第八話 先より今

十月に入ってすぐ、またも日本ボクシング界にビッグニュース。


あの高橋選手が、海外有名プロモーターであるソウルオブフィストと契約したのだ。


契約期間は三年で、日本タイトルを返上し試合は主にアメリカでやるらしい。


彼は五度の防衛戦をこなしたが、いずれも一ラウンドKО。


そしていよいよ相手が見つからなくなり、海外に目を向けたという所か。


彼のボクシングは非常にアメリカ向き、簡単に言えば分かりやすいんだ。


かと言って、当たれば倒れるなどと言う大雑把なスタイルでもなく、玄人にも評価が高い。


いずれは世界的なスター選手になる素養を持った、正に規格外の男。


今が適性階級と陣営が言っているのでライト級に上げてくる話は聞かないが、上げても間違いなくタイトルを取るだろう。


しかしそこは本人の価値観なども関わって来る問題。


何となくだが、彼はあの階級に留まる気がする。


そして統一を目指し動き、類を見ないほどの長期政権を築くのではないだろうか。


そんなこんなあるが、取り敢えずは周りより自分。


試合まで後一週間ほどになり減量も佳境を迎えたが、こちらは極めて順調。


無理なくある程度食事をとりながら落とせている為、この時期になっても結構な練習量をこなせている。


スパーリングパートナーと言う意味でも、最近は選手層も厚くなってきており良い感じだ。


練習生も更に六人ほど増え、大一番を控えたジムとして空気も悪くない。


後は結果を残すだけだ。





十月九日、前日計量。


例の報道があったせいか、いつもの三倍以上の報道陣が詰めかけていた。


いつもは地元紙とボクシングを専門に扱うメディアだけだが、今日は見た事の無い人たちが大勢。


そして聞かれるのは明日の試合の事ではなく、その先の事ばかり。


だが以前からついてくれている松本さん等のコアな人たちは、しっかり明日の試合についても聞いてくれた。


「ナサン・ガンボア選手、調子いいみたいだね。」


松本さんの視線の先には、小麦色の肌が健康的な男性。


背は俺より若干低く、見た感じそこまで筋肉質にも見えないがパンチはどうだろう。


「見た感じちょっと緩いけど、戦績は十二戦十一勝で九試合がKОだからな~。おまけにダウン経験も無いってさ。」


能力はともかく、松本さんが言う様にもう少し絞れそうな雰囲気はある。


恐らく日本のジムであれば、フェザー級辺りでやらせようとするのではないだろうか。


向こうの考え方を知らないので何とも言えないが、減量でパワーを落としたくないとかそう言う事かもしれない。


その後は俺も計量を一発でパスし、記者の声に応えガンボア選手と並んで構え、写真を撮らせてから場を後にした。





十月十日、東洋タイトル二度目の防衛戦。


泉岡アリーナ赤コーナー側個人用控室、今日は陣営からの出場選手が多いので俺についているのは前回同様及川さんだけ。


この興行に出るのは俺と佐藤さん、明君に加え清水トレーナーが見ている二人。


高校生三人組は次の興行で同時にデビューさせる腹積もりらしいが、それも今日俺が負ければ立ち消える。


全八試合で構成され、四回戦が五試合、八回戦が二試合、そして俺の十二回戦。


次からは興行の全試合を自前の選手で埋められそう、これは結構凄い事ではないか。


まあ、それと比例して相手を探す会長たちの仕事は増えそうだが。


試合開始は十五時の予定、まだ一時間くらいある為、及川さんに一声かけてからジム名入りのジャージを纏い少し気分転換に外を歩く。


実は祝日という事もあり、今日は咲も亜香里たちと一緒に来場予定。


流石にこんな早くには来ないだろうが、もしかしたらと入口に向かい歩き、自販機横のベンチに腰掛けてみる。


通りかかる係員に不思議そうな目を向けられながら、どれくらい座っていただろう。


良い頃合いとなりそろそろ帰ろうかと腰を上げると、後ろから聞き覚えのある声が響いた。


「あ、統一郎君っ!」


見れば見知った三人、亜香里と春奈ちゃん、そして咲。


この状況で積もる話などある訳無く、一言二言交わしてから控室に戻りバンテージを巻いてもらう。


体の調子は悪くない、いや、控えめに言ってかなり良い。


シャドーをこなしながらモニターを眺めていると、次々消化されていく試合が映る。


清水さんとこの選手は一勝一敗、勝ったのはミドル級の木本さん。


やはり重量級の試合は迫力があり、見ている側からも声が上がっていた。


因みに及川さんは俺の専属みたいになっているので、セコンドは男三人。


試合前はピリピリしてしまう事も多いのだが、及川さんが傍にいると何故か精神状態が落ち着くので助かっている。


そして第六試合は明君の出番。


調子は悪くなさそうだがどうか、序盤が大人しすぎる印象。


相手への警戒から様子見と言った感じが強く、三ラウンド目までは恐らく全て取られてしまっている。


しかしそこから徐々に巻き返していき、最終第八ラウンドにはダウン寸前まで追い詰めるも、結果はドロー。


二試合連続のこの結果、スロースターターという印象は無かったが、一体どうしたのだろうか。


これで十戦七勝一敗二分け、確か三KОだったはず。


A級に上がってから三戦して一勝、最近結果が出なくなっている。


でも内容は悪くないので、試合の組み立てによる問題が大きいのではないか。


あの会長がそんな事に気付いていない訳もなく、打開する指示も飛んでいただろうがこの結果。


まあ、実は俺自身そこまで心配はしておらず、彼はちゃんと話も聞くし考えられる人なので大丈夫だろう。


出番が近づき俺は軽くミット打ちの時間。


合間にモニターを眺めると、続く佐藤さんは何というか、もう説明の必要も無いほどの安定ぶり。


完全に自分の必勝パターンを掴んでいる感じがする。


こうして見ていて思ったのだが、この試合の組み立て方は先ほどの明君のそれに近い。


もしかしたら、これを真似ようとしていたのだろうか。


最初の一、二ラウンドを相手の能力の見切りに使い、中盤に差し掛かる所からギアを上げる。


明君と違うのは、スタイルの違いもあり打たれずに打つを実践できている所。


明君はファイタータイプなので、どうしてもある程度近い距離での打ち合いになってしまう。


佐藤さんの場合、こなすラウンド数が長くなればなるほど強くなる印象。


恐らく彼にとっては、ラウンドの短い四回戦こそが一番の鬼門だったのではないだろうか。


終盤に差し掛かり繰り広げられるのは、完全に相手を封じ込めているアウトボクサーの姿。


相手のパンチの悉くが鼻先を掠めるにとどまり、手を出せば出すほど状況が悪くなる。


「…佐藤君、凄いね。」


ぼそりと呟いた及川さんに軽く頷くと、俺は向き直りミット打ちを続けた。

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