第十五話 馬鹿二人

一ラウンド終了時のインターバル、会長が俺を覗き込み語りかけてきた。


「もう少し距離取ろうか。向こうは変則的だけど、それでも君の左は当たる。」


分かっている、分かってはいるんだ。


でも自分でも何故か分からないほど、気分が高揚して仕方がない。


「…はい。」


返事を返すが、意思が乗っていない事は会長たちにも分かってしまうのだろう。


顔を見合わせ少し眉をひそめている。


一番勝ちに拘らなければならない大舞台で、何をやっているんだと正直俺も思う。


だが、押さえられないんだ。


あのギラギラとした瞳に射抜かれる度、どうしようもなく自分の内に閉じ込めてきた何かが刺激されてしまう。


「…すみません…会長。」


俺はゴングが鳴ると同時、一気に駆け出した。


市ヶ谷選手は少し驚いた表情を浮かべた後、舌なめずりしてからグローブを胸の前で当て気合を入れる。


どうやら自陣を少し出た辺りで迎え撃つつもりの様だ。


「…ヂィッ!!」


俺はいきなり右を叩きつける。


それに対し、市ヶ谷選手がこの試合初めてガードらしいガードを見せ、どうだと更に気分が高揚していった。


市ヶ谷選手は打たれ強いが倒れない訳では無い。


証拠に総合の試合では、結構パンチでぐらついたりする場面も見受けられた。


「…っ!!」


しかし当然ながら大人しくはしてくれない、俺のパンチを受け止めたら、今度は攻守交替と言わんばかりに体をしならせ強烈な左右の連打。


がむしゃらで暴力的に見えるそれらだが、しっかり体重が乗っておりスピードも回転力もある。


何よりその顔はとても楽しそうだ。


(…この目だ…この目で見られる度に気分が高揚して…抑えられなくなるっ!)


何度も何度もパンチを交換し合う両者。


体格は俺の方が大きい筈だが、徐々に押し返されついにはリング中央まで戻されてしまった。


ボクシングは打たせずに打つ競技、決して攻守交替の線引きがある訳ではない。


そんな事は百も承知している筈なのに、何故か俺は、ボクシングを始めて今が一番楽しいと感じていた。


そして眼前の市ヶ谷選手も同じ事を思ってくれているのか、瞳にはさらなる輝きが宿り始める。


互いに一切休む事などなく、攻守交代を繰り返し打ち合う展開。


評論家が見れば、まるで喧嘩の様な試合だと酷評するのだろう。


だが、ボクシングとは本当にそれだけの競技だろうか。


レベルの高い技術の応酬は確かに凄いが、それが本当に魂を震わせるほどの感動を与えられるだろうか。


ボクシングを観戦する殆どの人間は専門家ではない。


感情を込めた激しい打撃戦を良い試合だった等と語れば、何も知らないくせにと詳しい人が罵る。


競技としてはその言葉が正しいのだろうが、けれど違う、その試合を見た一人一人がどう感じたか…それが全てなんだ。


技術なんてわからなくても、感じられるものは沢山ある筈。


選手が高揚出来ない試合で、どうして見る者に感動を届けられよう。


だからそう、偶にはこういうのも悪くない、堅実なのが俺のスタイルだとしても、それだけでは人生つまらないだろ?



▽▽



二ラウンドが終わりインターバル。


会長は何も言わず、只俺の体をチェックしてくれていた。


そして視線で告げてくれる、好きにやってこいと。


返事はしない、俺は只ゴングが聞こえたら駆け出していくだけ。


何やってんだと心の中で思いながら、そのギラギラした瞳に引き込まれ力一杯拳を叩きつける。


すると向こうからも、やったなと、お返しだと、体の芯を震わす強烈な刺激が帰って来る。


一発では終わらない、二発三発四発次々と叩きこまれる衝撃に俺も熱くなっていき、強引に割り込む形でパンチを振り切った。


当然相打ちになり、


「…っ!!?」


衝撃に耐えきれずひっくり返ってしまった。


だが上体を起こすと、両者を交互に見ながらカウントを数えているレフェリーの姿。


どうやら倒れたのは俺だけではなく、向こうもだった様だ。


会場はまさに地鳴り、稀に見る珍事件ダブルノックダウン。


俺は時間稼ぎなど必要無いと言わんばかりに立ち上がると、カウントはフォーに差し掛かったばかり。


市ヶ谷選手も既に立ち上がっており、何故か示し合わせたように口角を吊り上げてしまった。


そして再び始まる技術を駆使した殴り合い。


そう、これはもうボクシングではない、鍛え上げた拳と技術を駆使した只の殴り合いだ。


熱狂が俺たちの体に纏わり付き、もう今以外は考えられない。


(壊れるかもしれないぞ…だからどうした?…構わない…構わない!)


互いが力の籠ったパンチを放つが、ダメージがあるのか足元が定まらず両者空振り。


だが何くそと足に力を籠め、腰をひねり再度力の籠ったパンチを振り回す。


今度は鼻先を掠めた。


だが止まらない、ミット打ちの要領で細かく間断なく左右の拳を叩きつける。


やられっぱなしでいる相手でない事は先刻承知、思い切りボディを突き上げられ一瞬息が止まってしまった。


しかし俺だってやられたままでは終われない、なのに反撃しようとしたところにレフェリーが割って入る、第三ラウンド終了だ。



▽▽



インターバル、疲れなど感じずどんどん力が沸いて来る。


相変わらず会長は何も言わず、体に損傷が無いかだけを入念にチェックしていた。


そしてゴングが鳴るや否や、両者待ってましたとばかり嬉々として駆け出し、中央でぶつかった瞬間、激しい衝撃が芯を震わせる。


それなのに何故だろうか、気分が良い…楽しい…こんなに楽しい試合は初めてだ


会場の地鳴りにも似た大歓声が、全て俺たち二人に向けられているんだと、そう思うたびに誇らしくてとめどなく力が溢れてくる。


(…なあ、あんたもそうだろ?)


パンチに言葉を乗せて意思を交換し合う。


するとガードした腕がビリビリと痺れ、その事実が更なる高揚をもたらした。


ランナーズハイならぬボクサーズハイと言った所か。


市ヶ谷選手が異種競技でもパンチに拘ったわけ、それが何となくわかる気がした。


キックでは、サブミッションでは駄目なんだ。


パンチ以外では、この高揚感を味わう事が出来ない。


だって弱い人間は…賢しい頭脳とこの手で生み出した数々の道具によって、世界の覇者となったのだから…だから意思を乗せるのもまた、頑強な爪も外皮もないこの脆い拳であるべきだ。


押し合いへし合いしながら、でもクリンチはせず僅かな隙間が出来れば狂ったように打ち合う。


これは只の意地。


馬鹿らしいとしか思えない只の意地だ。


そんな馬鹿二人を裂く様にゴングが鳴り、第四ラウンドが終了した。



▽▽



自陣へ戻ると、毎度変わらぬ表情で迎えてくれる仲間達。


だが、会長から一言だけ。


「…統一郎君…勝とうっ。」


言われるまでもない。


その為にやっているんだ。


でもこの気分はもうどうにもならない、抱えたまま突っ走るしかない。


それでも自信があった。


何故なら今の俺には、限界という言葉がまるで想像できなかったのだから。

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