柳十兵衛 三ケ日の危機に直面する 6

 時刻はいわゆる丑三つ時。十兵衛・平左衛門・種長の三人は牢人たちが拠点としている廃村近くにまで来ていた。しかしまだその領域内には踏み込まず、まずは周囲に罠の類がないかを入念に調べる。退路を確保しておくのは潜入任務においての基本の一つである。なお探す罠はあやかし関連だけではない。単純な鳴子や落とし穴といったものもこの機に見つけておきたいと十兵衛だけでなく平左衛門らも隙なく目を凝らしていた。

 物理的な罠に関しては平左衛門ら忍びの心得がある者が頼もしい。彼らは次々と罠を見つけ、時には作動しないように手を加えたりもした。だがやはり本命は一般人では見ることのできないあやかしのそれだ。そのため同行した十兵衛が丹念に目を凝らすのだが、村の外周をぐるりと一周回ったのち十兵衛は困惑した様子で報告した。

「うむ……やはり周囲に術の類は仕掛けられていませんね。村の中には見えているのですが……」

 これには平左衛門らも拍子抜けのような顔を見せた。

「周囲にはない……潜入や偵察に関しては警戒していないということですか?」

「いえ。鳴子のような罠があったということはその可能性を考慮しているということ。もしかしたらあやかしとしての特性の問題かもしれませんね」

「特性ですか?」

「ええ。例えば一度に操ることのできる糸に制限があるとか遠くまで糸を伸ばせないとか。あやかしの能力と言えども万能というわけではないですからね」

「ふむ……。実はあやかしなんぞ存在しない、という都合のいい話とかではないですかな?」

 種長のちょっとした冗談に十兵衛は苦笑した。

「残念ながらあやかしの気配はしますし、それにまさに蜘蛛の巣のような仕掛けがされている家が二件見えました」

「それは残念。してその家とはどの家ですかな」

「一つはあのかがり火が焚かれている中央付近の家です」

 種長たちは十兵衛が指差す先、村の中央付近にある屋敷に目をやった。この屋敷は村内でも特に大きく、また門のところではかがり火が焚かれ寝ずの番も複数人置かれていた。明らかに特別扱いされている建物である。

「まぁ見るからに幹部級のための屋敷ですね。所々補修した後も見える」

「火が焚かれているのは向こうも計画が露見した可能性を受けてのことでしょうか。まったく、こんな警戒をするくらいなら諦めてしまえばいいものを」

「然り然り。して十兵衛殿、あそこに蜘蛛の巣のような術が見えると?」

「ええ。まさに蜘蛛の巣のように、一見人が通らないような陰のところにしっかりと設置されております」

 十兵衛は怪異の類が見えない平左衛門らのために細かく罠の設置場所を説明をする。例えばくぐれそうな囲いの穴。茂みの陰。床下に潜れそうなところにはそれこそ隙間なく巣が張り巡らされていた。あくまで推測だが、あれに触れれば身動きが取れなくなったり存在がバレるであろうことは想像に難くない。

「なるほど、上手く要点を押さえている。これだと忍び込んで首魁一人だけを討つなんてことはできなさそうだ」

 あらかた聞き終えた種長はうんざりとした様子でため息をついた。


「闇討ちの案は一時忘れましょう。それより十兵衛殿、もう一軒糸を伸ばしている家があるのでしたよね?」

 十兵衛の目によって看破された相手の存外に堅牢な守り。これを打ち破る案はそうそう出ないだろうと平左衛門は話題を替えようとする。

「ええ。ここから見て最初の屋敷のすぐ左。あの何の気配もない小さな家です」

 平左衛門らは再度十兵衛の指示通りに視線を動かす。するとそこには確かに家が一軒あったのだが、それは先の屋敷とは対照的にかがり火も番もない、誰の気配もしない小さな家であった。

「あの家ですか?何の気配も感じられませんが……」

「はい、それは承知しております。しかし……これは……すごいですね。糸が幾重にも重なって一枚の絹のようになっている。隙の無さで言えば先の屋敷よりも上かもしれません」

