第105話 逃げた先

「これは……」


 ナナエは残っていた1枚の書類を机の上に置く。

 『英女としての使命から離脱したその後について』。

 タイトルから見て、もし英女をやめたりした場合についての資料のようだ。そういや、ガスコンロ破蓋との戦いの後に何人か学校を去った生徒がいたな。


 しかし、なんでこんなものが添付されて――と一瞬疑問に思ったが、俺はすぐに察する。


 ミミミはその書類を上から凝視して、


「……ウィ」

「この書類は紙質や劣化具合から判断して、他の書類よりももっと新しい時期に書かれたものです。おそらく手渡されたときに追加されたのではないかと」


 マルの通訳にナナエはぎょっとする。

 そうあの先生がヒアリの命をかけてしまう問題をナナエが知る代わりに、これを同時に読ませようとしているのだ。おそらく重要な事が書かれているはず。しかし、内容は1枚しかなくすぐに読める分量しかない。


「…………」


 ナナエはしばらく躊躇していたが、意を決して読み始めた。


 ------------


「なんですかこれは……っ」


 読み終わった後、ナナエは手どころか全身を震わせている。

 続いて工作部3人も読んでいたが、


「きっついなー、これが本当ならだけど」

「ウぃ……」


 ハイリとミミミも声が沈んでしまっている。


 書類に書かれていた内容は俺も読んでいたが、かなり胸糞の悪い事が書かれていた。

 まず、英女候補になったものの、その後適正値が下がって家に帰った生徒は結構いる。それは知っていたが、問題は家に戻った後の話だ。


 元々適正値を大なり小なり持っているということは自己犠牲心と奉仕精神に優れているわけで、それを途中放棄をした結果、ひどい罪悪感に苦しむ例が後をたたないらしい。


 特に一度英女になったものの、戦意喪失などにより適正値が下落し、神々様から力を与えられなくなり、英女から外されたパターンは特に精神状態が不安定になり、最悪自ら命を絶ってしまった事例すらあるとのこと。


 元々、英女ってのは少女に限られていて、18歳ぐらいになると能力を失うと言われているものの、その年齢まで生き延びた英女は過去に一人もおらず、おそらく絶対に死なない能力を持ったナナエがこのまま適正値を維持し続ければ、史上初の事例になるだろうとされている。


 つまり英女になるってことは実質死ぬってことなのに、途中で離脱してしまった。自己犠牲心に溢れた少女が世界を救うために犠牲になれなかったという苦悩はひどく精神を不安定状態においこんでしまう。政府もその辺の事情は理解していてケアをしているらしいが、うまくいかないこともあるとか。


(ひでえことしやがる)


 俺はポツリとこぼしてしまう。これは英女という存在について愚痴ったわけじゃない。本人が犠牲になりたいってなら俺は別に止めるような人間でもないし。

 愚痴ったのはこれを渡してきた先生のほうだ。なんで突然ナナエにヒアリの本性について教えるつもりになったのかと疑問だったが、全て理解した。半端にナナエがヒアリに対する疑問を持ち続けることよりも、全部認めた上でヒアリは戦い続けるという選択肢しかないという現実をぶつけてきたのだ。


 ヒアリは破蓋と戦い続ければ間違いなく死ぬ。でもそれは本人が望んでいることだし、仮に強引に英女をやめさせたとしても待っているのは苦悩だけ。下手をすれば死ぬより辛い状況に追い込まれる。だったら最後まで戦わせろ、そういうことを先生はナナエに言いたかったのだろう。


 俺は珍しくイライラが止まらない。ヒアリが戦力として絶大だから引き止めたいってのはわかるが、やり方がひどすぎる。これではナナエが傷つくだけだ。

 

 一方のナナエは苦悩に満ちた顔つきで、


「これが本当ならばとてもヒアリさんに英女から降りるようになどという話はできません。一体どうしたら……」


 そう頭を抱えてしまう。これにマルが首を振って、


「待ってください! ミミミさんが言っていたようにこれは後から追加されて渡されたものです。つまりナナエさんにヒアリさんが英女としてともに戦い続けるしかないということを印象づけるのが目的で、捏造の可能性もあります」


 マルも俺と同じ結論に至ったらしい。鼻息を荒くしている。


「しかし……ヒアリさんの普段の行動などを見ても、この話が嘘とはとても……」

「仮に事実だとしても印象操作や極端な話にすり替えられている恐れも残ってます!」


 マルはナナエを励ましているというより自分の云いたいことをぶつけているだけだろう。疑い深かったり、自分の感情をストレートにぶつけてきたりと、マルは他の生徒とは結構違っている感じがする。これも適正値が低いってことなのだろうか。


 ここでハイリが割って入ってきて、


「まーまー落ち着けよ? こういうときはなにも知らないあたしらで喚いたところでなにも変わらないし時間の無駄さ」


 そう言いながら意地の悪そうなニヒヒという笑顔を見せ、携帯電話を取り出し、


「こういう話は執行部の連中に聞いてみるのが一番手っ取り早いだろ?」

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