柳十兵衛 三ケ日の危機に直面する 4
尾張が牢人徒党に送り込んでいた間者。その者の口から牢人らの襲撃計画を知る十兵衛たち。大それた計画に言葉を失う一行であったが、そんな中で種長が口を開く。
「……少しばかり今後のことを久助殿と話し合ってきます故少々お待ちください。では久助殿、こちらへ。清厳殿は……平左衛門殿らを見ていてください」
適当に指示を出し小屋から程よく離れると種長が改めて口を開く。
「いかがなさいますか?」
その口調は種長にしては珍しく焦りの感情が聞き取れた。種長ですらこれなのだ、久助はさらに動揺している。
「いかがも何も……どうすればいいのだ……」
ここに来て尾張の久助らはとても難しい状況に立たされた。
まずは牢人たちによる三ケ日襲撃の計画。三ケ日自体はただの宿場であるため防衛設備や人材は皆無に等しい。早く手を打たなければ被害は甚大なものとなってしまうだろう。それだけでも火急だというのにこの情報を江戸の者に知られてしまった。これでこの件が江戸に伝わることは疑いようがなくなった。
もしこれを聞いたのが尾張の関係者だけならば、ある程度までなら内々に処理することができただろう。仮にどこからか情報が漏れて江戸から報告を求められても「ちょっと牢人どもが騒いだだけです」と言えばそれで済ますことができた。だが知られてしまった以上はそうはいかない。この騒動の帰結は平左衛門らによって一言一句漏らさず江戸に伝えられることとなる。場合によっては領地の管理不履行と見なされ何かしらの罰を言い渡されるかもしれない。
久助はいっそ江戸方全員どさくさに紛れて始末してやろうかとすら考えたが、さすがにそれは無理が過ぎるのですぐに忘れた。
「とりあえず落ち着きましょう、久助殿。こういう時は優先順位を間違えないことが重要です」
「そ、そうですな。して今最も優先すべきことは何でしょうか?」
「それはやはり被害者を出さないことでしょう」
種長はきっぱりと言い切った。
「確かに危惧する通り、実際に襲撃が起き被害者が出れば江戸からの追及は免れられないでしょう。ですが逆に言えば被害者が出る前にすべてを片付ければ、交渉なりなんなりで追及を逃れられるかもしれないということです。仮に何かでっち上げられたとしても被害者が見つからなければ話はそれで仕舞いです」
「なるほど確かに。何もなければそれは牢人らが妄言を吐いていたというだけの話ですからな……!」
するべきことがまず一つ見つかり久助の顔に少しばかり落ち着きが戻る。しかし追い詰められた状況であることは変わりない。
「……他から人手を呼んで間に合うでしょうか?」
「それは何とも……。間者の言いぶりからするとまだ猶予はありそうでしたが、あやつが逃げてきたことにより刺激されて予定を早めるかもしれません。人を集める動きそれ自体も刺激になりかねませんからね」
「徒党の規模はどれほどでしたか?」
「出入りが激しいゆえに正確な数まではわかりませぬが、直近の報告を鑑みるに十五人から二十人といったところでしょう」
「十五人から二十人……数としては中小規模か。嵩山や和田、吉田あたりからも呼べばこちらも数は揃えられそうだが……」
「ええ。問題は二点。一つは先に上げたその襲撃の時期がわからないという点。もう一つは敵の首魁があやかしの力を持っているという点です」
「あやかし……あやかしかぁ……」
久助は深く深く嘆息した。
蜘蛛のあやかしの力を持っているという敵の首魁。出来ることなら本当にただの噂であってほしかったのだが、今回の報告にてとうとうその情報が真実であるということが分かってしまった。
これは相当な問題であった。並の牢人なら同じ数あるいはそれ以上の数の与力で止めることができる。つまり戦力の計算ができるということだ。しかし相手があやかしとなれば話は別だ。能力次第では卓上の計算などすべてひっくり返してしまいかねない。
それに対抗できる能力者を呼ぼうにも襲撃時期がわからないため間に合わない恐れがある。また相手は荒くれ物の牢人だ。ある程度の武術を嗜んでいなければ逆に討たれてしまうかもしれない。以上のことより求められているのは三ケ日襲撃に間に合う能力者であり、かつ無頼者たちの首魁に勝てるだけの実力を持った者ということだ。
それが十兵衛しかいないことはもはや自明の理であった。
「頼らざるを得ないか……」
「不本意ながら他に手はないかと。状況が状況だけに断るということはないでしょうが、報酬を吹っ掛けてはくるかもしれませんね。要求次第では尾張の殿にまで影響が届くやも……」
「その時は私が独断で依頼したとして腹を切るさ」
力なく笑う久助。しかしその一方でその腹の内ではすでに一つの覚悟を決めていた。
一方時間は少し戻りこちらは馬小屋内の十兵衛たち江戸の一行。もはや久助らに監視を続ける余裕はないらしく一か所に固まり今後を話し合えるくらいになっていた。
「我々はどうするべきでしょうか、平左衛門様」
本来この牢人騒動は尾張や三河の案件で十兵衛たちには全く関係のない事件である。だがこの時の十兵衛と友重は尾張側から頼まれれば牢人討伐に協力するつもりでいた。元から血の気が多いというのもあったが、どうやら間者の見せた意気に感化されたようだ。だが一方でことは政治が絡む事件だということも理解している。そのため一応は平左衛門の判断を仰ぐ。
対し平左衛門としては余計なことをするべきではないというのが本音である。だが敵にあやかしがいる以上久助らはこちらの十兵衛に頼らざるを得なく、また状況や十兵衛の意気込みを見るにそれを止めることは難しそうなことも理解していた。また平左衛門としても(尾張の連中はどうでもいいが)何も知らない三ケ日の人々が危険に晒されるのを黙って見ていられるほど冷血漢でもない。結局折れたのは平左衛門の方であった。
「まぁそうですな。顛末は見届けたほうがいい。ここで去れば後でどんな濡れ衣を着せられるか分かったものではないですからね」
実質的な協力の承認に十兵衛と友重の瞳が静かに燃えた。
(やれやれ、血の気の多い。だがまぁ尾張に恩を売れそうなのはいいことだ。いっそ権大納言様(義直)にまで届けばいいのだが、さすがにそれは向こうも抵抗するだろうな。仕方がない。ここは種長に恩を売れたことで満足するか……)
こうして十兵衛側も意見がまとまったところで久助らが戻ってきて、そして平左衛門ら江戸の一行にかしこまって膝を向けた。
「平左衛門殿。少しよろしいですかな?」
「はい。何でしょうか」
平左衛門は白々しくそう返した。何を言ってくるかなど、何をしてくるのかなど既に予想はついている。そしてその予想通り久助は襟を正して深く頭を下げた。
「単刀直入に申し上げます。御存じの通り現在ここ三ケ日は牢人どもの脅威にさらされております。ですが今の私どもではそれを止めるだけの力がございません。故に、恥を承知でお願いいたしまする。どうかここ三ケ日を守るために御助力をお願いしてもよろしいでしょうか」
「……」
深く頭を下げる久助。それとほぼ同時に平左衛門と種長の視線が交差した。両者の瞳が向き合ったことは二人しか知らないし、その瞳でどんな攻防を行ったのかも他の者は知る由もない。一つ誰の目にも明らかだったことといえば、一呼吸置いてから平左衛門が小さくため息をついたことだけだった。
「……はぁ。頭を上げてください、久助殿。何も知らない三ケ日の人たちの危機。それを前に小さなわだかまりに捕らわれるような我々ではございません」
「おぉ、では!」
「ええ。我ら江戸の三名、微力ながら久助殿らに御助力いたします」
わっと十兵衛や久助らの顔が明るくなった。ここに改めてわだかまりのない江戸と尾張の協力関係が成立した。
「では早速策を練りましょうか。まずは情報の共有ですな」
「おぉそうですな!それではここでは狭いのでもう少し奥に行きましょう。あぁ、誰か明かりを持っていないか?」
「明かりならこちらに。ええと、どこに置きましょうか?」
ささやかながらも一歩前進したことで活気が戻り各々が動き出す。そんな中、平左衛門が種長にスッと近づいた。
「……貸しだぞ」
「ちっ!わかっている!」
それだけ言葉を交わして二人は他の面子の輪に戻る。輪の中では久助が三ケ日周辺の地形図を描いているところであった。
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