第二十二話 大舞台に向けて

二月一日、タイトルマッチまでちょうど一ヶ月となったこの日、激励会と称した飲み会がいつもの公民館で執り行われた。


集まった人数は最多の五十人超。


いつもは来れなかった人も、今日は何とか都合を合わせて駆けつけてくれたらしい。


「ついにこの時が来たね。二十人くらいは応援に行ける目途立つと思うから。」


後援会長の新田さんが、今回も皆を引き連れてやってきてくれるようだ。


感謝を伝え、酒を注ぎながら二言三言交わし挨拶回りをしていく。


「遠宮君頑張ってよ!」「応援してるぞ!」


皆が口々にそれぞれの言葉で檄をくれ、こんなにも自分を応援してくれる人がいたのかと誇らしくなった。


そして、壇上に促され試合に向けての意気込みを語る。


「どうも、本日はお集まりくださって有難う御座います。いよいよ日本王座を賭けての一戦が近づいてまいりました。相手は皆さん知っての通り、超がつくほどの強敵ですが、しかし…」


さっきまでの賑やかさは鳴りを潜め、皆が俺の言葉に耳を澄ませてくれていた。


「……以上を以って意気込みの言葉とさせていただきます。必ず勝ってきます!」


俺がそう告げると、わっと一斉に湧き拍手が響き渡る。


それを聞きながら誓った。


必ずチャンピオンになりベルトを持ち帰ると。












二月中旬、試合まで半月程となり周りもにわかに活気づいてくる。


早朝川沿いを走っていると、普段よりも多くの人達から声を掛けられた。


地元のテレビ局の取材も入り、それなりの枠で情報を伝えてくれているのも大きいだろう。


そして今日はボクシング雑誌の取材が来ている。


記者はいつもと同じ無精ひげを生やした松本さんだ。


この日はいつもより早い時間にジムまでやってきており、真剣な眼差しで練習を眺めている。


知らない人が見れば、記者ではなくトレーナーだと勘違いさせてしまう事だろう。


ここに来る前にはフィットネスジムの方にも顔を出し、及川さんに挨拶をしてきたらしい。


実にまめな人だと思う。


ボクシングの記者よりも、何かの営業職あたりの方が向いているのではないかと思うほどだ。


「坊主、アップもういいだろ?グローブ付けるぞ。」


そう言って嵌めていくのは十六オンス、佐藤さんは十四オンスだ。


向こうの仕上げも佳境に入っている為、数少ない所属選手同士、連日に続いてのスパーリング。


実は佐藤さんのリーチはあの王者とほぼ同じの上に、リードブローの使い方が非常に上手く距離の取り方が参考になる。


仮想御子柴裕也としては、相沢君よりも感覚的には近いだろう。


練習も一段落着き、松本さんと二人並んでリングの脇に腰掛けると取材が始まった。


「調子良さそうで安心したよ。」


俺達のスパーリングを見て、少しホッとした様子で語る。


そう言えば、いつかの取材で減量がかなりきついとぼやいた事があったかもしれない。


そうは言っても、普通記者という立場からはニュートラルに構えるものだと思うが、言葉振りはまるでこちらの陣営に肩入れしているかの様な印象を受ける。


「そんな不思議そうな顔しないでよ。遠宮君は分かってないと思うけど、地方選手でここまですんなり上がれる事は滅多にないんだよ?しかもこうして遠くから取材に来るのって私くらいのものでしょ?そりゃあね、多少は感情も入るさ。」


