第10話 神話学
授業が始まり時間が過ぎていく。国語に社会と俺の中学時代に習ったものばかりだ。壁に掲示されている時間割を見ると、他には数学とか歴史とか体育とかか。てか、数学だったっけ。算数は小学校までだったか? 20年以上前のことだからよく憶えてない。
中には神話学とか実技とか知らないのもあるが概ね俺の時代の学校の授業内容と同じだな。
そんなことを考えつつ、暇だなとも思いながらナナエと強引に授業を受けさせられていたが、社会の時間にあることに気がついて驚く。
(マジかよ)
「なんですか、今は授業中ですよ」
口を手にあてて抗議するナナエ。机の上には一冊の本が置かれている。
(それ、世界地図だろ)
「それがどうかしましたか?」
(俺の世界と全く同じだからさ。驚いたんだよ)
世界地図の教科書。その表紙には世界の大陸の絵が書かれているが寸分も違わず俺の世界と同じものだった。
ナナエはページを捲って、
「本当ですか?」
(ああ。間違いない……いやでも、大陸とか島とかの形は同じだが国名や国境はぜんぜん違うな。今俺たちがいるのはどこだ?)
俺の質問にナナエは指で場所を指す。太平洋の東の隅にある島国だ。
(日本だろ)
「神国ですよ。変な名前で呼ぶのはやめて下さい」
変とはなんだ変とは。まあいい。確かに地図にも神国と書かれている。お隣の国は北と南に真っ二つに別れてるしその北の国は西と東で別れてるし、海を超えた西の方にある超大国は南北西と三分割されてるし国境と国名は全然の世界だ。
俺はしばし考えた後に、
(もしかしてここってパラレルワールドってやつなのかもしれないな)
「ぱられるわーるどってなんですか」
(平行世界だよ。こう道を歩いていて交差点で右に行った場合の世界と左に行った場合の世界が別々に存在しているとか言うのだったと思う)
「おじさんは別の可能性の世界から私達の世界にやってきたというんですか?」
(そうとしか考えられん)
ナナエはふむと頷くもののすぐに疑問符を浮かべて、
「それが事実としてもなぜおじさんが幽霊みたいになって私に取り憑くんですか」
(それはさっぱりわからねえ)
「なら根本的な問題は解決できそうにも――」
「ミチカワさんどうかしましたか?」
そんな話をしていると教壇に立っている教師の声が飛んできた。
ナナエは反射的に立ち上がり「はひっ」と言葉をかんでしまい、周りに笑いが起こる。
「す、すいません。ちょっと考え事をしていましたが、口に出てしまっていたようです……」
「大丈夫ですか? ミチカワさんは普段真面目なのに……もし気分が悪いようなら保健室で休んでもいいですよ」
「いえっ大丈夫ですっ私の不注意ですっ」
「そう……なら授業を続けますね」
ナナエは席に座り、教師は授業を再開した。そして口を今までより強く抑えながら、
「おじさんのせいで恥をかいたじゃ無いですかっ」
(お前も話に乗ってきただろ。まあ授業が終わるまで黙っとくか)
授業に集中し始めるナナエを尻目に俺は教師の年齢が妙に若い――ナナエと大差ないなと思ったがとりあえず質問は避けるようにした。
…………
休み時間を挟んで次の時間は「神話学」というものになった。この国の成り立ちから神々様という存在についての授業のようだった。
最初は歴史みたいなものかと思ったが、これがまたやたら説教臭い内容で困る。神々様の意志に基づいて人のためになることをしなさいとか、人間としての格を上げるために普段心がける内容とか、それを昔の神話みたいなのを交えている。俺の長らくいた底辺ワールドとはかけ離れていることばっかりだ。俺の汚れた心にはこの内容は痛い。
(つらい)
「もう少しで休み時間ですから我慢してください」
つい口に出てしまった愚痴もナナエにピシャリと黙らされてしまう。
仕方ないので真面目に聞き流そうと思っていたが、教師――こいつも妙に若いな――が話している神話の内容が少し気になり、耳に入れてみる。
「昔ろくに義務も果たさずに日々だらだらと生きていた怠け者男がいました。そんな彼は今日も意味もなく山林を歩いていところ、突然地震が起きました。そして、倒れてきた大木に潰されて死んでしまいました。怠け者男に神々様の怒りの鉄槌が下ったのです」
ひでえ神様だな。殺すのより働きやすい仕事を斡旋してやれよ。本人にもいいし社会としても生産活動に貢献的だろうよ。
「しかし、神々様は大いに慈悲深くあられます。その怠け者男の身体から魂を抜き出し、一人の若い女性のもとへと送りました。その少女はとても献身的で真面目な人でした。男は魂だけになっても怠けようとしましたが、神々様はその少女の魂と一緒に同居させることにしました。一人の身体に二つの心。これで怠け者男は怠けることができなくなりました」
なんだこりゃ、まるっきり俺とナナエの話じゃないか。しかし、この国は神々様なる超常の力が存在しているらしいし神話も作り話ではないかもしれない。もしかしたら、問題解決のためのヒントが有るかもしれん。
集中してその話を聞く。しかし、一方ナナエはろくにノートも取らずに教師の話だけを聞いていた。
(おい、なんかこの話って俺らの状況に似てないか?)
