柳十兵衛 山で釣りをする 4

 十兵衛が山賊の男の止血を終えた頃、平左衛門ががさりと姿を現した。平左衛門はぐったりと横たわる山賊を一瞥する。

「生きていますか?」

「もちろん。そちらは他には?」

 平左衛門は首を振る。

「いえ、こやつ一人でした。しばらく気配も探りましたが動く者、立ち去ろうとする者もなし。どうやら完全に一人での行動のようですな」

「ではこいつから直接話を聞く他ありませんね」

「でしょうな。ちょうど近くに開けた場所を見つけましたのでそちらに行きましょうか。尋問を見られるとまずいですからね」

 そう言うと平左衛門は手慣れた様子で山賊に猿轡をかませ手足を縛り、そして軽々と担いだ。その際に十兵衛は改めて男の姿かたちを見たのだが、改めて見るとその男は実に老けた男であった。頭には白いものが大半で顔には長年の苦労がしわやシミとして刻まれている。手足も若い十兵衛と比べれば確実に衰えが始まっていた。

 にもかかわらず十兵衛は一瞬この男の気概に圧された。

『俺は大坂の役に参戦した』『このくらいは傷のうちに入らん』『お前のような戦も知らぬ小僧とはわけが違う』

 十兵衛の中で男の言葉がこだまする。


 男の言う大坂の役とは後世で言うところの「大坂夏の陣」であった。これは今から十一年前の慶長20年(1615年)に起こった、徳川と豊臣とで天下を二分して行われた合戦である。その帰結は周知のとおり、徳川が豊臣勢力を討ち滅ぼし天下を徳川のものとした。これにより応仁の乱より続いた戦国時代が終わり大きな戦のなくなった平和な時代、のちの歴史書で言う「元和偃武げんなえんぶ」が始まった。

 この歴史を言い換えれば、大坂夏の陣以降大きな合戦が起きていないということでもある。それはつまり武士が本来の仕事・武者働きができなくなったということだ。特に夏の陣までに合戦に参戦したことのない武士は今日まで一度も本当の戦場を知らずにいるということでもある。

 十兵衛もそのうちの一人であった。当時十兵衛は数えで九つ。元服ですらまだである十兵衛が戦場に出れるはずもなく、父・宗矩の一部の家来と共に柳生庄の屋敷の奥でただじいっと戦が終わるのを待っていた。

 これは十兵衛にとって、あるいはこの時代の十兵衛と同年代の武士にとって共通のコンプレックスであった。時は徳川三代の御世であったがこの頃はまだ戦国の気風が色濃く残っていた。故に武士とは主君のために戦うもの、戦場にて誇り高く戦うものと教えられている。にもかかわらず彼らには存在価値を示す戦場が与えられなかった。武士の本分とは何なのか。なまじ上の世代が本当の合戦を経験しているだけに、この世代の満たされぬ思いは人一倍であった。


 十兵衛が怪異改め方の役儀に積極的だったのもこの思いに起因する。もはや今の渡世に大きな合戦など望むべくもない。そんな中舞い降りた数少ない武を示す好機である。十兵衛は意気込んだ。自信もあった。だがその思いは簡単に打ち砕かれた。山賊の男の鬼気迫る表情。それを事前に予想できなかったのだ。

(不覚を取った……そうだ、戦場に待ったなんて存在しない。あれが戦場での心持ちだ。甘かったのは、俺だ……)

 悔しさから指が貫通せんほどにこぶしを握る十兵衛。そんな立ち尽くす十兵衛に気付いた平左衛門が声をかける。

「いかがなされましたか?移動しますよ」

「あっ、はい。すぐに……」

(……そうだ。まだお役目の途中だ。せめてやるべきことはしっかりとしなければ)

 まだ胸中の靄は晴れないがそれは一時忘れよう。かぶりを振った十兵衛は急いで平左衛門の背中を追った。

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