第73話 楽できるのならそれでいいじゃん?

「私が……私がこんな思いに囚われるなんてっ……」


 ナナエは対物狙撃銃の照準から目を離してがっくりとうなだれてしまう。視線はゆらぎ顔がピクピクと振るえているのがわかった。今きっとすごい顔をしているんだろう。


 ああ、そうか。ここ数日のナナエのおかしい理由がようやくわかった。

 嫉妬ってやつだ。

 ナナエは適正値も低く能力も低かった。にもかかわらず今ではどんな小さな目標でも確実に撃ち抜き、飛距離の長いジャンプも簡単にやってのける。どんな状況でも破蓋の行動を見定めようとする冷静さもあるし、判断力も高い。

 適正値が低くてもこれだけの力を持つことができたのはひとえに努力しか考えられない。血の滲むような特訓を続けて、沢山の仲間にも支えられてきたはずだ。


 そこにひょっこりとヒアリがやってきた。史上最大の適正値を誇るヒアリはわずか数日でナナエの力を超えてしまった。こんなのナナエじゃなくても心がざわめくだろう。昔の俺だって確実にそうなったはずだ。むしろ、ナナエみたいに良いやつだからこそ、変に八つ当たりせずに耐えられた。しかし、それももう限界なのかもしれない。

 クソっ、普段あまり人と接してなかったせいでこんな簡単なことにも気づけなかった自分が情けない。俺のいた底辺じゃ気分そのままに怒鳴り散らしたり八つ当たりするやつばっかりで、そういう我慢をする人間がすっかり馴染み薄くなってしまってた。

 大体の事情を察した俺はナナエに話しかける。


(いや当然だろ。俺だってある現場で半年働いていたときにところに新しいやつがやってきたが、一週間ぐらいたった後に、俺のやり方がおかしいって怒ってきたときにはムカついたぞ)

「…………」


 いつもは「おじさんと一緒にしないで下さい!」とか言ってくるはずなのにうつむいて黙ったままのナナエ。こりゃ重症だな。


 しかし――だ。俺にそんな状態のナナエの苦しみを開放してやるだけの言葉を期待するだけ無駄だぞ。そんなもんナナエも期待していないだろうが……しかし、このままだとヒアリがピンチだ。


 ヒアリは相変わらず急須破蓋に切りかかっていた。ナナエの狙撃がうまくいかないとわかってなんとか本体に穴を開けて中の核を叩けないか試しているようだが、頑丈すぎて鉈はすべて弾き返されている。やはりあの注ぎ口についているキャップを切り裂いてから、そのから中の核を撃ち抜くしかない。

 幸いなことに急須破蓋は体当たりしか攻撃手段をもたないようで、ヒアリがあっさりやられてしまうようなこともなさそうだ。


 とはいえ、このまま放置するわけにも行かない。だが、こんなときになんてナナエに声をかけてやれば良いのかわからない。

 ふと、ナナエのほうが口を開く。


「……やっぱりおじさんもそういうふうに感じてしまうんですか?」


 その問いに俺は少し考えてから、


(そうだなぁ。昔なら八つ当たりとかしていたかもしれない。でも底辺生活を長く続けていたら、最近は全く思わなくなった。底辺の仕事では八つ当たりしまくるのばっかりだったけどな)

「……なぜですか? なにか心境の変化とかがあったんですか?」


 その問いに俺は堂々と答える。


(できるやつと一緒に仕事していると楽なんだよ。いや、仕事押し付けるとかそういう意味じゃないぞ? 俺がミス――失敗してもすぐに気がつくし、こっちが指示とかしなくてもすぐに覚えて作業を進めてくれる。俺より能力は優れているおかげで、俺が楽できるって気がついたんだよ。だからもう嫉妬とかしなくなったね)

「……………」

(まあそれで性格が悪くてうるさく言ってくるのなら、すぐにそんな仕事から逃げるけどな。ヒアリはすごく良いやつだしそんなこともないだろ。俺的には痛い思いすることが減りそうだしヒアリが強えってのは大歓迎だ)

