柳十兵衛 本庄へと向かう 3

 十兵衛と平左衛門の二人は本庄に向けて中山道を歩み始めた。始め二人は普通の旅人のように歩いていたが、しばらくすると歩調は自然と早歩きとなり、やがてそれは小走り程度の駆け足に変わっていた。さらにそれが半里ほども続けば互いの身体能力もある程度把握できるようになる。気付けば二人は申し合わせたかのように、互いにとって無理ではない範囲での最高速度で中山道を駆けていた。

(ふむ。やはり柳生様の御子息。よく鍛えられている)

(この健脚……やはり平左衛門様はただの武士ではないな?もしや平左衛門様は……)

 こうして二人は中山道を並んで駆け、気付けば道半ばの宿場町・鴻巣こうのす(現在の埼玉県鴻巣市周辺)にまでたどり着いていた。

「だいぶ日も落ちてきましたな。今日はここで宿を取りましょうか」

 季節は初夏故に日はまだ少し残っていたが旅慣れている平左衛門の言葉である。十兵衛が同意すると平左衛門は「では適当に」と言ってするすると宿の一室を借りてきた。草鞋を解いて腰を下ろすとさすがに今日の疲れがどっと来た。

「ふぅ。平左衛門様。ここは江戸より何里ほどの場所で?」

「鴻巣は日本橋より十二里(約48km)ほど。本庄までが日本橋より二十二里なのでおおよそ半分ですな」

「十二里!?いやぁ、ここまで走ったのは久方ぶりでしたよ」

 平尾を越えたのが正午ごろだと考えると相当な速さだったことがわかる。

「それにしてもさすがは柳生様の御子息。正直一つ二つ前で宿を取ると考えてましたよ」

「いや、それを言うならば平左衛門様も……」

 とここで十兵衛は道中にふと思ったことを尋ねてみた。

「不躾ながら、もしや平左衛門様は忍び(忍者)にございまするか?」

 こう尋ねると平左衛門は一瞬驚きそして満足そうな顔をした。

「お見事。いや隠すような形になってしまって申し訳ない。それがし甲賀の忍びの家系より生まれ育ち、今は前島家の養子となりて讃岐守様に仕えておりまする」

 忍び。忍者。戦乱の時代より夜道や山中を駆け情報収集や破壊工作を行ってきた者たちのことである。徳川の世では初代家康の甲賀越えに助力した甲賀・服部半蔵などが名高い。また忍びはその特性上要職者の下についている者や健脚が多かった。まさに平左衛門がそれである。

「よく見ておられる。それもあやかしを見る力か何かですかな?」

「いえいえ、とんでもない。偶然知り合いに忍びの者がいたので、それでわかっただけですよ」

 今は詳しくは延べないが柳生と忍びの関係も深い。そもそも大和柳生庄は奈良山中の小領。そんな小領が豊臣徳川の騒乱の中で生き延びられたのは三厳の父・宗矩や祖父・宗厳むねよしが周囲の村落勢力と、つまり土着の忍び勢力と密に関係を持っていたためである。今でもそのつながりは残っており家来・門下生の中にはその一族の者が密かに紛れ込んでいる。そういった者たちを見ていたため十兵衛は平左衛門に気付けたのだった。

「ほう。氏は違えど十兵衛殿も忍びの心得を」

「心得だなんてそんな。本職にはとても及びませんよ」

 謙遜しつつも武を褒められ照れる十兵衛。それを見て平左衛門は再度忠勝からの言葉を思い出していた。

『目的はあやかしが係わっているかどうかを見極めること。それと三厳殿のお役目を滞りなく完遂させることだ。だが三厳殿は新陰流の腕前も上々だと聞く。場合によってはそのまま山賊を打ち倒しても構わんぞ。あの年頃は功に飢えているものだからな』

 忠勝は半ば冗談のように言っていたが平左衛門は相手の力量次第ではそれも悪くないと思い始めていた。

 一方の十兵衛は平左衛門のそんな値踏みするかのような視線には気付かずに夜食代わりに買ってきた田楽と寝酒をちびちびとやっていた。

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