第一章 おっさん、異世界の少女に憑依する

第1話 底辺労働者のおっさん、死ぬ

 突然で申し訳ないが、どうやら俺は死んだらしい。

 そしてなぜか見知らぬ世界で少女に取り憑いているらしい。


 「らしい」ばっかりですまないが、何が起きているのかさっぱりわからないからこうしか表現しようがないんだ。


 ちょっと状況を整理しよう。


 いつものように半年ぐらい前に始めたとある団地の清掃作業をやっていたんだが、途中で高齢の住民から声をかけられた。挨拶程度の雑談をしたときに、ある棟のベランダのコンクリートの一部が崩落しているとかいう話をされた。ただの清掃人の俺には関係のない話なんだが、この団地清掃の仕事は住民との関係が重要で、うるさいクレーマー気質を無視したりするとこいつ感じ悪いと管理会社にチクられたりする。一人作業で楽ちんだと思っていたのに予想外のコミュニケーション能力が求められてこの現場は失敗だったか?と思ったりしたぐらいだ。

 

 そんなわけでとりあえず近くの掃き掃除をしているときに確認してみた。


 確かに3階にある部屋のベランダの一部のコンクリートが落ちて庭に転がっていた。あんな風に壊れるものなのかと思ったが、この団地はすでに築50年を超えているので劣化でいろいろガタが来ている。こんなよくわからない壊れ方もするのかもしれない。やれやれ業務外だが掃除用具を管理事務所に返しに言ったときに一応状況を説明しておこう。

 

 そこまでは別に問題がなかったんだが、清掃作業に戻ろうとしたら突然ガタガタと地面が揺れだした。恐らく地震なんだろうが、少しずつ揺れてきて次第に激しくなるのではなく、突然地面がトランポリンになったように上下に揺さぶられ庭に転んでしまった。

 それで背中を強く打ってしまい悶絶して目を開けたら、空からベランダが振ってきたときたもんだ。顔面に直撃して凄まじい痛みが走ったのまでは覚えているが、そこで記憶の糸が消えている。落ちてきたベランダの重さはわからないが、あれに押しつぶされたのなら普通に考えて生きているとは思い難い。


 思えば特にやることもなく大学に行って特に興味もないところに就職したものの、社会のルールとやらについていけず辞めてしまい、それ以降はフリーターに転落して倉庫作業・チラシ配り・清掃と言った底辺職を転々して一人暮らしではギリギリの収入で生活を続けているうちに30代半ばとか、振り返るだけで嫌になる人生だったが、こうやって死んだら死んだで何か寂しさを感じるのも確かだ。


 で――だ。問題は今の状況にある。


「4層のここで確実に『破蓋はがい』を撃破しますよ!」

「うん、大丈夫だよナナ! こいつはこないだも戦ったからやり方はわかってる!」


 声がする。あどけなさが残る口調からかなり若い――まだ子供だとすぐにわかった。

 ふと視線が勝手に右を向く。そこにはヘルメット――戦争映画とか自衛隊の報道とかでよく見るようなもの――をかぶったメガネの少女が地面に立膝の状態でいた。その手には銃――確か自動小銃とか言うやつが握られていて鋭い視線とともに下の方に向けられている。

 また視線が勝手に動いた。どうやら正面を向いたらしく、先程の少女と同じように自動小銃が手に握られてそこから下の方に向けられているのが視界に入った。


 ひどく他人事のように語っているが仕方がない。なんせ俺が何もしてなくても勝手に視界が動くのだ。おかげで何が起きているのか、どういう状況なのかを把握するためにあちこち振り向いたりしたいのに全くできない。

 

 なんなんだこれは。完全にパニック状態になりかけてる。

 とりあえず落ち着いて状況を確認しよう。えーとまず何からすりゃいいんだ。

 ……クソッ、こういう仕事現場で分からない事があったときはだいたい近くにいる社員に聞けば教えてもらえていたから、自分で行動する能力が著しく失われているな。底辺労働者を長くやりすぎた報いか。


 自分の意志で視界は動かせないから今見えている範囲だと、ずっと下の方を向いているようだ。しかし、そこに地面はない。底が見えないほどずっと下に空間が続いている。つまり穴だ。それもかなり巨大な。

 さらに見える範囲で周りを確認する。色々出っ張りやはっきりと見えない物体、通路、階段のようなものがあるがだいたいは壁になっている。岩でゴツゴツとして固くて冷たく痛そうな感じで出来ている。


