第10話 その背中が語る
夏の長期休暇に入り、実戦練習を軸に据えるメニューへとシフトした。
相変わらずこちらから出向く事が殆どだったが、最近は少ないながらも他のジムからこちらに出向くこともちらほら。
その時にとても意外な話を耳にした。
それは宮野拳闘倶楽部というジムの会長と共に、所属の若い選手がやってきた時の事だ。
若いといっても俺よりは二歳程上で、広瀬浩司さんというらしい。
聞けば、間も無くプロテストを受ける予定との事。
ちなみに、そのジムは北に隣接する
合同で練習をこなし、本番さながら熱の入ったスパーリングを終え、俺達は汗を拭いながら会長同士の会話に耳を澄ませていた。
「いやあ、良い選手だ。流石地方の星だった実君が育てているだけの事はあるねぇ。」
そう相手ジムの会長が語ると、実会長は苦笑いの様な表情を浮かべながら答える。
「いやいや、統一郎君は才能豊かな選手ですから指導しているのが僕じゃなくても良い選手になりますよ。そちらの選手こそ…」
と、お互いに謙遜しあいながら会話は弾んでいる様だ。
しかし、会話の中で気になるフレーズが聞こえてきた。
地方の星とは何の事だろうか。
響きから察するに、地方のジム所属で活躍したという事なのだろうが、実会長が選手だったという話は聞いた事がない。
しかも、相手ジムの会長の口振りからすれば、かなり有名だった事も伺えた。
意外な事実に汗を拭う手も止まり考え込んでいると、
「どうしたの?汗冷えちゃうよ。」
手が止まったまま動かない俺が気になったのだろう、広瀬さんが不思議そうに声を掛けてきた。
「あの…会長って有名な選手だったんですか?」
成瀬ジムの面々が触れなかったという事は、何となく聞いてはいけない事なのではないかと思い、恐る恐る問い掛けてみると、
「そうらしいね。何でも二十代前半で世界ランク五位までいって、世界王者間違い無しって言われてたみたいだけど、世界戦の直前にどこか体を悪くして引退したらしいね。地元のローカル局にはかなり取り上げられる機会も多かったみたいだよ。」
更に詳しく話を聞いてみると、引退してから父親のジムでトレーナー業はしているものの、一歩引いた場所からといった感じで、自らの手で選手を育てるといった事はしなかったらしい。
だからこそ居を移してまで指導する俺の事は、よほど才能が有るのだろうと、会長の触れ込みも相まって、近隣のジムでは噂が広がっていたとの事。
地方の星の再来と、一部では囁かれているらしい。
会長の顔の広さの秘密を知る反面、俺は当時を想像すると胸が苦しくなるようだった。
知っての通り、成瀬ジムは大きなジムではない。
世界ランクが賭かる様な試合を主催するのは、それこそ多額の費用が必要になるだろう。
しかも、その後は世界戦も見据えてだ。
ジムの規模を考えれば、恐らく借金などをしなければ無理なのではないだろうか。
期待を一身に背負っていたはずだ。
だが、それは叶わなかった。
どれだけ自分に失望しただろう。
どれだけ悔しかっただろう。
聞く必要などない。
今の俺如きでもそれくらいは痛いほど分かるのだから。
『俺が代わりに世界を獲る』等と宣言出来ればカッコいいのだが、そこまで自惚れる程向こう見ずではない。
今の俺に出来る事は、日々のメニューを淡々とこなしていく事だけだ。
宮野ジムの二人が帰った後、俺は決意を新たに会長に向き直り頭を下げた。
「うん?そうだね。これからが本番だ。よろしく頼むよ。」
そこにはいつも通りに見える笑みを浮かべた会長の姿があったが、背景を知ってしまったからか、その背中にはどこか哀愁を感じた。
帰宅後、何気なくパソコンを開いている時、昼間の話がどうしても気になり『成瀬 実』と会長の名前を打ち込んで検索してみた。
すると、驚くほど多くの検索結果が出てきた。
まあ、関係ない女の人の画像も結構あったが…。
ボクサー成瀬実は、一部地域に限定される様だが思った以上のネームバリューを誇る存在だった様だ。
元世界ライト級五位、十五戦十五勝(十一KO)無敗。
戦績を見て唖然とする。
負けたことがないまま引退したのかと。
十九歳で全日本新人王を獲得。
その後、日本ランキング四位まで駆け上がると照準を東洋に絞り、東洋ランキング三位を獲得。
しかも、その試合はタイで行われたもののようだ。
いや、よく見ると新人王以降、他にもフィリピンやインドネシアでも試合している。
海外でも当たり前の様に勝てる所に、非凡なものを感じずにはいられなかった。
次戦で東洋タイトルマッチをする予定だったらしいが、チャンピオン側との交渉が纏まらず頓挫。
ならばと交渉した、世界ランカーとの試合が最後になった様だ。
その試合は珍しく地元の会場で行われ、かなりの盛り上がりだったと記録されている。
当時日本が認める世界タイトルはWBAとWBCの二つのみで、スーパー王座やシルバー王座等の、訳の分からないタイトルは存在しない。
正直、いくらタイトルマッチの承認料が団体の収入源だと言っても、流石にやりすぎだと思う。
だからこそ、ジムの興行力も関係して、その時代のマッチメイクは困難を極めた事が予想されるが、地元の企業や有志からなる後援会の後押しを得る事で、金銭面にも恵まれ大きな試合を組める目途が立っていたと書いてある。
全盛期には地元のローカル局で毎週のように特集が組まれる程で、有名芸能人に匹敵する人気だったらしい。
引退の原因は網膜剥離で、再発の可能性を考えてとの事。
俺は当時の映像がないか、某動画共有サイトで調べてみると二件だけだが見つかった。
それは会長の引退試合とその前の試合。
どうやら、当時のローカル局で放送されたものの様だ。
一部抜粋されてはいるが、その強さは見ただけで分かる。
何というか、俺とは似ても似つかないスタイルだ。
その端正なマスクとは裏腹にかなりのハードパンチャーで、相手が弱みを見せたら力尽きるまで食らいつく。
ちなみに、最後に戦った世界ランカーは当時無敗のメキシカンで、その後世界タイトルを取り五度防衛も果たしている本物の強豪だ。
話は変わるが、今の王者乱立時代に自分自身思う所はある。
だが、言った所で仕方ないので、それはそれで楽しんで見るのが正解ではないだろうか。
数多い王者の中から、自分が【本物】だと思う選手を見つけるのも一興だ。
話は戻り会長の引退試合、展開はかなりの打撃戦だが、会長ペースでダウンも二度奪っている。
だが、終盤辺りから明らかに相手のパンチに対する反応が悪くなり、十一ラウンドには右ストレートをもらい始め、ついにはダウンを喫する。
それでもリードを守り切り、辛くも判定勝ちを収めた。
これらは俺が生まれる数年前の話で、調べれば調べるほど嫌が応にも物が違うと痛感させられる。
頑張っていれば、いつか俺もこの人と同じ舞台に立つ事が出来るのだろうか。
地方の星の再来として。
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