第十六話 意地の中盤戦
第五ラウンド、この試合は最後まで馬鹿な打ち合いが続くのかもしれない。
もしくは、どこかで限界が訪れ立ち上がれなくなるか。
だが今の所、俺にも市ヶ谷選手にもそんな兆しは全く見えない。
ゴングを聞いた直後、またも互いが駆け出しリング中央でぶつかり合う。
ちょっと気が急いてしまったか、密着しすぎてパンチを打つ隙間が作れない。
流石に総合出身者だけあって体幹が強く、押し合いでは負けそうだ。
(…一度引かなきゃな…タイミング…)
互いが体を預け合うような形で押し合い数秒、同時にスッと半歩程身を引くと力のこもった一撃。
「…シュッ!!」
腕をたたんだ状態から放たれるショートストレート。
こういう小技はこちらの領分と思っていたのだが、向こうも器用に合わせて来る。
これは才能で打てる類のパンチではなく、しっかり練習していないと打てないパンチ。
その場の思いつきで動いているように見せかけ、しっかりボクシングという競技の練習を積んでいるようだ。
そして互いがガードで受け止めたのを合図に、またも始まる狂った打撃戦。
「…っ!!」
強烈な圧力を受け、少し下がるのは俺のほう。
「…シィッ!!」
だが負けられない、少々変則的なアッパーで突き上げもう一度リング中央へ押し戻す。
激しい打撃戦だが、ボクシングと言う競技の特性上少しずつ差は表れ始めた。
力の籠ったパンチは両者ともに躱すかいなすか出来ているが、間に挟まれる細かい連打に差が出る。
多く当てているのは俺、市ヶ谷選手は平然としているが鼻から流れ出る血の量が増え始めた。
これは只の経験の差、これでも俺は専門にニ十戦以上キャリアを積んできたのだ。
この差はそう簡単に埋まるものではない。
「…っ…っ!!」
だがそれでも平然と強振してくるその姿には、痺れるものがある。
いやそれ所か、打たれれば打たれる度に動きが良くなっている気がするのは気のせいではないだろう。
互いの強く放ったストレートが交差する様に空振ると、自然に体は密着しまたも押し合う体勢。
「…ふぅ~~っ…シッ!」
俺は相手のガードを割る様に肘から腕を押し込み、空いた隙間にアッパーを叩き込む。
クリーンヒット、市ヶ谷選手の顔面が垂直に弾けた。
「…っ!?」
視線が上向き俺を視界に捉えていないはずだが、横から強烈なフックを叩きつけてくる。
そして、まるで先の一撃がスイッチになったかの如く、ガードの一切を捨て力強い連打を放ってきた。
圧力に負け徐々に後退を余儀なくされ、このままではロープ際へ押し込まれそうな状況。
このままずるずると引かされるわけにもいくまい、俺は歯を食い縛ると重心を下げ受け止める。
そしてこちらも反撃に転じようとするのだが、パンチの回転が速く中々返しを放つ隙を見つけられない。
「…っ…っ!…っ!!」
(…間違いない…少しずつ早くなってる…)
足を使って一旦距離を取るべき場面なのだろうが、何となくそれは嫌だと思った。
だから俺は、引くのではなく飛び込んだ。
右フックに合わせ肩からぶつかる勢いで突っ込むと、右の脇下から持ち上げる体勢でみぞおちへ一発。
相手は苦しい筈だが、重心定まらぬ体勢のまま、自由になる左を振り回し俺の顔面に叩きつけて来る。
痛烈、しかしここは引けない。
腹を突き上げる俺と、腕だけの力で顔面を叩いてくる市ヶ谷選手。
クリンチすれば丸く収まる状況だが、どちらもそれを望まない馬鹿二人。
そして大歓声の中、意地の張り合いを続けたままゴングを聞いた。
▽▽
自陣で椅子に座り気付いたが、息苦しい。
どうやら鼻血が相当量出ているらしく、それが固まり鼻腔を塞ぎ始めた様だ。
会長に身を任せ、鼻に綿棒を突っ込まれしばし待つと、漸く鼻で呼吸が出来る状態を確保。
会長は諦めているのか何も言ってこない。
セコンドとしての仕事をさせてあげられない事には、多少の申し訳なさを感じる。
だが何故だろうか、自信があるんだ。
このまま意地を張り続けても俺が勝つという自信が。
ゴングを聞き前に進み出る。
対角線を見やると、やはり先ほどのボディ打ちの影響か、市ヶ谷選手からは多少足が重そうな雰囲気が漂っていた。
だがそれでも、一呼吸おくと迷いなく突っ込んできた。
俺も応じ、またもリング中央へと駆け出していく。
そして始まる我慢比べ。
先ほどは多少動きが重そうに見えた市ヶ谷選手だが、打ち合いになるとまるでその影は感じなくなった。
小さな体を力強くしならせ、腕が痺れるような強打をこれでもかと言う程叩きつけて来る。
その殆どが体重を乗せたフック系で、体格で勝る俺がズルズルと後退せざるを得ない圧力、正に小さなブルドーザー。
しかし俺だって意地を貫くと決めたんだ、負けてはいられない。
手数に対抗するべくコンパクトな連打で対応し、一発の破壊力ではなくガードの甘い真ん中を狙い撃つ。
「…シッシッシッ!…シッシッシッ!」
良い感じに顔面を捉えるが、市ヶ谷選手には全く止まる気配がなく、叩かれた鼻からは血が滴り、パンチを放つ度に口から赤い霧が舞い上がる。
そして出血の量に比例し、留まることなくパンチの回転と圧力も増していくのだ。
「…っ!?」
先ほどまでは当てられたタイミングでパンチを伸ばすが、ほぼ同時に放たれたフックが俺の側頭部を捉えた。
グニャリと視界が歪み、思わずたたらを踏んで後退する。
眼前から迫るは獣の様に両腕を広げ、最早攻撃しか頭にない男の姿。
「…シッ!!」
強めの左で応戦、パンッと顔面を弾くがこんなもので止まらないのは分かっていた。
俺はロープに背を預ける格好のまま低く重心を固定、衝撃に備える。
「…っ…っ!…っ…っ!!」
吹き荒れる暴風、血走った目で迫り来る姿には勇猛さを感じた。
打ち返してあげたいが、足が言う事を聞かず望むように動いてくれない。
強打に揺られ右に左に体が泳ぐ、それでも視線は決して逸らさず相手を見定める。
力任せに見えるが体の使い方が上手いのだろう、しっかり体重が乗っている上、常に回避に移れるよう重心も安定している。
「…シッ…」
それでもガードは開かれており、避けられないものは避けられない。
それはジャブ、いや、俺のジャブ。
この選手の反射神経と勘の良さなら、ジャブであったとしても他の選手の性能なら避けられてしまうかもしれない。
だが俺のは自信を持って放つ特別性、この距離で避けられる訳が無い。
そして猛攻に晒されながらも、時折小さな左で鼻先を叩くという行為を繰り返し、第六ラウンドを終えた。
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