柳十兵衛 山賊の塒に向かう 2

 聞き込みをして回った結果、十兵衛は山賊を率いているあやかしが以前取り逃したあやかし『鬼蜘蛛丸』かもしれないと知る。

 その真偽を確かめるべく、一行はいよいよ山賊たちが潜んでいるであろう廃寺へと向かうことに決めた。


 早朝、十兵衛一行は室生の屋敷前に集合し出発前の最期の確認をしていた。

「水に薬に……。食料は最小限で構いませんね?」

「ええ。上手くいけば今日のうちに帰れますからね。余計な荷物は必要ないでしょう」

 目的の廃寺は炭焼き小屋よりもさらに北の山、室生よりも名張に近いくらいのところにあった。それでも距離としてはその日のうちに帰ってこれる範囲にある。もちろんそれはすべてが順調にいけばの話ではあるが。

「……日も昇ってきたな。そろそろ参りましょうか、高通様」

「ええ。では八太郎、留守は任せたぞ。もし二日経っても戻らなかったら、その旨を宇陀に戻って伝えるように」

「承知いたしました。無事の御帰還を心よりお待ちしております」

 こうして十兵衛一行――十兵衛およびそのお供の友蔵と藤五郎、そして高通と彼の家臣の計五人は、山賊討伐のために室生の村を後にした。


 一行は連日と同じように室生から北に延びる街道を北上していく。道は早朝ということもあって日陰も多かったが、もはや慣れた道であるためその歩みに淀みはない。

「これなら五つ頃(午前九時頃)には件の脇道までたどり着けるでしょうね」

 そんな高通の言葉通り、一行は太陽が真南に来る前に目的の脇道までたどり着いていた。

 その脇道は入り口付近に腰丈ほどの大岩が転がっており、その先も倒木などで遮られている。しかしそれらを越えてもう一歩進めば、しっかりと踏み固められた獣道が顔を出した。

「この岩、偶然転がってきたものではないな。……賊の偽装でしょうか?」

「おそらくは。きっとこれで御公儀や普通の旅人が入ってこないようにしていたのでしょう」

「ということは本命ということか?」

 誰かが気まぐれでするような偽装じゃない。いよいよこの先に山賊たちがいると確信した十兵衛たちは、ここで部隊を二つに分ける。

「ここから先は一本道でしたよね?」

「ええ。古い地図によりますと道の先は廃寺だけ。距離だけなら一刻と少し歩く程度です」

「ならばここで別れましょうか。……それでは行ってまいります。今日中に戻ってこなければ、そう言うことだと思ってください」

 そう言って十兵衛は自信のお供二人を連れて獣道に踏み入る。

「お気をつけてください、十兵衛殿。ご武運を祈っております」

 高通と彼の家臣はそれを麓から見送った。


 廃寺へと続く脇道のところで二手に分かれた十兵衛たち。これは事前の打ち合わせで、十兵衛が襲撃に少数精鋭を望んだためであった。

「もし相手が本当に鬼蜘蛛丸ならば、多人数で向かうのはあまりよろしくないかもしれませんね……」

 前日の打ち合わせで十兵衛がこう言ったのは、鬼蜘蛛丸の能力を警戒してのことであった。

「何かあるのですか?」

「以前鬼蜘蛛丸と三ケ日でやり合った際、奴は常人には見えないクモの糸のようなもので屋敷を覆っていたんですよ。あれはおそらく鳴子のようなもの。誰かが侵入すればすぐに伝わるような罠でした」

「見えない罠か……。それは十兵衛殿の目に頼る他ありませんな……」

「加えて相手に見えない糸を飛ばすようなそぶりも見せておりました。乱戦の中でそれらに対処するのはさすがに難しいかと……」

 相手の攻撃が見えない以上、そのフォローは見える十兵衛がする他ない。しかし襲撃すれば乱戦は必至。そんな状況で仲間四人の位置を正確に把握しながら敵と戦うのは、さすがの十兵衛でも自信が持てるものではなかった。

「確かにあやかし関係では私どもは何のお役にも立てませんからね。ではどうするおつもりで?」

「ここは少数精鋭で赴き、鬼蜘蛛丸一人を討つことを目指すべきかと」

 十兵衛の案は何はともあれ鬼蜘蛛丸を討つことを第一とすることだった。そもそも高通たち宇陀御公儀が山賊に手を出せずにいたのは、あやかしの存在を恐れてのことである。ならば鬼蜘蛛丸さえ討てばあとはただの人間の烏合の衆。残党狩りなら高通たちでもできるだろう。

