柳新左衛門 協力関係が崩壊す 3

 正通が刀を抜いて構えたのを見ると定春はにやりと笑った。

「抜いたな?」

「……抜いたが、それが何だというのだ」

 正通の口調はやや緊張していた。それに感づいた定春が馬鹿にするかのようにひゃっひゃと笑う。

「いや、ひどい話だと思ってな。同じ目的のために手を組んだと思ったらやることなすこと否定され、仕舞いには刀まで向けられるとは……。まったくひどい連中と手を組んでしまったものだ」

「それはこちらの台詞だ。ここまで痴れ者と知っていたなら手など組んではいなかった。……それにお前だって俺を切る口実を探していたのだろう?」

 正通の目には走って逃げる奉公人風の男の背中が見えていた。彼は二人が言い争っている間に密かに立ち上がり逃げ出していたのだ。位置的に定春がこれに気付かないわけがない。だが定春は特に気にすることもなく、その目はただ正通の方に向けられていた。

「ふ、ふふふ……まぁそうだな。正直に言えば昨日からその品行方正ぶった顔をぶん殴ってやりたいとは思っていた。俺はお前みたいな半端にきれいごとをぬかす奴が心底嫌いでな。しかしその機会がこうも早くに訪れるとは思っても見なかったぞ」

 そう言うと定春は正通に向けて刀を構え直した。遊び半分ではない腰を下ろした重心の低い構え。それは脅しでも警告でもない、明確に相手を切り伏せるための構えであった。

 両者の視線が絡み合う。二人はもう互いに相容れないということを理解した。


 二人は二間(約3.6m)ほどの間合いで正対していた。構えは共に正眼。体格は定春の方が若干逞しいもののそれは決定的といえるような差ではなく、一見するとどちらが勝ってもおかしくない互角の睨み合いのように見えた。

 しかしどこか余裕のある定春に比べ正通の方は明らかに硬く力んでいた。

「どうした?体が硬いぞ。人を切るのは初めてか?」

「う、うるさい!貴様のような下郎と一緒にするな!」

 吠える正通。だがそれが虚勢であるのは誰の目から見ても明らかであった。正通は人を切ったことがない。それどころかこうして抜き身で向き合うことですらほとんど初めてのことである。緊張からか今まで感じたことがないくらいに自分の刀が重かった。

(刀が重い……だがこんな痴れ者に屈するのだけは断じて受け入れられない!)

 正通は心の弱さを見透かされないように下腹に力を込めて立つ。それは正義感だとかそういったものではなく、単にこの男に屈したりあるいはこの男と同類と思われたくない、そんな意地からの対峙であった。

 思ったよりも根性を見せる正通に定春が余裕そうに笑う。

「ふふふ。弱い犬なりに健気なものだ。さて、そのすまし顔がいつまで持つかな?」

 定春の煽りに正通はむきになって返す。

「ほざけ!お前のような無法者なんぞに……!」

 しかしその瞬間、会話の最中であるにもかかわらず定春は正通に切りかかってきた。

「はあっ!」

「なっ!?」

 完全に虚を突かれた正通。慌てて反応しようとするもどうにもうまく体が動かない。

(来る!来てるぞ!くそっ、動け!動け!何故動かない!?ここで動かなければこいつに切られてしまうのだぞ!?)

 だが手足は海の底にでもいるかのように重く動かない。

 一瞬卑怯だのなんだのといった言葉が浮かんだがそんな抗議は迫りくる凶刃には意味がない。代わりに思い浮かんだのは明確な自分の死であった。

(あぁ我ながら情けない……。こんな卑劣な手で自分は終わってしまうのか……)

 しかしそうはならなかった。

 そう思った次の瞬間、正通は急に腰のあたりを後ろに引っ張られそのまま倒れて尻もちをついた。

「ぐっ……えっ?」

 急な展開に一瞬あっけにとられる正通。それから慌てて顔を上げた時、正通は目の前の光景に再度困惑した。

 目の前に広がる光景――まず自分はいつの間にか地面に尻もちをついており、そんな自分の目の前には新左衛門が立っていて、そしてその先では定春が腕から血を流し苦悶の表情を浮かべていた。


 いったい彼らに何が起こったのか。時間を少し巻き戻し視点を定春に移す。彼は上手く正通の隙を突いて切りかかっていたところであった。

「はあっ!」

(もらった!)

