柳十兵衛 異変の原因を見つける 3

「よく切れる刃物が妖刀の一種……?」

 又三郎がどこか納得のいっていない顔で聞き返す。

「まぁそう言いたくなる気持ちはわかるが、これは単に定義の話だ。妖刀とは人を惑わし平時とは全く異なる行動を引き起こさせるもの。そしていい道具は時に人を操る。例えばよく書ける筆を手に入れればもっと字を書いてみたいと思うし、足に合う草履を履けばもっと遠くまで行ってみたいと思う。ならばよく切れる刃物を持てば、だ。現にお前も気持ちよくなってどんどんと菜っ葉を切っていただろ?些細なことかもしれないが人を惑わしたという点ではこれもまた立派な妖刀だ」

「それは……」

 反論しようとした又三郎であったが直前で言葉が詰まる。確かにあの切れ味を知った時に得も言えぬ高揚感を感じ、勢いに任せて菜っ葉を切っていったのは事実だ。他の筆やら草履の話も何となく覚えがある。そう考えれば確かにこれも妖刀なのかもしれない。

 ただそれとは別に納得しがたい点はある。

「……わかりました。これが妖刀だというのはひとまず飲み込みます。ですがやはりこれが十兵衛様たちが危惧するほどの異変の原因となったとは到底思えません。これだと精々無駄に野菜を切るくらいの被害しか出ませんよ」


「ふふっ。確かにそうだな。切った野菜の山ができるくらいだ。しかしだな、私は野菜を切りたくなることと人を切りたくなることはさほど遠いものではないと思うのだよ」

「む……」

「納得しがたいことはわかる。だが難しい話ではない。お前はさっき包丁を使った時に野菜を切りたくなっただろ。それを百回繰り返したとして一遍たりとも『これで人を切ればどうなるのだろうか』と思わないと断言できるか?なるほど平時ならそんなことは思わないかもしれない。だがこの包丁を使っているときに偶然何かに怒っていたら?あるいは酒でも飲んでて平静じゃなかったら?そんなときにうっかり抱いてしまったちょっとした悪意、あるいは淀んだ感情が溜まりに溜まって出来たもの。それが今回の異変だ」

 断言する十兵衛。しかし又三郎はどこかまだ引っかかっている。

「しかし包丁たった数本でそんな異変が起こるとはとても……」

「おや。小田原の包丁がこれだけだと誰が言った?これはある長屋で借りてきた分だけだぞ」

「えっ?」

「いい包丁だけになかなか貸してくれなくて苦労したよ。ともかく長屋一角だけでこれだからな。小田原全土でいったいどれほどあるものか。重信殿は見当は付きますか?」

 話を振られた重信は「そうですな……」と少し思案してから答えた。

「単純な包丁の数ならば……現在の小田原の人口は二万と数千ほど。やもめ暮らしの者や漁港のような仕事として包丁を使う者がいることを考えると、大雑把に見積もって二人につき一本包丁があると考えてもいいでしょう。つまりざっと見積もって一万本越えといったところでしょうか。さすがにそのすべてがこの『よく切れる包丁』ということはないでしょうが……」

「うち百本に一本でも百本越え。十本に一本なら千本越えですか。しかも包丁は毎日使うものですからね。先ほど包丁自体に呪詛はないとは言いましたが、考えようによっては包丁を使うこと自体が一種の儀式と言ってもいい。そう考えればこれほどまでの規模の儀式、見たこともありませんよ」

「数百人がほぼ同時に行う儀式ですか。さすがにそれは私も覚えがありませんね」

 二人の会話を聞いてようやく又三郎も規模の大きさに戦慄した。と同時に妙に落ち着いている二人に違和感を覚える。

「ど、どうしてそんなに落ち着いていられるのですか!?」

「どうした、又三郎。急に声を荒げて」

「どうしたも何も、私もようやくこの異変の異質さがわかってきたところですよ。だからこそ十兵衛様たちが落ち着いているのがわからない!この大規模な異変、もっと慌てるべきものじゃないのですか!?」

 又三郎の主張に十兵衛と重信は顔を見合わせ、そして諭すように微笑む。

「お前の言う通り確かに今回の異変、規模が大きいし早急な対処が必要なのも事実だ。だがな、この手の異変は原因さえ特定してしまえばあとはもう終わりに向かうだけなんだ」


「……終わりに向かうだけ、と言いますと?」

 理解できていない顔の又三郎に向かい十兵衛は言葉を続ける。

「今回の原因はこの包丁。正確に言えばその切れ味だ。ということはその包丁を少しなまくらにしてしまえばそれだけで事足りる。お前も並の包丁じゃ余計に菜っ葉を切ろうとも思わないだろ?」

「それは……な、なるほど……」

 確かに先程我を忘れたのはその切れ味のためである。それがなくなれば異変への余計な感情の流入も止まり、あとは自然消滅を待つばかりだ。

 納得する又三郎の横から重信も意見を述べる。

「それと砥ぎ師も調べたいですね。これだけの数の包丁。個々人が砥いでこうなったということはないでしょう。おそらく供給元の砥ぎ師がいるはずです」

 重信がこう進言すると十兵衛が我が意を得たりと膝を叩いた。

「さすがは重信殿。目の付け所がいい。実はそちらも調べてきております。時間がなくて詳しくは聞けませんでしたが、どうも最近人気の砥ぎ師がいるそうです。安くで『よく切れる包丁』にしてくれるのだとか」

