第93話 ほうれん草
しばらく真っ暗な浴室に沈黙が流れたあと、
(何のことだ?――とかすっとぼけるつもりはねえ。ただ気になることがあるから先に一つ聞かせてくれ)
俺は一旦間をおいた後に、
(なんでわかった?)
その指摘にナナエはやれやれと肩をすくめて、
「当然でしょう。嫌々とはいえおじさんとはそれなりに長い付き合いです。変化があれば気がつくものです」
(お前がそんなに鋭いとは思えないぞ。割とズボラだし石頭だし宗教馬鹿だし、身体は貧相だし)
「人を何だと思っているんです!? それに最後のは関係ないでしょう!」
キーキー怒るナナエはとりあえず放置しておいて、
(あんまり表に出してなかったつもりなんだが、どこで気がついたんだ?」
俺の問いにナナエはまたため息をついて、
「おじさんは自分の使っていた言葉をよく使っていました。そのたびに私が聞いて意味を確認していたんです。しかし、少し前からおじさんは配慮してきちんと分かるようにして言っていたでしょう? ところが最近はまた私のわからない言葉をそのまま使い続けています。配慮する余裕がないと見ました」
その指摘に俺はうっと黙ってしまう。冷静に思い返せばその通りだ。ナナエに配慮したと言うより毎回『○○ってなんですか』と聞かれて、言い直すのが面倒だったからなんだが、最近はそれを怠っている。
(よく気がついたな)
「簡単にわかりますよ。毎回わけのわからない言葉を投げかけられているのは私なんですから」
ナナエはやれやれと言いつつ、
「で、何があったんですか?」
(…………)
「ここまで来て黙っているのはなしですよ」
そう念を押されて俺は困ってしまう。
(別に話してもいいんだが、もし言ったらお前が動揺したり落ち込んだりするのかわからなくて――)
ここまで言いかけてから、
(いや待った今のナシ。これは言い訳だった、スマン。単に俺がどう対処して良いのかわからんってだけだな)
「素直なのか素直じゃないのかよくわからないおじさんで反応に困ります。で、なんなんですか」
ナナエの言葉に俺は観念する。もうとうとでもなれ。
俺は時間をかけてスマフォ破蓋と戦ったときにヒアリの行動と言葉、そして俺の苦悩について伝える。ヒアリは自分を死地に追い込んで他人を助けることを好んでいる可能性があること。このままではヒアリはそのうち確実に死ぬであろうこと。しかし、破蓋との戦いではヒアリの存在は必要だし、何よりヒアリも戦い続けることを強く望んでいるだろうということなど。
話をしている間、ナナエは黙って聞いていた。
(そういうことだ。正直どうすればいいのか俺もわからねえ……無理やりヒアリに戦いをやめさせたところで俺らだけでやっていく自信もないし、ヒアリも嫌がるはずだ」
「…………」
ナナエはしばらく黙っていたが、
「そう……ですか。なんとなくヒアリさんの自己犠牲心がおかしな方向に言っているのは気がついていました。ただ……」
そこでため息をついて、
「ヒアリさんの意思を尊重したいのと、ヒアリさんの戦力は貴重であることがそれを考えないようにしていたのでしょう。おじさんを責めることは出来ません。私も同類で同罪です」
そうどこか楽になった感じで言った。俺もずっと悩んで黙っていたことを打ち明けたせいか、気分が少し楽になっている。
(本当はこういう話はさっさと伝えないといけないのはわかってるんだけどな。俺自身どうすればいいのかわからないから黙っているなんて初めてだよ。今更ほうれん草の重要性を感じるわ)
「ほうれんそうってなんですか。お野菜?」
ナナエに突っ込まれて、
(報告・連絡・相談の頭の文字をとってほうれん草だよ。語呂合わせみたいなもんだ)
「なるほど……覚えやすくて良いものだと思います」
そう感心するナナエ。
(でだ。今後どうすればいいのか考えなけりゃならん)
「そうですね。しかし――」
――ここで突然風呂場の外から不吉な警報音が聞こえてきた。どうやら部屋に置いてあるナナエの携帯がなっているらしい。
ナナエは即座に湯船から立ち上がり、
「……破蓋が浮上してきたようです。続きは終わらせたあとにしましょう」
すぐさま風呂場の外に出る。
部屋は真っ暗だったが、ナナエはまだ素っ裸のままなのに明かりをつけて体を拭き始めた。当然俺からも裸体が丸見えである。
いつもと違ってあまりに堂々としていたので俺のほうが困惑してしまい、
(お、おい……)
「緊急時ですよ。平時ならおじさんに身体を見られるなんてまっぴらですが、破蓋が現れて一刻を争うときに私情を優先するほど私は愚かではありません」
そうきっぱりと言いながらさっさと下着を身に着けてしまう。まあこいつがそれでいいなら別に俺もどうでもいいんだが。
にしてもだ。ナナエにヒアリのことを打ち明けた直後にこれとか勘弁してくれ。こんな話をしたタイミングで来るとか嫌がらせかよ。
そして、ナナエは部屋から出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます