柳十兵衛 砥ぎ師と対面する 1
原因特定から一夜明けた翌日。十兵衛たちは早速異変への反攻に動き出す。
方針は四つ。一つは『よく切れる包丁』の切れ味を
だがこれを十兵衛・又三郎・重信の三人で行うのは流石に無理がある。というわけでまず十兵衛らは人手を増やすために良兼の屋敷へを向かった。
話を聞いた良兼は、当然と言えば当然だがひどく疑っていた。だが十兵衛と重信という二人の術師の連名の力は大きく、最終的にそれなりの人員を割いてくれた。彼らは平時では色々とある関係性であるが、こういったときに余計な分別なく動けるという点では彼もまた素直に小田原の忠臣であった。
こうして確保した人員は市中の包丁対策と砥ぎ師の捜索に当たらせる。その間十兵衛と重信は二人にしかできないこと――つまり別の原因の捜索や異変の霧散の促進に努めた。具体的には市井の人から話を聞いたり、悪い感情を抱かなくなるような術式を書いたりといったものだ。そのようなことをしながら一日小田原中を歩き回った結果、幸いにも他の原因らしきものは見つからなかった。
「どうやら本当に包丁だけが今回の異変の原因だったようですね」
「ええ。これなら思ったよりも早く、今月中には異変も収まりそうです」
二人がそんな会話をしているとちょうど連絡役として走ってもらっていた又三郎が帰ってきた。切りのいいところだったので三人は適当な茶屋に入り小腹を満たしつつ報告を聞くことにした。
「良兼様からのご報告です。市中の包丁対策は順調に進んでいるようで、あと三日もあればほぼ全域の検分が終わるそうです。一部仕事として包丁を使っている者たち――漁師だの総菜売りだのが反発しているようですが、そちらも数日以内に方がつくだろうとのことでした」
順調な経過に十兵衛が「ほう」と感嘆する。
「思っていたよりも順調だな。もっと手間取るものかと予想していたのだが」
「ちょっと小耳に挟んだところではやはり重信様のお名前の力が大きいためかと。普段から市井の人たちと交流があったためか『よくわからないが重信様がおっしゃるのなら従う方がいいだろう』という人がそれなりの数いたそうです」
「ほう。日頃の賜物というやつですか。さすがですね、重信殿」
十兵衛らが敬意のまなざしを向けると重信は「いえいえ。ちょっと相談に乗っていただけですから……」と謙遜した。
余談だが後で十兵衛一人になったときに又三郎は追加で報告をしていた。
「包丁検分の件ですが、順調な要因の一つに古参組と新参組とが協力して当たっていることも関係しているそうです。というのも小田原の住民も古参家臣と新参家臣の確執は知っているらしく、故に逆にこの両者が協力しているのを見ると『これは一大事だ』と勝手に思い込むのだそうで。話していた方は
十兵衛が苦笑する。
「酷い笑い話だ。始めは噂によって振り回されたが最後になって噂が味方となるとはな。……両者が共に動くように手配したのは良兼殿か?」
「直接ではないでしょうが」
それを聞くと十兵衛は「あの人も食えない人だ」と独り言ちた。
閑話休題。又三郎から包丁検分の報告を聞いた十兵衛はもう一つの案件についても尋ねた。
「砥ぎ師の方はどうなった?居場所はつかめたのか?」
異変の原因となった『よく切れる包丁』。それを砥いだ砥ぎ師がいること自体は昨日のうちからわかっていた。その調査も並行して依頼していたのだが、こちらの報告は歯切れが悪い。
「その件ですが、それがどうもこの砥ぎ師小田原には住んでいないようで……。一応場所は聞きだしたそうですが今はまだ裏を取るために数人走らせている段階だそうです。故に正式な報告は早くとも明日以降になるかと」
「むぅ。それでは仕方がないか」
今日一日市中を周り包丁以外の原因がないと確認した十兵衛たちにとって、この砥ぎ師はいうなれば今回の異変の大元である。故に早めに押さえておきたかったのだが、こればかりはしかたがない。
そんな報告を横で聞いていた重信は少々重めの口調で十兵衛に問いかけた。
「十兵衛殿。
「やはり現状は何とも言えないとしか。まぁ万が一の時は私が対処いたしますよ」
「……申し訳ありません。難儀な役を……」
「いえいえ。これもお役目故」
理解しあっているかのような十兵衛らの会話。その意図がわからず図らずも蚊帳の外にされた又三郎は思わず「どういうことですか?」と尋ねた。
「ん?あぁつまりだな、可能性の話としてこの砥ぎ師は、別に小田原を混乱に
「えっ?なぜですか?その砥ぎ師が混乱の元凶なのですよね?」