 会話途中での隙をついた一撃。おおよそ卑劣極まりない攻撃であったがそんなもの定春には関係ない。卑怯だろうと何だろうと勝たなければ意味がない、死んでしまえば意味がないのだ。それが長年牢人をやってきた定春が信じる一つの真理であった。

 手応えはあった――あるいは踏み込み応えとでも言った方が正しいかもしれない。ともかく一歩目を踏み込んだ瞬間、完全に虚を突けたという確信を持てた。相手は反応すらすることができず、その切先はきっと気持ちよく相手の肌を、肉を切り裂いてくれることだろう。

 だがそうはならなかった。その切先が正通に届く前に何故か急に正通が後ろに引っ張られ倒れ込んだのだ。

(何だ!?何が起こった!?)

 一瞬定春ですら何が起こったのか理解できなかった。しかし集中により圧延された時間感覚の中で定春はその原因を把握した。正通が急に倒れたのは新左衛門が後ろから引っ張ったためであった。


 いつの間にか正通の後ろに控えていた新左衛門は定春が強襲を仕掛けたその時、正通の袴の腰のあたりを掴み一気に後ろに引っ張った。前方にばかり注意していた正通はこれに抵抗することができずそのまま倒れて尻もちをつき、その反動を利用して新左衛門が前に出てきた。その目はしっかりと定春を捕らえている。

(何のつもりだ?よもや身代わりにでもなるつもりか?)

 正通を守るかのように前に立つ新左衛門。しかし刀も抜いていなければ体格の差も歴然。あるいは子供であることを利用してお情けでもかけてもらおうとしたのだろうか?だとすればそれは悪手だろう。定春は子供だからといって手加減するような男ではなかった。

(悪いが俺はガキでも容赦はせん!)

「死ねぇ!」

 定春は躊躇いなく刀を振り下ろす。しかしその凶刃が新左衛門に届くことはなかった。

「ふっ……」

「なっ!?」

 定春の一撃は確かに思い切りのよい、いい一振りであった。しかし所詮は素人のそれ。新左衛門からしてみればかわすことなど造作もなく、そしてかわしたその身で新左衛門は少し前から密かに練習をしていた抜刀術を繰り出した。走る一閃は無防備に伸ばされた定春の上腕を浅く切った。

「っつたぁ!?」

 痛みの反射作用に任せて大きく後ろに転がる定春。やがて距離を取って立ち上がったその顔は怒りと困惑に満ちていた。

(なんだ……!?どうなってやがる……!?)

 目の前に立つ新左衛門はまだ十と少しくらいの少年だ。にもかかわらず今見せた動きは十年以上の鍛錬を積んだ剣士のような動きであった。ただの牢人あるいは武士の子供にそんな真似ができるはずがない。では普通ではないとしたら?嫌な予感を覚えた定春の額ににわかに脂汗がにじんだ。

 そんな定春に対し新左衛門は全く別のことを考えていた。

(……踏み込みが浅かったか)

 定春の放った抜刀術、それは定春の上腕を切り彼の衣服の右袖を赤く染めた。実戦で狙ったところを切れたのは及第点だろう。だがまだ刀を手放していない所を見るに傷自体はそれほど深くは切れなかったようだ。

(どうやらまだまだ鍛錬が必要のようだな)

