柳十兵衛 本庄へと向かう 1

 空が白みにわかに気配が活気づく。まもなく日の出、明け六つ(午前6時頃)である。

 江戸城各門は明け六つ、くぐり戸はそれより少し早くに錠が開くため朝一で出入りしたい者たちは既に門の近くに集まっていた。柳生三厳やぎゅうみつよしおよび宗矩むねのりの姿もそこにあった。そして間もなくくぐり戸がゆっくりと開く。

 目立たぬように他に紛れて下城した二人は外の通りにて待っていた柳生家家来の姿を見つけた。待っていた家来はあらかじめ検分のことを聞かされていたため二人の姿を見つけ安堵した表情を浮かべていた。

「殿。それに三厳様もご無事で何よりです。さあ、駕籠にどうぞ」

 家来が宗矩に駕籠を薦めたが宗矩はそれを留める。

「いや、それより先に、七郎。籠の影でさっさと着替えてしまえ」

 宗矩は三厳に着替えるように促した。動きやすい格好に着替えて先に屋敷へと帰れという意味だ。今の三厳の格好は武士の正装である半裃はんかみしもであった。これで走るのはさすがに外聞が悪い。三厳も同じことを思っていたのかすぐに駕籠の影にしゃがみ込む。

「わかりました。すまないがお前たちも少し壁になってくれ」

「それは構いませんが、何かあったのですか?」

「なに、ちょっと所用ができてな。……よし。それでは俺は一足先に屋敷に戻るからな。連れはいらん。それでは父上、お先に失礼させてもらいます」

「うむ。仔細なく勤めよ」

 こうして昨夜のような袴に小袖の格好に戻った三厳は一人屋敷へと駆けていった。


「ふぅ。帰ったぞ」

 三厳が屋敷へと戻ると留守を任されていた弟・柳生宗冬むねふゆと家来数名が出迎えた。彼らもやはり検分を知っていたので三厳の帰宅に喜ぶが、残念ながら三厳にそれに構う余裕はなかった。

「兄上!お帰りなさいませ」

「お帰りなさいませ。御父上はご一緒ではないのですね」

「うむ。俺だけ所用あって一足先に戻ってきた。いろいろと聞きたいこともあるだろうが、それは父上から聞いてくれ。それよりも少し遠出をする用ができてな。すまないが荷支度を得意とする者を適当に呼んでは来てくれないか」

 そう言って三厳は話もそぞろに自室に戻り遠出の準備を始めた。

 目的地の武蔵国本庄は片道だけでも二日はかかる。そこから問題を解決するまで少なくとも数日は向こうに滞在するだろう。父か家光の付き添いでしか江戸の外に出たことのなかった三厳にとってはこれがなかなか難儀な作業で、荷物をまとめた頃にはもうすでに五つ(午前8時頃)の鐘は鳴っていた。その後三厳が慌てて朝食を食べ終えた頃にちょうど奉公人から客人の来訪を告げられた。

「三厳様。老中・酒井讃岐守様の使いと名乗られる方がお見えになられていますがいかがなさいましょう?」

「うむ。問題ない。私の客だ。すぐに行く」

(ふぅ。どうにか間に合ったか。しかしさすがに早いな。いや、俺が手間取ったからか?)

 こうして三厳は息つく暇もなく身なりを正し奥座敷にて待つ酒井忠勝の使いと対面した。


 待っていたのは三厳より一回りほど年上に見える、落ち着いた雰囲気の地味な武士だった。緊張なく座るその姿は屋敷の奥で書類仕事でもしてそうな雰囲気で、とても老中から直々に命を受けて任に赴くような武士には見えない。そんな忠勝の使いは落ち着いた様子で頭を下げた。

「拙者、酒井讃岐守家来・前島平左衛門まえじまへいざえもんにございます。此度の件にて柳十兵衛やなぎじゅうべえ殿の補佐を命じ遣わされてきました」

「大和柳生家家来・柳生三厳にございます。怪異改め方の役儀の際には『柳十兵衛』と名乗っておりまする」

 三厳あらため十兵衛は礼を返しつつ内心では感嘆していた。

(柳十兵衛の名は今朝決めたばかりだというのにもう知っているとは。さすがは讃岐守様の家来だ)

 十兵衛の思料の通り『柳十兵衛』という名は今朝江戸城内にて決めたもの。それを知っているということは忠勝からの連絡をきちんと受けてからこの屋敷へと来たということだ。素早い行動に忠勝からの信頼の高さ。そして隠してはいるが合間合間に見える隙のない気配に十兵衛は(この方はただ者ではないな)と初見の印象を改めて身を引き締めた。


 挨拶を済ませると平左衛門は早速山賊の件について話を切り出す。と言ってもこの場ではあくまで互いの事前情報のすり合わせをしただけで新しい話は出なかった。すり合わせが終わると話題はいつ本庄へと出発するかという話になった。

「それでは十兵衛殿。本庄へはいつ頃向かいましょうか?」

 十兵衛は鼻息荒く答える。

「支度は整っております。今すぐにでも行けまするぞ」

「ほう。それはそれは……」

 十兵衛の返答に、顔には出さないが平左衛門は少し悩んだ。

(今すぐにでも、か。随分と気合が入っているようだが、さてどうするか)

 もちろん仕事には早く取り掛かった方がいい。しかし今回の件は特別急ぐようなものでもない。そのため平左衛門は「急な話故に一日二日待ってくれ」と言われたら待つくらいのつもりでいた。だが当の十兵衛はこちらの想像以上にやる気があるようだ。ここで平左衛門は数刻前の忠勝の言葉を思い起こした。

『此度の山賊の件は三厳殿にとっては実質初陣。うまく面倒を見てやってくれよ』

 今回の件、第一の目的は山賊にあやかしが係わっているかどうかを見極めることである。だが平左衛門は別に十兵衛もとい三厳の補佐の命も受けていた。三厳は幕府の主要人物・柳生宗矩の息子。あやかしの才を抜きにしても今後の幕府にとっての重要な人物となることだろう。そんな三厳に実績を積ませることも平左衛門の使命であった。

(面倒な役目とも思ったが、本人にやる気と腕っぷしがあるのなら存外手がかからぬかもしれぬな。ならばいっそ乗せるのも手か?)

 役目柄長年多くの人を見てきた平左衛門は、心持ちが本人にどれだけ影響を与えるかを知っていた。その考えに基づけば三厳のやる気があるうちに行動を起こすのは悪い選択肢ではない。少し考えたのち、ならばままよと平左衛門は勢いに任せて今日のうちに江戸を発つことを決めた。

「そうですな。ではさっそく出立いたしましょうか」

「おぉ!行きますか!」

「はい。ただ私は一度荷物を取りに戻らねばなりませんのでどこか場所を決めて落ち合いましょうぞ。そうですな……一刻後(2時間後)に平尾の一里塚など如何かな?」

「平尾の一里塚ですな。承知致しました」

 十兵衛の目に宿る情熱がひときわ強く輝いたように見えた。

 平左衛門は(さて、これが吉と出るといいが……)と心の中で呟いた。

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