「……………」


 ストレートに俺の考えをぶちまけてしまったが、これでよかったんだろうか。ちなみに嘘も偽りもまったくない本音だ。俺自身大したスキルもなかったんでミスがしょっちゅうあったから、優秀なやつと組むとそれが未然に防げたり、仕事が早いから俺もさっさと家に帰れた。性格が良くてできるやつと組むのはもうラッキーとしか思えない。嫉妬したりなんてすっかりなくなった。人として間違っている気がしないでもないが。


「……はぁ」


 ナナエは俺の答えを聞いてから大きくため息をついたあと、


「私はそれなりに悩んでいたつもりですよ? その相談に対して楽できるから良いだろうってどんな答えですか、信じられません」

(楽ちんなのはいいぞー。大変な状態が続いて切羽詰まると精神的にギスギスしてくるしミスも増えて、人間関係も歪んでくる。心にゆとりを持っているってのはいろいろうまくいくもんだ)

「全くこのおじさんは……」


 ナナエは心底呆れ返っているような言葉を並べているが、俺はさっきまで振るえながら対物狙撃銃を握っていたナナエの手がいつものようにしっかりと固定されていることに気がつく。

 そして、


「でもまあ……そうですよね。私達の使命は浮上してくる破蓋をすべて破却し、人類を守ること。ヒアリさんの力があればそれを確実に遂行することができます。今はただそれだけでいい――」


 そこまで言ったときのナナエはもういつもの状態だった。変に偉そうで自信があり、たまに凹んだり泣いたりするいつものナナエだ。


「ありがとうございます。楽になりました」

(普段思っていることを言っただけだぞ)

「私はきちんと礼を述べることにしているんです。おじさんのおかげで気分が晴れました」

(そうかい)


 本当に大したことを言ったつもりはないんだが、どうやらナナエの心のもやもやは取れたらしい。それならそれでいい。


 ナナエは大きく叫ぶ。


「ヒアリさん! 次で決めます!」

『――わかったよ! お膳立ては任せて!』


 再びヒアリは華麗なジャンプと鉈捌きで急須破蓋の注ぎ口のキャップを切って捨てた。これで注ぎ口から内部の核が見える。


「破却します!」


 いつもの耳がおかしくなりそうな激しい発砲音。

 急須破蓋の注ぎ口の奥に見えた核は本当に小さかった。まさに針穴を通すレベルだったが、完璧に核を捕らえた。

 急須破蓋は非常に頑丈でナナエの銃弾も通さなかったが、それは内側でも同じらしい。核を貫いた後に急須内部に閉じ込められた銃弾が激しく跳ね返り続ける音が響いた。

 やがて、核を失った急須破蓋は徐々に形状を崩壊させ、大穴の底へと落ちていく。


(今日の仕事も無事に終わったみたいだな)

「はい」


 それを眺めている俺とナナエ。

 ヒアリが見事にナナエの狙撃ポイントに誘導して急須破蓋の注ぎ口をこじ開けたのも見事だが、あの僅かな隙間を撃ち抜くナナエの技量も半端ない。元からヒアリに嫉妬する必要なんてないんだよ。こいつの力も俺から見ればバケモンだ。

 まあ恥ずかしいから口に出して言わないけどな。


「ナナちゃんすっごーい!」


 いきなりすっ飛んできたヒアリがナナエに抱きついてくる。最初はナナエもまんざらではなさそうだったが、すぐにぐいっと押し返すと、


「暑苦しいのでそんなにくっつかないで下さい」

「あう」


 ヒアリは涙目で手をばたつかせる。

 そして、ナナエは対物狙撃銃を背中に背負うと、


「今日の仕事は終わりましたし、帰りましょう」

「うんっ!」


 そう言って二人で大穴の外へ向かって飛び上がっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る