柳新左衛門 協力関係が崩壊す 2
翌朝、日の出前のお堂内。
新左衛門はわざとらしく「ん……」と伸びをして今しがた目を覚ましたというふりをした。それに気付いて先んじて起きていた正通が声をかける。
「やぁおはよう、新左衛門殿」
「おはようございます、正通殿。定春殿の方は……」
新左衛門がちらと見ると定春は目をつぶったまま壁に寄りかかっていた。一見するとまだ寝ているように見えたが、視線に気付いてか片目だけ開けたのち不機嫌そうに顔をそむけたので起きてはいるようだ。
その様子を見るにどうやらまだ機嫌は直っていないらしい。触らぬ神に……ではないが下手に刺激してマズいことになってはたまらないと新左衛門はこそこそと正通の方に寄った。正通は今日も格子戸から空を見上げていた。
「今日の天気はいかがですか?」
「昨日より若干晴れているといったところだな。風もなくいい天気と言っていいだろう」
そう言った正通は眠たげに目をしょぼしょぼとさせていた。
「……大丈夫ですか?眠たそうに見えますが」
「ん、そうか?まぁ案ずるな。昨日の夜、少し寒くて寝つけなかっただけだ。新左衛門殿はちゃんと眠れたか?」
「はい。奥の方だったためか寒さもそれほど感じませんでしたし」
そう答えながら新左衛門は内心では(嘘つきばかりだな)と苦笑した。正通、定春、そして新左衛門。彼らの中で昨晩熟睡できた者は一人もいないだろう。皆が皆を警戒して誰一人として寝つけなかったのだ。
原因は言わずもがな、昨日からの正通と定春の確執のためである。二人の衝突は一時は刃傷沙汰になりかねないほどだった。そんな睨み合いの後で誰が呑気に寝ていられようか。もしかしたら寝込みを襲われるかもしれないという疑心暗鬼から新左衛門含めて全員が狸寝入りで相手を監視し、そしてそのまま朝を迎えてしまったというわけだ。
(まったくひどい一夜だった。だがそれも今日限りか)
新左衛門は正通に向き直る。
「正通殿。今日の予定を確認しておこうと思うのですがいかがでしょうか?」
「そうだな。余計に動いて目を付けられても困るしな。今のうちにいろいろと決めておこうか」
新左衛門と正通が定春の方を見ると、定春は聞き耳を立てていたのか目を閉じたまま「勝手にしてろ」とだけ返した。
「……だそうだ。ならば勝手にさせてもらおうか。それじゃあ今日も食べるか?」
正通は昨日と同じ炒り豆の袋を新左衛門に見せた。新左衛門は「いただきます」と言って片手だけを出した。
「今日の第一目標は昨日新左衛門殿が見つけたという薬師の老人を訪ねに行く、ということで構わぬな?」
「ええ。ですがまだ帰ってきていないという可能性もありますからね。その場合どうするかも考えておいた方がいいでしょう」
朝食代わりの炒り豆を食みながら予定を確認する二人。本日会いに行くのは新左衛門が見つけたという、かつて『天狗薬』を作っていたという老人だ。その人物は宮宿の裏長屋に住んでいるらしいのだが折悪く町の外に外出中でいつ帰ってくるかも未定らしい。
「帰ってきてるといいのですが……」
新左衛門はそう白々しくつぶやいたが、実はどれだけ最善を尽くそうともこの老人に会えないことを新左衛門は知っていた。なぜならこの薬師は実在しない――新左衛門がついた嘘であるからだ。
嘘をついた理由は正通と定春の仲違いを止めるため、それとそれらしい手掛かりを提示して今後の主導権を握るためである。その効果はあったようで現在新左衛門の先導で裏長屋に向かうという流れで話は進んでいる。計画はおおよそ順調と言えた。だが気掛かりな点がないわけでもなかった。
新左衛門の懸念は大きく三点あった。まず一つ目は正通や定春がきちんとついてきてくれるかどうかという点だ。精巧な罠も嘘話も相手が乗ってくれなければ意味がない。今のところ両者とも天狗薬への興味は持ち続けているようなので問題はなさそうだが、何かしらおかしなところを感じ取れば抵抗や逃走といったこともあるかもしれない。特に定春の方は昨日から機嫌が悪いため妙な気まぐれを起こさないかが気掛かりだ。