 思わぬ十兵衛の評に平左衛門らも目を丸くする。

「あの家にそんな……それは現実の古い屋敷でも時折見るような大きな蜘蛛の巣の幕ようなものですか?」

「その認識で大差ないかと。丹念に織られた……いや、誰も打ち破らなかったせいで幾重にも重なってしまった――そんな蜘蛛の巣の幕です」

「ふむ。確かに言われて見れば屋敷に近い家なら普通は護衛か何かを置いておきたいところ。それがないということは別の役目があるということか……」

 あの空き家は何か。しばし考えたのち種長がぽつりと呟いた。

「……おそらくは宝物庫でしょうね」

「宝物庫?どこかから分捕ってきた金品等をあそこに貯めこんでいると?」

「ええ。賊がねや以外に厳重にするところといえば牢屋か宝物庫と相場は決まっています。しかし牢屋ならあの間者が抜けだしたときに気付いて追いかけていたはず」

「故に宝物庫だと?しかしそうだとすると少し意外ですね。ああいった無頼の者たちは夜越の金は持たないか、持っていたとしてもあれほどに厳重に守るほどは残さないと思っていたのですが」

「確かに普通の破落戸ならばそうでしょうね。しかし間者の話だと彼らは単なる徒党では終わらず、一つの大きな組織を作ろうと目論んでいました。おそらくはそのための大事な資金なのでしょう。悪事であろうと物事を成すにはそれなりの元手が必要ですからね」

 種長の洞察力に十兵衛はなるほどと嘆息した。

「なるほど。確かにそれなら屋敷に近いにもかかわらずほとんど人が入った形跡がないのもわかります。限られたごく一部の者しか入れなかったんですね。……しかし何ですな。資金を都合しておくなんて意外とまめな連中ですな」

「たまに見かけますよ、悪人のくせに妙に律儀な連中は。それにしても十兵衛殿がいてくれて助かりました。何も知らされていなければあの家に忍び込んでいたでしょうからね」

「いえいえ。お役に立てれたというのなら光栄です」

 そんな会話をしていると、ふと遠い後方から誰かがやってくる気配を感じた。十兵衛たちはすぐさま姿勢を低くして気配のする方を睨みつけた。


 にわかに感じ取った廃村へと近づく誰かの気配。十兵衛は茂みの隙間からそれを見ようとするが暗くてその顔までは見えない。するとすぐ隣に伏せていた平左衛門が小さく呟いた。

「先程道中ですれ違った者ですな。どうやら戻ってきたようです」

「見えるのですか?さすがですね」

「そういう訓練をしてきましたからね。それよりも問題は……」

 そこに横から種長が割って入る。

「あやつが何をしに出ていたか、だな?」

 平左衛門は然りと頷いた。

 状況から考えてあの男が三ケ日の動向を探りに行ったのはほぼ間違いないだろう。そしてその男は例の屋敷へと真っすぐ向かっていた。おそらく屋敷で待っている御大将に報告するのだろう。

「しかしあそこですれ違ってからまだ一刻も経っていないはず。碌に見て回ることもできなかったはずだが、いったい何を報告するのだろうか?」

「気になるな……どれ、ちょっと近づいて聞き耳でも立ててみるか」

 そう言って出ようとした種長を止めたのは十兵衛だ。

「お、お待ちください!屋敷周辺にはあやかしの罠があるのですよ!」

「それは承知してますとも。しかしまんべんなく張られているというわけでもないのでしょう?上手く避けてみせますよ。というわけで十兵衛殿、罠にかからずに屋敷に近づけるようなところはありますかな?」

「なっ!?」

 何ともひどい無茶ぶりであった。敵の罠についてはまだ満遍なく調査できたわけでもないし口頭でどこまで伝えられるかも定かではない。慌てて平左衛門に思いとどまらせるように願い出るが、その平左衛門も特に止めようとはしなかった。

「……まぁ本人が忍び込みたいというのなら自由にさせればいいんじゃないでしょうか?おい、種長。先に言っておくが見つかっても助けてはやれないぞ」

「ふふふ、わかっている。して十兵衛殿、どこか入り込めるようなところはありますかな?できれば早めにお教え願いたい。入り口あたりがざわついているうちに忍び込みたいので」

「くぅっ!わ、わかりましたよ!」

 忍びの先達二人が承知しているというのなら十兵衛にはもはや止めようはない。仕方なしに十兵衛はわかる限りの罠の情報を種長に伝える。越えれそうな塀はここだ。あの茂みには巣が張られている。あそこは一見隠れられそうだが実は罠である。

