鹿之助 兄と再会する 2
鹿之助と熊之助が再会してから早くも数日が経っていた。その間熊之助は変わらず鹿之助の家に居候をしていた。
「おう、帰ったな。すまんが先にやってるぞ」
「いい匂いですね。焼き味噌ですか?」
「ああ、いい味噌が入ったという棒担ぎの口車に乗せられた。お前も食うだろう?」
「いただきます」
熊之助との生活は一見すると順調に見えた。元より家族であるためにまさに『馬』が合うのだろう。しかし鹿之助は時折不安めいたものを直感的に感じ取っていた。
「ところで熊兄、お金は大丈夫なんですか?私も食べたのですから半分は出しますよ」
「水臭いことを言うな。居候しているのは俺なんだからこのくらいはなんてことないさ」
「そうですか……」
熊之助の不審な点の一つにこの金遣いがあった。居候を始めてからの熊之助に特に働いたような形跡はない。それどころか仕事を探す素振りすら見せておらず、鹿之助が一度上荷差しの仕事を勧めたときも興味ないと手を振って返しただけであった。しかし何故かある程度の金は持っているようで、今日のようにちょっと何かを買ってきて鹿之助に振舞うなんて場面も数度見られた。
また日中どこにいるのかも不鮮明であった。ほぼ毎日誰かに会いに行っていることは知っているがその相手が誰かまでは知らされていない。これも一度尋ねてみたことがあったが煙に巻かれてそれっきりである。
(いったい熊兄は何がしたいのだろうか……)
正直あまりいい予感はしない。しかしあまりにも今の生活が心地よすぎたため、鹿之助はついついそれに気付かぬふりをして日々を過ごしていた。
これに転機が訪れたのはある日の夕刻の頃だった。この日鹿之助はいつもより遅い時間に帰ってきた。
「ふぅ……ただいま帰りました……」
「うむ、遅かったな。心配したぞ」
「すいません。積み込みも佳境でして、しばらくはこんな感じになりそうです」
上荷差しは傍目から見ると単に荷物を運んでいるだけのように見えるが実は見た目ほど単純な仕事ではない。何も考えずに荷物を積んでしまうと船の重心が傾いて転覆を引き起こす可能性があるからだ。商売である以上できる限り大量の荷物を運びたいわけだが、かといって適当に積めばすべてがおじゃんになる。そのため出航前のこの時期は上荷差したちが特に気を張る時期でもあった。
「まったく大変でしたよ。急に飛び入りの荷物がいくつか追加されて人足頭がぼやいておりました」
「そうかそうか、それは大変だったな。熱燗と白湯があるがどちらがいいか?」
「では白湯で。……ふぅ、温まりますなぁ」
労いながら渡された白湯は冷えた体によく沁みた。鹿之助が小さな幸福を噛み締めるその横で熊之助は不憫そうな目で鹿之助を見ていた。
「……」
「……どうかなされたのですか、熊兄?」
熊之助は一度「あ、いや……」とはぐらかしたが、やがて覚悟を決めた顔で鹿之助に向き直った。
「鹿、お前はいつまで上荷差しの仕事を続けるつもりなんだ?」
「……どうしたのですか、いきなり」
「どうしたもこうしたもない。お前はこのままずっと上荷差しの仕事を続けるつもりなのかと訊いているのだ」
思わぬ真剣な口調に鹿之助は戸惑った。
「なにを急に……そりゃあ五年も十年も先のことはわかりませんが、少なくとも今はやめる理由なんてないですよ」
「やめる理由か。それならあるだろう。お前の正体だ」
「なっ!?何を言っているんですか、熊兄!?」
ますます戸惑う鹿之助に熊之助は畳みかけるように語り掛ける。
「お前も先日話していただろう。いつまでも馬人であることを隠し通せるわけではないと。いつか弾き出される日が来るというのなら、さっさと自分から出て行くのも一つの選択肢だぞ」
「そんなことはありません!それこそ先日も言ったでしょう、幸元様や年寄衆の方々は私の正体を知りつつ雇ってくださっていると!」
「それは俺たちの馬人の、あやかしの力に利用価値があるからだ。だがもし多くの人に知られて店への風評被害の方が大きくなったらどうなる?価値の天秤が崩れればその幸元とかいう奴も迷わずお前を切り捨てるだろうよ」
「そんなはずがありません!」
思わず感情的に腰を上げる鹿之助。二人の視線が真正面から交差する。
二人はしばし無言で睨み合っていたが、やがて熊之助がふぅと息を吐いた。
「……少しつまらない話をしてやろう」
「なんですか、急に……?」
「俺と猪が村を出てからの話だ」
「!?」
困惑し固まる鹿之助を尻目に熊之助は自らの過去を語り始めた。
熊之助はすっかり冷えた熱燗を御猪口に注いでから自らの過去を語り始めた。
「俺と猪が大坂の混乱を機に一旗揚げようと村を出たというのは覚えているな?」
「はい、もちろんです……忘れたこともございません……」
あれは村にようやく春の陽気が訪れてきた頃であった。長い冬が終わりこれから新しい年が始まるという頃に唐突に熊之助と猪之助の二人は村を出て行った。去っていく二人の背中を、まだ存命だった父母と見送ったことを鹿之助は昨日のことのように思い出せる。
そして思い出せるのは熊之助も同じであった。熊之助はまるで自分たちの歩みを一歩一歩振り返るように語っていく。
「……村を出た俺たちはすぐに牢人を募集していた近くの集落に足を運んだ。募集の名目は大坂の堀を埋める人足を集めるためとかだったが、それが建前だというのはすぐにわかった。なにせ集まった連中の顔つきたるや、どいつもこいつも一旗揚げようと脂ぎった目をしていたからな。主を失った牢人や名を挙げたい武術家、そして俺たちのようなあやかし崩れ。屈強な奴も多かったが俺たちはそれに後れを取っているとは思わなかった。馬人だからな。常人が付いてこられるはずもない。予想通り俺たちの力はすぐに評価され早速どこぞの陣に送られた。あの時は猪と共に高揚したものだ。ここから俺たちの栄光が始まるのだとな」
村ではその怪力故に頼られていた存在だ。おそらく陣中でも手厚くもてなされることだろう。しかしその時を思い出す熊之助の表情には自虐じみた笑みが浮かんでいた。
「だがそうはならなかった。俺たちが陣に着くや否や、そこを仕切ってたどこぞの将がすぐに俺達を陣から追い出したんだ」
「何故そのような真似を?」
「恐れたんだよ。あやかしの――俺たち馬人の力をな」
あやかしの力は上手く使いこなせれば確かに百人力であろう。しかしその力故に彼らは敵からだけでなく味方からも恐れられた。特に当時は誰が味方で誰が敵なのかが不明瞭な時期である。そんな状況下でぽっと出の熊之助たちが陣中にいることをよく思わない将がいたとしてもそれは不思議ではない。
「初めはそれも仕方がないと思っていた。しかしそれは考えが甘かった。結局どの陣に行っても俺たちは爪弾きにされた。異人を抱え込んでやろうという胆力のある者などいなかったのだ」
熊之助はここで一度鬱憤を晴らすかのように手元の酒を飲み干す。そして再度御猪口に酒を注ぎながら話を続けた。
「一時は村に帰ろうかとも思った。しかし何の成果もあげられぬまま帰るのもいい面汚しだ。そうしてただぐじぐじと日が過ぎていったある日のこと、俺たちに声をかけてきた奴らがいた。俺たちの力が必要だと。だがそいつらは正規の武士たちじゃあなかった。……なんてことはない、火事場泥棒の破落戸集団だったよ。大坂の混乱に乗じて一仕事やらないかと持ち掛けてきたんだ。俺も猪も迷った。そんなことをしたくて村を出たわけではない。……だが結局はそいつらについていった。そんなところしか俺たちを受け入れてくれる居場所はなかったんだ」
思わぬ告白に絶句する鹿之助。それに熊之助が「軽蔑するか?」と尋ねると鹿之助は思わず目を逸らした。