あるいは昨日と同じように正通と衝突をするかもしれない。それが二つ目の懸念、正通と定春との確執であった。この場合は正通の方もどのような行動を取るのかが予想できなくなるのでできるだけ起こってほしくない事態である。
懸念といえば門之助と細かな打ち合わせができていないのも気掛かりであった。果たして彼の同心の手配はどれほど進んでいるのだろうか。正面から捕らえに来るのか、裏路地まで誘い込むのか。捕縛の際は自分も加わった方がいいのか、それとも離れて指示を出した方がいいのか。
他にも細かな問題点を考えていた新左衛門であったが、やがて諦めたように首を振った。
(まぁこれ以上は向こうに赴かなければわからないか。とりあえず今は問題なく彼らを宮宿まで連れて行くことに専念しよう)
寒さのためにお堂に留まっていた新左衛門たちであったが、これはこれでリスクのある行為である。例えば牢人が居つくことを恐れた村人からの思わぬ攻撃があるかもしれないし正通と定春がまた言い争いを始めるかもしれない。それよりは門之助たちを信じてさっさと村を出たほうがいいだろう。歩いていれば余計な考えを巡らせることもない。
「ある程度方針も決まりましたし早く向かいましょうか。万が一の時は新たな宿も探さなければいけませんしな」
「うむ、そうだな。……定春殿もこのような感じでよろしいか?」
定春は面倒そうにチッと舌打ちをしたがそれ以上は文句も言わずに素直に立ち上がった。こうして新左衛門たちは昨日と同じような時刻に村を出た。
一行は昨日と同じ道――村から宮宿のやや北の街道へとつながる道を進んでいた。前を歩くのは正通と新左衛門。それから五間(約10m)ほど後ろに定春。つまりは昨日の帰還時と同じような距離感で一行は進んでいた。
(ふむ、一夜明けて少しは落ち着くかと思ったがそんなことはなかったか)
新左衛門が適時振り返ると正通は不服そうな顔をして定春は舌打ちをする。ここら辺の反応は昨日と同じだ。だが新左衛門は昨日ほど危惧はしていなかった。もし定春が自分たちから離れるのならとっくの昔に黙って消えていただろう。やはり彼とて『天狗薬』およびその先の仕官への道には興味があるようだ。
(そろそろ宿場が見えてくる頃だし、後はもうこのまま流れで行けるかもな)
しかし新左衛門のそんな願いは宮宿まであと五町(約500m)というところで無為になった。
きっかけは後方、名古屋方面から走ってきた一人の奉公人風の男であった。その男は脇目もふらず相当な速さで街道を駆けていた。主人から何か託されたのだろうか、小脇には小さな包みを抱えている。
彼は急いではいたが決して前方不注意というわけではなかった。他の通行人とすれ違う時はの邪魔にならないように距離を取って走り、人が多い時には大きく迂回することも厭わなかった。それ故に彼に起きたことは不運としか言いようがなかった。
それは街道の一角で起こった。そこはわずかながら下り坂となっていた場所でスピードが出やすく、かつ緩やかなカーブと街路樹の関係で少しばかり先の見通しが悪い場所であった。男はここを抜ける際危うく定春とぶつかりそうになったのだ。
「おっと、すまない!」
男は樹木の影から急に現れた定春を間一髪で避けた。ぶつかりそうになった直前にどうにか踏ん張り、その身を大きくひるがえし紙一重で上手くかわしたのだ。こうして避けた男は体勢を立て直しまた走り始める。
そう、二人はぶつかってはいない。しかし急に背後から現れて自分とぶつかりそうになり、そしてそれを特に顧みることなく去っていこうとする男が元より不機嫌だった定春の癪に障った。