「……理には適ってますね。しかし大丈夫ですか?相手が何人いるかもわからないというのに……」

「危険な賭けは承知の上です。ですが友蔵も藤五郎も共に手練れ。連携も合わせやすい。一人討って逃げるだけなら勝算は十分あると思われます」

 それから十兵衛たちは細かく話し合ったが最終的には当初の案、十兵衛とそのお供だけが山賊の塒に踏み込む作戦に決まり、今に至るというわけだ。


 作戦通り高通らと別れて山賊の塒へと向かう十兵衛たち。彼らは草木をかき分けながら目的地である廃寺を目指す。さすがにこの時ばかりは友蔵も軽口を叩くようなことはなかった。

 事前に聞いた話では廃寺は歩いて一刻強ほどのところにあるらしい。十兵衛たちの足腰ならばその半分で踏破することもできただろうが、今回は敵の監視や罠の警戒もしなければならない。結果として彼らは通常よりやや遅い程度のペースで山道を進んでいた。

 そうして半刻ほど進んだ頃、一行は不意に開けたところに出た。そこは浸食の影響で崖のようになった場所で、見晴らしがよく、新緑の梢が遠くまで続いているのがよく見えた。十兵衛は軽く周囲を見渡すがここに監視やあやかしの気配はない。

「……一息入れられそうな場所だな。ここで少し休んでいくか」

 本番は廃寺に着いてからである。彼らは英気を養うために、ここで一度休憩を入れることにした。

「とりあえずここまでは問題なく来れたな」

「見張りがいないのは、まだ向こうの規模が小さいためでしょうか?」

「そうかもしれんな。だが油断はできないぞ。近付けば近付くだけ見つかる可能性は高くなるのだからな」

 今はまだ見つかってないとはいえ、一歩ごとに会敵の可能性は高まっている。一行は休憩を取りつつも、草鞋の紐を締めなおしたり、刀の差し具合を確認したりと油断せずに臨戦態勢を整えていた。

 特に十兵衛はあやかし対策として抜いた刀に清めた酒を振りかけ、簡易的なまじないをかけたりもしていた。鬼蜘蛛丸相手にこれがどこまで有効かはわからないが、それでもやっておくに越したことはない。刀は宗矩から寄越された例の妖刀である。肉薄な刀身は酒に濡れてギラリと輝いている。

(まったく、ゾッとするほど美しい刀身だ。恐ろしくもあるが、こんな場面だとさすがに頼もしいな……)

 さて、そうやって各々決戦の準備を整えていると、ふと友蔵が来た道の方に顔を向けた。

「ん?」

「どうかしたか、友蔵?」

「いや、今ふもとの方から気配がしたと思ってな……」

「まさか。この先は例の廃寺以外何もないんだぞ」

 そう言いつつも一行は息を殺して下の方に意識を集中させる。その結果、確かに誰かがこちらに向かってくる気配がした。

「こんな獣道に人が?まさか出ていた山賊が戻ってきたのか?」

 この場面、まず最初に考えるのは当然それだろう。下の高通にも、誰かが入ってこようとしても危険だから手を出すなと言ってある。仮に違ったとしてもここを通すわけにはいかないのに変わりない。十兵衛がちらと友蔵たちを見ると、二人はすでにやる気の顔をしていた。

「これはちょうどいい!とっ捕まえてやりましょうよ、十兵衛様!」

「できそうか?」

「こっちは三人で向こうは一人か精々二人。上手く挟み込めば簡単に抑え込めますよ!」

 自信満々の友蔵。そして藤五郎もさりげなくやる気を見せている。

「……よし、わかった。俺が後ろに出るからお前たちは前の方で隠れていろ。俺があやかしかどうか確認してから飛び出すから、それまでは息をひそめておけよ」

「はっ」

 こうして十兵衛たちは前後に分かれて息をひそめる。そしてそこから数分と経たぬうちに一人の牢人風の男が彼らの前に姿を現した。


 十兵衛たちが気配を感じ取ってからまもなくして、一人の牢人風の男が隠れる一行の前に姿を現した。

(高通様ではないな……)

 先んじて目視した十兵衛はその男が高通たちでないことを確認し、続けてあやかしでもないことを看破した。やってきたのはただの一般人。だが一般人がこんな獣道を通るはずがない。

