第61話 教育の大切さ

(まだ来てねえな)


 時刻は午前3時50分。第6層の底で俺達はじっと破蓋が現れるのを待っていた。


「直下の観測所でも反応はありませんね。まだ知覚まで浮上してきていないようです」


 ナナエは自分の携帯端末をグリグリいじりながら確認している。

 すでに予想到達時刻をすぎているものの、この下の方にある観測所でも破蓋の姿は捕らえられていない。遅れてんのか? こんな朝っぱらにただ待たされるのは辛いだけだからさっさと来いや。


(途中で引き返したってことはないのか? 破蓋だってたまには帰りたくなったりするだろうよ)

「そのような事例はありませんよ。破蓋は一度最深観測所を通過した後でまた大穴の底に戻っていたことはありません。こちらが破却するまで浮上し続けます」

(やれやれ、仕事熱心なことで)


 俺はそうため息をつくと、ナナエが少しそわそわしながら、


「今のうちに言っておきます。さっきはありがとうございました」

(は? なんのことだっけ)


 俺はいきなり礼を言われて困惑する。ナナエははぁとため息を付いて、


「ヒアリさんが服をいじってきたことに私が文句を言おうとした件ですよ。確かにおじさんの言う通り、私の言い方がまずかったのでヒアリさんがああいうことをしても咎めるのは道理にかなってないのは確かでしたので……」


 そこまで言ってからナナエは一旦口を止めてから、


「いえしかし、まさかあんな格好をしてくるとは予想もできませんでしたよ。私と共に戦った歴代の英女も戦闘服を動きやすくするように手を加えたことはありましたが、あんなふうに可愛くするのは初めてです。全くヒアリさんには驚かされるばかりです」


 言い訳がましいことを言い出すナナエに俺は苦笑する。相変わらず素直じゃないやつだ。


(にしても、ずいぶん律儀だな。別に礼を言われるようなことをした覚えはないんだが)

「私は助けてもらった人にはきちんとお礼を返すべきだと思っています。それがたとえダメダメなおじさんであってもですよ」


 そうナナエは言い切る。いろいろ問題のあるやつだが、義理堅いやつでもある。適正値が低いとは言え英女候補になり、実際に英女になったのは伊達ではないといったところか。


 ふとナナエは首を傾げて、


「そういえば、おじさんが止めてきたとき、ずいぶん実感のこもった言葉に聞こえましたが、それも底辺という場所の経験からですか?」


 そんな問いに、破蓋もまだ来そうにないので俺は答える。


(おう。仕事をいろいろ渡り歩いていたりしているから、新しい仕事の現場に行くたびに教えてもらうわけだが、最初にああしろと言っていたのに、そのやり方は違うみたいな感じで怒ってくる奴がいるんだよ)

「それならきちんと矛盾していると指摘すればいいだけではないですか」

(おかしいっていうと逆ギレ――怒りだすし)

「えぇ……」


 ナナエは頭を抱えてしまう。とはいえこれが底辺で一度や二度じゃないから困る。

 俺は更に続けて、


(まあ『じゃあいいです』みたいな感じにささっと立ち去るのもいる)

「いえ立ち去るのではなくおかしいところの意見の相違の解決などを諮るべきでは……」

(謝るのが嫌だから逃げているだけみたいだったぞ)

「正直、頭が痛いです」

(でも本当に面倒なのはこの後からだ。作業していたら今まで何も言われてなかったことに突然そのやり方は間違ってるとか怒ってきやがる。『周りを見ればわかるだろ』『少しは考えろ』とか、来たばかりでわからないから教えてもらっているのにこんなノリで言い始める。あのとき俺が反論したことに対する報復か?と疑うしかねーわ」

「……………」


 ナナエはもうしゃがんで頭を抱えてしまう。俺も話していたらついその時のことを思い出してイライラしてしまい、


(あのマウントババアめ。思い出したら腹たってきた)

「まうんとばばあってなんですか」

(自分の有利な立場を使って上から目線で怒ってくること)

「……おじさんの話を聞くと、大人に絶望してしまいそうになります」

(この世界に底辺がないことを祈る。あっても近づくなよ)

「当然そうします」


 ふとここでナナエは上の方にいるヒアリを見上げる。結構距離が遠いのでその姿をここから姿を確認することは出来なかった。


「そういう話はできるだけヒアリさんに伝えないでくださいね。もしおじさんが私の身体の主導権を握ったときにぺらぺら話されては困ります」

(なんで、ってまあヒアリの史上最大の適正値に悪影響が出るかもしれないからか。下がるとまずいし、できるだけ俺はヒアリと会話しないようにしておくよ」


 かわいいヒアリを眺めるだけならナナエの身体の中にいる状態でもできるからな。


 ここでナナエの携帯端末のアラートが鳴る。見ると、破蓋が第6層よりちょっとしたのところにある観測所を通過し、その際に得られた映像データを転送してきていた。

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