第七話 斬り拓くために

人の口に戸は立てられぬ。


八月下旬、この間収録した番組はまだ放送されていないが、俺は一躍時の人となった。


各社が新聞やネット媒体で次のように報じたのだ。


【日本のホープ遠宮統一郎、世界挑戦を賭けアンファン・市ヶ谷と激突かっ!】


海外で活躍する日本人選手を大きく扱うのは何となくわかる。


例に漏れず、市ヶ谷選手は国内でも有名人でありスター選手だ。


この身出しを見て殆どの人は思っただろう、遠宮って誰だっけ?と。


そして選手の背景を読んで思い出すのだ、御子柴にまぐれで勝って高橋にぶちのめされたあいつか、と。


だがそれも次第に変わっていく。


先も言った通り、俺の東洋タイトルは中国のスター選手と戦い獲得したもの。


敵地に単身乗り込み勝ち取ったという称号は思いのほか大きく、それだけで評価が変わる。


そして驚きの事実がもう一つ、この間市ヶ谷選手のマネージャーかと思った初老の白人男性。


あの人はアメリカの元五階級制覇王者だったらしい。


俺も当然知っているのだが、昔の姿しか知らず今の姿を見ても思い至らなかった。


正直サインをもらっておけば良かったと後悔している。


食卓を囲みながらテレビを付けると、丁度その話題をやっており、当人の心境としては少し複雑。


「兄さん、何か凄い事になってるね…。学校でも滅茶苦茶聞かれるんだよ…今まで話した事も無い人達から…。」


亜香里は基本的に人見知り、ちょっと迷惑をかけてしまっている様だ。


だが聞けば下心で近づいてくる者は少なく、単純に格闘技好きな連中が殆どらしい。


「…だねぇ。これであっさり負けるとか…想像もしたくないな。」


それこそ本当に道が閉ざされるだろう。


そんな思いを抱えながらも仕度を済ませ、春奈ちゃんが迎えに来たので亜香里と一緒にそれぞれ出発。


職場は意外に静かで、いつもと変わらない。


まあ、そうしようと心掛けてくれているのだろうが。


因みに、結構前に店長から正社員にならないかと誘いを受けたが、今はまだ保留中。


喫茶店の事もある、何よりこれからボクサーとしてどうなるのか不透明過ぎるし、何となく今落ち着いてしまえば、上を目指せなくなりそうだから。





仕事も終わり、ジムの引き戸を開けるとムワッと立ち込める熱気、明君と練習生奥山君がスパー中だ。


明君が早く来れた時は、最近この光景をよく見るようになった。


奥山君は運動神経の塊と言った感じの小柄な選手。


恐らく階級もそう変わらない為、本当の意味での模擬試合をこなせる。


単純な能力や才能といった意味では奥山君が圧倒的だが、そこを経験で埋めるのがプロ。


明君も何だかんだでそれなりに試合数をこなしているので、そう簡単にはやられない。


そんな彼らを横目で見ながら練習に励むのが、吉田君と古川君。


彼らは二週間後、三人同時にプロテストを受ける。


学校を休む事になるので、両親には既に話を通してあり、車で送ってもらう手筈になっているようだ。


正直実力的に落ちる事は考えられないが、それでも不安はあるだろう。


体格などを比べると、奥山君が百六十二センチでライトフライ、イケメン吉田君が百八十センチでスーパーライト、武人然とした古川君が百六十九センチでスーパーフェザーの予定。


俺が話題となり、今以上に練習生が増えれば外でシャドーをするという光景もあり得る。


まあ、二十人とか一気に来なければ大丈夫だろうが。


壁面を見れば、次の試合のポスターが貼ってある。


先ずはこちらをこなさなければその先はない、正に足元をすくわれるというやつだ。


俺は練習生たちと軽い挨拶をしながら奥へと進み、バンテージを巻き始める。


すると、牛山さんが横に座りひそひそ語り始めた。


「例の試合、うちの興行でやってもいいらしいぞ。」


「え?マジですか?」


俺はてっきりアメリカ遠征を覚悟していたが、意外な進捗だ。


「だがな、ファイトマネーが馬鹿高えんだよ。結構きつい状況だから、会長にこの話突っ込んで聞くなよ。」


この試合は何が何でも成立させたいもの。


結構きついとは、間違いなく借金などをしなければ立ち行かないという意味だろう。


とは言え、基本的に会長は勝算の無い勝負をする人ではない。


充分に収益が確保でき、なおかつ俺に勝機を見出せるとなれば例え無茶でも強行する筈だ。


少し頭の中で考えてみる。


あれほどのスター選手、恐らく何千万という単位ではなく億という単位の話になるのではないか。


だとすれば放映権なども鑑み、興行収益を出すにはアリーナでは厳しいことも予測される。


(ま、俺の考える事じゃないな。こんな事に気を揉んで試合を落としたら、それこそ目も当てられない。)


色々考える事はあるがそれでも気持ちを切り替え、柔軟とアップを済ませ俺も練習に入っていった。





暦は九月中旬になり、早朝から帝都へ向かう練習生たちを見送る為、俺もジムへと顔を出す。


彼らの乗るワゴンを運転するのは吉田君のお父さん。


凄く気弱そうなひょろっとした長身の男性だ。


顔は息子さんと同じくイケメン風味だが、何というか覇気がない。


それぞれの家族も見送りに来ており、俺と目が合うと何度も何度も感謝の言葉を告げて来る。


特に何かしてあげた覚えもないのだが。


それから三人が冗談を言い合いながら車に乗り込む。


そんな姿を微笑ましく思うと同時に、多少羨ましく思ってしまうのは何故だろう。


彼らがこの先どこまで同じ道を行けるのかは分からない。


ずっと一緒にと言うのが理想だが、どこかで線引きをしなければならない時は必ず来る。


それでも共に過ごした思い出は消えずに残る筈。


あの時はこうだったなとか、お前はこうだったとか、共通の思い出を抱え語りあえる友達。


それはきっと、とても楽しい時間だろう。


(俺も偶には、田中と阿部君に電話かけてみようかな。)


そんな事を思いながら、今日も今日とてパートに向かう。


大イベントが控えているとは言っても、俺の日常はそれほど変わらないのだから。





少し時が経つと三人共が合格し、届いたプロライセンスを眺める顔はやはりとても嬉しそう。


その姿を見ればどうしても思う、俺が道を作らなければと。


いつまでも地方の弱小ジムなんて呼ばせない。


俺が変えるんだ。


中央のジムでなければ、大手のジムの系列でなければ道が開けないこの現状を。


厳密には相沢君が既に為しているとも考えられるが、俺だって続きたい。


その為に必要なのは集客力、知名度、そして実力と運。


アンファン・市ヶ谷、あの男に会場が沸き上がる様な展開で勝利すれば、きっと手に入る。


だがまずは目の前、二度目の防衛戦をしっかりこなす事としよう。





十月一日、今日は亜香里の誕生日。


今年のプレゼントは本人たっての希望で、猫のぬいぐるみ。


本人曰く以前は犬派だったらしいが、スイという家族が出来てからは様変わり。


春奈ちゃんと一緒に猫グッズを集める程の猫好きに変貌した。


何にせよ、好きなものがあると言うのは良い事、これからも仲良く歩んでいってほしいものである。

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