「ふっ、そうだな。我ながら情けない過去だ。脅したり強請ったり、蔵を破ったり……。だが他に道らしい道もなかった。結局異人である俺たちはそんな影の中しか歩めやしないんだ。……それでお前はどうするんだ?」
「えっ、ど、どうとは……?」
「お前はまだいつか来る裏切りから目を背けて、つまらない上荷差しなんぞを続けるというのか?」
「そ、それは……」
答えに窮する鹿之助に熊之助が手を伸ばした。
「なぁ鹿よ。お前も俺と一緒にデカい獲物を狩っては見ないか?ちまちまと日銭を稼ぐのではない。どんと一発大きく稼ぐんだ。そういう生き方が俺たちには合っているんだ」
「大きい獲物?熊兄、一体何を……」
「あるだろう、でっかい獲物がすぐ近くに。そう例えば積み荷を馬鹿みたいに乗せた船だとか……。なに難しい話ではない。お前がちょっと航海の予定を聞き出してさえくれれば……」
「熊兄っ!」
そこまで話したところで鹿之助が熊之助に飛び掛かった。
「ぐうっ!?」
「熊兄!あなたという人は!あなたという人は……!」
それは鹿之助にとっては許せない提案だった。恩義ある山中屋、そして共に汗を流した同僚たちに弓を引く話。何よりそんな話を兄である熊之助がしたことが許せなかった。
「そのようなことは!そのようなことは……!」
馬頭観音と見間違えるほどの憤怒の表情で熊之助を押さえつける鹿之助。熊之助も始めのうちはこれに抵抗していたが、しばらくするとふっと力を抜いてこうつぶやいた。
「……冗談だ」
「え?」
「冗談にきまっているだろう、鹿坊。そんな怖い顔をするな。ほら、手を放せ」
「……」
もちろん素直に信じたわけではない。しかし力を抜いた熊之助につられて鹿之助も押さえつけていた手を離す。すると熊之助は何事もなかったかのようにその着崩れを直し、そして立ち上がり外に出ようとした。
「熊兄、どちらへ!?」
「ちょっと知り合いの所に行って来るだけだ。もしかしたら向こうに泊まるかもしれないからそのつもりでな」
「……っ」
呼び留めようとした鹿之助であったがとっさのことに言葉は出ず、その間に熊之助は夕闇の中に消えていった。そしてこの日以降熊之助は鹿之助のもとに帰ってくることはなかった。
鹿之助は大坂湾沖に
(熊兄……いったいどちらに……)
熊之助が去ってから二日が経っていた。この間熊之助からの音沙汰は一切なく、鹿之助自身もいろいろと探して回ったがその姿を見つけることは叶わなかった。
(まさか本気であの船を……)
熊之助が去る間際に語った『冗談』。それは山中屋の廻船を襲うというものだ。だがあの口調はどう考えても冗談のようには聞こえなかった。
(どうする?誰かに伝えるべきなのか?しかしそれをすれば兄を売ったことになるし、それに俺の正体も露見してしまうかもしれない。それに何も起こらなければ俺がみんなを振り回したことになってしまう……そうだ、もしかしたら本当に冗談だったということも……いや、しかし!)
一人思い悩む鹿之助。しかし状況の方は待ってはくれなかった。苦悩する鹿之助の耳に同僚の世間話が聞こえてくる。
「そういえば聞いたか?今度の尾張への廻船、若様も同乗なされるらしいぞ」
「若様っていうと正成様か?へぇなんでまた急に」
「やっぱり跡継ぎ候補だからそれ関係じゃないか?へへっ、今のうちに媚びを売っといた方がいいかもな」
聞き捨てならない話に鹿之助は思わず割って入った。
「ちょっ、ちょっと待て!今の話は本当か!?」
「うわっ!なんだよ、鹿之助。坊ちゃんの話か?それなら多分本当だぞ。上の連中がまた急な話だってぼやいていたからな。ん?どうした鹿之助、顔色が悪いみたいだが?」
心配する同僚。しかしそれに返事をする余裕は今の鹿之助にはなかった。
(なんてことだ!まさか例の船に若様もお乗りになられるとは!それでもし本当に熊兄らが襲撃したとしたら……!)
