荘田之平 柳生庄へと向かう 3
長野峠の道中で坂崎家残党に襲われた之平一行。彼らは辛くも残党らを退けるが、その際に善祐が負傷。それにより日が暮れるまでに峠を越すことは絶望的となった。
だが引き返せばその分報告が遅れるし、最悪残党らが戻ってくるかもしれない。難しい局面、之平は悩んだ末に隊を二分することに決める。
こうして一行は長野峠を越える之平・康成組と、伊勢に残る善祐・長右衛門組の二組に分かれた。
「それでは善祐殿、すぐに救援を寄越しますのでしばし待っていてください。長右衛門も任せたぞ」
手早く荷物をまとめた之平と康成は、残る善祐らに一礼すると足早に山頂方向に駆けて行った。急がなければ峠を越す前に日が暮れてしまうからだ。
「父上、康成様。どうかお気をつけて……」
長右衛門はうねる山道に消えていく二人の背中に向かって祈り、そしてすぐに善祐の方に向き直った。
「それでは某たちも参りましょうか。何かあれば遠慮なくおっしゃってください、善祐様!」
「うむ。頼りにしているぞ、長右衛門」
伊勢に残る二人もすぐさま来た道を引き返す。彼らの目的地は先程通り過ぎた伊勢・長野宿である。
一行が分かれた地点から長野宿は半里と離れていなかった。しかし道は下り坂なうえに夕暮れ時。しかも善祐は片腕を吊っていたため二人の歩みはとても遅かった。
若い長右衛門は遅々とした歩みに若干焦れるものの、それでも善祐を支えることができるのは自分しかいないという自負から自身に落ち着けと言い聞かせる。
(無理に急いで転んだりすれば、それこそ最悪な話だ。私は父上から善祐様のことを任されたのだ。まだ日は沈まぬ。ゆっくり、ゆっくりでいいのだ!)
二人はじりじりと薄暗い山道を下っていき、やがて長野宿の門が見えるところにまで戻ってきた。そこからさらに近付くと腕を吊った善祐に気付いたのだろう、門番をしていた男の一人が慌てて駆け寄り肩を貸してくれた。
「お、おい!大丈夫か!?転んだりでもしたのか!?」
ここで幸いだったのが善祐の傷が刀傷でなかったことだ。伊賀から救援が来るまで悪目立ちしたくなかった善祐たちは話を合わせることにした。
「そうなんだ。下り坂でうっかり小枝を踏んで滑ってしまってな」
「そりゃあ災難だったな。医者を呼ぼうか?」
「心遣い感謝する。だが時間も遅いし、とりあえずまずは宿を取りたいな。すまないがこの時間でも空いている、あまり値の張らない宿を知らないか?」
男は少し考えたのち返答した。
「んー、それなら『小竹屋』って宿だな。ここからすぐのところにある。ほら、案内するよ」
「すまないな。感謝する」
こうして親切な門番の協力もあって善祐たちは今日の宿を確保することができた。宿場に入ってしまえば坂崎家の刺客とて迂闊には手を出せないはずだ。善祐と長右衛門は緊張を解き、大きな息を吐きながら宿の一室にて腰を下ろした。
さて、どうにか宿場に入り宿を確保できた善祐たち。対する山の向こう側――之平たちも無事に峠を越え、目的の宿場・上阿波宿が眼下に見えるところにまで来ていた。
「ふぅ、どうにか日が沈むまでにはたどり着けそうだな」
「ええ。ですが足元にはお気を付けください。もうすっかり暗くなっておりますからね」
さすがに残党たちも返す刀で襲ってはこなかった。とはいえ里に戻るまでは油断はできない。之平と康成は手早く宿を取るや、早速明日以降の流れを確認し合う。
「明日の事ですが、明日は天候にかかわらず朝一に宿場を出て上野を目指しましょう。そして上野の忍びに善祐殿たちの救援を頼むのがよろしいかと」
康成の案に之平も頷く。
「それが一番でしょうな。里に戻ってから助けを呼んでは時間がかかりすぎる。利助様に頼めば適当に見繕ってくれることでしょう」
利助とは上野の町にて忍びたちの顔役をしている男である。彼はその顔の広さを生かして忍びの斡旋、口入屋のような真似もやっていた。もちろんこれは誰彼問わず利用できるようなものではなかったが、柳生家関係者ならば問題なく手を貸してくれるだろう。
「ただ……問題は例の残党たちですね。今日はもう大丈夫でしょうが、明日以降はどうなることやら……」
上阿波宿は小さいながらも宿場町である。さすがの残党らも夜襲を仕掛けてくることはないだろう。それだけに襲われるとしたら明日以降の道中である。