 ……もしかしてここは洞窟か? それもずっと真下に伸びている縦穴だ。


「……来ました!」


 また少女の声がする。耳に入ってきたというより頭の中で響いた感じだ。そして、ずっと下に続く穴の底から何か奇妙な物体が上昇してきているのに気がついた。

 その形はなんとも表現しがたいものだった。輪っか状の○二つが組み合わされそから細い棒らしきものが伸びている。


 そして次の瞬間――ダダダダダダ!といきなり鼓膜が吹っ飛ぶような音が頭のなかに響き渡った。目の前にある自動小銃が突然火を吹き始めたのだ。それは洞窟の真下から上昇してきている物体に降り注がれていく。

 とにかくすごい音だった。たまらずに悲鳴のような声を上げてしまう。


(何だこりゃうるせえ!)

「!?」


 俺の叫びに対して視界が動揺したように揺らいで自動小銃の発砲が止まる。すぐに隣から少女の声が飛んできた。


「ナナどうしたの!?」

「いえ……ミナミさん今何か言いましたか?」

「言ってないよ! そんなことより破蓋はがいが迫ってきてるから、はっ早くしないと!」


 焦る隣の――ミナミと呼ばれた少女。そして、俺に向かってナナと呼んでいたと思う。

 気を取り直す感じでまた自動小銃が火を吹き始めた。また頭がぶっ壊れそうな発砲音が鳴り響き始めた。倉庫で荷物を乗っけるパレットを乱暴に床に倒したときのバァンという衝撃音がひたすら連続で続いているような感じだ。あれはいきなりすぐ近くで立てられたパレットを一気に倒し始めるので、その音は痛みすら感じるほど強烈だ。


(うおおおお、死ぬ死ぬ! なんとかしてくれ!)

「また変な声……! こんなときに一体何なんですか!」


 ナナと呼ばれた方の少女の声。かなり苛立っている感じだ。

 隣のミナミが発砲をやめて心配そうに間を詰めてきて、

 

「どうしたのナナ! さっきから変だよ!」

「変な声がするんです! 『うるさい』とか『なんとかしろ』とか……!」

「声? 私は全然聞こえなかったよ!」


 ミナミの方はキョトンとした感じになっている。どうやら声をだすような感じで話すとこのナナという少女には聞こえるらしい。


(俺だよオレオレ! 今お前が……ナナっていうの? 見ているのと同じものを見ているんだよ。音も聞こえてきてとにかくうるさくて死にそうだ)

「またわけの分からない声が……しかし、この声は私のもののように聞こえます! 集中しにくくてたまりませんっ」


 ナナは苛立ちをこもった声を上げながらまた自動小銃を発砲した。ミナミもならって続く。


「もしかして……あの破蓋はがいの新しい攻撃? 精神に変な呼びかけをしてくるとか!」

「私はあの破蓋はがいと過去5回戦っていますがそんな攻撃をされたことはありません。そもそも他の型でもそんなことをされた事例もないはずです!」


 発砲を続けながら二人は状況確認を続けているようだ。しかし、俺には理解できない。


(何を言っているのかさっぱりわからんぞ。もうちょっとわかりやすく説明してくれよ)

「ちょっと黙ってて下さい!」


 ナナに怒られてしまった。何か取り込み中のようだし、黙っていた方が良い気がする。

 ――次の瞬間、縦穴を上昇し続けてきたはずの物体が突然消えた。と思ったら二人の目の前に現れる。ゆっくり登ってきていたはずが一気に速度を上げてきたのだ。


「まずい――っ」


 ナナがその場を離れようとするが、物体の動きのほうが一歩早かった。二つの輪っかから伸びている棒が突如二つに開くように割れたかと思うと、一気に二人めがけて閉じてきたのだ。


 俺は直感で理解する。これもしかしてハサミか!? 今二人の少女を真っ二つに切断しようとしているのだ。


 このままでは人間の身体がハサミで切断なんていう目を覆うような惨状になる。しかし、ナナはすぐに自動小銃を縦にしてハサミの刀の片方を受け止めた。隣りにいたミナミも同じようにしてもう片方の刀を受け止めている。