 軽く反省をすると新左衛門は軽く刀を振って血を飛ばし、改めて正眼に構えた。年の割に年季の入った構え。それを向けられた定春は思わず吠えるように尋ねた。

「お前……なんなんだ!?何者なんだ!?」

 新左衛門はどう答えようか一瞬迷う。しかし今更正体を隠しても意味ないだろうという結論に至り特に何も考えず正直に名乗った。

「私は尾張国柳生家、柳生利厳が嫡男・柳生清厳だ」


 新左衛門の名乗りに定春と正通は驚き固まり、そしてその意味を理解した。

「柳生!?……くそっ!そうか、そういうことかよ畜生め!ずっと目を付けられていたってことか!」

「新左衛門殿が柳生家の嫡男だと……!?なんてことだ……」

 どうやら柳生の名は彼らのような牢人にも通じるくらいには広まっているようだ。

(……いや、確か定春は武蔵国出身だと言っていたな。ならばあるいは知っていたのは叔父上の方(江戸柳生)かもしれん。……まぁどちらでもいいことだがな)

 余計な思考をしていたと新左衛門は軽く頭を振ってから改めて口を開く。

「私のことを知っているか。ならば話は早い。余計な真似などせずに早々に投降せよ。こちらも抵抗しなければ無駄に傷つけるつもりはない」

 だが少し正気に戻った定春はこれを鼻で笑う。

「冗談じゃない。仮に無傷で捕まったところでそのあとは拷問からの打ち首だろうが」

 定春はかつて様々な悪事を働き、そしてあろうことかそれを新左衛門に自慢げに聞かせていた。彼の立場からすれば反発は当然の反応だ。

「……そう言うだろうとは思ったが、悪いがこちらも立場上見逃すことはできない。そのためならば少々手荒くなるがそれでも構わないのだな?」

「上等だ。殿様の御流儀剣術がいかようなものか、せいぜい堪能させてもらおうか!」

 吠える定春。しかしそう言いつつ彼は目だけで周囲を見渡していた。おそらく普通に戦っても分が悪いと感じて逃走経路を探していたのだろう。さすが牢人歴が長いだけあって狡いながらも生き延びるための判断は早かった。だがそうはさせまいと新左衛門も挑発をする。

「どうした?あたりを見渡して、逃げるつもりか?」

「なっ!?」

 安い挑発であったが効果はあった。定春は一瞬迷ったが、やがて覚悟を決めた顔つきで新左衛門に向き直った。

「逃げるだと?笑わせんな!お前らを屠ればそれで仕舞いだというのに何故逃げる必要がある!さぁかかってこい!」

「その意気や、よし」

 新左衛門は定春のことが好きではなかった。だがこのわかりやすく武闘派なところは嫌いではない。やはり腰に刀を下げている以上ある程度の闘志は見せてほしいものである。なんなら新左衛門は間合いを詰めつつ(さぁどんな覚悟を見せてくれるのだ?)と期待すらしていた。

 だが結論から言ってしまえば定春の腕前は新左衛門を満足させるようなものではなかった。

 定春はしばらく睨んできていたがそれは呼吸を探るだとか間合いを見極めるといったものではなく、単にどう打ち込めばいいのかがわからずにいたからだ。どう打ち込んでも届きそうにない。どうあがいてもこちらが切られる未来しか見えない。しかし今更引くこともできない。進退窮まった定春はもはや体格差に任せて飛び掛かるしかなかった。

「ちっ、くしょうがぁっ……!」

(……あぁこんなものか)

 粘った割にはがっかりするくらいに単調な一手。新左衛門は手を放して刀を飛ばしてくるのだけを警戒しつつその乱暴な袈裟切りを避け、その勢いを利用して今度は無防備となった左腕を切りつけた。

「いっつ……!?」

 またも腕を切りつけられて怯む定春。そこに新左衛門がとどめの追撃――刃を返し刀の峰で定春の鎖骨を折った。殺さずに無力化するにはやはりこれに限る。定春はまるで雷にでも打たれたかのように体を硬直させ、そしてか細い悲鳴を上げながら地面に倒れた。

「か、はっ……」

 地面に転がり手足をぴくぴくと震わせる定春。それを見下ろす新左衛門。

 新左衛門はため息を一つつくと軽く刀を振って血を払う。あっけないながらもこれにて終幕だった。

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