いよいよ追い詰められる鹿之助。しかし悪い流れはまだ止まらない。彼らが話しているところに疲れた顔をした人足頭がやってきて鹿之助に声をかけてきたのだ。
「おぉいたいた鹿之助。すまないが今からすぐに本店の方に行ってくれないか?」
「え!?私が本店にですか?なんでまた……」
「理由は知らないが宗信様が用があるそうだ」
「宗信様が!?」
宗信とは山中屋の年寄衆の一人で数少ない鹿之助の正体を知る者である。そんな人物からの直々のお呼び出しだ。同僚らは冗談めかして「おいおい、何かやったのか」とからかっていたが、鹿之助は嫌な予感に背筋が凍る。
(まさか私と兄のことがバレたのか!?)
思わず熊之助の言葉が頭の中に響いた。
『問題が起こればあいつらは迷うことなくお前を捨てるぞ』
(い、いやそんなはずはない!まだ何も起こっていないんだし、そんなことはあり得ないんだ!)
悪い予感を振り払うかのようにかぶりを振る鹿之助を人足頭は怪訝な目で見つめる。
「おいおいどうした?変なもんでも食ったのか?」
「い、いえ、何でもありません。えっとそれで本店には今すぐ行けばいいのでしょうか?」
「ああ、できる限り早くに来てほしいそうだ。こっちの方は気にせずさっさと行ってこい」
「承知しました」
こうして不安を抱えながら山中屋本店へと向かう鹿之助。店に着くと話が通してあったのかすぐに奥座敷へと通され、さほど間もなく宗信がやってきた。
「すまんな鹿之助。忙しい時分に急に呼び出して」
「いえ問題ありません。それで御用というのは……」
正直この時鹿之助は判決を言い渡される罪人のような心地でいた。しかし宗信からの話はとても意外なものであった。
「おぉそうだ。お前はもう聞いているか?今度の尾張への船に若様が御同乗なされることに」
「はい、お話くらいは」
「ならば話が早い。お前にはその若様の世話役として船に乗ってほしいのだ」
「……は?今なんと?」
呆けて訊き返した鹿之助に宗信が苦笑する。
「おいおいしっかりしてくれよ。お前には若様と共に船に乗り、その身の回りのお世話をしてほしいのだ」
「ど、どうして私なんでしょうか?」
「ふむ、さほど難しい話ではない。まず同じ山中屋とは言え若様と船乗りとではほとんど初対面だ。顔見知りの一人くらいいたほうが若様も気が楽になるだろう。ついでに万が一のことを考えれば腕っぷしが強い方がいい。というわけでお前に白羽の矢が立ったというわけだ」
確かに話はわかりやすかった。なるほど鹿之助なら正成と船乗りの両方と面識があるし、多少の問題ならばねじ伏せられるだけの腕力もある。そしてそんな任務を任されるということは宗信らはまだ鹿之助と熊之助のことを知らずにいるのだろう。
(そ、そうだ。熊兄はまだ何もしていないのだから俺が疑われるはずはない。それにあの船に乗れるということは俺が熊兄を止める機会を得たということだ。もちろんまだ何かが起こると決まったわけではないが、それでも万が一の時は俺自身で決着をつけることもできる……!)
「……承知いたしました。この鹿之助、命に代えても若様をお守りいたしまする」
一筋の光明を見つけた鹿之助は深く深く頭を下げた。それを見た宗信は「はは、そんなに気を張らなくてもいいんだぞ」と笑って返した。
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