第十四話 カリスマ

俺は通路を行く、その両脇を固めるのはのぼりを掲げた後援会の面々、そして同門たち。


佐藤さんは安定の完封勝利、その後は番組の構成上結構待たされ、漸くの入場と相成った。


時は満ちたとガウンを深めに被り、差し出される手に応えつつ花道へと向かう。


そして大袈裟なスモークを掻き分け俺が姿を現すと、観客からは歓声が上がり、暗めの会場を照明に照らされながら歩く形になった。


今回の花道は観客席より一段高い位置にある為、いつもの様に階段を駆け上がる必要もなく、松脂をシューズに馴染ませロープの間を潜り、リングへ上がると後は主役の登場を待つだけ。


皆が固唾を呑んで見守る中リングアナの短い口上を挟み、激しいロックと共にスモークの向こう側から姿を現す男。


金色に黒のラインが入ったトランクス、ガウンは纏っておらず鍛え上げた肉体を見せつける様に堂々と歩む姿は流石に華がある。


身長は俺より十センチ近く低いが、そんな事はハンデになり得ない。


その体付きは見事と言うほかなく、逞しい大胸筋、肩から広背筋にかけてもまるで彫刻を思わせる様な盛り上がり方。


一見ドーピングを疑い掛ける程の肉体だが、当然検査で引っ掛かったことはない。


リングシューズはスニーカータイプ、総合出身故、なるべく覆う面積の少ないものを選んだのだろうか。


ギラギラとした瞳は昨日会った時とはまるで別人、それはまるで心からこの舞台を楽しんでいるかのよう。


市ヶ谷選手は会場の大歓声に包まれ、手を振りながらトップロープを掴むとくるり弧を描き、派手にリングへと降り立った。


そこで軽くこなしたシャドーの動きだけでも、恐ろしい迄の身体能力の片鱗を覗かせる。



「皆さん、お待たせいたしました。只今より本日のメインイベント、ライト級十二回戦を行います。」


歓声は鳴りを潜めているが、会場の熱はどんどん蓄積していく。


「赤コーナ~二十一戦十九勝一敗一分け、十九勝のうち十一のKО勝ちがあります。公式計量は百三十五パウンドォ~……」


そして先ずは俺の紹介と相成るのだが、会場の空気はどこか気もそぞろ。


それは俺だってわかっているが、ガウンを勢いよく脱ぎ去り歓声に応えてから主役にバトンを渡した。


「…青コーナ~五戦五勝無敗、勝ち星の全てがナックアウトォ~。総合の王者からボクシングの王者へ、立ちふさがる地方の星を地に堕とし、突き進むは王道か…それとも覇道か。WBAライト級第三位WBC…………解き放たれし怪童っ!アンファン~~っいちぃ~がやぁ~っ!」


地鳴りのような大歓声、スターと言うよりは英雄といった表現が正しいかもしれない。


高校卒業後、誰の助けも無く単身海を渡り、日本人初のタイトルを手にした怪童。


路上での喧嘩はニ十対一でも勝った事がある等々、嘘か真か様々な伝説が語り継がれる男。


日本国内に於ける総合格闘技は、この男抜きに語る事など絶対に出来ないだろう。


その生きる伝説は、歓声に応えその場でクルリとバク転、綺麗に着地まで決めると悪戯小僧の様に舌を出す。


本人曰くこれは挑発ではなく、体の可動域を広げる為だとかなんとか。


それが本当なら真似してみるのもありかもしれないと、そんな事を思ってしまった。



▽▽



「統一郎君、いきなり跳んでくるかもしれないから、一回ボクシングのセオリーは頭から捨てようか。」


もうすぐゴングが鳴る。


会長から受けるアドバイスも、少し独特だ。


跳んでくるとは、別に何かの比喩表現ではなくそのままの意味、普通にジャンプしながら殴って来るから気を付けろと言う意味である。


そして何をどう気を付ければいいのか分からないまま、第一ラウンドのゴングが鳴ってしまった。


「…っ!?」


対角線上に視線を向けると、不敵な笑みを浮かべ全力ダッシュで向かってくる市ヶ谷選手。


開始直後に交わされる挨拶は、只のマナーでありルールではない。


そんなの知るかと言わんばかりの清々しい行動…だが…そう来なくては…。


(…マジで跳ぶのかよ…。)


市ヶ谷選手はリング中央付近を越えた辺りでジャンプ。


右腕を振り上げ叩きつける様相だ。


想定内であっても対応出来るかどうかは別問題、俺は取り敢えずサイドステップしやり過ごす事にした。


そして追ってくることを警戒しながら、勢いよく通り過ぎていった相手を追いかけ素早く体を反転、視界に収める。


(…嘘だろっ!?)