そう言われれば、一度帝都のテレビ局が取材に来た事はあったが、スポーツ専門誌の取材などは一度も来た事がない。


まだ取り上げるほどの選手ではないから仕方がないのだが、それでも多少の寂しさは感じてしまう。


「しかも今回は相手が相手だからね。楽しみにしている分、両者の仕上がりもまた気になってくるってなもんだよ。」


ここまで楽しみにしてもらえるなら、こちらとしても嬉しい限りだ。


雑談の様なやり取りが終わった後、本題であるタイトルマッチへ話題は移る。


「それで、どんな展開になると予想していて、それに対しての対策なんか聞いてもいいかい?勿論、問題ない所しか書かないから安心して。」


そう言われても対策などないに等しいのが現実だ。


こういう全ての能力が高い相手に対しては、結局相手のそれを上回る事しかないと思う。


「そうですね。やっぱり自分としては左の差し合いだけは負けられないですね。現状、それくらいしか優位に立てる材料が見つからないもので…。」


逆に言えば、たとえ相手があの王者であろうとも、これだけは勝てる自信があるとも言える。


かなり心許ないが、今までも確実に勝てる相手などいなかったのだから、関係ない。


「なるほどなるほど。確かに君のリードブローは特筆すべきものがあるよね。その左でペースを握って、徐々に自分の流れに持っていくといった所かな?」


人の口から聞くと何とも線の細い望みだ。


「でもさ、御子柴君の左もみんな避けにくそうにしてるよね?左の名手である遠宮選手から見てあれはどう思う?」


誉め言葉に一瞬表情が緩むも、直ぐに立て直す。


「正直モニター越しだとよく分かんないですけど、フェイントを上手く使っている感じでしたね。」


間接的に見た限りでは何とかなりそうな気がするのだが、実戦では思わぬ事もあるので、そこは適時対応していくしかないだろう。


「うんうん。そうなんだよね。決してハードパンチャーってわけじゃ無い筈なのに、近い距離で打ち合っても何故か殆ど一方的になるんだよ。恐らくよほど良いタイミングで打てているんだと思うよ。」


それに関しては、会長が依然言っていた呼吸を読むという事に関連している筈だ。









「じゃあね。また来るよ。」


松本さんは、色々書きなぐっていた手帳を畳み立ち上がる。


「では皆さん、長々とお邪魔しましてどうも。菊池君に佐藤君も期待してるからね。所属選手三人が全員タイトルホルダーとか、地方ジムの奇跡見せてくれよ。牛山さんも機会があったら飲みましょう。会長さん、しっかり仕上げてくださいよ?全国が注目してますから。」


そう言うと、相変わらずのまめさを発揮して、室内の全員に声を掛けながら去っていった。


最近は中々来客も多くなってきた我がジムだが、この人の雰囲気はどちらかといえば内側の人間のそれなので、気を使わなくて済む。


「あれ?松本さんて今から帝都に帰るんですか?」


もう十九時を回っており、着く頃には日付も変わっている筈だ。


「ホテルを取っているらしいよ?明日は鈴木さんのとこに行くってさ。」


ライターとは結構自由な仕事なのだなと、少し羨ましく思った。


もしかしたらあの人だけが例外的な存在なのかもしれないが。


ちなみに鈴木さんのとことは相沢君の所属ジムだ。


この日、ロードワークも終わり家に帰り着くとメールが届いていた。


『チケット取れたぞ。青コーナー側最前列!年次休暇取って行くぜ!』


一通は田中から。


『チケット取れたよ。田中君の斜め後ろくらいかな?応援行きます。』


もう一通は阿部君からだった。


親しき中にも礼儀ありと感謝を伝える言葉を送り、嬉しさからか少しだけ減量の苦しみが紛れた気がした。










次の日ジムにて、話題は何故かチケットの事になり、


「そういえば赤コーナー側最前列のチケット、オークションで凄い値段になってましたよ。」


佐藤さんがそう語りながら、サイトのページを開き見せてくれた。


そこには驚きの数字が表示されており、今現在で元値の三十倍近くの値段になっている。


ちらっと覗き込んだ明君も驚きの表情を浮かべていた。


「な、なんですかこれ…。この人たち正気とは思えないんですけど…。プロモーターからは何か言ったりしないんですかね?」


チケット一枚に中古の車なら一台買えてしまう値段である、そう思っても仕方がないだろう。


これで笑うのは悪どい転売屋くらいだ。


業界にとっても良い事であるとは思えない。


勿論世の中には、その程度のお金どぶに捨ててもケロッとしている人がいるだろう。


しかし、御子柴ファンは比較的若い層の女性で占められている筈だ。


「う~ん、今の所は何とも。被害者が訴えたりしたら問題になるんでしょうけど、多分それは……」


佐藤さんの言葉通り、恐らくそれはないであろう。


何が何でも最前列で応援したいと思っているファンにとっては、金額よりも入手する事が一番なのだから。


自分の感覚としては、ホストに嵌っているのと大して変わらない印象を受ける。


まあ、全て自分の意志でやっているという点では自己責任としか言えないが。


「もっと大きな会場でやればいいのに…。」


ぼそっと呟いた明君に全面的に同意した。

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