「てめぇ、ちょっと待て!」
「えっ?」
その呼びかけに男は立ち止まり振り返ってしまった。あるいは自分が何か落としものでもしたと思ったのかもしれない。とにかく男は止まってしまい、そこに定春が近付いた。
「てめぇ、ぶつかりそうになっておいてそんな軽い詫びですますつもりか?」
「あぁ……その、すまなかったよ」
「すまなかったじゃねぇ!なめてんじゃねぇぞ、コラァ!」
口角から泡を飛ばし詰め寄る定春。ここで奉公人風の男は自分が厄介な牢人に絡まれたことと自身の身の危険を感じ取った。相手はどう見ても牢人でしかも気が立っている。(これはまずいな)と思った男は定春の抗議を完全に無視して一目散に逃げようとした。
だが定春はそれを許さなかった。男の逃げる気配を察した定春はすぐさま近くにあった拳大ほどの石を拾い上げ投げつけたのだ。それは丁度逃げようと振り返った男の背中に命中した。
「がっ……!?」
急な衝撃で体勢を崩す男。男は慌てて立ち上がろうとするも、それより先に定春に胸ぐらをつかまれ引き寄せられた。憤怒する定春の顔が男の鼻先に現れる。
「あん?お前今逃げようとしたよな?謝りもせず逃げようだなんて、それはちょっと無礼にもほどがあるんじゃないか、あぁん?」
定春はそう言うと今度は男を地面に叩きつけた。
「がぁっ……!?」
乱暴に転がされた男は恐怖からかもう立ち上がる気配すら見せない。相手の気持ちが折れたことを察すると定春は残忍ににやりと笑った。
「さぁて、この落とし前をどうやってつけてやろうか?」
「ひぃっ!?」
怯える男。近寄る定春。だがここで定春に邪魔が入る。
「何をしている、定春殿!?いらぬ騒動を起こすんじゃない!」
「おやめください。宮宿ももうそう遠くないんですよ!」
間に入ったのは正通と新左衛門であった。二人は前方を歩いていたため蛮行に気付くのが遅れたが気付くとすぐに定春を止めに入った。
だが結論から言えば二人の介入は逆効果だった。年若いお行儀のいい二人に諫められたことが気に障ったのか、とうとう昨日一日溜め込んでいた定春の堪忍袋の緒が切れてしまったのだ。
「あぁもう、なんなんだお前らは!?俺の為すことに何でもかんでも文句をつけやがって!一体何がしたいんだ!?」
「こっちだって好きで止めているわけではない!お前があまりにも非常識なことをするから止めざるを得ないんだ!」
「そうです!折角天狗薬の手がかりが見つかったというのに、ここでお上から手配されるような真似は慎むべきです!」
「あぁうるさいうるさい!お前ら、碌に戦場に出たこともない半人前のくせに生意気なんだよ!もう我慢ならん!お前らなどもう必要ない!薬もあとは俺が一人で探す!」
そう言うと定春はとうとうその腰に下げていた刀を抜いた。遠巻きに眺めていた往来の野次馬らが小さく「ひぃ!?」と悲鳴を上げる。
「……くっ。定春殿、落ち着いてくだされ。落ち着いてその刀を納めるんだ」
「根性無しが。街道で刀を抜いたくらいで騒ぎ立てるな」
定春は刀の切先を、近くで転がる奉公人風の男の眼前でちろちろと遊ばせる。男は切先が怪しく光るたびに「ひぃっ」と弱々しく悲鳴を上げ、そのたびに定春は満足そうに口角を上げる。
「い、いい加減にしろ!丸腰の相手に恥ずかしくないのか!?」
「何を恥じろというんだ?こいつが弱いのはこいつが弱いのがいけないのだ。弱いくせに調子に乗っている奴はこんな目に遭っても仕方がないんだよ!」
遊ばせていた刀を高々と上げる定春。悲鳴を上げる男。それを止めるように正通が叫ぶ。
「待て!」
叫ぶと同時に正通は反射的に刀を抜いて構えていた。それを見て定春は「抜いたな?」とつぶやき、にやりと残忍に顔をゆがめた。
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