先ずは仕切り直しと言う形になるかと思いきや、相手の行動は俺の予想をはるかに超えていた。


マットに足を付ける事もせず、そのままコーナポストに蹴りを入れ、跳ね返る様に体勢低く向かってくる、まるで短距離走のスタートダッシュみたいに。


だがこちらは迎え撃つ体勢も心の準備も出来ておらず、ガードを固め受け止めようとした瞬間、


(…駄目だっ!)


第六感が告げる、受け止めるのではなく、なりふり構わず避けろと。


まるで地を這うような体勢で迫り来る相手のパンチを、俺は思い切りマットを蹴り躱す。


(…これって…カエルパンチっ!?)


低い低い体勢から放たれたのは、伸びあがる反動を利用した右アッパー。


天へと向かい突き放たれる力は、またもその身を地に繋ぎ留めてはおかず、まるでガッツポーズでもしているかの様な体勢で飛び跳ねる。


だがその威力は触れなくても容易に伝わり、ガードで受け止めようとしていたら、少なくないダメージを負っていただろう。


「…シュッ!!」


俺は体勢整わぬ相手に力の籠った左ストレートを突き刺す。


だが相手は器用に体をしならせ衝撃を逃がしながら、ふぅ~っと一息ついてからニヤリ笑みを浮かべた。


(…ボクシングをさせてもらえない…。)


ルール的には、確かにロープの反動を利用した行為は反則となっている。


(ルールブックにコーナーポスト云々は無いけど…普通やるか?)


大歓声が振動の様に鼓膜を震わせ、それがさらに市ヶ谷選手を乗せていく。


「…シッシッシッシッシッ!」

(不味いな…調子に乗らせたら何やって来るかわかんないぞっ!)


相手は上半身だけをぐるぐると回転させるような動き、俺のジャブを鼻先で見切っているように見える。


まあ、見えるだけで何発かは当たっているが、全く気にした素振りが無いのが怖い。


腕は常に腰の位置にあり、基本ガードの意思があまり感じられないのも不気味で二の足を踏ませる。


「…シィッ!?」

(…やっぱり合わせてきたかっ!)


俺が強めの右を放った直後、相打ち覚悟で一気に踏み込み剛腕を振るってきた。


「…ちっ!」


相打ちは分が悪いと、首をよじる様にして躱す。


相手も当然同じように躱し、互いの頬にグローブが擦れた痕が付いた。


だが、俺がさらに打って出ようという瞬間、眼前にはもう追撃の拳が伸びてきている。


(…うっそだろっ!?返し早えぇぇっ!!)


下半身だけの力で体を支えながらの一撃。


手打ちかと思いガードで受け止めるが、それでもびりびりと衝撃が伝わるほどの威力。


否応なく感じる、戦略とか戦術とか、そういうもの以前に生まれ持った身体能力に差がありすぎると。


(…不味いな。)


そう、不味い。


何が不味いかと言われれば、この状況がではない。


相対する市ヶ谷選手の空気に呑まれそうなことが不味い。


呑まれるとは委縮すると言う意味ではなく、むしろ逆。


ガード等かなぐり捨てて、思い切りこの拳を叩きつけたいという衝動が胸を満たしていくのだ。


この衝動を何と言えばいいのだろうか。


暴力衝動とは違う、そんなドロドロとした黒い感情ではない。


単純に勝ちたいと思ってしまうんだ。


この強いオスにとにかく真っ向から挑み勝ちたいと、本能が求めてしまうんだ。


彼の試合はいつも激しい打ち合いになる。


モニター越しで見ても何故そうなるのか分からなかったが、今は充分に理解してしまった。


もしかしたら、彼に引き付けられる者達は皆これを感じているのかもしれない。


「…っ…っ!!」


距離を撮る暇も与えられず叩きつけられる猛攻。


良い状況ではない…にもかかわらず、俺は知らず知らずのうちに、口角を吊り上げてしまっていた。

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