第40話 去る人たち
ナナエは校舎の掲示板に貼られていた張り紙を黙って見つめていた。弁当を食べようと学校の屋上に向かっている途中に見かけて立ち止まっていた。
そこにはこう書いてある。
【昨日を持って下記五名は転校となりました】
(転校した生徒がいたのか?)
この学校の生徒は自己犠牲をためらわないのばっかりなのでそう簡単に家に帰るなんてあまり考えてなかった。俺の問いにナナエはじっと掲示を見つつ、
「あの気体燃料式加熱器を破却した際に起きた大爆発を見て戦意を失ってしまった生徒がいたのでしょう。精神状態が不安定になると適正値が下がり、神々様から選ばれることもなくなるので、この学校にはいられなくなります」
あの戦いの後、学校に設置されていた監視カメラから大穴で何が起きたのか確認したが、半端ないものだった。一瞬の閃光の後に真っ赤な爆炎が大穴から飛び出し、やがて核爆発みたいなきのこ雲が立ち上がる。あんなものを見たらそりゃビビるのが現れてもおかしくない。
ナナエはしばらくその名前を見て、
「……あと、何人か、ミナミさんが救った人もいるようです。恐らく自分のせいでミナミさんが命を落としてしまったという自責の念に駆られたため、適正値の下降を起こしてしまったのかもしれません」
(ああ……)
俺は思わずため息を付いてしまう。この学校にいるのは誰かを守りたいと強く思っている奴ばっかりだ。にもかかわらず、自分のために誰かが目の前で犠牲になってしまった。助けたいのに助けられてしまう。しかも命まで落とした。そんな状況にひどく動揺していてもおかしくない。
ナナエは張り紙から目を外して歩き出し、
「仕方ありません。人の心は揺らぐものです。戦う資格を失えば、家に帰り、別の道を歩むしかありません」
(だな。できないことを無理にやっても仕方がない。できることがある部署に配置するのがうまい人材活用ってところだ。ついでに問題を起こしそうな人同士は引き離すことも重要だな。変な奴は個人作業に回す。これが賢いやり方だ)
「おじさんにそう言われると何かこうすごく反論したくなるんですが。そもそも話が違うような気もします」
(なんだよ、一般論だぞ)
そんな話をしながら、階段を登り屋上に出る。
そして、ナナエは座って弁当を開こうとするが、しばらく黙ったまま動かない。
(大丈夫か?)
そんなナナエに俺はまた訪ねてしまう。
その問いにハァとため息を付いて、
「さっきも大丈夫だと答えたでしょう。無用な心配をする必要はありません。私が何歳のときから英女をやっていると思っているんですか? 10歳のときですよ。ミナミさんは5人目の仲間でしたし、いい加減慣れっこです」
(……………)
俺がそんな早口を黙ったまま聞いていると、ナナエは少しうつむいて口元を緩め、
「……そうですね。24時間一緒にいるおじさん相手に強がっても仕方ないです。正直辛いですよ。五度目の別れですが、何度やっても慣れることはないですね。今でも悲しくて辛くて胸が痛いだけです」
その言葉は痛々しいものだった。
(愚痴ぐらいなら聞いてやるぞ。いつも俺の話を聞かせちまってるからな。等価交換ってやつだ)
「等価に思えないんですか」
(なんだとー)
「そもそもおじさんがまともにできることなんて私の話を聞くことぐらいでしょう。他になにかできることがあるんですか? 特技とか」
(特技ならあるぞ、暗算とか)
「……………」
おいコラ何だその沈黙は。
ナナエはやれやれと首を振って、
「暗算を特技とか言い出すとは信じられません。そんなものは人として当然の技量でしょう。それを誇るとか呆れてものも言えませんよ」
(おっ、言ったなテメー。じゃあお前はできるのかよ)
「私は結構計算は得意ですよ。問題を出してもらっても構いません」
そう自慢げに鼻を鳴らすナナエ。ほほう、ならお手並拝見といこうじゃないか。
(24個入りのケースが8つと、バラ8個の合計数は?)
「ケースってなんですか」
(箱)
「なら200個です」
(正解)
あっさりと解いてみせるナナエ。俺は続ける。
(12本入りの箱が43とバラ3つの合計)
「519本です」
(12本入りの箱があるが、二つで1箱扱いになっていて、56箱とバラ18本)
「1362本」
「20個入りの箱とバラ18個とバラ3個」
(41個)
スラスラと解いて見せるナナエはフフンと自慢げになる。どうやら自信満々なのは本当らしいな。
しかし、ここからが底辺流暗算の難しさの本番だ。
(12本入りの箱22個とバラ6本とバラ18本)
「―――」
(あ、生徒会長が呼んでる)
「え?」
俺がそう言うとナナエはあちこち見回すが、
「いないじゃないですか」
(答えは?)
「え? えっと……」
ナナエはしばらく考えていたが、
「すみません。問題を忘れました」
(はーい不正解ー)
「今のはおじさんが変なことを言ったせいでしょう!?」
仰天するナナエだったが、俺はチッチッチと、
(ちゃんと問題を聞かないとダメだぞ。じゃあ次。18本入りのケース5個とバラ6本)
「――――」
(あ、お前のケツのところに虫がいる)
「うひゃあ!?」
悲鳴を上げて飛び跳ねてしまうナナエ。ただし器用に弁当を持ちながら。破蓋とかよくわからん化物と日々戦っているのに虫は怖いんかい。
ナナエは制服のスカートをはたくが、特に何もいなかったので、
「いないじゃないですか」
(はーい時間切れー)
「さっきからなんで邪魔するんです!?」
抗議の声を上げるが、俺はフフフと得意げに笑い、
(これが底辺作業での暗算の難しさ、暗算をやっている最中に邪魔が入る、だ! どうだ、難しいだろう)
「それ計算と関係ないでしょう!?」
口をとがらせて反論するナナエだったが、俺はチッチッチと、
(どんな状況でも鋼の心臓を持って、声をかけられようが邪魔が入ろうが集中して暗算をする。これが底辺で覚えた俺の特技だ)
「もう頭痛いです」
(静かで集中のできるところで暗算なんてできて当たり前だよ。底辺じゃこっちの都合お構いなしに呼び出しまくるからな。そのくせそれで手間取ったらいきなり近くのものを叩いて「いつまでやってんだ」とか「ちんたらすんな」とか怒鳴ってくる奴もいるし。もー勘弁してほしいね)
「結局等価交換どころか、おじさんの話を私が聞く流れになるじゃないですか」
ナナエはそうブツブツ言いながら弁当を食い始めた。
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