(ということはやはり山賊の一人か)

 十兵衛はいつでも飛び出せるように、つま先に力を込めてその時を待った。

 対して現れた男は何かを感じ取ったのだろうか、開けた道の手前でそれまで進めていた足を止め軽く周囲の気配を探る。しかし十兵衛たちを見つけるまでには至らず、そのまま歩き出したところで改めて十兵衛がその背後に飛び出した。

「おっと!止まってもらおうか!」

「むっ!何奴!?」

 背後からの声に男が立ち止まり振り返るが、それと同時に友蔵たちも前方に飛び出す。これで男は挟み込まれた形となった。一瞬で三人に囲まれた男は動揺こそ見せたものの、すぐさま近くの大岩に背を預けて抜刀の姿勢を取った。

「くそっ!何奴だ、貴様ら!?」

 十兵衛たちは静かに包囲を狭めながら、男の振る舞いに少しだけ感心していた。背後に障害物を置く男の動きは多人数に囲まれた時の定石である。

(それをこの咄嗟の場面でできるとは……。思っていたよりも手練れのようだな。これは少々手こずりそうだ……)

 どうやら相手はそれなりに場数を踏んでいるようだ。数的優位ながらも苦戦を覚悟する十兵衛たち。しかし事態は思わぬ方向に動く。

「なんだ貴様ら!まさか噂になっていた山賊の類か!?」

「山賊?何を言っている。お前が山賊ではないのか?」

「俺がか?馬鹿にするのはよせ!お前たちが山賊だろう!」

「……んん?どういうことだ?」

 しばらく睨み合ったのち、何かがおかしいと感じ取った十兵衛は包囲を継続しつつも少しだけ剣気を緩めた。

「……少し確認をしよう。某らは宇陀の御公儀に依頼されて山賊討伐に来た者だ。お前は何者だ?」

 十兵衛が公的な人間だと名乗ると、男は驚きで目を丸くした。

「御公儀!?……そうか、失礼した。だが私も山賊ではない。ある人物を追ってここまで来たのだ!信じてくれ!」

「……」

 男に嘘をついている気配はない。だが信じるにはあまりにも都合が良すぎる。

「こんな山奥でだれを追っているというのだ?まさか山賊に知り合いでもいるのか?」

「いや、その人は山賊ではないはずだ。『春豪』という名の僧なのだが、聞いたことはないか?」

「なにっ!?まさか春豪房のことか!?」

 今度は十兵衛らが目を丸くした。なんとこの男が追っているのは例の怪僧・春豪房とのことだった。


「……なるほど。つまり貴殿は春豪房の武勇を聞いて、それに挑みたい一心でここまで来たと」

「その通りだ。御公儀の邪魔をするつもりなど毛ほどもない」

 十兵衛らが山中で出会った男――尾崎勘九郎かんくろうと名乗った男はどうやら山賊ではないらしく、訊くところによると例の春豪房を追ってここまで来たとのことだ。生まれは丹後(現京都府北部)で、修めた流派は同地域で流行っていた中岡流。一時はとある豊臣方の中間ちゅうげんを務めていたそうだが、豊臣没落後は牢人身分のまま剣の修行に明け暮れていたとのことだった。

 ちなみに十兵衛らは新陰流であることは話したが、柳生宗家の関係者であることは伏せておいた。この場面で彼に興味の矛先を向けられては困るからだ。

「とりあえず事情は分かった。しかし本当にこの先に春豪房がいるのか?この先は廃寺くらいしかなく、しかもそこは賊の塒になっているかもしれない場所なんだぞ?」

 この脇道はうっかり迷い込んでしまうような道ではない。それこそ十兵衛や勘九郎のように明確な目的がなければ、足を踏み入れることなどない道だろう。しかし勘九郎はこれに自信があるようだった。

「少し前に会った旅人が、体格のいい僧侶がこの道に入っていくのを見たと言っていた。実際室生からここまでの間に春豪房を見かけてはいないだろう?私も名張から来たがお会いしていない。つまりどこかの脇道に入ったことは明白だ」

