柳十兵衛 落ち武者騒動を解決する 2
落ち武者騒動の元凶となった術式を発見したものの、それの処遇についてで意見が割れた十兵衛と李全。平行線となった二人はこのままではいけないと一度山を下りて沢庵に判断をゆだねることにした。
こうして寺まで戻ってきた二人は早速沢庵との面会を希望する。
「師僧、ただいま戻りました。つきましては三厳殿と共にご報告したいことがございますので法堂の方にご足労いただいてもよろしいでしょうか?」
「おぉ戻ったか、李全。しかし急な話だな。お前も七郎も戻ってきたばかりだろう。先に何か食べてきてはどうだ?」
「いえ、急を要することですので……」
唐突な面会要求に沢庵は少し休んできてはどうかと気を利かすが李全、それに十兵衛もそれを固辞する。これは互いに飯を食っている間に変なことを吹き込まれるのではないかと牽制しあったためである。その様子に何かを感じ取ったのだろう、沢庵は「先に待っておけ」と言って持っていた筆を脇に置いた。
それから数分後、十兵衛・李全・沢庵の三人は初日と同じく法堂で会することとなった。
まず口を開いたのは上座に座る沢庵であった。
「さて、わざわざ二人で報告に来るとは、何か掴めたのかな?」
二人は一瞬見合う。ここでは十兵衛の方が先に話すと決めていた。
「はい。昨日今日の調査で山中の某所に何者かが仕掛けた術式を発見いたしました。おそらくこれが件の落ち武者騒動の元凶にございましょう」
「ほう。詳しく聞かせてもらえるか?」
「はい。仕掛けられていた術式は死者の魂を呼び起こすものでした。これで呼び出した魂を依り代に定着させて徘徊させていたようです。術者は不明ですが手の込んだ仕掛け故に偶然や出来心で行ったのではなく、明確な目的があったのではないかと推察しております」
「なるほど。それでその術式とやらはどうした?解除したのか?」
「いえ。調査が必要かと思い手はつけておりません。今回は発見の旨のみを先んじて報告したまでです。ですが……」
十兵衛がちらと自身の隣に目配せをする。それを受けた李全は十兵衛に続けるように口を開いた。
「師僧。某としてはのちの憂いを断つためにも、早急にその術式とやらを破壊すべきだと考えております」
「ふむ、憂いか。お前は以前より懸念していたな。確か江戸が介入してくるとかこないとか……」
「左様にございます。被害者が出て責の話になれば間違いなく出張ってくるでしょう。そうなればもう遅い。あやつらの思うがままにされてしまうに決まっております。師僧、どうか賢明な判断をお願いいたします」
そう言って深く頭を下げる李全。意見こそ十兵衛と違えたが彼も彼なりに沢庵のことを思っての行動なのだろう。それを横目に見つつ十兵衛はその沢庵の様子を窺っていた。
(和尚、随分と落ち着いておられるな……)
ここまでの報告の間に沢庵に驚いた様子は見られなかった。それは沢庵の精神性の賜物か、それとも始めから全て知っていたがためなのか……。
本心を見極めようと気を張る十兵衛。しかしそれは簡単なことではなかった。次の瞬間、報告を聞いていた沢庵はまるで我慢が出来なくなったかのように一人急に笑い出したのだ。
「ふっ、ははは。ははははは!」
「お、和尚……?」
報告を聞いていた最中、急に堪えられなくなったのか一人笑い始める沢庵。その理由がわからない十兵衛と李全は唖然とした顔で沢庵の笑いが収まるのを待たねばならなかった。
しばらく満足そうに笑った沢庵は咳払い一つして居住まいを正した。
「……ふぅ。いや、すまんな、急に笑い出して。お主らが想定よりも早くそこにたどり着いたから思わず『見事』と思ってしまってな。しかしまぁあの小さかった七郎がここまでになったか。宗矩の奴もよく鍛えたものだ」
満足そうに笑みを浮かべる沢庵に対し十兵衛と李全の顔は険しくなる。
「そのおっしゃられ方……。やはり和尚はおおよそのことをご存じでしたのですね。術式のことも、あるいは術者の目的も……!」
「そ、そうなのですか、師僧!?ならばなぜ放置しておられたのですか!?」
詰め寄る二人。それを沢庵は手で払うようなしぐさで治める。
「落ち着け、二人とも。それに買い被り過ぎだ。確かに石塔のことは聞いていたがその目的まではわからんよ。さて、そのあたりをどう説明したものか……」
沢庵は少し宙を見つめてからゆっくりと語り出した。
「まずはだな、お前たちが気にしていた術者の目的だが、それはわしにもわからんし特に気にするようなものでもない。大事なのは起こりうる最悪の展開は何か。そしてそれにどう対処するかだ」
「最悪の展開ですか?」
「ああそうだ。そして今回の場合それは……七郎の前でこのような話をするのもあれだが、江戸の御公儀連中がわしらに難癖をつけにくることだ」
「っ!」
一瞬法堂内に緊張が走るが沢庵は気にせず話を続ける。
「それ以外の展開ならば後で謝るなり何なりすればどうとでもなるが、こればかりはどうしようもならん。故にわしらの第一の目的は江戸から目を付けられないように振る舞うということだ。しかし言うは易し。難癖なんてつけようと思えばいくらでもつけてこられる。それこそ石塔一つ壊したくらいでもな」
「……だから師僧は手を出さず、某にも何もするなと言っておられたのですか?」
李全の問いに沢庵は「いかにも」と返す。
「向こうは『あれは大事な石塔だったのにどうして崩してしまったのだ!』と言えばいいだけだからな。それにあまり言いたくはないがお前は鬼だ。鬼が御公儀の大事な石塔を崩したとなれば多くの者が動くことだろう。それはわしらの望むところではない」
「だから師僧は放っておかれたと……」
納得したように頷く李全。確かに石塔を壊すことが口出しされるきっかけになりかねないというのならば放置しておくのも一つの答えだろう。
しかしだとすれば……。ここまで黙って聞いていた十兵衛は真剣な面持ちで沢庵に尋ねる。
「つまり……和尚は私を利用したということでしょうか?」
そう、沢庵は十兵衛に落ち武者騒動の解決を依頼した。それはつまり沢庵は十兵衛に石塔破壊の責任を負わせようとしたのだろうか?