「確かにそれは間違いない。ある砥ぎ師が砥いだよく切れる包丁。それが異変の原因だった。だがよく考えてもみろ。砥ぎ師がよく切れるように包丁を砥ぐのは何もおかしなことではないだろ?」
「それはそうですが……なっ!?ということは今回の異変は完全な偶然が生んだものだったと?」
「可能性としてはな。だがある意味では……」
十兵衛がちらと重信を見ると重信もこくんと頷いた。
「ええ。偶然だった方がまだマシかもしれませんね」
又三郎はさらに首をかしげる。
「偶然だった方がマシって、そこは大事なことなのですか?大きな違いがあるとは思えないのですが」
「まぁあると言えばあるんだよな。異変の解決自体には大して差はないんだが……」
十兵衛は出された沢庵をかじりつつ説明を始めた。
「異変の解決自体に変化はない。包丁をどうにかして砥ぎ師もどうにかすればそれで解決だ。問題はその手段でな、もし砥ぎ師に悪意がなければ話はすぐに終わる。要は『切れすぎる包丁』を砥がないようにさせればいいんだからな。普通に言って聞かせてもいいし仮に断られても御上の力で強制的に抑えつけることもできる。商人の方と話を付けて出回る前にこっそり回収するという手もいいかもしれないな。だが……」
十兵衛は試すように又三郎の方を見た。
「だがもし相手に悪意があれば?明確に小田原を困らせようという意思を持っていたやつがいたとして、それをどうやって止めさせる?」
「え?それは番方やら与力らと共にひっ捕らえれば……」
「おいおい。与力に何と言ってしょっ引いてもらうんだ?相手はただ包丁を砥いでいただけだぞ?それに怪異だって普通の人には見えない。仮に白州まで引っ張っていったとしても白を切るだけだろうさ」
ここでようやく又三郎も理解しはっとする。
「そうか!怪異は普通の人には見えない上に、砥ぎ師も
「そういうことだ。今の小田原の異変は確かに治まるだろう。だが砥ぎ師自体をどうにかしなければいつまでも異変は繰り返されるだろうし、あるいは別の地で第二第三の小田原を企むかもしれない。そこまで分かっている以上改め方としては放っておくわけにもいかない」
「……どうするおつもりなのですか」
「できる限りのことはするが、まぁ最悪の場合はこいつでどうにかするさ」
そう言って十兵衛は刀の柄をポンと叩いた。その意味が分からぬ又三郎ではない。
「……誠ですか?」
「誠も何も怪異改め方はもとよりこのくらいの荒事は前提だ。なにせ沙汰の対象がほとんどの者に見えないなんてこともあり得るのだからな。これでしか解決できないなんてことも
「事実私も狙われましたからね」
「し、重信殿。それはご勘弁を」
重信のちょっときつめの冗談に十兵衛が思わずたじたじになる。
「冗談ですよ。あれは不幸なすれ違いだったと理解しております。それよりも良兼殿にはそこら辺はお話してあるのですか?包丁自体に変な気はなかったため砥ぎ師はおそらく普通の人間です。根回しなしに切り捨てれば
「ご安心を。そこら辺の機微は伝えておりますし、実際にその砥ぎ師のもとに赴くときは良兼殿の家来を数人検分役として連れていくことで話はついております」
「なるほど。要らぬ心配でしたな」
安心する重信。しかしこれに又三郎が別の方向から噛みついてきた。
「十兵衛様、それは私は初耳なのですが!?よもや私は連れて行ってもらえないのですか!?」
「あぁお前には話してなかったな。悪いがお前は小田原で留守番だ」
「そんなっ!?」
又三郎は今回柳生家家来として十兵衛の付き人として小田原についてきている。それなのに主人の鉄火場に同行できないとあらば武士の名折れである。
「しかしなぁ、言っただろう?最悪の場合俺は砥ぎ師を切らねばならぬ。仮に切ればそれがお役目の範囲内であったということを誰かに証言してもらわねばならない。だからこその良兼殿の家来の同行だ。身内の証言では弱いからな。それに俺たちはここでは客人だ。形だけでも良兼殿の指揮下にいないと相手の面子も潰してしまう」
「で、ですがそれでも……」
「砥ぎ師一人相手するのにぞろぞろと引き連れて言っても仕方がないだろう。まぁその日は重信殿の護衛にでも励め」
「そ、そんなぁ……」
その後もしばらく又三郎は食い下がっていたが結局十兵衛の方針が変わることはなく、又三郎ががっくりと肩を降ろしたところで今日の調査は終わることとなった。
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