがしっかりしてくれよ。従五位下、諸大夫だ。おめでとう、宗矩殿」

「お、おおおおお!あ、ありがとうございます、讃岐守様!」

 宗矩は歓喜に震えながら、額が床板にこすれるくらいに頭を下げるのであった。


 さて、宗矩が歓喜に震えている間にここで少し官位について説明をしておこう。

 官位とは朝廷内での序列を表す階級のことであり、特に幕府経由で武士に授与されるものは武家官位とも呼ばれていた。位は正一位を頂点とし従一位、正二位と続き、四位からは正四位上、正四位下、従四位上と上下による区別がされている。このわかりやすい階級制度は幕府の武家統率に大いに役立っていた。

 そして今回宗矩が与えられることとなった従五位下とは上から数えて十三番目の位である。これは一般的には大名格の人物に与えられる官位であり、つまりは宗矩は身分だけで言えば一国一城の主たちと肩を並べたということであった。この時代の武士が何よりも体裁を重視していたことを考えると、これはまさに望外と言ってもいいほどの褒美であった。

「おおおおお!まことに、まことにありがとうございます、讃岐守様!」

「ふふふ。先も言ったがこれも貴殿の献身あってのことだ。だからこそ皆が同意したのだからな」

(まったく、宗矩殿を従五位下に推薦するとは、大炊頭様も上手いこと考えなさるものだ。だがこれで大御所様たちも簡単には手出しできまい)

 実のところ確かに宗矩は官位をもらい受けるに十分な活躍をしていたが、最後の一押しとなったのは秀忠からの報復対策としてであった。宗矩が従五位下になった今、秀忠たちが先の報復として宗矩に手を出せば事情を知らぬ同格の大名たちも警戒し混乱することだろう。これは江戸の分裂を望まぬ秀忠に対して強力な牽制となるはずだ。

(これで報復対策と同時に宗矩殿への借りも返せた。一石二鳥というわけだ。とはいえそのような裏事情を、喜んでいる宗矩殿にわざわざ教えてやる必要もないだろう。それよりも……)

「それより宗矩殿。存じているとは思うが、諸大夫以上になると正式な守名乗かみなのりができるようになる。後日でも構わぬが、思い入れのある官途かんと名があるのなら今聞こうぞ」

 官途名とは一定以上の位階を持つ武士が名乗る公認の役職名のことであり、いわゆる『讃岐守』や『伊豆守』などのことである。自らに箔を付けるために勝手に名乗る下級武士もいるが、従五位下以上のそれは朝廷に認められたものであり、名誉を重んじる武士にとっては官位と同じくらい価値のあるものであった。

 そしてこの時選ぶ領国名にはある程度本人の希望が通った。もちろん制限がないわけではない。将軍や老中たちにかかわりのある領地は選べないし、『薩摩』や『安芸』・『加賀』のような一国丸ごと治める国持大名のいる土地も選べない。また伝統として現在の領地周辺の国名を選ぶことも禁じられていた。宗矩の例で言えば大和、山城、河内、伊賀あたりがそれにあたる。とはいえそれらを差し引いても選べる国はごまんとあるため、忠勝は選べぬようなら後日でも構わないとした。

 しかし宗矩はすでに心に決めていた名乗りがあった。

「恐れながら、一つ望む官途名がございます」

「ほう。申してみよ」

「はい。その名は……」


 それからさらに数日経った寛永六年(1629)三月中旬。この日改めて宗矩に正式な任官の勅許状が下された。

「柳生又右衛門宗矩。貴殿を官位・従五位下、および官途・但馬守たじまのかみに叙する。この位に恥じぬようよろしく励むように」

「はっ!」

 宗矩は深く頭を下げて勅許状を受け取った。

 この日、後世の世にも名高い従五位下・柳生但馬守宗矩が誕生したのでであった。

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