だが沢庵は苦笑しながらすぐに「それは違う」と返答した。
「そういうわけではない。だがそう思われても仕方がないことも理解しておる。七郎、わしはな『手を出すには面倒な状況』を作りたかったのだ」
「面倒な状況……?」
未だ訝しむ十兵衛に沢庵は力強く「ああ」と頷いた。
「ああ。此度の件、術の半端さや時期を見るに本気で江戸が仕掛けに来たものではあるまい。おそらく上手く転んでくれたら儲けものくらいで仕掛けた嫌がらせ程度のものだろう。故にわしらはほんの少しだけ面倒くさくして『手を出すには分が悪い状況』を作ればいいだけのことだ」
「えっと、というと……?」
「ふむ。ならば訊くが、お前が石塔を崩したとしてその責任は誰にある?江戸はどうやってわしを責める?」
「えっ、それは……」
「崩した本人であるお前を責めるか?しかし目的がわしだというのにお前を責めて何になる?なら依頼をしたわしを責めるのか?だが街道の安全を守るのは周囲の者の義務であり責められるようなものではない。それを無理に責めようとすれば自分の影も表舞台に晒すことになるだろう。それは向こうとしても本意ではないはずだ。ならば……」
「ならば……?」
答えを待つ十兵衛と李全に向かい沢庵はなんてことないという風に回答した。
「あきらめる、手を出さずに見送るのが一番ということだ。もっといい機会が訪れるかもしれないからな」
ここに来てようやく十兵衛にも沢庵の描いた絵図が見えた。沢庵は十兵衛を一枚噛ませることで江戸の追及の意欲を削ごうとしていたのだ。
ただ理解はできたが十兵衛はそれはそれで水臭いとも感じた。
「……それならば一言おっしゃってくれればよかったのに。私も父も和尚の友人なのですから」
「ふふふ。だが知っていたらお前はどう動いた?わしのために江戸の御公儀連中の邪魔をするのか?あるいは忠義に従いわしを討つか?」
「それは……」
本心としては友人である沢庵を助けたいと思っている。しかしいざそれを口に出そうとすると十兵衛は(果たしてそれは武士として正しいのか?)とつい口ごもってしまった。その様子を見て沢庵は優しく微笑んだ。
「即答できないのならば無理に考えようとするな。人はそれほど賢い生き物でもない。流れに身を任すのもまた一つの賢い生き方だぞ」
「……覚えておきます」
「ふふふ、精進するといい。……さて、あらかた話がついたところで最初の話――その石塔とやらの話に戻ろうか」
「あぁそういえばそのために戻ってきたんでしたね」
沢庵が話題を戻したことに対し十兵衛と李全は「あぁ」と生返事で返した。元はと言えば石塔をどうするかで李全と揉めたからこうして和尚に判断を仰ぎに来たのだった。
「では和尚はいかがするのがよろしいかと?」
「うむ。もう崩しても構わんだろう。元より雪が融けて往来の季節になったら誰かに頼んで壊してもらうつもりだったからな。というわけで頼めるか、七郎?もちろん気乗りしないというのなら無理強いはしないが……」
沢庵がそう言ったのは今回の行為が考えようによっては幕府への背任行為になりかねないからだ。おそらく実際に処罰を受けることはないだろうが十兵衛の心のしこりにはなるかもしれない。十兵衛もそこを理解しているからこそあえて何でもない風を装って返答した。
「お心遣い感謝します。ですが和尚のためならば一肌でも二肌でも脱ぎますよ」
十兵衛は改めて騒動解決への意欲を露わにした。
さて、沢庵から石塔破壊の許可をもらった十兵衛と李全は早速その日のうちに例の石塔前まで戻っていた。沢庵本人は明日以降でも構わないと言っていたが李全の要求と、加えて十兵衛自身も終わらせられるならさっさと終わらせたいということでその日のうちに破壊することに決めたのだ。
こうして戻ってきた二人であったがまだ広場には踏み込まない。というのもそこに新たな落ち武者たちの姿があったからだ。
「……おるな。今度は三体か。外を回っていた奴らが戻ってきたのか?」
一度倒した落ち武者の依り代は破壊しているため霊が再定着したとは考えられない。どうやら思っていた以上に奴らは山に放たれていたようだ。
「どうする?またお前の刀で除霊するのか?」
「それもいいがちょっと試したいことができた。あの石塔を壊したらどうなるのか見てみたいんだ」
「どういうことだ?」