「特に軒下には絶対に入らないようにしてください。すべて見たわけではないですが、かなり厳重に警戒しているようです」

「なるほどなるほど。まぁ軒下はな。ところであの玄関横の柱のあたり。あそこに巣の類はありますかな?」

「玄関横ですか?そこにはないですね。おそらく人通りがあるところには張らないのでしょう。そこらへんは普通の蜘蛛と同じですね」

「なるほどなるほど」

 こうして十兵衛があらかた説明すると種長は「ではちょっと行ってきますか」と軽く言って出ていった。十兵衛は不安そうに平左衛門を見たが平左衛門の方は特に心配等はしていない様子だった。

「気持ちはわかりますが、まぁ見ていてくださいよ。あいつは憎々しいくらいに上手く忍び込みますから」

 平左衛門にそう言われ十兵衛は見守るように忍び込む種長を目で追っていたのだが、結果から言えば心配など無用だった。流れるように塀を飛び越え、まるで見えているかのようにあやかしの罠を避ける。そして白眉だったのは人の目線をうまくかいくぐる技術であった。報告へと戻ってきた男。それを迎える門番。そんな彼らの一瞬の隙をついて種長は敷地内を縫うように駆け、そして玄関横の壁際に座り込んだ。

「おぉ!種長殿お見事!」

「ちっ!相変わらず上手いな……」

 その後男が屋敷内に入る。これから報告をするのだろうか。種長は壁に耳を当てているがどこまで聞こえているのだろう。

 この間十兵衛はただ固唾を吞んで見守っていただけであったが、平左衛門の方はいつの間にか小さな石のつぶてを手に持ち少し村に近い所に待機していた。何かあっても助けてはやらないと言ってはいたが、万が一の時にはこれで敵の気を逸らすくらいのことはするつもりだったのだろう。

 だがその必要はなかった。しばらくすると例の男が屋敷から出てきて門番と二三会話してから自分の寝床へと帰っていった。男が離れ門番も退屈そうに自分の立ち位置に戻ると種長はゆっくりと立ち上がり、来た時と同じように敵の罠に触れることなく十兵衛たちの元に戻ってきた。

 そんな戻ってきた種長の第一声は「半分失敗しましたね」というものだった。


 戻ってきた種長はまず「半分失敗しましたね」と報告した。

「半分失敗とは?」

「いやどうも私が潜んだところは間取り的に敵の寝床からは離れていたところだったらしく、残念ながら中の会話は聞き取ることができませんでした。ただ出てきた男が門前で番をしていた男と少し言葉を交わしていたのは見ましたか?そちらの方は聞き取ることができました」

「おぉ!それで奴らは何と?」

「やはり三ケ日の与力らの様子を見てきたようですね。『日中夜間と動きがなかったからおそらく計画はばれていないのだろう』などと話しておりました」

 これを受けて十兵衛は「それはよかった」と喜んだが、平左衛門はある部分に引っかかった。

「『日中』だと?あの者が三ケ日に向かったのはつい先ほどだろ?」

 種長が頷く。

「ああ、そこは私も気になっていた。おそらくだが向こうも三ケ日に間者を潜ませているのだろう。今回は幸いこちらがまだあまり行動を起こしていなかったから向こうも勘違いしたが、下手に動けばすぐに勘づかれるかもしれないな」

「なっ!そ、それは少々まずいのではないでしょうか。久助殿らは番方らと話がまとまれば独自に動き出してしまうかもしれません。何ならもう動いていてもおかしくない……」

「ええ。なので一度三ケ日に戻った方がいいのでしょうが……どうします?誰がここでの監視を続けますか?」

 十兵衛たちは茂みの陰でひそひそと話し合う。先程の技量を見れば種長に任せたくもあったが、彼の顔の広さは三ケ日の方でも必要とされるだろう。一時は平左衛門が「自分が一人で残ってもいい」とまで言っていた。しかし結局は三人そろって三ケ日に戻ることにした。平左衛門や種長だけでは急なあやかしの行動に対処ができず、かといって十兵衛だけあるいは十兵衛と二人で潜むというのは現実的ではなかったからだ。

「まぁあの感じを見るにすぐには襲撃しては来ないでしょうからね。その隙にこちらの準備を済ませてしまいましょう」

 こうして十兵衛たちは三ケ日へと音もなく駆けだした。空はまだ完全に夜闇に覆われているころだった。

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