柳十兵衛 鬼蜘蛛丸と対面する 1

 潜入から一夜明けた朝。十兵衛は小屋内でうごめくかすかな気配を感じ取り目を覚ました。

(……誰かいる。誰だ?)

 十兵衛は一瞬襲撃者かと身構えたが、ほどなくして同じ小屋内に清厳もとい新左エ門がいたことを思い出した。新左エ門の方も十兵衛が目を覚ましたのに気づいたようで「あ、申しわけありません。起こしてしまいましたか?」と声をかけてくる。

「……いや、気にするな。敵中だからかつい敏感になっていたようだ。お前は小便か?」

「いえ、寒さで目が覚めてしまいまして……ちょっと素振りでもして体を温めてこようかと」

 十兵衛たちが通された小屋は地面がむき出しで敷物もござが一枚だけであった。そして季節は晩秋。山間部の朝は底冷えが厳しく、言われてみれば十兵衛も尻がよく冷えていた。

「確かに寒いな。ふむ、俺も付き合っていいか?」

「私は構いませんが、大丈夫ですか?あまり寝てないのでは?」

「と言ってももう目も覚めてしまったしな。なに、日が昇ってから改めて横になるさ」

 十兵衛は立ち上がり一つ伸びをしてから新左衛門に続いて小屋を出た。


 小屋から出る十兵衛と新左衛門。外は日の出直前という頃でだいぶ明るくはなっていたが西の空にはまだ夜闇が見えていた。そして村の中はひどく静かであった。

「……静かですね」

 普通の人里なら日の出前であっても往来を行く奉公人や旅人でそれなりに活気がある。しかしこの廃村はまるで大雪後の正月の朝のようにしんとしていた。

「まぁここははぐれ者共のたまり場だからな。口うるさく尻を叩いてくる主人もいない。日が昇るまでは皆のんびり寝ているんだろうよ」

「気楽なものですね。そんな心持ちだから、ろくな仕官先も見つからないんでしょうね」

「ふふ、言ってやるな。それよりも怪しまれないうちにさっさと素振りを始めるぞ」

 小屋の近くには相変わらず見張りが潜んでいた。気配は一つ。それが見張りが一人だけなのか他の者が寝落ちしているのかはわからないが、ともかく二人が出てくると明らかにその者が緊張した気配が伝わってきた。気配が漏れている点は未熟だが、こんな早い時間でもすぐに警戒できるのは敵ながらいい見張りである。ただそんな見張りも十兵衛たちが小屋の前で素振りを始めるとその緊張を若干緩めた。早朝からの素振りといういかにも武芸者らしい行動に油断したようだ。

(ふむ。どうやら警戒を解いたようだな。体を動かしたかっただけで狙ったつもりはなかったが、これが一石二鳥という奴か。しかし因果はわからんもんだな。まさかこんな山奥で尾張柳生の嫡男と並んで剣を振ることになろうとは)

 十兵衛がちらと横眼で見れば隣では新左衛門こと柳生清厳が剣を振るっている。その剣筋は元が同じ新陰流であるだけによく似通っていた。それはうっかりすると、ずっと昔からこうやって肩を並べて剣を振っていたと錯覚するほどであった。

「……あの、さっきからこちらを見ているようですが、何か気になるところでもありましたか?」

 さすがに視線に気付いた新左衛門が振り向く。十兵衛は内心では焦りつつ平静を装って誤魔化した。

「いや、敵中だというのに落ち着いているなと思ってな。大の大人でも緊張から体調を崩す奴だっているというのに大したものだ」

 十兵衛としては素直に褒めたつもりであった。しかし新左衛門はそれを子供扱いだと感じたらしく若干機嫌を悪くした。

「これでもそれなりに役儀をこなしてきた身です。この程度ならなんてことありません」

「そうか、頼もしいな。だが自信と無謀は違うからな。万が一の時は自分の力を過信せずにすぐに逃げるんだぞ。特に例のあやかしとやらは絶対に戦おうとするなよ」

 新左衛門はまだ庇護下扱いに憮然としていたが、それでも「承知しております」とは返答した。さすがに武闘派のあやかしと戦えると思うほどうぬぼれてはないようだ。

「しかしそのくだんのあやかし、今は村から出ているのですよね?」

「ああ。種長殿によると北の新城の方にいるそうだが、いつ戻ってくるかはまではわからなかったらしい。あまりに帰ってこないときは一度三ケ日に戻った方がいいかもしれないな」

 そんな会話をしながら剣を振るっていると気づけばすっかり日は昇り、廃村内にもうろつく人影が目立ってきた。やがて昨日の夕方時のように食料を配給する牢人が現れると一気にその活気は増す。各々外に出てきて「朝は寒いねぇ」だとか「今日はどこに行く?」といった世間話を交わす。それは彼らの顔がいかついことを除けばごく普通の長屋の一角のようにも見えた。

 そんな光景を眺めていると、やがて昨日のように十兵衛らを連れてきた男が朝食を持ってきた。

「おう、お前ら。朝から精が出るな」

「このくらいは日課の範疇だ。むしろ気合の入っていないのはお前らの方だろうよ」

「おいおい、堅っ苦しいことを言うなよ。そういうのはお武家様だとかケチな商人に任せておけばいいんだ。のんびりと朝寝ができるの俺たちの特権だぜ?」

「ふぅん……だいたい皆そうなのか?」

「ん?皆そんな感じだが……なんだ?なんか言いたいことでもあるのか?」

 十兵衛のそっけない態度に男は少し不満げになるが、十兵衛はそれを特に気にせず「別に……」とだけ答えて渡された餅をかじった。


(さて、することもないし少し横になるか……)

 朝食を終え改めて潜入二日目が始まる。しかし今十兵衛ができることは特にない。本命の鬼蜘蛛丸が不在の上、見張りも存外真面目なため小屋から離れて調査することもできないからだ。仕方がないと十兵衛はどこからか廃材を持ってきて、それを小屋の前に敷いて横になった。

 外で横になったのは日向ぼっこの目的もあったが同時に横になりつつ廃村内の様子を観察するためであった。たいして見渡せるわけではないがそれでも情報は情報だ。それに昨日大立ち回りを演じただけあって遠巻きから十兵衛を眺めに来る者も少なからずいた。十兵衛はうたたねをする振りをしながらそんな彼らの会話に耳をそばだてる。

「ほう、あれが新しく来た奴か。若いってのに辰一が認めるほどの腕前らしいな」

「弟もいるそうだが、そいつもすげぇって話だ。いやはや、頼もしいねぇ」

「ふん。辰一が認めたからって何だっていうんだ。あんな一芸者に何がわかる」

「しかし人も揃ってきたな。始めはどうなることかと思ったが、これは案外いいところまで行けるんじゃないか?」

(はっ。どうも無駄に期待されているみたいだな)

 どうやら推察通りこの牢人徒党、規模の割には武闘派の数が足りてないようだ。また辰一を認めていない者もいることを考えると組織としての統率も完成されていないと見える。

(やはり叩くなら今の内だな。だが当の鬼蜘蛛丸が帰ってこないことには……)


 十兵衛が寝たふりをしたまま、どうしたものかと思案していると、ふと遠くの方がにわかに騒がしくなった。方角は村の入り口の方だ。

(なんだ?遠くの方から慌ただしい気配が……)

 寝たふりをやめ上体を起こす十兵衛。周囲の牢人たちも騒ぎに気付いたようで浮き足立ち、小屋の中に控えていた新左衛門も顔を出す。

「何かあったのですか?」

「わからん。だがおそらく……」

 そこに一人の牢人が叫びながらかけてきた。

「帰ってきたぞ!鬼蜘蛛丸様が帰ってきたぞー!」

 この報告を聞くや廃村内は一気に慌ただしくなった。さっきまでダラダラと歩いていた牢人たちも皆追い立てられるように駆けていく。全員恐るべき頭領を迎えるために動き出したのだ。

「いよいよですか」

「あぁいよいよだ。わかっていると思うが危険だと思ったらすぐに逃げろよ」

 やがて遠くから仰々しい出迎えの声が聞こえてきた。頭領・鬼蜘蛛丸の帰還だ。十兵衛としてはこの機に一度姿を見ておきたかったが見張りはまだ健在であった。ここは無理に門へと向かわずにじっとして信用を稼いだ方がいいだろう。

(まぁいいさ。どうせ赤丸が紹介してくれるだろうしな)

 昨日赤丸は十兵衛らの処遇について鬼蜘蛛丸の判断を仰ぐと言っていた。また組織の拡大を望む彼らが将来有望な十兵衛を雑に扱うとも思えない。そんな予想通りしばらく経って廃村内が落ち着きを取り戻してきたところで、副頭領である赤丸が十兵衛たちの小屋に近づいてくるのが見えた。

「おい、兄弟共。これからかしらに会わせる。ついて来い」

「はっ!」

 十兵衛と新左衛門は一瞬目を合わせる。いよいよだ。だが焦ってはいけない。

(討てるなら討ちたいが、もしかしたら外で『刈り取り』作戦に気付いたかもしれない。ともかく無茶はせず、まずは向こうの様子を見るか)

 こうして十兵衛らは赤丸に率いられて廃村中央、鬼蜘蛛丸のいる屋敷へと歩き出した。

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