「向こうはこちらの行き先も人数も把握したでしょうからね。人をそろえて来られたら正直もうどうしようもありません。遭遇しないことを祈る他ありませんね」
そして康成は真剣な表情でこう続けた。
「万が一再度奴らが襲ってきたときは……某が
「それは……」
之平は一瞬返答に詰まる。
康成の話はつまりは何か起これば自分を見捨てて逃げろということだ。残酷な仮定であるが、お役目のためには時にはそんな決断をしなければならないことを之平もわかっている。
「……承知した」
之平が深く噛み締めるかのように返事をすると、康成は満足そうに頷いた。
「まぁ何も起こらず無事に里に戻れる可能性もありますからね。あまり気負わず着実に行きましょう。とりあえず今は早めに寝て明日に備えましょうか」
「そうですな。おそらく明日は一日走り通すでしょうからな」
明日の打ち合わせを終えた二人は英気を養うために早々に床に就いた。そして翌朝、之平らは昨日の打ち合わせ通り明け六つ前に宿を出る。
日はまだ布引山地の山影に隠れていたが、この時代、歩く距離を稼ぐために日の出前に宿を出ることは珍しいことではない。見れば街道にはすでに出発した他の旅人の影もちらほらと見えた。
「これはいい目くらましになりそうですね」
「そうだな。だが向こうはこちらの顔を知っている。あまり頼ってもいられまい。気を抜かず上野へと向かおうか」
上阿波宿から上野までの道程はおおよそ五里(約二十キロメートル)で、これは急げば二刻もかからぬ距離である。邪魔が入らなければ正午の鐘が鳴る前には到着できるはずだ。
之平と康成は旅笠を目立たぬ程度に目深にかぶり上阿波宿の門を出た。
同時刻、伊勢・長野宿。
この地で一泊した善祐と長右衛門の二人も之平らと同じように日の出前には起きていた。
ただこちらはここで救援を待つのが役目であるため特にすることもなく二人して部屋にこもっている。宿の者にも数日傷を癒したいと言っておいたので特に不審がられることもないだろう。
やがて日が高くなってくると前後の宿場から人が流れてきたのか、町は本格的ににぎわってきた。宿は大通りから一本離れていたが、それでも通りの雑踏や物売りの声が聞こえてくるほどだ。
(通りが騒がしくなってきたな。となるとそろそろか……)
善祐は自分の左腕の具合を確認すると、一つの決心をして長右衛門を呼んだ。
「長右衛門、ちょっとこっちに来い」
「はい。何か御用でしょうか?」
善祐は寄ってきた長右衛門の顔をじっと見た。その顔は幼いながらも修羅場を知った男の顔をしていた。
(里で顔合わせをしたときは何も知らぬ無垢な小僧だったのが、ここ数日でこうも変わるか。まったく、『男子三日会わざれば』だな)
善祐が長右衛門の成長をしみじみと感じ入っていると長右衛門は困った様に眉を八の字にした。
「えと、何か御用があるのではなかったのでしょうか……?」
「おっと、そうだった。長右衛門。お前は今すぐ宿を出て近くの山中に潜め。潜むだけでいい。ただし決して宿には戻ってくるなよ」
「はい。……え?ど、どういうことでしょうか?」
あまりに突拍子もない指示に当惑する長右衛門。これに善祐は頷いて続ける。
「うむ。急な話だがこれも万が一を考えてのことだ。……万が一、つまり一人でも多く生き延びるためだな」
「い、生き延びるですと!?」
剣呑な言葉にドキリとする長右衛門であったが、善祐のまっすぐな瞳にこれは真剣な話だと悟り慌てて居住まいをただす。
「……どういうことでしょうか?」
「難しい話ではない。もし昨日の刺客らが俺のことを探しているのなら、そろそろ宿を突き止められる頃だろうと思ってな。さすれば俺もこの怪我だ。襲われれば討たれるのは必至。そしてその時近くにお前がいれば、奴らは容赦なくお前も殺すだろう。だからお前には外にいてもらう。こうすれば万が一が起こってもお前だけは生き延びれるからな」
「ちょっ、ちょっと待ってください!私は父上から善祐様を任されたのです!もし昨日の残党らが来るというのなら私も共に戦います!善祐様を置いてはいけません!」
「馬鹿者が!お前が残ったところで何ができる!?お役目を忘れて無駄に命を散らすのはただの蛮勇だぞ!」
憤怒する善祐。彼はぴしゃりと長右衛門を叱ると、咳を一つして改めて語りだした。
「お前は理解していないようだが、今俺たちは非常に追い詰められた状況にある。俺はもちろん、里に向かっている之平殿たちですら命の保証はない危険な状況だ」