「この話は有名な逸話で神話学では何度も使われる教材ですよ。今年に入ってすでに10回は聞きました。確かに似ている気もしますが、別に解決方法とかがわかるような話でもありませんよ」
ナナエは口を抑えて小声で答える。なんだよ、いつも聞いてんのか。ならあまり期待できそうにないな
「身体を動かせるのは少女だけです。怠け者男は少女の中でただ見ているだけでした。少女はとても勤勉で作物を育て、料理を作り、薪を割り、服を縫う……怠け者男からは聖人にしか見えませんでした。しかし、少女はあまりにも働きすぎました。次第に疲れがたまり精神的な疲労により動けなくなってしまいます。怠け者男はここで自分が代わりに身体を動かすと言い出しました。身体が健康なら精神だけ入れ替わればまた働けると。それは事実でした。少女の身体を動かせるようになった怠け者男は必死に少女と同じように働きました。ひたむきに働く少女の姿を見て、自分もそうでありたいと思うようになっていたからです。最初はわからないことが多く上手くいかないこともありましたが、少女から一つづつ教えてもらい、薪を割り、作物を育て、服を縫い、料理を作れるようになりました。いつしか何もせずにいた怠け者男はどこにも存在しなくなり、少女と同じぐらい働き者の男になっていたのです。これが神々様が怠け者男に与えた試練と改心でした」
そんな簡単に改心するかね。底辺生活やり続けていたせいで、やらなきゃならないことはさっさと終わらせて、やりたくないことは辞めて別のことをやるみたいな生活を続けていたから、ナナエのクソ真面目っぷりを見せられても、面倒くせえとしか思えん。
「そうしているうちに少女の精神的な疲労は治り、身体を返してもらいました。そして、試練を終えた男の魂は少女の身体から離れ、天へと登っていきました」
(死ぬのかよ! 死んじゃうのかよ! それじゃなんのために改心したんだかわからねーじゃねーか! 生き返らせて働かせたほうが経済もよく回るぞ!)
「お願いだから静かにして下さい……っ」
思わずツッコミを入れまくってしまったので、
(わりい。おとなしくしてる)
「お願いしますよ。初めてこの話を聞くおじさんにとっては興味深い話だったはずなので食いつくのも無理ないと思いますけど」
その後も昔話とそれによる道徳心の向上とやらの授業が続く。
…………
そんなこんなで神話学の授業が終わり、休み時間に入る。
ナナエは弁当を取り出して昼食の準備を始めるが、
(なあ、さっきの話のことなんだが。俺たちみたいな境遇だったけど、もしかして俺らも入れ替わったりできんのかな?)
「何を言っているんですか、そんなことできるはずが……というか試したことはないからわからないと言ったほうがいいですね」
(じゃあちょっとやってみようぜ。とりあえずお互いに交代したいみたいに念じてみるとか)
「嫌ですよ。なんで万一成功したらどうするんです。得体の知れない気持ち悪くて下品なおじさんが私の体を好きに動かすとか考えるだけで死にそうです」
(毎度ひでえこといいやがるな。俺もできないと思ってるし、試しだよ。万一成功してもすぐに戻すから安心しろ)
俺の話にナナエは少し唸っていたが、
「……わかりました。ちょうど昼休みですし、引きづられて次の授業でいろいろ言われると面倒です。ちょっと試すだけですよ。万一成功したらすぐに戻してくださいね」
(了解了解)
了承したナナエ。同時に俺も身体の主導権を入れ替えてくれという感じに念じてみる。
…………
…………
…………
特に変化はない。視線も同じだし見えるのも学校の教室内で他の女子たちが和気藹々と弁当を食べているのだけ。
「まあそんなにうまくいくわけはないわな」
俺はそんなことを口にした後、急に腹の虫がなったことに気がついた。もう12時過ぎているから空腹になって当然か。目の前に弁当があるしこれを食うかな。
手を伸ばして弁当の包みを解こうとして――ん、さっきからなにかおかしくないか?
(ちょっとおじさん、私のお弁当に触れないで下さい!)
「うわっ!」
突然脳内でナナエの怒声が響き渡り、悲鳴を上げてしまう。同時に周りの女子たちの視線が一斉に俺に集まった。
やべえと思いながら手を降って、
「あー、なんでもないなんでもない。俺のことは気にせずみんな弁当食べてて、どうぞ」
弁明したが、逆に周りの女子生徒はみんな困惑顔になっていた。
なにかおかしいぞ。てかこれもしかして、
(早く身体を私に返して下さい! 私一人が念じても駄目みたいなんです!)
ナナエの声で気がついた。どうやら俺は今こいつの身体を自由に動かせるようになっているようだ。
俺は慌ててナナエに身体を返すようにイメージする。これで戻ったのか? 視界はそのままだし、よくわからんぞ。
「すぐ返してくれると言ったじゃないですか! なぜ自然に私のお弁当を食べようとしているんです!? ――――あ」
今の声はナナエのものだ。すでに俺と身体の主導権がチェンジしていたらしく思いっきり声に出して言ってしまっている。
教室の中はシーンと静まり返り、一斉にナナエにクラス全員の女子の視線が集まっていた。みんな困惑を超えてぽかーんとしてしまっている。
「…………っ」
ナナエは顔を真赤にして全速力で教室を飛び出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます