第85話 命を懸ける少女

「ナナちゃん、今は第2層だよ。破蓋さんはまだ動いていないから、ここなら大丈夫」


 ヒアリの声だけが聞こえる。ナナエが目を閉じた状態では俺も何も見えず真っ暗闇のままだ。


「ナナちゃん大丈夫……?」


 ゴソゴソと何かをやっている。真っ暗で何も見えない。感覚もない。音だけ聞こえるのはもどかしすぎる。くっそ、早く起きろよ。

 しばらくしてから、


「大丈夫、脈はあるみたい。傷も完全に治っちゃってる。やっぱりナナちゃんの能力ってすごいんだね」


 どうやらヒアリはナナエの怪我の具合を確認していたらしい。傷が治っているのなら、じきにナナエは意識を取り戻すだろう。それまでは破蓋をやりすごして、そこから反撃を――


「ごめんね」


 唐突にヒアリが謝った。突然なんだ?


「ごめんね……私、本当にダメな子なんだ。お父さんやお母さんにも……直接じゃないけどそれじゃダメなんだってみたいなことを言われていたんだけど、やっぱりやめられないみたいなの」


 まるで懺悔するようにヒアリは話を続ける。


「私ね、ずっと誰かのために生きたいと思ってた。誰かのために尽くして戦ってそうやって生きていくんだって。そして、そうやっているうちにいつか――」


 ――ヒアリの声は少し興奮しているように感じる――


「死ぬんだって」

(…………!?)


 唐突に告げられた言葉に俺はうろたえる。死ぬ……誰かのために死ぬ?


「そう考えると、私すごく安心するんだ。それで気分が高まってきて気持ちよくて……あはは、上手く説明できないや、ごめんね」


 ヒアリは更に興奮しているような口調になってる。


「だから、行ってくるよ。ナナちゃんを守るために私戦ってくる。もしかしたら死ぬかもしれないけど――そう考えると私はどんどんすごくなるから」

(待て! もう少ししたらナナエのやつは目を覚ますんだよ! そうしたら一緒に戦ってあのスマフォ野郎を倒せる! だからちょっとだけ待つんだ!)


 俺はそう叫ぶ。しかし、ヒアリには届かない。ナナエから身体の主導権をもらわなければ声として発することができない。だからいくら喚いても決して届かない。


 そのまま足音が離れていった。恐らく破蓋のところに向かったのだろう。

 そして、しばらくして激しい戦闘の音が聞こえてくる。


『私戦ってるよ! ナナちゃんを守るために戦ってる! だから、今、私すごく気分がいいよ!』


 どうやらナナエが耳に付けていた通信機は無事だったらしく、ヒアリの声が流れてきた。その声は聞いたこともないほど高揚して楽しげなものだった。


 異常だ。これは自己犠牲心なんかじゃない。

 まるで死ぬために誰かを守ろうとしてる。誰かを守るためではなく、死ぬためにだ。順序が入れ替わってしまっている。

 これじゃ単に死ににいってるだけだ!


 俺は頭を抱えてしまった。

 ヒアリが持つ史上最大の英女の適正値ってそういうことかよ。自己犠牲心が肥大化しすぎてもはや完全に自己満足だけになってしまってる。命を懸ける必要もない場面で勝手に命を懸けてしまう。命をかけて尽くす行為が楽しいってだけだ。


(起きろよ!)


 俺は意識を失ったままのナナエに向かって叫ぶ。


(起きてくれ! このままじゃヒアリが死んじまう!)


 自分でもわかるほどみっともなくて情けない叫びを続ける。

 だがナナエは何も返さない。ただ不規則な呼吸を続けるだけだった。

 

 ちくしょう……早く起きろ、起きてくれよ。俺はもうただ祈るように言うことしかできない。


 激しい戦闘の音がしばらく続いていたが、それもしばらくしたら聞こえなくなった。ヒアリから通信が入ってくることもない。

 ヒアリが今どうなっているのか。無事なのか。破蓋は倒したのか。何もわからない。


 ―――え――――


(!?)


 俺はぎょっとしてしまう。唐突に何かが俺の脳内に語りかけてきたからだ。


 ――従え、そ――


(なんだ……?)


 ――そして抗え――


(なんなんだよ……)


 どこからともなく聞こえてくる言葉。それはおどろおどろしく極めて威圧的なものだった。しかし、不思議と――本当に不思議とその言葉は正しく感じる。意味もわからないのに本能の何かがその言葉を受け入れろと言っている。

 本当に……なんなんだ。


 ――従え、そして抗え――


(うるせえよっ)


 俺はそう思わず怒鳴ってしまった。なんだかわからないがこいつの言うことに耳を傾けてはいけないと追い払うように叫んだ。


 すると、その言葉は急に聞こえなくなる。また無音の世界だけが戻ってきた。


(なんなんだよ、勘弁してくれよ……)


 俺はもう疲れ切って言葉を発する気力すら失ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る