団子串太郎 牢人討伐に動く 1

 夜が明けて上野五日目。この日は朝から利助の使いが尋ねてくることになっていた。

「三厳様。利助様からの使いは何時頃訪ねてくるのですか?」

「確か五つ頃(午前八時頃)に寄越すとおっしゃってましたね。まぁ利助様の使いですからね。きっと時間きっかりに訪ねてくることでしょう」

 その予想通り遠くで五つの鐘が鳴ったと思うと、宿の者がやってきて「知人と名乗るお方がお見えになっておりますが……」と一人の男の来訪を告げた。

 訪ねてきた男は眉尻の下がった気弱そうな奉公人風の男。しかしそれは外向きの姿で、部屋の戸が締められるや使いの者はすぐに背筋をしゃんと伸ばし二人に丁寧に頭を下げた。

「お待たせしました、三厳様に友重様。利助様からの報告をお持ちいたしました」

「ご足労感謝いたします。それで具合の方はいかがでしたか?」

「そうですね、先に結論から申し上げますと上野御公儀も三厳様らが追っている牢人たちを追っておりました。また彼らを退治してくれるというのならその情報を渡す準備もできているとのことです」

 この報告に二人は「それは素晴らしい」と顔をほころばせた。これでかなりの工程を短縮できる。

「それでその情報はどうやって受け取ればいいのでしょう?直接城に出向けばよろしいのですか?」

 だがこの問いに使いの者は重々しく首を振った。

「いえ、そのことなのですが……今回上野側はお二方と直接会うのは避けたいとのことです。つまりは内々で済ませてほしいということです」

 内々に済ます。これは公的な手続きをすっ飛ばして現場の裁量で問題を解決しようとすることである。個人の裁量にゆだねられると聞くとお役所仕事にしては杜撰に感じるかもしれないが、この時代は担当者への連絡一つですら難儀する時代である。そのためこのような『内々』は当たり前のように行われており、故に三厳たちもその点についてはさほど驚かなかった。

「内々にですか。それは構いませんが、ではどうやって情報を受け取ればよいのでしょうか?」

「それにつきましては御用聞きとして使っている牢人に渡すのでそれと接触してほしいとのことです」

「牢人……。岡っ引きか何かで?」

 岡っ引きとは与力同心の下について犯罪捜査を行う非武士階級の者たちのことである。治安の悪いところの捜査も行うため元牢人がスカウトされてなる場合も少なくなかった。

 ただ今回の男はそういう感じではないと使いの男は首を振る。

「いえ、そこまで立派な者ではないと聞いております。ちんけな牢人で、ちょっとした悪事を見逃す代わりに他の牢人たちの動向を探らせているとのことです」

「……それは保身のために身内を売るような奴ということですよね。そんな奴信用できるのですか?」

「さすがに信用に足りない者を三厳様に紹介などしないでしょう。まぁ一応何かあったら切り捨てても構わないとも聞いておりますが」

 ここにきて三厳らの顔が少しばかり曇った。切り捨てても構わないということは城が寄越したのはその程度の人材に過ぎないということだ。

「……存外に冷たい態度ですな」

 友重が不機嫌そうに呟くと使いの者は深々と頭を下げた。

「気分を害されるのも無理のないこと。ですが向こうの事情もご理解ください。表立って三厳様たちと会えば記録として残ってしまう。いくら治安を乱す牢人相手とはいえ国を越えて人を動かせば江戸にどう見られるかわかったものではありません。……加えてこれは利助様の私見ですが、おそらく上野側は江戸御公儀とつながりの深い三厳様方らを警戒しているのではないかとのことです」

「警戒?我らをですか?」

 驚く三厳らであったが使いの者は当然だという顔で話を続ける。

「無理もないことでしょう。江戸におきましての柳生家の権勢はこちらでもよく聞こえております。そんな御家から頼み事が来れば何かしら裏があるのではないかと疑うのは自然なことかと」

「そんな……。そのようなことは……」

「もちろん承知しております。ですが念には念を入れたいのが人情。一領主の苦悩をご理解くださいませ」

 三厳と友重は思わず顔を見合わせた。どうやら『柳生家』の名は想像以上に恐れられているようだ。こうなると下手にゴネればいらぬ軋轢を生むかもしれない。二人は素直に城から出された案に同意した。

「承知いたしました。そちらのご要望通り内々に解決させていただきます。先方には気苦労をかけてしまったことを詫びておいてください。それでその御用聞きの牢人とやらはどうやって会えばいいのですか?」

「はい、少々手間ですがまずはですね……」

 使いの男は膝を前に出して城の代理である牢人との接触方法を伝えた。


 利助の使いが訪ねてきてから数刻後、三厳は一人上野北東部を流れる服部川の川沿いを歩いていた。

 服部川。上野西部を流れる木津川の支流であり、町に近い川でありながら運河としては本流である木津川の方がにぎわっていたため、こちらは舟数も少なくその川沿いにはのどかな景観が続いていた。

 そんな新緑まぶしい川沿いを風流人のふりをしながら歩く三厳。するとふととある一本柳の木の下に一隻の小舟が浮いているのが目に入った。舟は人や物を対岸まで運ぶ用の小さなもので、川岸に打ち込まれた杭につながれてゆらゆらと揺れている。またその船首には黒い手ぬぐいが結び付けられていた。

(この舟か……)

 三厳が近付き中を覗くとそこには手ぬぐいを頭に被った漕ぎ手らしき男が横になっていた。顔は見えないが眠っているのか、近付いてきた三厳に何の反応も見せてはいない。にもかかわらず三厳は舟の中の彼に聞こえるように呟いた。

「少し訊きたいのだが、『この川でフナは釣れるのか?』」

 すると眠っていたと思われた男がおもむろに返答した。

「……ここよりは下流の方が釣れますね。よかったら乗って行かれますか?」

「すまんが今は『手持ちがなくて』な。また今度乗せてもらおうか」

「……無料でいいですよ。代金なら先方からもらってますんで」

「そうか?ならば乗せてもらおうかな」

「では少しお待ちを」

 男は起き上がり係留用の綱を引いて三厳が乗り込みやすいように舟を岸に寄せた。三厳がそれにひょいと乗ると男は「では参ります」と言って舟を走らせ始めた。

(……手間がかかってるな。まぁ相手は身内を売っているようなものだし、いろいろと気を使っているのだろう)

 いまさら言うことでもないかもしれないが、この一連の流れが使いの者から教えられた情報源となっている牢人に会うための符号であった。

『以上のようにすれば舟に乗るように言われますので、それに従ってお乗りになってください。そこから先はその漕ぎ手の者に一任するようにとのことです』

 ここまで手間をかけるのはその牢人が城の子飼いであるとバレるのを防ぐためだろう。面倒ではあったが上野の御公儀の手前、三厳は素直に従いここまで来た。

 なお三厳が支持されたのはここまでで、ここから先のことは何も教えられていない。漕ぎ手の男が何者かさえもだ。

(ふむ、この男が情報源の牢人なのか?あるいはこやつからまた別の行き先を提示されるのか?)

 だが男は何も言わずに舟を進める。向こうが何も言わないのならばと三厳も黙って流れに身を任せる。

 そうしてしばらく川を下ったのち、やがて舟は人気のない岸に寄せられた。男は水面から出た杭に係留用の綱をかけ舟を安定させると船底に置いてあった粗雑な釣竿を三厳に手渡した。

「さぁここなら釣れますよ」

 竿を受け取った三厳は一瞬(こいつ、本気で俺を釣り客だと思っているのか?)と疑ったが、渡された釣竿を見てみればそれは餌も針もなく、ただ糸の先に重しの石がつけられているだけのものであった。これも符号の一つだろうか、三厳がそれを素直に水面に落とすと漕ぎ手の男は声を一段低くして話しかけてきた。

「……一応確認するが、あんた、紹介されて来た人でいいんだよな?」

「ああ、そうだ。とある牢人集団の情報が欲しい。そのためにここまで来たのだが、お前がその情報源なのか?」

「おっと、あまり不用意なことを口にしないでおくんなせぇ。誰が聞いているかわかったもんじゃない。こちとら結構危ない橋を渡ってるんでねぇ」

 男は明後日の方を向きながら煙管をふかしていた。おそらく会話していると見抜かれないためだろう。その様子から三厳はこの男が目的の牢人だと確信し、こちらも落ち着いた声で「気を付けよう」と返した。

「まぁ不審な人影がないかはこっちでも見張ってますんで旦那はさほど気にしなくてもいいですよ。それで旦那は何が知りたいんですか?こちらも何を知りたいのかまでは聞かされてなくってね。とりあえず訊いたら答えますんで、適当にしゃべってくださいな」

「そうだな。では訊くが……」

(……おや?)

 ここで三厳は意図せず牢人の方を向いて顔を見てしまった。それ自体は大したことではないのだが、このとき三厳はなぜかその男に妙な既視感を抱いて固まってしまった。

(おや、何だ今の感覚は……?おかしいな。こっちの方に牢人の知り合いなんてほとんどいないはずだが……)

 立場柄人の顔と名前を覚えることには自信があった三厳だけに、この『見た覚えがあるのに思い出せない』という感覚に思わず黙ってしまう。そして急に黙った三厳を不審に思ったのか、男の方も三厳の方を向いてその顔を見た。

「どうかなされましたか、旦那……っ!?お、お前はっ!?」

 漕ぎ手の男は目を丸くして固まった。どうやら向こうも三厳の顔に思い当たりがあるようだ。

 男の顔には驚きとも、怒りとも、恐怖とも取れる表情が浮かぶ。そしてその表情は三厳の記憶をさらに刺激する。やはりどこかで会ったことがある。それもごく最近……。印象深い場所で……。

「あっ!そうか、お前は……!」

 ここでようやく三厳の方も思い出した。地味な格好をしていたため気付くのが遅れたが、その顔は確かについ先日見たばかりの顔だった。

「お前、伝兵衛か!?」

 なんと上野御公儀から紹介された情報源の牢人は、一昨日三厳と保知によって成敗された傾奇者・伝兵衛だったのだ。


 思わぬところで再会した三厳と伝兵衛。そのあまりにも唐突な再会に二人はどうしていいかわからず固まった。

「お前はあの時の……!」

「お前、伝兵衛か!?なんでお前が!?」

 狭い舟の上、両者見合った中で先に動いたのは伝兵衛の方であった。

「ちくしょうっ!」

「あっ、待てっ!」

 ドブゥン。力の差など嫌というほど知っている伝兵衛は逃げの一手で勢いよく川に飛び込んだ。水しぶきが舞い小舟がぐわんぐわんと揺れる。三厳もあわてて追いかけようと舟のへりに手をかけるが、寸でのところで冷静になって浮かせた腰を下ろした。

(……よくよく考えれば追わなくともよいか。あいつが本当に城の代理ならば放っておけば向こうから戻ってくることだろう)

 しばらくすると予想通りすっかり濡れ鼠となった伝兵衛が恨めしそうな顔をして戻ってきた。

「……あんたが情報が欲しい侍なのか?」

「お前が仲間の情報を売っている牢人ならばそういうことになるな」

「チッ!クソッタレが!……もういい、何でも訊け!」

 そう言うと伝兵衛はヤケクソ気味に小袖を脱いでその辺の木に引っ掛け、ふんどし一丁で土手に寝転がった。三厳はその様子に苦笑した。

「その様子、まさか本当にお前が城が寄越した使いとはな。しかもその服装……」

 三厳がすぐに伝兵衛に気付けなかったのは主にその服装のせいであった。伝兵衛はいわゆる『傾奇者』と呼ばれる洒脱な格好を好む牢人で、数日前に会った時も華美な女物の小袖を羽織のように羽織っていた。ところが今日の格好は黒い手ぬぐいのほっかむりに着古した濃灰色の小袖、それを尻端折りにまくっていた姿は誰がどう見てもくたびれた百姓のそれであり、数日前の派手な格好とは似ても似つかぬものである。

「チッ!うっせえなぁ!目立たないような格好をするのは当然だろうが!訊くことがないってんなら俺は帰るぞ!?」

 威嚇するように声を荒げる伝兵衛であったがふんどし一丁では締まらない。ただへそを曲げて下手な情報をつかまされても嫌なので三厳は軽く謝ってから本題に戻ることにした。

「すまんすまん。では訊くが、ここから南西に谷瀬村という村があるだろう?そのあたりを縄張りとしている牢人が知りたいんだ」

 伝兵衛はしばらく不満そうに口をとがらせていたが、やがて心当たりがあったのか「あぁあの村か」と呟いた。

「随分とまた辺鄙なところを気にかけるんだな?知り合いでもいるのか?」

「まぁいろいろと縁があってな。それでどうなんだ?聞いた話では近くの廃寺をねぐらにしているそうだが……」

「なんだ詳しいじゃねぇか。あんたの言う通り村の南西の廃寺にそいつらはたむろしている。数は六人だが、他所から来た奴も泊まらせているから大体いつも十人くらいはいるな。俺も何度か宿代わりにしたことがある」

「知り合いでもいるのか?」

「いいや、知り合いと呼べるほどのもんじゃねぇ。まぁはみ出し者同士の横のつながりってやつさ」

 伝兵衛曰くこのあたりの牢人は積極的に徒党を組まずにその場その場で適当に助け合って暮らしているらしい。これは他の証言とも一致している。

「金貸しから逃げたり、ちょっとヘマをして町に帰れなかったときなんかに何度か世話になったんだ。……あとはあれだな。集まっている牢人の情報を城の奴らに渡すとちょっとした金になるんでな」

「……最低だな、お前は」

「うるせぇ。俺以外にもやってる奴はいるから大して変わんねぇよ」

 開き直る伝兵衛に呆れる三厳であったが彼らの事情に深入りするつもりはないためさっさと話しを切り替える。

「……それでそいつらはどのようなことをやっているのだ?よもや皆で座禅を組んでるなんてわけでもあるまい」

「何って、まぁ普通の牢人稼業だ。脅したり盗んだり、特別何かをしてるってわけじゃあない。……だからこそちょっと意外だった。あんたがあいつらに目を付けたことがな」

「どういう意味だ?」

「どうもこうも、あいつらは『普通の牢人集団』だ。特別目にかけるような奴らじゃない。いや、むしろ規模も頻度も『普通』以下だったな。必要な時に必要な分だけ奪う、なんて言うか根っこの部分が『堅物』な連中だった。ありゃあ多分元はどこぞの城で働いていた武士なんだろうな」

「城……新陰流だという話も聞いているが」

「流派ねぇ。そこらへんは適当に名乗るやつも多いから何とも言えねぇなぁ。ただまぁ鍛えてそうな雰囲気はあったな」

「ほう、どのくらいの腕前かとかはわかるか?」

「そりゃあ無理だ。剣の腕なんて見たことないからな。ただ多分一番強いのは勝信かつのぶと呼ばれていた男だろうな。年は初老に片足を突っ込んだあたりだが背すじの伸びた男で、仲間内からも一目置かれていた様子だった」

「勝信か……」

 勝信という名は草吾の話にも出ていた。おそらく彼が重要人物になるだろうと踏んだ三厳は改めてその名前を心に刻む。

「まぁこんな感じか。他に何か聞きたいことはあるか?」

 あらかた話し終えた伝兵衛は乾きかけの小袖にそでを通す。その間三厳は考える。目に見えて新しい情報はなかったが聞いていた話の裏が取れたと考えれば十分な収穫だろう。それ以外に知りたいことと言えば……。

「……そうだ。お前、案内役にはなれるか?」

「案内役?」

「ああ。寺までの道のりや道中の身を隠せる場所、あるいは牢人らが警戒している場所。そういったところを案内してもらいたい」

 あと知りたいことは現場の情報であろう。三厳の提案に伝兵衛は少し考えこむ。

「お上からはそこまでしろとは言われてないが……まぁ金次第ならやってもいいぞ」

「抜け目ないな。まぁいい、それなりの額は出してやる。こちらの段取りが決まったらまた呼び出すから連絡先を教えてくれ」

「はいよ。俺の長屋は……」

 こうして三厳は伝兵衛の連絡先を入手した。なおこの時教えられた住所は数日前に友重が尾行して突き止めた伝兵衛の長屋の場所と一致した。

(嘘はついてないか。どうやら協力する意思はあるようだ)

「よし。ではまた後日、よろしく頼むぞ」

「ああ、任せておけ。……と、ちょっと待て。あんた名前は何てんだ?名無しのままじゃいろいろと面倒だろう」

「そういえば名乗ってなかったな。俺は『団子串太郎』だ」

「串……」

 あからさまな偽名に伝兵衛は呆れた顔をする。

「まぁ呼び名なんてわかればいいんだろうけどよ……。しかし俺はこんなふざけた名前の奴に負けたのか……」

「なに、さもありなんというやつだ。……あぁそうだ。案内の際には俺の仲間もいるはずだが構わなかったよな?」

「仲間……。あんた一人じゃなかったのか」

「おいおい、一人で牢人集団にケンカを売りに行くわけがないだろう。あと二人いて、そのうち一人はお前も知っている奴だ」

「俺の知っている……?」

 伝兵衛は一瞬考えこむが、やがて答えにたどり着いたのか顔を引きつらせる。

「まさかそいつって……!」

「ご明察。お前らを棒っきれで圧倒した保知殿も仲間の一人だ」

 それを聞いた伝兵衛は今度こそ心の底から嫌そうな顔をした。

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