「それがこの道だと?だがなぜこの道を?伊勢への近道になるとかいう話は聞いてないぞ?」

「おそらくだが山賊の噂を聞いてのことだろう。……これはあくまで私の推察だが、春豪房は山賊らに『救い』を与えてやるつもりなのだ」

 思わぬ返答に訝しむ十兵衛。

「『救い』?そういえば俺と会った時もそのようなことを言っていたが……山賊に説法でも説いてやるつもりなのか?」

「まさか。あのお方の救世ぐぜはもっとわかりやすく単純なものだ」

「わかりやすく単純……?」

 十兵衛は初め勘九郎が言わんとしていることがわからなかったが、彼が神妙な顔で己が拳を強く握ったのを見てその意図を悟った。

「まさか……まさか春豪房は山賊たちを討つつもりなのか!?」

 勘九郎はゆっくりと頷いた。

「おそらくは……」

「どういうことだ!?それが『救い』だと!?……それはあれか?山賊を討てば周囲の村人が助かるとか、そういう意味なのか?」

「いや、違う。あくまで山賊たちのための『救い』だ。春豪房は討つことで――殺すことでその者の『救い』になると考えておられる」

「殺しが救い?……何を言っているんだ?」

 想像もしてなかった話に、いよいよ唖然とする十兵衛。春豪の考えもそうだが、それに挑もうとしている勘九郎の立ち位置もわからない。いったいこいつらは何をしようとしているのだろうか?

 妙な話で頭が痛くなってきた十兵衛は、とうとう考えることを放棄した。

「もういい。わけがわからないといことはわかった。俺は進むから、お前はここに残るか名張の方に帰れ!」

 十兵衛としては山賊を討てればそれでいいのだ。彼らに構う理由はない。ゆえに邪魔になる前に帰そうとしたのだが、勘九郎の方も引き下がらなかった。

「待て!そちらの邪魔をする気はないが、こちらとて邪魔などされたくない!私はこのまま春豪房を追うぞ!」

「ふざけるなよ!こっちは御公儀の命を受けて来ているんだ!少しくらい待ったらどうだ!」

「待てなどせぬ!それこそが私の宿願なのだから!」

 ムキになって言い合う十兵衛と勘九郎。どちらも折れる気配なく睨み合っていたが、そこに藤五郎が割って入る。

「十兵衛様。ここは彼を連れて行ってはいかがでしょうか?もとより山賊討伐に三人は心細かったところ。奴とこの先にいるという春豪房を味方に引き込めれば、戦力としてはかなり充実するかと」

「む……。しかし四人を守って立ち回るのは……」

 渋る十兵衛。それに藤五郎が耳打ちをする。

「わざわざ守る必要もありません。彼らは望んでついてくるのです。その帰結も覚悟していることでしょう」

「お前……」

 藤五郎の提案は、要は守ってやったりなどせずに肉壁として使ってやれというものだった。なかなかに惨い提案に十兵衛は自然と眉間にしわを寄せるが、困ったことに罪悪感を除けばそれほど悪い案でもない。

「……本気で巻き込むつもりか?」

「どうせ放り出しても勝手についてくるでしょう。それならまだ我らと一丸になった方が彼の生存率も上がります。もちろんこちらもね」

「……致し方なしか」

 確かに半端についてこられるくらいなら目の届くところに置いておいた方がいいだろう。十兵衛は勘九郎に向き直る。

「……聞いてた通りだ。こちらの山賊討伐に協力するならば同行を認めよう。無論こちらは何が起ころうと責任は取らぬがな。どうする、呑むか?」

「呑もう」

 勘九郎は二つ返事で頷いた。その迷うそぶりのない返答に十兵衛は逆に不審を覚えたが、これ以上ここで時間を使うわけにもいかない。

「……変な真似をすればその時は背後から切るからな」

「覚えておこう」

 こうして一行に中岡流の使い手・尾崎勘九郎が加わった。


 勘九郎を加えた十兵衛たち四人は改めて獣道を進んでいく。

(思わぬ拾い物となったな。これが吉と出るか凶と出るか……。しかもこの先には春豪房がいるやもしれないとのこと。いったいどうなってしまうのだろうか……)

 そんなことを考えながらしばらく進むと、まもなく廃寺が見えてくるであろうというところで、先頭を歩く友蔵が人影を発見した。

「……十兵衛様!前方に巨漢の僧侶がおりまする」

「どれ……。おぉ間違いない!あれこそが春豪房だ!」

 十兵衛たちは曲がりくねった獣道の先に巨漢の僧侶を目に留めた。それは数日前に十兵衛とすれ違い、そしてその際春豪と名乗ったあの僧侶である。

 彼は道中にあった手頃な岩に腰掛けて休んでおり、そしてその傍らには山賊と思われる牢人風の男の死骸が転がっていた。

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