「えっ!?父上らがですか!?」
驚愕する長右衛門。里の方に向かった之平たちはなんやかんやで安全だと思っていたからだ。しかし善祐に言わせればそうではないらしい。
「夜目が効く者がいれば山越えも無理ではない。先回りをして街道で待ち伏せすることもできるだろう。向こうはこちらが柳生であることに気付いた様子だったからな」
「そんな……。し、しかし康成様も護衛に選ばれるほどにお強いお方なのでしょう?ならば……」
「向こうはこちらの人数を知っている。よもや一人二人で来ることはあるまい。さすればいかに康成と言えども勝ち目はなく、当然之平殿も敵の手にかかることだろう。そして動けぬ俺もいずれは奴らの手に落ちる。……そうなったとき誰が道中で起こったことを殿たちにお伝えする?少しでも情報を持ち帰るのが今回の我々のお役目なのだぞ!」
長右衛門は自分が想像すらしなかった話に顔を青くした。
もちろんこれは『最悪』の話である。しかし長右衛門はなんやかんやで皆助かり、なんやかんやでお役目は達成されると思っていた。そこに突き付けられた現実に起こりうる可能性。長右衛門は自身が運命の岐路に立たされているのだと悟り、顔を青くしてブルブルと震えだす。
「し、しかし私一人だけ生き残ってどうしろと!一人で柳生の里まで戻ることなど不可能です!何も、何もわからないのですよ!?」
「安心しろ。お前はただ山中に潜んでいればいいのだ。どんな展開になろうとも数日以内に里からの救援は来る。仮に之平殿らが道中で討たれたとしても、その報はすぐに里へと届き、すぐさま津までの調査隊が組まれるはずだ。お前はその時に見つけてもらえばいい」
「そうだとしてもっ!」
半べそになる長右衛門。もはや理屈ではなかった。怖いのだ。誰かが死ぬことが、知っている者が殺されるのが、自分の命が狙われているということが。
しかし善祐はそんな長右衛門の肩をつかんで覚悟を決めるよう促す。
「いいか、長右衛門。これがお役目だ。主君に身命をかけるということだ。お前も武家に入った身ならば覚悟を決めろ!さぁ返事をしろ!さあ!」
「くうっ……は、はいっ!承知しました!」
「よしっ!ならばさっさと出ていけ!絶対に戻ってくるでないぞ!」
「くっ、はいっ……!」
長右衛門はほとんど尻を叩かれる形で宿を出た。そして人目を見計らって街道から外れ、大きな木のウロの影にしゃがみこんだ。ここなら相手が忍びでもない限り見つかることはないだろう。
しかし今や長右衛門は自身の身の安全などどうでもよかった。
(あぁどうか皆で無事に里に帰れますように……!)
長右衛門はしばらくの間声を殺して泣きながら、ただひたすらに父や善祐らの無事を祈り続けた。
さて一方その頃、再度場面は変わり之平と康成――彼らは無事に伊賀街道を踏破して伊賀上野の城下町に入ったところであった。
幸いなことに道中刺客らしき者は現れず、二人は五里の道を一刻半で踏破。その足ですぐさま上野の顔役の忍び・利助の元へと向かった。
利助とはここ上野で忍びたちの顔役をしている男である。また彼はその顔の広さを活かして忍びの口入屋のような真似もやっていた。之平たちはここで伊勢に送る救援を調達するつもりであった。
「さて、いるといいのだが……」
之平らが利助の住む長屋の戸を叩くと中から返事が聞こえた。それに従い戸を開けると、何やら本を読んでいた利助はわざとらしく驚いて見せた。
「おや、之平様。これは珍しい。もう伊勢から戻られたのですかな?」
往路では通り過ぎるだけだったので立ち寄りはしなかったのだが、利助は当然のように之平たちの旅のことを知っていた。之平もいまさらこの程度では驚かない。
「はい、そのことなのですが実は帰りの道中で問題が起こりまして、利助様のお力添えをいただければと参上いたしました」
「ほう、お聞きしましょう」
「では某らが津を出てからの事ですが……」
之平は長野峠で襲われたこと、その際善祐が負傷して伊勢に残されていることを掻い摘んで説明した。さすがの利助も坂崎家残党がそこまで大っぴらに動いているとは思ってなかったようで、興味深く耳を傾けていた。
「……というわけで伊勢で動けずにいる善祐殿たちへの救援をお願いしたのです。紹介していただけるでしょうか?」
頭を下げる之平と康成。しかしこれに対する利助の反応は渋いものだった。
「なるほど、事情は分かりました。しかし……うぅむ……」
「……何か問題でもあるのでしょうか?此度の件は三厳様らも承知のため報酬は問題なく出せると思うのですが……」
「いえ、金の問題ではなくてですね、単純に人がいないんですよ。ほら、知っているでしょう。今、京の都の方があわただしいということを」
利助が言っているのは
紫衣事件。朝廷が幕府に無断で高僧数人を昇格させ、その証である紫衣を与えた事件である。詳しい経緯を知らない人はたかが紫衣だと思うかもしれないが、これは言い換えれば朝廷による人事権の無断行使であり、これを放置すれば朝廷・寺社内に幕府の力が及ばない独自の派閥が形成されるかもしれない。
事態を重く見た幕府はすぐさま紫衣の取り消しと関係者の処分を発表したが、それに沢庵和尚をはじめとする高僧や公家が反発。結果現在京の都では幕府派、朝廷派、日和見派に分かれて日夜論争が行われていた。
思わぬ形で引き起こされた朝廷と幕府という当世二大勢力の衝突。その帰結次第では朝廷周辺の勢力図が大きく変わるかもしれない。そのため利助をはじめとした忍びたちはこの地の動向に常時目を光らせているというわけだ。
「何が起こるかわからぬ以上、今はあまり人を動かしたくないんですよ。それにですよ、話を聞いたところ之平殿のお仲間は怪我をしている上に刺客に狙われているとのこと。ならば手の空いている者を適当に一人送って終わりという話にはならないでしょう」
なるほど利助の懸念はもっともだと之平は頷いた。敵はこちらの戦力を把握している。襲うとすれば確実に勝てるだけの人員を送ってくることだろう。善祐が負傷によりまともに動けないことを考えれば、その護衛は決して楽なものにはならないはずだ。
そのあたりを加味して頭の中で算盤を弾いた利助は之平たちに向かって指を二本立てて見せた。
「こちらから出せる案は二つございます」
「二つとは?」
「はい。一つは一人の忍びを之平殿らの護衛につけて柳生庄にまで送るという案です。これならそちらの本来の目的を確実に達成できることでしょう。もう一つは二人の腕の立つ忍びを伊勢の救援に向かわせるという案。ただし先に言ったように、こちらもいろいろと忙しい身です。そんな中でそれなりの腕の者を見繕うのです、相応の見返りを要求させてもらうことになりまするぞ」
利助の案は要は之平組と善祐組、どちらか一方なら助けられるということだ。
「ちなみに両方に人を送ってもらうというのは……」
「こちらの手駒的にそれは無理ですな。敵の戦力を鑑みるに、半端に人員を割けばこっちが返り討ちにあうやもしれませぬ。故にどちらか片方。さぁお好きな方を選んでくだされ」
「……」
之平はすぐには返答できず口を一文字にした。柳生家譜代としての立場を考えれば優先すべきはお役目の方だろう。しかし山一つ隔てた伊勢に残した善祐と長右衛門のことを捨て置くこともできない。
悩み、歯を食いしばる之平。そこに康成が割って入った。
「之平様。ここは善祐様と若旦那の救援に向かってもらいましょう。里には我々だけでも帰れましょうぞ」
「し、しかし里までの道で待ち伏せしていることも考えられまするぞ。某らのお役目はあくまで情報を持っての帰還。もし里に着く前に奴らに見つかれば……」
「その時はその時です。……之平様。今回の件、これは言うなれば柳生と坂崎との戦、その初戦です。故に仮に情報を持ち帰ったとしても善祐様たちが討たれれば全体の士気にかかわることでしょう。ここは全員無事でお役目を果たしてこそ今後につながると思われます」
ぐっと拳を握る康成。その瞳には絶対に全員無事に帰るという強い意志の炎が灯っていた。
それを見た之平にも熱が伝わったのだろう、之平は意を決して利助に向き直った。
「利助様。長野峠の方に救援をお願いいたします。某たちは自らの足で里へと戻ります」
「そうですか。では早速そのように手配いたしましょう。お二方も道中お気をつけて」
「お心遣い感謝いたします。伊勢の方、どうぞよろしくお願いいたします」
之平と康成は一礼して利助の長屋を出た。自分たちの力で里まで戻ると決めた以上、ここに長居する理由はない。二人は歩きながら昼飯を済ませ、ぱんと膝を叩いて気合を入れ上野の町をあとにした。
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