第44話 黙っておこう
昼休みもそろそろ終わろうかというときだった。俺はナナエの身体を借りたまま、久々の生身の身体での活動を堪能している。まあ校舎の中を歩き回っているだけなんだが。
しかし、だんだん体調に異変が生じ始めていた。
「うーん……」
(どうかしたんですか? そろそろ教室に戻らないといけない時間ですよ)
「腹が痛い」
(は?)
俺は腹を擦る。こう夏場の糞暑いところから、冷えたコンビニに入ったら起こるような腹痛だ。
しかし、ナナエはキーキーと、
(ちょっと私の身体を不必要に触らないでください!)
「腹が痛いんだから勘弁してくれ。なんか冷えた感じがする」
腹痛に鈍い痛み、特にケツのあたりに何かが埋まっているような重さを感じる。これはもしかして腹を壊したか?
「スカートだから腹が冷えたのかもしれん。なんかスースーするし」
(私はいつも履いてますが、風を引いたりしない限りお腹が痛くなったことはありませんよ。変なものをたくさん食べたからお腹がびっくりしてしまったんだと思います)
「変なものとはなんだ――」
ここで猛烈な腹痛が俺の下腹部を襲った。
「うおおおおお……これはやばいアカン。ケツから今にも出てきそうだ。とりあえずトイレに行かないと……」
(私の声で下品なことを――ちょっと待ってください、といれってお手洗いのことですか!?)
「他にどこがあるんだよ、あいててて……これはもう全部出してすっきりしないと死んでしまう。ちょうど目の前にあるし」
すぐ目の前にはトイレが有る。当然女子マークがついているが。
(やめてください! そんなことをされては私の心が死んでしまいます!)
「そう言われてもこのままだとここで漏らしちまうぞ。そっちのほうが取り返すがつかないことになるだろ」
(と、とりあえず、少し耐えてください。教室に私のかばんがあるのでそこから音楽再生用の受音器をとってきてください。そうじゃないとお手洗いでの音がおじさんに丸聞こえです)
「いや無理だろこれ。そんなこと気にしているような体調じゃねえぞ。前の教室ここからかなり離れているし、そんなところまで保つとは思えん」
ふらふらと歩き回っていたせいで、今はナナエの教室からかなり離れた位置だ。この腹痛の中に歩いていくとなるとそれなりに時間がかかるだろう。
しかもトイレは目の前にある。前から感じていたが、トイレが目の前にあると緊張感がゆるくなるのか、腹の調子もよくなってやたらクソに行きたくなるよな。いやそんなことは今はどうでもいい。
「とにかくもう無理マジ無理。眼の前にトイレがあるのにその誘惑に耐えろとかありえない」
(駄目ったら駄目です! 絶対にそれだけは駄目です!)
「そんなこと言っている余裕は……」
(本当に許して下さいっ……)
よよよと今にもナナエが泣き出しそうな声を出し始めたので流石にバツが悪い感じになってきた。しかし、
「わかったよ、お前に身体を返すから自力でなんとかしてくれ。でも、本気で腹痛いんだが大丈夫か?」
(このままおじさんがお手洗いに駆け込むぐらいならそっちのほうがマシです!)
「わかったよ、ほらいいぞ」
そう俺はナナエに身体を返す。するとすっと背筋を伸ばして、
「全くおじさんは少し恥じらいとか良識と……か、をです……ね……」
が、すぐに腹痛を認識したのだろう、そのままフラフラと壁によりかかりしゃがみこんでしまう。
(だから言っただろ、やべえぐらいに腹が痛いって)
「はっ、はひ……ふへ…ほ……」
意味のわからない言葉を発することぐらいしかできないほどキツイらしい。当然この学校の中でそんな状態になっている生徒がいたら見捨てて置かれるはずもなく、
「ミチカワさん大丈夫!?」
「大変、保健委員呼んできて!」
顔面蒼白でぶっ倒れる寸前を見た生徒たちが一斉に駆け寄ってきた。しかし、バカ食いしたせいの腹痛とか答えるのが恥ずかしいのか、ナナエはしきりに首の代わりに手を降って、
「お、お手洗いに行けば済むので大丈夫です……」
「大丈夫? 手伝おうか?」
「い、いえ、しかしその前に教室に戻らないといけないので……」
「えっ、でもお手洗いは目の前だよ!?」
手を差し伸べる生徒たちは困惑を浮かべるばかり。しかし、ナナエはぐっと親指を立てて、
「これは私の誇りの問題なんです……! どうやっても一回教室に戻らなければなりませんっ! 英女として世界を守るのと同じぐらい重要な使命を果たすために、どんなに困難であろうともやりきらなければならないことがあるんです!」
(何言ってんだこいつは)
俺は呆れていたが、ナナエの気迫は本物だったようで、周りの生徒達は次々と肩を貸し、
「いいよ、教室だね! みんな手伝うよ!」
『おー!』
そうナナエを担ぐようにして教室に向かって歩き出した。
腹痛から解放された俺はなんだかなぁとそれをただ見ているだけだった。
…………
「やっと収まりました……」
ナナエはげっそりとして机に突っ伏している。
あの後トイレにぎりぎり間に合ったナナエは盛大にぶっ放したものの腹痛がなかなか収まらずに午後の授業中もたびたびトイレに立つ羽目になってしまった。
ここできっとナナエが鋭い口調で、
「念のために確認しておきますが、聞いてませんよね?」
便所に座っている間ナナエは大音響で音楽を流していたものの、正直かなりの勢いだったので、あのその、なんだ。
(あんなバカでかい音楽流していたらなんも聞こえないだろ。耳がおかしくなると思ったぞ)
「それならいいです」
そうほっと胸をなでおろす。まあ嘘も方便と言うしここで認めたところでナナエが泣くだけだからこれでいいや。
しかし、さすがにここまで体に負担をかけるのは悪いので次に何かやりたいことがあったら飯は避けて別のことにしよう。底辺で変なものばっかり悪食していたせいで、まともな人間との食生活の認識がかけ離れすぎていたようだ。
ここで携帯が鳴り響く。先生からだ。おいおいこのタイミングで破蓋がやってきたとかじゃないだろうな。まだ新しい英女も決まってないんだが。
ナナエはすぐに通話ボタンを押した。
『ミチカワさん、新しい英女について話がありますので、放課後こちらまで来てください」
「……はい、わかりました」
そう答えて通話を終える。
「新しい仲間……」
ナナエはどこか浮かない表情でポツリとそう呟いた。
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