「ほう。それは初耳でした」

「特に看板や広告は出していないと聞きましたからね。それでもその腕前から膾炙かいしゃされた結果、予約をしても早くても半月待ちになるほどの評判になったそうです」

「……半月待ち」

 この報告に重信は渋い顔をする。

「それはつまり最低でも砥ぎ終えるまでに半年かかるほどの包丁がここ小田原に広まっているということですね」

「ですが考え方によっては朗報です。件の包丁も幾度も使えば切れ味が悪くなるということですからね。つまり砥ぎ師を押さえるだけでも異変の解決につながるというわけです」

 又三郎が「なるほど」と感嘆する。先ほど十兵衛が言った通り、原因さえ分かってしまえば解法はあきれるほど簡単に見つかるようだ。

「なるほど。では解決への第一はその砥ぎ師とやらを探すことでしょうか?」

「いえ。解決の目途が立ったとはいえ異変自体はだいぶ限界まで来ています。並行して異変の霧散を促進させる術を行うべきかと」

「それも大事ですね。ぜひやりましょう」

 こうして意見がが出そろったところで改めて十兵衛たちは明日以降の方針を決めた。それは以下のとおりであった。


 まず第一に小田原市中に出回っている『よく切れる包丁』の切れ味を衰えさせること。これにより包丁を使った者が不穏な感情を抱くことがなくなる。

 次にその包丁を砥いだ砥ぎ師を見つけること。これにより今以上の包丁の流入・拡散を防ぐことができる。

 続けて並行して異変の霧散を促進させる術を行うこと。自然消滅の目途が立ったとはいえ今現在の小田原の空気は限界が近い。少しでも安全に終えるためには術師による介入が不可欠である。

 そして同時に念のために包丁以外の原因がないか探ること。見落としは誰にでも起こりうる。完璧な仕事のためには念のためを忘れてはいけない。


「とりあえずこんなところですかね」

 以上のことを明日以降行うと決めたところで夜の五つの鐘が鳴った。この時期の五つの鐘は現代での午後九時から十時頃に相当する。就寝には遅いくらいの時間だ。

「おや、もうこんな時刻ですか。では明日以降の方針もあらかた決まりましたので今日はこのへんにしておきましょうか。お二人が問題なければ寝床を用意させますが、如何なされますか」

 重信の問いかけに答えたのは十兵衛だった。

「ありがとうございます。それではお言葉に甘えさせていただきます」

「では用意させます。それとたしか普段は良兼様のお宅に御厄介になられているのでしたよね。心配させぬようにこちらから連絡の使いを出しましょうか?」

「いえ、お気遣いなく。実は先んじて言伝ことづてを渡しております故、帰ってこなければ重信殿の所にいるというのは承知のはずです」

「それはそれは。それではあとは世話の者を寄越しますのでその者に何なりと言いつけてください。」

 重信がそう言うとすぐに座敷の戸が叩かれ世話係の奉公人が顔を表した。

「十兵衛様。又三郎様。床の準備が出来ました故どうぞこちらに」

 十兵衛らは重信と就寝の挨拶をしてから奉公人のあとについていった。


 やがて十兵衛らは一つの客間に通された。部屋にはすでに客人用の布団が二枚敷かれている。どうやら又三郎と同室のようだが急な来客ということと、どうせ一夜ということを考えれば特に気にするようなことでもない。

「それでは何かございましたら何なりとお申し付けください」

 奉公人がすっと消える。そしてしばらくしてから十兵衛が口を開いた。

「気配も消えたか」

 又三郎が何のことかと思案すると、そう言えば奥座敷から十兵衛たちを囲んでいた隠しきれていない殺気が消えていた。又三郎はふぅと安堵する。

「どうやら敵対する必要はないと信じてもらえたようですね」

「ああ。そのようだな」

 そして十兵衛はぽつりとつぶやいた。

「どうやら重信殿は黒幕ではなかったようだな」

 これに驚いたのは又三郎だ。

「えっ、十兵衛様!?原因を見つけて黒幕ではないとわかったから屋敷にやってきたのではないのですか!?」

 だが十兵衛は何でもないという風に生あくびを一つしてから横になる。

「確かに包丁が原因だとは見抜いたが、それが重信殿と無関係かはまた別問題だ。だから乗り込んで証拠を見せることで鎌をかけたんだよ。だがあの様子では黒幕ではないようだな。あぁ、俺もようやく一息つける心地だよ」

「……もし黒幕で襲われていたらどうするつもりだったんですか。脇差まで預けていたというのに」

「なぁに、その時はその時だ。それに刀はなかったが近くに包丁があることはわかっていたからな」

「なっ……!?」

「ほら、この話はもういいだろ。早く寝ないと明日に響くぞ」

 十兵衛はそう言って早々に寝息を立てるが、又三郎は十兵衛のあまりの大胆不敵さに言葉を失いしばらく寝つけなかった。

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