「くっ……この!」


 ハサミの閉じる力はかなり強いらしく切断こそされないものの、二人の身体ごとジリジリと押されていく。このままではハサミが閉じて今度こそ真っ二つだろう。

 ここでナナはミナミの方を向き、


「ここは私が受け止めます! ミナミさんはいったんこの場を離れて下さい!」

「置いてなんていけるわけないよ!」

「これは集中力を欠いた私の責任です! それに私なら――」

「違うよ」


 ミナミは歯を食いしばりながらも少し声を落ち着かせて、


「私じゃこいつにとどめを刺せるかわからない。だけどナナなら確実に仕留められる。万一ここでナナがやられたらそのままこいつが『奈落』から出て世界が終わっちゃうかもしれない。だったら今ここで私の命をかけてナナを守る価値はあると思うよ……!」


 相変わらず二人の会話はよくわからないが、どうやら世界の危機につながる状況らしい。しまった。俺が余計なことをしたばっかりにまずいことになってる。

 またハサミの刃が少し閉じて二人の距離が縮まった。このままではジリ貧だろう。


「しかし、どうすれば……!」

「そっちの銃を貸して! 両方共私が受け止めて時間を稼ぐから!」

「いくらなんでも危険すぎます! もし銃が折れたら確実に死にますよ!」

「大丈夫! 私は能力的にできが良くないのは理解しているつもりだけどこれを受け止める時間ぐらいは稼げるよ! あとは少し上においてあるアレでお願い!」

「…………っ」


 ナナは少し迷ったようだった。しかし、また少しハサミが閉じる。もう時間がない。

 そして苦渋の言葉を吐き出す。


「10秒です! それだけ持たせて下さい!」

「りょーかい!」


 ミナミは器用に手を伸ばしてナナが持っていた自動小銃をハサミの刃を受け止めたまま手に取った。

 そして、次の瞬間ナナが真上に飛んだ――どうやらジャンプしたらしいが、その跳躍は普通のものではない。数十メートルは軽く上昇している。


 そのまま縦穴の少し上にあった通路にたどり着くと、そこには別の銃が置かれていた。さっきまで使っていた自動小銃とはサイズが桁違いに大きくて長い。見るからに威力が桁外れのものだとわかる。


「最初からこっちにしておけばよかったのにひどい失態です……っ」


 ナナは苦々しく吐き捨てるとその大型の銃を手に取り、真下に銃口を向けた。


「ぬおおおおおおお! 持たせる、絶対に持たせる! 私を守ってくれる私が守るんだ! ナナすぐに行けるよ! こいつ私を真っ二つのにするのに夢中で動けない! 」


 下では両手に握られた自動小銃で必死にハサミから身を守っているミナミがいる。

 ナナは大きく深呼吸をして集中し始めた。


「この破蓋はがいの核は小さい……だから、確実に、慎重にいきます。集中して落ち着いて……」


 そして、引き金を引く。


「破却します!」


 その叫びと同時に自動小銃とは比にならない衝撃と発砲音が鳴り響いた。

 そして、真下にいたハサミの化物の二つ輪っかがつながっている部分を撃ち抜いた。


 その途端、ハサミが突然ガタガタと分解するように崩れ落ち始める。




「やったよーナナー! 怖かったよー!」


 そう言って抱きついてくるミナミにナナは申し訳なさそうに、


「本当にすいません。私の失態です。50口径式を一緒に持ってきておけばこんなことには……」

「いーよいーよ。いつも通りこっちの撃ちまくって核に当てればいいだけって私も言っていたからね。そういえばさっきの変な声ってまだ聞こえるの?」


 そう言われてナナは思い出すように耳に手を当てて俺の声が聴こえるかどうか確認し始めた。

 俺は一瞬声をかけようと思ったが、躊躇する。さっきこの二人がピンチになったのは明らかに俺が余計なことをしたからだ。今は危機が去ったように見えるが、本当にそうなのか判断がつかない。ここは完全に安全だと判断できるまではおとなしくしておいほうが良い。


「……聞こえません。本当に何だったんでしょうか」

「ふーん、変なこともあるもんだねー。でも問題ないならいいや。ささっ帰ろ帰ろー」


 そう言ってミナミはナナの背中を押して歩き始める。当然ナナの身体の中いる俺も移動することになる。どこに行くのかわからないが、とにかく落ち着くまで黙っていよう。


 とりあえず状況をまとめてみることにする。


 隣を歩いている少女はミナミ。

 そして俺の方に向かってナナと呼んでいる。

 そうなると俺と視界を共有している少女の名前はナナなのだろう。

 俺自身の声はミナミには届いていない。

 身体どころか視界すら自由に出来ない。

 つまり意志だけはあるが、この身体は俺の支配下にはない。


 意味のさっぱり分からない状況を足りない情報でまとめるとこういう結論になる。


 ……もしかして俺は知らない少女に取り憑いている?

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