「あの石塔が霊を降ろす役目を担っていることは話したよな。そしてそれを長時間現世に留めるために依り代を利用しているということも。ではあの石塔を壊したらあの落ち武者たちはどうなると思う?」
「それは……成仏するのか?いや、すでに定着しているのなら関係ないのか?」
考えてはみたものの専門家でもない李全にわかるはずもない。
「わからんな。どうなるんだ?」
「確証は持てないが、術式の外に出ていない所を見るに成仏するのかもしれん。依り代の精度が低ければ十分起こりうることだ。そしてもしそうなら落ち武者たちを一網打尽にできるというわけだ。まだ山中をうろついている奴らも含めてな」
「なるほど、それはいいな。……ん?だがそうならなかったらどうするつもりなんだ?」
「そりゃあもちろん残党狩りだ。このだだっ広い山の中をな」
「うげぇ……」
心底嫌そうな顔をする李全に十兵衛はくっくと笑う。
「まぁおそらくは大丈夫だろう。ただ今はあくまで推察の段階だからな。実際に試してみないことには何とも言えん。……そこでだ、もういい加減にお前にも協力してもらおうと思ってな」
にやりと笑った十兵衛に李全は間抜けそうに「え?」とだけ返した。
数分後、落ち武者たちがうごめく広場に一つの影が飛び出した。
「お、おうおう、落ち武者どもめ。とりあえずこっち見な!」
威勢よく啖呵を切って広場に現れたのはなんと李全であった。
着の身着のまま飛び出した李全。そんな派手な登場をしたのだから当然落ち武者たちは一斉に李全の方を向き、そして威嚇を始める。
「シィィィィッ!」
「キシャァァァッ!」
「ガアァァァッ!」
やはり除霊用の武器を持っていない人間に対しては一定の距離から威嚇するようになっているらしい。三体の落ち武者たちから敵意を向けられつつも李全はぐっとその場に立って堪えていた。
(ひぃっ!襲ってこないとわかっていてもやはり恐ろしい!早くしろ、三厳め!)
当然だが李全は何の策もなしに飛び出してきたわけではない。彼は要は囮であった。落ち武者たちが李全に釘付けになっている隙に十兵衛は大周りして石塔の元へとたどり着いていた。
(よし、後はこれを崩すだけだ!)
十兵衛は念のために破邪の九字切りをしてから木の陰に隠れた小さな石塔を蹴り飛ばす。石塔は何の抵抗もなく簡単に崩れ落ちた。
(あっけないものだ。こんなのが一騒動起こしたというのだから本当呪術というのは恐ろしい。さて、落ち武者たちはどうなったかな?)
十兵衛がふと広場の方を向くと変化は既に訪れていた。先程まで李全を威嚇していた落ち武者たちは勢いを失くし、全員どこか苦しそうなうめき声をあげている。
「グ……グガァッ……」
明らかに力を失っている落ち武者たち。石塔が崩された影響なのは間違いないだろう。しまいには自力で立つことすら困難になり地面に伏したままビクンビクンと痙攣し、そして最後にはピクリとも動かなくなった。
その一部始終を共に見ていた李全が尋ねてくる。
「……成仏したのか?」
「ああ。やはりこいつらは常に石塔の影響下になければ自身の存在すら維持できないような連中だったんだ。まだ見ぬ落ち武者らもこれで無力化されたことだろう」
「……ということは終わったと言っていいんだな!?」
「まぁそう言ってもいいだろうな」
「よぉしっ!」
満足そうにこぶしを握る李全。ここ数か月の彼の苦悩を考えればその喜びも当然なのだろう。もちろん十兵衛も騒動が一段落したことは喜ばしい。しかし彼ほどに喜ぶ気分には慣れなかった。
(確かにこれで落ち武者騒動は片付いただろう。だが江戸と和尚との関係が改善されたわけではない。和尚はこれからどうするつもりなのだろうか。それに……俺自身も……)
今回の一件、表向きは一つの術式が引き起こしたちょっとした騒動だったが、その裏では多くの思惑がうごめいていた。上手く収めることができたものの、それは沢庵の助力のおかげであり十兵衛の力ではない。次また同じように政治的な背景のある問題と直面したとき、果たして自分は同じようにうまく解決することができるのだろうか?
(はぁ面倒なことだ……。果たしてこれが武士の生き方なのだろうか……)
ため息を一つして空を見上げる十兵衛。しかし空はただ青いばかりで答えになるようなものは何も浮かんではいなかった。
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