柳十兵衛 三ケ日へと向かう 3

 依頼されていた三ケ日までの道中調査を終えた十兵衛。これで残る依頼は明日尾張が送り込んだ間者から調査報告を受け取るだけである。そしてそれは友重と平左衛門が行うこととなっていた。つまり十兵衛の分の依頼は片がついたということだ。

「ご協力ありがとうございました、十兵衛殿。宿はこちらで予約しておきましたので、少し早いですがお休みになられてください」

「ではそうさせてもらいます」

 久助からの労いを受け一足先に宿へと向かう十兵衛。しかし十兵衛はこの宿にて思わぬ苦戦を強いられることとなった……。


 指定された宿に着き草鞋を解く十兵衛。

「ふぅ。どうにか無事に終わったな。これであとは平左衛門様たちの方を待つばかりか」

「はい、そうですね」

 一息ついて腰を下ろした十兵衛が語りかけた相手は道中共に歩いた清厳きよよしである。今回十兵衛はこの清厳と同室で一夜を過ごすこととなっていた。

「しかしただ歩いただけでつまらなかっただろう。まじないの一つでも見せられれば良かったのだがな」

「いえ。何もないならそれに越したことはありませんので」

「そうだ、腹は減ってないか?あまり外に出るのはよくないのだろうが下に行って棒手振りを呼び止めるくらいなら問題ないだろう」

「お気遣いありがとうございます。しかし私はまだ腹は空いておりません。十兵衛殿がお望みとあらば監視としてついていきますが?」

「そうか。ならいいんだ。いや、俺もまだそれほど減ってないからなからな。また後で呼ぶことにしよう……」

 そう言って十兵衛は何気ない顔で天井を見上げる。しかしその内心では思わぬ強敵に心が折れそうになっていた。

(困った。何を話せばいいのかわからん……)

 十兵衛は清厳との間が持たぬことに手こずっていた。日の入りまではまだ一刻(二時間)以上残っている。


 昨日の御油宿では六人で一間を借りて寝たが、今日の三ケ日では十兵衛と清厳の二人で一夜を過ごすこととなっていた。

 このことについて久助は「武士と山伏が同じ部屋に泊れば目立ってしまいます。故に十兵衛殿と清厳殿は我らと別れてお泊りになってください」と言っていたがおそらく理由はそれだけではない。尾張方は十兵衛らの情報的な分断も狙っていたはずだ。十兵衛は友重や平左衛門がどこに泊まっているのかすら知らされてない。こうすることで連絡等を制限して江戸の連中が勝手に動きづらくしているのだろう。

 こういった細かい牽制は他にもあった。例えば宿の窓を見てみればそこには格子こうしが嵌められており、ここからの出入りができないようになっている。宿的には防犯や景観といったもののためなのだろうが今の十兵衛にはそれがまるで牢屋のそれのように見える。そしてその牢屋の出口である部屋の入り口には清厳が静かに陣取っていた。

(やれやれ、熱心だな。まぁそれは別にいいんだがな)

 立場や地理を考えれば尾張側のこのくらいの牽制は許容範囲内だ。気持ちのいいものではないが尾張を越える代金だと考えれば妥当とも思っている。

 しかしそこまで分かっていてもなお十兵衛は清厳の塩対応に対して、同族としてもっとどうにかならないものかとやきもきしていた。

(いや、わかってはいるんだ。清厳はお役目をよくやっている。しかしやはり同族としてはもっとこう、それらしい関係というものがあるのではないか?)

 江戸の武士と尾張の武士として見ればこのくらいの距離感は間違いではない。しかし初めて会った甥っ子(正確には従甥いとこおい)だ。別にいきなり無二の親友にまでなりたいわけではない。ただ同族の年長者としてもっとそれらしい振る舞いというものがあるのではなかろうかと十兵衛は考える。

 そう思い色々と声をかけてみる十兵衛であったが、道中はまだ調査内容のことだとかで間は持ったが、それらが終わり宿に腰を下ろすと急に話すことがなくなった――というより両者の間には話題にしづらいことが多すぎた。


(相手が相手なだけに下手なことは言えないし、困ったな……)

 話題に出せぬこと。まず例を挙げれば主君の話だ。主君に対する愚痴――「まったく、うちの殿はこれこれこうで嫌になっちゃいますよ」といったものは、のちに『下馬評』の語源となるくらいに武士にとって定番の話題の一つであった。しかし二人の主君は家光と義直。互いに政敵でありその影響力も天下有数のそれである。うっかり口を滑らせてそれが要らぬ誤解を生めば影響を受ける者は十や百では済まないだろう。故に安易に口にするべきではない。

 また家族――父・宗矩の話題も出せなかった。実は宗矩への愚痴は十兵衛の十八番であった。やれ「健康に気をつけなければならないというのに煙草ばかり吸っている」だとか「最近能に熱を上げており、またどこかの家で勝手に舞ってきたようだ」といったものは普段は非常にウケのいい話題であった。しかし相手が尾張柳生とあれば話は別だ。尾張柳生が対岸に立てば宗矩は単なる父親ではなく江戸柳生・柳生新陰流の頭領として立つこととなり、そんな宗矩の顔に泥を塗れば江戸柳生の面目――延いてはその剣を習っている家光の面目にもかかわってくる。やはり話題には上げられない。

(あと俺が出せそうな話は何がある?酒や女はまだだろうし……もう単純に剣技の話でもするか?)

 流派に深く関係ない単純な剣術・戦術についての談義ならしがらみなく話せるだろう。しかしいざ話しかけようとした十兵衛の言葉は喉元まで出たところで止まってしまった。

(……しまったな。俺は体で覚える派だから語れるようなことはなかったんだ)

 まさか清厳と実際に剣を交えるわけにもいくまい。こうしてふりだしに戻った十兵衛は心底疲れたようにため息を一つ吐いた。


 そんな両者の沈黙を破ったのは意外にも清厳の方からであった。

「十兵衛殿は……これからいかがなさるのでしょうか?」

 唐突に、たどたどしく訊いてきたのは清厳の方も緊張しているからだろうか。ともかく十兵衛は年長者としての威厳を見せるべく、できるだけ落ち着いている振りをしながら答えた。

「明日のことか?明日の間者との合流は私ではなく平左衛門様と友重殿が向かうはずだ。だがまぁ安心しろ。素直にここで待つ。変な真似なんかしないさ」

 しかし清厳は首を振る。

「いえ、そうではなく……尾張を抜けた後の話です」

「ああ。そっちか」

「昨日の山中では『柳生庄にて蟄居・謹慎を行う』とおっしゃられていました。しかしそれは方便なんですよね?」

 十兵衛は(あぁ、そんなことも言ってたな)と思い出していた。清厳が言った蟄居云々というのは、非公式の役職である怪異改め方という存在を隠すために十兵衛らが用意しておいた方便である。種長ら尾張の連中が既に改め方に就いて知っていたため無意味となってしまったが。

「その蟄居どうこうという部分は確かに方便だ。だが柳生庄に向かうというのは本当だ。隠したところですぐにバレるだろうから言ってしまうが、しばらくはあそこに滞在して活動することとなっている」

「わざわざ柳生庄に留まる、その理由をお聞きしても?」

 深く訊いてくる清厳に十兵衛は(探っているのか?)と少し警戒をするが、『怪異改め方』が知られている以上特に隠し立てすることもないと軽く答える。

「なに、なんてことはない。ただ西で動かせる駒として置かれただけだ。上様が江戸に戻られたことで気が緩みその隙を突こうとする輩が出るやもしれないからな」

 十兵衛の主君・家光はつい先日まで京都に上洛していた。当然その滞在中は何事も起こらぬようにと周囲の役人らは気を揉んでいたが、その家光が去った今多少の気の緩みが生じていてもおかしくはない。

 それ自体は人として仕方のないことだが、問題はその隙をついて公儀の邪魔をせんとする輩が出ないとも限らないという点だ。十兵衛はそんな輩への監視の目、あるいは対処する手として派遣された。――なおその『江戸御公儀に楯突きかねない輩』の候補の中には尾張徳川家も含まれているが、それは当然口には出さなかった。

「拠点が柳生庄となったのは単に土地勘があったためだろう。あそこは父上の領地であり、俺も小僧の頃はあそこにいたからな。下手に京都なんぞに上れば訪ねてくる者への挨拶だけで一日が終わりかねないから、その点はありがたかったな」

「十兵衛殿は幼少期は柳生庄にいらしたのですね……」

「?ああ、そうだが……」

 そう言った十兵衛は少しうれいを帯びた清厳の顔を見てあることに気が付いた。

(そうか……こいつはまだ柳生庄を訪れたことがないのか……)


 清厳が生まれたのは元和元年(1615年)。これに前後して清厳の父である利厳は尾張徳川家の剣術指南役となり、以後その地に根を下ろしている。

 この頃既に柳生庄は宗矩の領地となっており、また宗矩は二代将軍・秀忠の剣術指南役をしていた頃でもある。尾張の者となった利厳ら尾張柳生が不要な嫌疑を受けないために柳生庄に踏み入らないようにしていたとしてもおかしな話ではない。

 しかし柳生庄は単なる一土地ではない。現在の奈良県北部にある柳生庄はその名の通り柳生家父祖伝来の地であった。十兵衛だけでなく父・宗矩や清厳の父・利厳も幼少期からこの地で剣を振るい研鑽を積んでいた。また祖父(清厳にとっては曽祖父)の柳生宗厳むねよしが現在の柳生新陰流の基礎を築いた土地でもある。それだけにこの地は柳生の一族にとって特別な土地であった。

 そのような場所に――十兵衛にとってはまだ推察であるが――清厳は未だ足を踏み入れたことがなかった。


 十兵衛はなんて声をかけてやればよいのかわからなかった。

(様々なしがらみ故に柳生庄に立ち入ることができない……それを勝手に不憫と思うのは俺の驕りなのだろうか……?)

 妙に痛い沈黙が二人の間に広がる。それを破ったのは廊下からの女中の声であった。

「お客様。下に棒手振りの者が来ております。何か入り用でしたらこの機にどうぞ」

 ハッと気づいて窓の外を見れば、外はもうまもなく日が暮れるという頃だった。どうやら窓が西向きだったために気付くのが遅れたようだ。

「……少し早いが食べて寝るか」

「そうですね。それがいいでしょう」

 十兵衛らは適当に餅やなますを買い、その後特に会話なくそれを食って互いに部屋の対角線に腰を下ろした。やがて日は完全に落ち、今日という日が終わった。


 そして翌日の早朝。十兵衛たちが泊まる宿からは少し離れた別の宿、その門前に平左衛門と友重そして久助が立っていた。

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